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第1章 いざ、人間界へ!

 鬼界の朝は早い。

 いや、茜の朝は早い。

 上に向かって突き刺さるような鋭い山が連なる境界線は、彼女の叫び声をこだまさせた。


「よーし、今日こそ伴侶を見つけるぞー!」


 赤い髪をなびかせ、鬼の角をきらりと光らせた彼女の名前はあかね

 鬼界でも評判の元気でかわいい女の子だ。年齢は、人間でいうところの18歳。

 鬼界の伝統では、年頃の鬼は伴侶を探すため、異世界へと旅立たなければならない。鬼界とは常識もルールも全く異なる世界への旅立ちは、大人として認めて貰う試練でもあった。

 どこに旅立とうかと考え、鬼界と一番古くから馴染みのある人間界へ行くことに決めた。

 茜は、今日旅立つ。


 茜の父、鬼界の猛将・ほむらは「人間の心を理解しろ」と言い、母・さくらは「愛は力より深いものよ」と笑って送り出してくれた。

 鬼界の長老・焔牙えんがから茜が授かったのは、鬼の角を隠す魔法の髪飾り。

 赤いリボンに、虹色に輝く小さな勾玉が光る。茜の長い銀髪を、そのリボンで結ぶと赤くて鋭い角がするりと姿を消した。

 これで、ポニーテールの人間界の普通の女の子である。

 鬼界で茜が着ていた丈の短い着物と半ズボンが、魔法のように人間界に適した衣服に形を変えた。

 白いスウェットパーカーに、だぼっとしたジーンズ。厚底のスニーカーが活発な彼女によく似合っている。


「エイ! エイ!オー!」

 茜はこぶしを振り上げ、鬼界の門をくぐった。

 鬼界と人間界を分ける山脈のふもとにあるその門は「鬼門」と呼ばれていた。丹塗りの大きな丸太に、分厚い木の扉。全体重を込めて茜が扉を押すと、ぎぃと音を立てて開いた。目映い光が隙間から零れ落ちてくる。


「よいしょー!」

 全身を光に包まれて、茜は人間界へと飛び込んだ。


 到着したのは、東京・渋谷。駅の改札の前に立っていた。

 スクランブル交差点の喧噪に、茜の目がキラキラ輝く。

「すっごい人の数だ! みんなスマホを見てるのに、どうしてぶつからずに歩けるんだ」


 けれど、問題はそこではなかった。

 茜は人間界のルールがわからない。だから、信号が赤でも「道が空いてる!」と突っ込んで行ってしまう。すぐさま、車のクラクションが一斉に鳴らされた。

 四方八方から鳴らされる大音量のクラクションに飛び上がった茜は、ポケットに入れておいたスマホをポロリと落としてしまった。スルスルっと流れるように、スマホは姿を消してしまう。

「うわぁぁ、ダメダメ! あれがないと人間界の情報が!」

 茜は慌てて地面に這いつくばるが、人の波に押されて右往左往するばかり。肝心のスマホが見つからない。

 どっちに行けばいいのか迷う彼女の前に、ひょいとスマホを差し出す手があった。


「これ、君の?」


 声の主は、眼鏡をかけた優しげな青年だった。眼鏡の奥には少し眠そうな目。

 背はすらりと高く、長めの黒髪が艶々と輝いていた。


「それ、私の! です! 良かったぁ!!」

 彼は茜の慌てぶりに苦笑いしつつ、スマホを手渡した。

 茜はパッと顔を上げて、ガシっと男の手を握る。


「ありがとー! あんた、いいヤツだな! 名前は?」

「え、っと、悠斗。佐藤悠斗。あの、急に手を握らないでくれる?」

 ビックリするから、と続けたが、茜は聞いていない。

「私は茜! よろしくな、悠斗!」


 ブンブンと腕を上下に振られて、悠斗は茜のハイテンションにたじろぐ。

 そして、彼女のまっすぐな笑顔に少しドキリとしていた。

 一方茜は、「こいつ、なんかいい感じ! 伴侶候補No.1に決定!」と内心勝手に盛り上がっていた。


 悠斗と別れた茜は、スマホの地図を頼りに「人間の若者が集まる場所」を目指す。

 だが、電車に乗ろうとしてSuicaを改札に叩きつけてしまい、潰れて壊し、駅員に注意される始末。

「鬼界なら力で通れるのに……」とブツブツ言いながら頭を下げた。


 茜はくじけない。

 人間界のルールがわからなかっただけだ、ルールを学べば問題ない、とすぐに立ち直った。

 事前に長老から渡されたお金を使って、渋谷のネットカフェへ泊まることに決めた。

 スマホを充電しながら、「人間の恋愛」を検索。


「ほえ……デートってなんだ。告白? 胸キュン?」

 鬼に理解できない単語が並んでいる。

「デートってなんだろう。鬼界なら狩りに行って強さを見せつけるだけなのに。告白は……あー、戦いの宣言か?」

 ガシガシと頭を掻きながら、茜はふと昼間の悠斗を思い出した。

 彼の穏やかな声と、スマホを拾ってくれた優しさに、なぜか胸がチクりと痛んだ。


「こ……これが、胸キュンってやつか!?」

 茜は胸を手で押さえながら、頬を赤らめてネットカフェに備え付けられたソファに沈み込んだ。


 翌日、茜は渋谷のスクランブル交差点に立った。

「もう1回、悠斗の顔が見たい」

 そうすれば、胸キュンとやらの正体がわかる気がしたのだ。


 大学生の悠斗は、大学に通うためにそこを通るしかなかった。

 だから、見たことのある銀髪のポニーテールに赤いリボンを見つけて、一瞬足が止まった。

 間が悪く、そのポニーテールはくるりと振り返った。

「悠斗! また会ったな!」

「そ、そうだね。茜ちゃん……だったっけ?」

「名前を覚えてくれたのか!」


 顔を満面の笑みに溢れさせて、嬉しさを全身で表現する茜に、悠斗は釣られて笑った。

 まるで悪い気がしない。

「これから、どこに行く? デートか?」

「違うよ。これから学校に行くんだ。僕は大学生だから」

「大学生……それはなんだ。面白いのか?」

「そうだね。面白いよ。良かったら、一緒に行く?」

 うん、と勢いよく頭を縦に振ったから、銀色のしっぽが悠斗をバシっと叩いた。


 悠斗は文学部の二年生で、講義の前に図書館の本を返す予定だったのだ。

 茜は散歩に連れられた犬のように、悠斗の横をびたびたに距離を詰めて歩く。


「悠斗。これは運命だと思う」

「え?」

 悠斗の顔が真っ赤になった。

「こんなにたくさん人が居るのに、悠斗とまた会えたんだぞ」

「そうだね、まあ、運命なのかな……?」


 図書館は静かにするところだ、とルールを教えてもらった茜は、一応小声で喋っている。

「悠斗。伴侶ってどうやって見つけるんだ?」

「は!? 伴侶? 急に、な……あ、すいません」

 大きな声を出してしまった悠斗は、集まる視線にペコペコと謝罪した。

 あまりに唐突な質問で、手に持っていた本を落としてしまったが、茜がそれを拾ってくれた。


「人間界の恋愛を教えてくれ」

「まあ、まずは落ち着こうか」

 悠斗は図書館にこれ以上居るのは危険だと判断して、大学の中庭に向かった。


 小さな広場にいくつか設置されたベンチに座る。悠斗が自動販売機で、紙パックのミックスジュースを買って茜に手渡した。

「これでも飲んで落ち着いて」

「どうやって飲むんだ?」

 四角い紙パックを、くるくる手で回すのを見かねて、悠斗がストローを差して飲み方を教える。


「うまーーーい!」

 チュルっと音をさせて飲みこむ。すると、次の瞬間には茜の目がキラキラ輝いた。

「ねぇ、茜ちゃんってもしかして留学生?」

 ごくごくと喉を鳴らしながらジュースを飲む茜の仕草に、悠斗は頷いたのかと誤解した。

「さっきから人間界とか、伴侶とか、あんまり日本では使わないような言葉ばっかりだから、もしかしたらそうなのかなって思ったけど、やっぱりそうだったんだ」


 茜はあっという間に飲み終わった。図書館で返す予定だった悠斗の本を、しゅっと奪い取る。

「あ、ちょっと待ってよ……って、まぁいっか。講義まで時間あるし」

 大学の中庭は、いい天気で過ごしやすい。

 茜はペラペラと奪い取った本をめくった。

「らかんちゅうは『水滸伝』を著わして、そのために子孫三代にわたっておしの児が生まれ、紫式部は 『源氏物語』を著わして、一度は地獄にまでおちたが、それはおもうに彼等が架空の物語や狂言きごを書いて世の人々を惑わせた悪業のために、そのむくいを身にうけたというべきであろう……人間の物語って面白いな!」

「って、まだ2行しか読んでないじゃないか」


 それでも、悠斗は楽しそうに本を読む茜から目を離せないでいる。

「変わった子だな」

 微笑む悠斗の顔を見た茜は、また胸がチクりと痛くなった。


「よし、悠斗。お前を私の伴侶候補にする! 覚悟しろ!」

「え、候補って何!? やめてくれよ、俺、普通の大学生なんだから」

 茜の大胆な宣言に、慌てふためく。

 だが、彼女の純粋な笑顔と、どこか放っておけない雰囲気に、悠斗の心も少しずつ動き始めていた。


 夜、茜はリクライニングシートを限界まで倒して、寝っ転がるような姿勢で鬼界の母にテレパシーで報告した。

 リラックスできる姿勢になると、テレパシーが調子良く届く。

「母ちゃん、人間界、めっちゃ楽しい! 悠斗って男がいて、なんか……なんていうんだろう……なんか、特別っぽいんだ」


 彼女の直球すぎるアプローチと、悠斗の戸惑い。

 これからどんなドタバタと胸キュンを巻き起こしていくのか――。

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