5話 いずれ倍にして返してやるから覚悟しとけ
「ここに並ぶのはハイラント帝国から仕入れた高品質の魔具ばかり! さあ、見ていって――」
「うちのパンは美味しいわよー! お値段もお買い得――」
「魔王も討伐されたし、少しは魔物の被害も減るかも――」
「いやー、『戦場』に近いこの街じゃ、あんまり変わらないんじゃ――」
「それより、最近怪しい連中がうろついてるって噂のほうが――」
「……」
気づけば私は、またこの通りで立ちすくしていた。落とした肩からリュックがずり落ちる。
(……やっぱり……)
三度目のその光景に。その喧騒に。そしてさっきまでの記憶に。今度こそ確信を抱く。私は――
(私は、死ぬ度に過去に戻って、今をやり直してる……何度も、ループしてるんだ……)
そういった物語を読んだこともあるが、まさか自分の身にそれが起こるなんて思いも寄らなかった。それに、実際に死を迎える際の苦痛や恐怖は、物語で想像した以上の強烈なもので……
「う……」
この二回の(元の世界のものも含めれば三回の)自分の死に様、苦痛、血の匂いを思い出して吐き気を覚え、うずくまる。肉体的な損傷はなかったことになっているが、精神的なダメージが大きい。
しかし黙ってこうしている訳にはいかない。本当にループしているのなら、もうそろそろ彼女が来るはずだ。私は地面に落ちた自分の荷物に手を伸ばし、身体で庇うように抱えた。と、同時に――
「……! ちっ……!」
背後から迫っていた、ボロボロの衣服を纏った赤髪の少女が、荷物を奪い損ねたことに舌打ちし、そのまま走り去る。
「……」
これまでのループでは、彼女に荷物を奪われたことに端を発して貧民街に向かい、そこで私は命を落としていた。なら、そもそも荷物を奪わせなければ、悲劇は回避できるのでは、と思ったのだ。
実際、荷物が無事なら私が貧民街に向かう理由はない。このまま見ぬふりをすることもできた。だけど……
「待って!」
遠ざかる赤髪の少女の背中に私は声を投げかけた。が、少女は当然止まらない。そしてこれまでのループと同じように、貧民街に向かって走り去っていく。
そこを寝床にしているのなら、帰るのは当然の帰結だ。けれど、今、貧民街には……
「――どうかしたかい? ……突然声をかけてすまない。私は――」
そこで、二周目と同じように声をかけてくれた彼女に、私は必死で縋りついた。
「――アルテアさん!」
「? どうして、私の名を? どこかで会ったことがあったかな?」
あ……そうだ。互いに名乗りあい、私の死に怒り、剣を振るってくれた彼女は、前回の彼女で……それがなかったことになっている現状に、少し胸が痛む。けれど、今はそれを抑え込んででも懇願する必要がある。
「すみません、こっちが一方的に知っているだけで……それより、お願いします! 力を貸してください! このままじゃ、あの子が危ないんです!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。どういうことだい? あの子というのは?」
「貧民街に暮らしている少女です……! 今、あそこには危険な集団が……確か、悪魔崇拝者って呼ばれる人たちが――」
「! ……君、その話をどこで?」
その名を聞くと共に、アルテアさんの目が鋭く細められる。それに少し気圧されながらも、私は必死で言葉を紡ぐ。
「その……私、実は――」
実は違う世界からここにやって来て、何度も死んでループして、過去をやり直してるんです――と、勢いのままに正直に話そうと一瞬考えてから、ふと我に返る。……こんな話、誰がいきなり信じてくれるというのか。
とはいえ、来たばかりのこの世界でもっともらしい情報の出どころなど思いつけない。それでも、あの子を助けたい気持ちに嘘はない。どう言えばいいのか。なんと言えば信じてもらえるのか。悩み抜き、瞬間的に精神の限界を迎えた末に私は――
「わ、私……たまに未来が見えることがあるんです……!」
彼女の瞳を精一杯見返しながら、私はハッキリと言い放っていた。
いや何言ってるんだ私。いくら気が動転してたからって未来が見えるとか。確かに疑似的にはそう言えなくもないけれど――
「なるほど……神から授かる加護の中には、未来を予見するものもあると聞く。君がそれを授かったというなら……」
あ、あれ? 意外とすんなり信じてもらえそう……?
「信じて……くれるんですか?」
「ああ。君はずっと真剣で、嘘を言っているようには見えなかったからね。もちろん悪戯だった時はきつく叱ることになるだろうけど……その心配はいらないのだろう?」
「はい……!」
「うん、よし。しかし、君。その加護のことをこんな往来で話してはいけないよ。下手に知られれば誰にどのように利用されるかも分からないんだから。もっと注意しなさい」
「あ、はい……」
結局叱られてしまった。でも彼女がいい人なのはこのやり取りだけでも実感できる。そんな彼女だからこそ頼ってしまったし、みすみす死なせる訳にもいかないのだ。必要な情報を伝えなければ。
「と、とにかく、お願いします。力を貸してください。相手は十人くらいで、手に手に武器を持っていました。だから――」
「ああ、分かった。――ディルク。君は大至急詰め所に戻って、応援を呼んできてくれ」
「はい!」
傍にいた男性の騎士は返事と共に、通りの向こうに駆け出していく。それを見送ってから私はアルテアさんに呼びかけ、先導して走り出した。
「こっちです! ついてきてください!」
――――
その後は、驚くほどあっさりと決着がついた。
あの赤髪の少女に追いついた私とアルテアさんは、彼女を保護しつつ、周囲に潜んでいた例の集団――悪魔崇拝者たちと対峙。
相変わらず彼ら――特にリーダー格の男の言動は要領を得ず、アルテアさんの降伏勧告にも欠片も耳を貸さずに戦闘に突入。今度は人質に取られたりしないよう私も慎重に行動し、そこへ応援の騎士さんたちが到着したことで趨勢は決した。
アルテアさんをはじめとする騎士の皆さんの実力は本物で、悪魔崇拝者たちは全員捕縛、あるいはその場で斬り捨てられた。
そうして騎士に連行されていく黒ローブの男たちを見ながら、赤髪の少女が呟く。
「……貧民街に怪しい連中が出入りしてるって噂は聞いてたが、まさかあんな危ない連中だったなんて……あたしは命を助けられたことになるんだろうな。一応礼は言っとくよ、騎士の姉ちゃん」
「礼なら彼女に言ってくれ。この場にあの連中が潜んでいると看破したのは、彼女だからね」
と言って、アルテアさんはこちらに視線を向け、少女も私に向き直る。
「あんたが……そうか。礼を言うよ、旅の姉ちゃん。……荷物、盗ろうとして悪かったよ」
最後の台詞だけはボソっと小さく、頬を赤く染めながらだったけど。
そんな彼女の様子を微笑ましく感じられて、助けられてよかったと心から思う。
と同時に、思い出したことがある。
「そうだ、アルテアさん。お願いばかりで申し訳ないんですけど……この子に、仕事を紹介してあげることって、できますか?」
唐突な私の要求に少し驚いた様子のアルテアさんだったが、次には少し悪戯っぽく微笑む。
「それも、『見えた』結果かな?」
「え、と……少し違うんですけど、似たようなものといいますか……」
上手く説明できなくてしどろもどろになってしまうが、彼女は快諾してくれる。
「分かった。君には助けられたからね。それくらいのお願いなら喜んで聞くさ」
そのやり取りに目を白黒させるのは、当の赤髪の少女だ。
「ちょ、ちょっと待てよ! あたしに仕事って、どういう……」
「その、食べるのに困っているから、盗みを働いていたんですよね? でもそれなら、ちゃんとした仕事があれば、盗まなくて済みます、よね?」
「それは……」
少なくとも二周目の彼女は、仕事を貰える可能性に揺れていた。なら、今回の彼女にとっても――そこに至るまでの経緯は違うとしても――悪くない話なのではないだろうか。
「……~~あんた! 名前は!」
「へ、は、はい! 橘……いえ、ミレイ・タチバナです!」
「ミレイ……ミレイか。あたしはリタだ。命を救われたうえに仕事の世話までされて何も返さないほど、貧民街の住人は恩知らずじゃない。いずれ倍にして返してやるから覚悟しとけ!」
その口上に一瞬呆気に取られてから……
「……はい。楽しみにしています」
私は笑顔を浮かべて、少女――リタさんに返答した。
その後、彼女は荷物をまとめるため一度住処に戻るといって別れたのだが、そのタイミングでアルテアさんが私に呼びかけてくる。
「自己紹介を省いてしまったけど、ミレイ、でいいんだよね。もう宿は取ってあるのかい? まだ色々と聞きたいこともあるから、差し支えなければ泊まり先を教えてほしいのだけど」
「え? あ……」
そうだった。私はこの世界に来たばかりで、今後の生活をどうすればいいかも分かっていないのだった……
「宿は、まだ決まっていません。というか、その……私、あまりお金も持ってないというか……これ、この街では使えない、ですよね……?」
スカートのポケットから財布を取り出し、いくつかの硬貨と紙幣を見せてみるが……
「……見たことのないものだね。これは、銀貨……? いや、それにしては、ちょっと軽いような……いずれにしろ、どれも精巧な作りだし、ある程度の価値はつくと思うけど……すぐにこの街で使うのは難しいかもしれない。すまないね。私もこの方面にはあまり詳しくなくて」
「いえ、そんな……! ……でも、それじゃ……」
これから、どうすればいいんだろう。寄る辺を見出せない不安に押し潰されそうになる。
「……ふむ。もし行く当てがないのなら、うちの詰め所に来るかい?」
「え?」
「うちは基本男所帯なうえに万年人手不足でね。いくらか雑用を引き受けてくれるなら、見返りにうちを使ってくれて構わない」
「……いいんですか?」
「もちろん。部屋も空いているし、団員のみんなも女の子が増えるのは喜ぶよ。何より、街で困っている誰かを助けるのが、この街の騎士の本懐だからね」
それはこの状況では渡りに船どころか救いの神とも言える提案で……私は一も二もなく飛びついた。
「え、と……それでは、ご迷惑でなければ……よろしくお願いします」
「ああ、歓迎するよ」
その後、私たちは合流したリタさんと共に一般市街区に戻った。
リタさんは約束通り仕事先を紹介してもらい、そこに住み込みで働くことになったためその場で別れ、私はアルテアさんの案内で騎士団詰め所に招かれた。
詰め所にはアルテアさん以外の女性の騎士も何人かいたが、一般人の女子が訪れることは珍しいのか、男性は色めき立ち、女性には過剰に可愛がられ、歓迎された。
そうして私はこの異世界で、ひとまずの寝床を確保することができた。与えられたベッドに横になりながら、激動の一日を反芻する。が……
(今日は、色々ありすぎて、疲れたなぁ……)
考えるべきことはたくさんあれど、疲労は身体を問答無用で眠らせようとしてくる。それに抗えず、意識はすぐに闇に沈んでいって……
そうして、私たちが寝静まった深夜。
――騎士団の詰め所が突如爆発し、建物が炎に包まれた。
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