12話 見るからに怪しいわね
「すみませーん! パンの配達に来ましたー!」
時刻はお昼時より少し前。
わたしが騎士団詰め所の前でいつものように呼びかけると、これもまたいつものようにアルテアが出てきて応対してくれる。
「やあ、マリナ。今日もご苦労様。ミレイも、ちょっとぶりだね」
「はい、ちょっとぶりです」
同行していたミレイと挨拶を交わすアルテア。二人は何やら意味ありげに笑顔を浮かべ合っている。
「何? 何かあったの?」
「内緒だ」
「はい、内緒です」
「えー、教えなさいよー」
そんなわたしの様子を見て二人はまた笑みを交わし合う。気になる。まぁ、打ち解けてるみたいだから何よりだけど。
「そういえば詰め所を出てしばらく経つけど、お店での生活には慣れたかい?」
ミレイに調子を問うアルテア。つい先日まで世話を焼いていたので、やはり気になっていたのだろう。
「はい、なんとか。その節はお世話になりました」
「大したことはしてないよ。むしろ働いてもらっていたし、詰め所の皆も君のことを気に入っていたからね。マリナのしごきに耐えられなくなったら、いつでも戻ってきてくれて構わないんだよ」
「人聞き悪いこと言わないでくださいー。そこまで厳しくはしてないわよ。ねぇ、ミレイ?」
「本当かい? 実際のところは?」
「あ、あはは……ええと……まぁまぁ厳しいです」
ちょっと、ミレイさん?
「でも、大丈夫です。丁寧に教えてくれますし、これも私がこの世界で生きていくためには必要な厳しさですから」
「そうだね。パン作りの世界も奥が深いのだろう。その道に進む覚悟が決まっているのなら、私がこれ以上口を出すのも野暮というものだね」
世界云々は口に出して大丈夫なのかと一瞬ひやりとしたが、なんかいいように解釈してくれている。なら、まぁいいか。
その後、運んできた品を確認してもらってから、詰め所の中に運び込む。ミレイがその手伝いのために荷車と詰め所を往復していると、
「お、ミレイの嬢ちゃん。また手伝いに来てくれたのか」
「そのままうちで働いてくれてもいいんだぜ?」
同じく手伝いに出てきた他の騎士たちから、次々ににこやかに声をかけられていた。可愛がられてるなぁ。
ちなみに彼らはわたしにも口説き文句のような軽口を叩いてきていた。いつものことだ。なんといっても我がお店自慢の看板娘(自称)だからね。まぁ、これもいつものことながら、適当に受け流しているのだけど。
「それでは、今回の代金だ。次もまた頼むよ、マリナ」
「ええ、いつもありがとね、アルテア」
「失礼します、アルテアさん」
「ああ。気を付けて帰るんだよ。これから私たちも見回りに出る予定だから、何かあったら遠慮なく助けを呼ぶようにね」
そう言って小さく手を振るアルテアと別れ、わたしとミレイは荷車と繋いだ馬――我が店自慢の荷馬、ミルトを牽きながら、詰め所を後にする。
「まったくもう、アルテアは心配性なんだから」
子供扱いされてるように感じて、つい隣を歩くミレイに愚痴を吐いてしまう。それに彼女は苦笑を返しつつ、ぽつりと呟く。
「……多分、アルテアさんが心配してるのは私なんだと思います。私が、危なっかしいから」
「あー……まぁ、それはあるかもね」
ミレイはこの世界に来たばかりで身寄りがなく、不安のせいかいつもオドオドしている。身体も小さく、性格も大人しいし、いかにも頼りなく見える。心配されるのはしょうがないかもしれない。わたしもこの子を放っておけない。
「それに、つい先日、立て続けに事件が起こったばかりですし……」
「って言っても、犯人の悪魔崇拝者は全員斬られるか捕まるかしたんでしょ? もう心配いらないんじゃない?」
「どう、なんでしょう。他にも仲間がいるかもしれませんし」
「……それはそうね。でも今は真っ昼間よ? そういう輩が行動するのは、人目に付かない夜って相場が決まってるでしょ?」
「でも、私が貧民街で襲われた時もまだ明るかったですよ?」
「……そういえばそうだったわね」
ぐうの音も出ない。
「まぁ、それだって貧民街のひと気がない場所だったんでしょ? なら、通行人がたくさんいるこの辺りは大丈夫よ。ミレイだってこの前、一人で出歩けたでしょ?」
わたしがそう口にすると、ミレイがぽつりと呟く。
「……マリナさんは、いつでも前向きですよね」
「? どうしたの、急に」
「いえ、出会った時から思ってたんです。前向きで、明るくて、自信を持っていて。そういうところが素敵だな、って。『戦場』と隣り合った街に住んでいて、事件も起きているのに、あまり怖がる様子もなくて。それが、私には羨ましくて……。少し、眩しくて」
褒められるのは好きなので素直に受け取るけど、それ以上にわずかに暗さを見せるミレイの横顔が気にかかった。彼女が暮らしていた世界に比べれば、この街は決して治安がいいとは言えず、やはり常に不安に苛まれていたのかもしれない。だから――
「そんな大したことじゃないわよ。こんな街で暮らしてるとね、魔物の襲撃に常に怯えるか、いっそ開き直って気にしないかを選ばなきゃいけなくなる。わたしは運よく後者だった。ただそれだけよ」
だからわたしは明るく言い切る。少しでもミレイの不安を晴らしたくて。わたしには、それくらいしかできないから。
「……やっぱり、眩しいです」
まだ暗さを払拭するには至らないが、それでもミレイは笑みを浮かべてくれた。それが嬉しい。わずかな儚さを感じさせるその笑顔に、いつも以上に放っておけなさが――護ってあげたい気持ちが溢れてくる。彼女の微笑みこそ眩しい。少し頬に熱を感じる。あまり経験のないその熱から逃げるように、わたしは話題を逸らした。
「そ、そういえば、この近くにわたしの友達が住んでるのよ。テレサっていうんだけどね。この間も、怪我した猫を連れていって……あっ」
そこで、唐突に思い出した。あの猫は、おそらくミレイが過去をやり直した影響で怪我をせず、テレサに預けたこともなかったことになっている。いや、それはいい。
問題は、あの時、差し入れを入れたバスケットをテレサの家に置き忘れていたことを、今になって思い出したことだ。
「ごめん、ミレイ! テレサの家に忘れ物してるの思い出した! 返してもらってくるわね!」
「え? じゃあ、私も一緒に――」
「ここからなら路地裏を抜ければすぐなんだけど、馬車は入り込めないでしょ? だからわたし一人で行ってくるわ。すぐ帰ってくるから、ミレイはここでミルトを見てて」
言いながら、近くの建物にミルトの手綱を手早く巻き付ける。
「……分かりました。気を付けてくださいね」
一人になるのが不安なのか、また少し暗い顔を見せるミレイ。その表情に後ろ髪を引かれながらも、わたしは一人、路地裏に足を踏み入れた。
――――
狭い路地裏に、タッタッタッと、わたしの足音が響く。早く戻ってミレイを安心させてあげなきゃいけない。
天気は晴れているが、辺りは薄暗い。左右を背の高い建物に遮られたこの場所は、常に影に覆われている。進む度にその影に呑み込まれていくような気分に陥るのは、ミレイの心配性が移ったからだろうか。
(何考えてるの。早く抜ければいいだけでしょ)
埒のない想像を振り払い、足を速めようとしたところで……
「――」
(……?)
前方から誰かの声のようなものが聞こえた気がして、わたしは思わず足を止めた。反射的に警戒心が――同時に、好奇心が――働き、壁沿いにゆっくり近づいていく。
周囲の建物の大きさの違いから、道の先には少し広い空間――空き地のようなものが生まれていた。物置きにされているのか、いくつもの木箱が乱雑に置かれているのが見えた。
その空き地の、ちょうどこちらからは陰になって見えない辺りに、どうやら複数の人が集まっているらしく、断片的にだが会話が届いてくる。
「やっと、この日が――」
「私たち――れで救われ――」
まだ聞き取りづらい。もう少し近づいていく。
建物の角に到達し、陰から声の主を覗き見る。そこには、木箱を椅子代わりに腰掛ける、黒いローブを纏った三人の人間(男二人に女が一人だった)の姿を確認できた。
(何かしら、あの連中。こんなところにあんな格好で、見るからに怪しいわね……)
覗き見るこちらに気づいた様子もなく、三人のうちの一人、眼鏡をかけた優男が口を開く。
「さて、決行の前に手順を確認しておこう。最初に動くのは僕らだ。この街に昼の鐘が鳴り響くのを合図にして――……この近辺の建物を魔術により爆破し、暴動を起こす」
(……なん、ですって?)
魔術で、爆破……? 暴動……? なんのために? そんなことをすれば、騎士団が――
「そうなれば、騎士団が黙っていない。鎮圧のために詰め所から人員が送り込まれてくるはずだ。冒険者たちも動くかもしれない。そうして奴らの注意を引き付けておくのが、僕らの役割だ。あとはその隙をついて――司祭さまが、目的を果たされる」
残りの二人から、「おぉ……!」と感嘆の声が沸き上がる。対してわたしは声を失う。
(司祭……? どこかの神官……? 目的……そのために、わざわざ騒ぎを起こして囮になろうとしてるの……?)
彼らがやろうとしているのはれっきとした犯罪だ。しかも、そんな方法で果たそうとしている目的など、ろくなものじゃないだろう。
「今回の作戦が成功すれば、この街は大きな混乱に見舞われるだろう。仮初めの平穏は崩壊し、救いがこの地にもたらされるんだ。僕らの、そして司祭さまの手によって。――我らが悪魔、エラトマ・セリスの名の下に」
(――! こいつら、悪魔崇拝者!)
わたしは反射的に顔を引っ込め、思わず叫びそうになる口を手で覆った。
(ミレイの心配通りだった……! まだ仲間がいたんだわ……! しかも、何かとんでもない悪事を働こうとしてる……!)
心臓が激しく脈打ち、全身が熱を帯びる。この鼓動は、背に触れた壁越しに辺りに響いていないだろうか? すぐにこの場を離れなければ、気づかれるのではないか?
(早く騎士団に、アルテアに伝えないと……! それに、ミレイも避難させなきゃ――)
「――だからね」
その声は、想像以上に近くから聞こえてきた。そして、それに気づいた時にはすでに腕を取られ、先刻まで覗いていた空き地側に引っ張り込まれる。
「きゃっ!?」
「君を逃がして今の話を伝えられてしまっては、計画に支障が出るんだよ。分かるだろう?」
そう言うと、眼鏡の男は腕を引く力を強め、わたしを勢いよく地面に引きずり倒す。尻餅をつき、壁に背中を打つ。痛い。
気づかれていたの? いつから? いつの間に近づいて……
わたしを逃がさないためか、悪魔崇拝者の三人は三方からこちらを囲む。眼鏡の優男がローブの下に隠していた長剣を引き抜き、わたしの胸に突き付けた。その刃先の鋭さに呼吸が詰まり、上げようとしていた叫び声が喉奥に引っ込んでしまう。背筋が凍る。
「さて、君の処遇はどうしたものかな。聞かれてしまった以上、無事にここから返すというわけにはいかないからね」
言葉と共に、刃がほんの少し近づく。身体が震える。けれど、怖がってるなんて悟られたくない。それに、時間を稼げば誰かが気づいてくれるかもしれない。わたしは必死に強がってみせる。
「……わたしを殺すつもり? 街中での殺人は重罪よ。分かっているでしょう?」
「そうだね。全くその通りだ。けれどそれは――この街の司法が、通常通りに機能していればの話だ」
「!」
「話は聞こえていたんだろう? もうすぐこの街は大きな混乱に見舞われる。そうなれば、君一人が死んだところで誰も気に留めやしないさ」
こいつ……!
「こんなこと、騎士団だって、神殿だって……神々だって、決して許さないわよ!」
「あぁ、そうとも。神々は僕らを許さないだろう。そしてこの呪われた街を見守り続ける。――だからやるのさ。悪魔の名の下に――」
――ずぶり、と。長剣の刃がわたしの胸の中心に突き刺される。心臓を貫き、背後の壁に刺さって止まり、わたしの身体を張り付けにする。
「あ……」
一言、声が漏れた。できるのはそれだけだった。
喉奥から血の塊が込み上げてきてゴポリと音を鳴らした。口からこぼれる。胸の傷からも流れ落ちていく。
(死ぬ……わたし、死ぬの……?)
考えなくても分かる。これは致命傷だ。貫かれた胸に激しい痛みを覚え、血液混じりの喉は呼吸が苦しい。傷口は熱を持っているのに、失われていく血と刃の冷たさが寒さを感じさせる。
痛い――苦しい――熱い――寒い――全てが混ざり合って、段々、それらの感覚も薄れていって……やがて、強烈な眠気と共に、視界が狭まってゆく。この欲求のままに目を閉じれば、わたしはそのまま眠るように意識を失っていくのだろう。
神殿の教えでは、死した魂は生前の善悪を量られてから神の元へ招かれ、生まれ変わるとされる。でも、それを見てきた者は誰もいない。だから、人によってはこう言うのだ。死は、永遠に覚めることのない眠りだと。
それが真実であるなら、たとえ何時間、何日、何年経とうと、もうわたしは目覚めることはない。眠りについてから次に目を覚ますまで一瞬で時間が経過するあの感覚が、わたしを置いてどこまでも続いて、でも意識は闇に溶けたまま……永遠に……
(怖い……目を閉じるのが怖い。目覚めないのが怖い。わたしが消えるのが怖い……!)
あぁ、迫るこの喪失感、死への実感は、覚めない眠りこそが真実だとわたしに強く訴えかけてくる。恐怖に抵抗を試みるが、どうにもならない。やがて視界は完全に黒く閉ざされていき……けれど閉じたまぶたの裏で思い描いたのは……頼りなさの残る、あの少女。
そうだ。本当に怖いのは――
「マ――さん――!」
最期に、彼女の声が聞こえた気がした。




