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後編

男は一度は家に帰った。

しかし、静かな家の中でじっとしていると、いろいろと余計な事まで考え始めてしまう。

時間も良い頃合いとなっていた為、酒場へと出かけた。

酒場には親友たちも来ていた。

彼らは男の姿を見るなり、弟の事を嘆き、男を励ました。

彼らの温かさに触れて、弟の件を聞いて以来ずっと強張っていた表情が少し緩んだ。

何人かとは弟の思い出話を語った。改めて弟が皆に好かれていた事を知り、嬉しくなった。

声をかけてくる者が一区切りして、酒場の片隅で一人で飲んでいた。

酒場に一人の客が入って来る。

男は見るともなしにその客を見た。それが誰だか認識した瞬間に顔をそむけた。

それは司祭だった。

少し前に用事があると言って男との話を打ち切ったはずの司祭が、顔を赤らめて入店してきた。

「いらっしゃいませ。司祭様」

店主は笑顔で出迎えた。

それに対して司祭はやや横柄にも聞こえる言い方で返した。

「いつも言っているだろう。法衣を脱いだら私は司祭ではなく、善良なる一市民だと」

「そうでした。しかし、今日はいつも以上にすでに出来上がってますね」

店主は酔っている事を指摘しつつも、席についた司祭の前に酒を置いた。

「教会で飲んでいたら空になってしまってな。飲み直しさ」

そう言ってから司祭は酒を飲み始めた。

男は司祭に気が付かれていない事を確認して、話が聞き取りやすいように少しだけ近くに寄った。

既に酔っている司祭は一杯目から管を巻き始めた。

「まったく、争いが始まってからハエが多くてかなわん」

「ハエ、ですか、」

店主は司祭の言葉の意味を理解できず、生返事を返した。

「そう、ハエさ。あいつらは何かあるたびに私の周りにたかり、口々に同じ事を騒ぐ。

今日も一匹来たから、追い返して扉を閉めてやったさ」

「ハエはそこに食べ物が有ると知るとしつこいですからね」

店主は話がかみ合っていないのを理解しつつも、なんとなくで話を合わせた。

そんな店主の気遣いも関係なしに、司祭の話は別の所に飛ぶ。

「まあ、争いも悪い事ばかりではないけどな」

「良い事なんてありますか」

「ちょっとした小遣い稼ぎになる。これは内緒だぞ。」

そう言って司祭は声量を下げたが、酔っているのもあり元々がかなり大きかった為、小さくしても男には十分聞こえた。

「戦場で亡くなった兵士の家族には追悼金が中央の教会からおくられる。

それを実際に兵士の家族に渡すのが私のような末端の司祭なのだが、その時に手間賃としてちょっと、な」

あまり品の良くない笑い声をあげる司祭に対して、店主は愛想笑いで返した。

「そんなわけで私には臨時収入が有り、それを酒に変える。善良な一般市民として当然の権利だろ」

その後も司祭の話の話題は色々な方向に転がり、それを店主がなんとなくで返した。

話す話題も尽きたのか、司祭の言葉数が減る。それを機に店主は司祭の前から逃げた。

話し相手が居なくなったので、司祭は辺りを見回した。

酒場には窓が有り、外が望めた。

宵も更け始めたので、窓の外に派手に着飾った娼婦が客を求めて歩き始めた。

その姿を目ざとく見つけた司祭の視線はそこからなかなか離れなかった。

司祭は店主を呼び勘定を払った。

「この店は酒は旨いが、どうも男臭くてかなわん」

「そりゃあ、すみませんね。それで今度は女ですか」

司祭の視線の先を理解して店主はあきれながら聞いた。酔っている司祭は店主への印象なんかは気にしない。

「金は有る。女が居る。それを買う事の何がいけない」

「悪くは、ないですが。司祭様が、そのような」

かなり歯切れ悪く店主は答えたが、司祭は最初と同じように返した。

「さっきも言っただろう。今の私はただの善良な一般市民だと」

それだけ言って司祭はふらつき始めた足取りで店を出た。出てすぐの場所で娼婦と少し言葉を交わすと一緒になって何処かに消えた。

一方の司祭の話を盗み聞いていた男は、気が付かないうちに酒の入ったコップと強く握りしめていた。

あまりに強く握りしめていたため、手には血液が回らず白くなっていた。

その時の感情を一言で表すのは難しかった。

当然、最初に来たのは怒りだった。

弟がその命を掛けて守り、その正しさを主張したものはこんなものだったのか。

百歩譲って、俺や俺と同じように嘆き救いの言葉を求める者をハエと呼んだのは聞き流そう。

俺達からすれば、打ちひしがれて絞り出した疑問だとしても、司祭にとっては数十回、数百回と答えた疑問なのかもしれない。

だが、私の弟はあの司祭の享楽の資金を稼ぐ為に命を落としたのか。

あの司祭が堕落しているだけなのか、それとも弟が信じたものはただのまやかしだったのか。

弟はありもしないものを信じて命を落としたのか。

怒りは次第に疑念へと変わっていった。

それは本当に存在するのだろうか。

誰も見たことも聞いたこともないそれ。

誰もが存在すると思っているだけで、本当はあの司祭のような奴がでっちあげただけなのでは。

そして、疑念はある願望へと変わる。

それが存在すると言うのなら、それを見てみたいしそれの声を聞いてみたい。もしくはその御業をこの目で見てみたい。

それらが叶えばいくら信心の無い自分でも、それを信じざるを得なくなる。

叶わなければ俺の中の僅かな信仰の心は露と消えるだろう。

お願いだから俺の残り少ない信仰心をこれ以上失望で潰させないでくれ。

それほど強い怒りと疑念と、そして願望が男の心を支配した。

男は支払いを済ませて、家に帰った。

床に入った後も眠気は押し寄せてこず、結局一睡もする事なく朝を迎えていた。

一晩中考えていた事、それはどうすればその願望が叶うかだった。

床から起きて、徹夜によりわずかに響く頭痛を無視して、計画を練った。

試行錯誤を繰り返して必要な物を買って回った。

雑貨屋で大量の油を購入した時は、雑貨屋の店主に怪訝に思われたが、もう男はそのような些末な事を気にしてはいなかった。

男の頭の中にあるのは、ただその願望を達成する為に計画通りに動く事だけだった。

準備が整った時には既に太陽は西に傾き始めていた。

空を見上げるとどんよりと重たそうな雲が有る。きっと雨雲に発達するだろう。

重い油を何とか教会の玄関先まで運ぶ。

昨日より丁寧にノックする。昨日と違って急いではいない。

もうやる事は決まっているから。


「さあ、お前の代理人はこのザマだ。お前が何もしないのであれば、このお前の家も焼け落ちるだろう。

早く姿を現せ。そして、俺を止めてみろ」

男の言葉を無視するかのように、雷鳴だけが響く。

鳴り初めに比べその音が随分と大きくなっており、すぐ真上まで来て鳴っている事が分かる。

男は思った。この雷はそれが今ここにいる証ではないか。

俺の一挙手一投足を眺めて、事の成り行きとこれから起こる事を諦観しているのではないか。

ならばすぐに止めにこい。その力でもって愚行を犯す俺に裁きを与えてみろ。

しかし、いくら燭台で周りを照らしても、何も現れなかった。

わずかにあった期待もしぼんだ。

男はとうとうしびれを切らした。

やはりそれはこんな方法では姿を現さないのか。

それとも本当にそれは存在しないのか。

弟も俺も存在しない者に踊らされていただけなのか。

手に持った燭台を高く掲げる。

まいた油にその燭台と自分の最後に残った僅かな信仰心を投げ捨てようとした。

その瞬間、今まで以上の眩しい光と轟音が男を包む。

あまりの眩しさに視界の全てが白くなり、轟音は地響きとなって男を揺さぶった。

男は反射的に身をすくめ一瞬目を閉じた。

その一瞬の出来事だった。

巨大な力を持ちながら天から地へと落ちる雷は、教会の尖塔に降り立った。

教会の外壁に沿って地面へと移る途中、その余りある力は教会の中にまかれた油に火をつけた。

司祭の衣服も椅子も台も、そして祭壇にも火をつけた。

男が目を開けた時には、辺り一面が火に覆われていた。

状況の急変と突然の熱風で、驚いて固まっている男に更に追い打ちがかかる。

男が油をまいている時に、男が気が付かぬうちに、男の衣服は跳ね飛んだ油を吸っていた。

男の衣服に火が燃え移る。

男は瞬く間に全身を火に包まれた。

男は断末魔をあげてもがき苦しむも、やがては動かなくなった。

司祭と男、二人を焼いた炎はそのまま教会を焼き尽くした。


夜に出火した教会は、わずかな雨では火の勢いを弱める事は出来ず、一晩中燃え続けた。

朝には鎮火したが、そこには瓦礫しか残されていなかった。

瓦礫の周りには野次馬が大勢詰めかけた。

口々に昨夜の雷の大きさを話し合っていた。

そんな中に少人数ではあるが、その瓦礫に向かって手を合わせる者が居た。

彼らは普段から、教会に集っては熱心に祈りを捧げていた。

そんな祈りの場が瓦礫になった後も彼らは祈りを続けた。

司祭が居なくなり、祈りの場も崩れ、その祈りが届くともわからないのに。

彼らは静かに祈りを捧げた。

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