宝物庫と真実
床に散らばる金貨には目もくれず、花嫁の絵画に近づいた。
大広間で戦った花嫁と似ている。
戦った異形の花嫁はくすんだ金髪に、異様に長い首、そして暗闇が広がる抜け落ちたような眼窩だった。
だが、この絵画に描かれた花嫁は違う。柔らかな金髪は光を宿し、瞳には温かな輝きがある。
……おそらく生前の姿だとは思うが、だとしたら。
「主、もしやここは……」
「ああ、のまれた迷宮なのかもしれないな」
昔、まだ迷宮の危険性について知られていなかった頃には迷宮の宝を貴族に献上することが流行っていた。
特に迷宮の源である『神霊核』を持つことは貴族の権威となり、こぞって権力者が求めたという。
「愚かな人間たちの末路ね」
「まあな」
「主の大和国には彼女がいるから問題なかったでしょうけど」
「……ああ」
──大和国の頂点に君臨する天帝は神霊核の危険性を熟知しており、治世の始まりから迷宮外への持ち出しを禁じていた。
ただ、どうやらこの領地に神霊核の危険性が伝わるのは少しばかり遅かったようだ。
「領地が神霊核の暴走で迷宮にのまれた成れの果てか」
絵画の花嫁の背後には仕立てのいい服を着た老紳士がいた。
陰陽寮の無双を連想させるような、厳格な瞳で絵を見るものを睨んでいるようだ。
幸せそうな花嫁と対象的に、どこかその面持ちは暗い。
ここが城塞だとしたら、花嫁は領主の娘だろうか。
だとしたら、この厳格な面持ちの男は領主なのだろう。
「では、この宝箱はなんなのだろうな」
ひときわ目立つように置かれた宝箱に手をかける。
金色の装飾には水瓶を携えた乙女の彫刻が施されている。
鍵穴はなく、簡単に開きそうだ。
「……ふむ」
罠の危険性もあるが、ハルの幸運があるなら大丈夫だろうと勢いよくその箱を開ける。
「これは」
中から出てきたのは、くたびれた革袋だ。
少し前の時代に水牛の胃を加工して作った水筒にも似ている。
「ただの袋、ではないよな」
「主、それには魔法がかかっているようね……見た目通りの大きさじゃないわよ」
夜朱雀が金色の目を輝かせて霊視している。
神鳥は導きを司る神の使いであり、その眼は真実を見通す。
彼女にかかれば魔道具の鑑定など朝飯前だろう。
「ほう、助かるぞ夜朱雀。しかし。魔法の袋か……」
中身に期待して袋を漁る。
確かに中は異空間のようだ。見た目通りならオレの片手でいっぱいのはずなのに、袋に突っ込んだ手には膨大な広さを感じる。
なにか、霊力を回復させる助けになるものがあるといいのだが……。
「中身は……3つか」
探り当てたものを引っ張り出す。
ジャラジャラと音を立てて出てきたのは鎖だ。
「百鬼の鎖……なぜこんな場所に? これは陰陽師が妖を縛るために用いる特別な道具なのだが」
もう一個の感触は丸みを帯びた石のような感触だった。
「龍涎香……まさか、こんな場所でお目にかかるとは! これは霊力を補うどころか、病を治癒する。貴族ですら喉から手が出るほど欲する貴重品だぞ」
龍涎香とは、龍種の胆石が長い年月をかけて結晶化したものを指す。
化け物の頂点に君臨する龍種は、その血や内臓、分泌液に至るまで全てが貴重な資源とされてきた。
特にこの龍涎香は、龍気を濃縮した存在であり、霊力を補い、病を癒す効能で知られている。
龍気は人間の霊力と共鳴し、術師にとっては絶大な恩恵をもたらす。
このため、西洋では竜殺しの英雄譚が語り継がれ、龍を狩ることは古くから権力者の夢とされてきたのだ。
「主、俗にまみれた人間のような仕草はおやめください。みっともない……」
はしゃぐオレに夜朱雀が落胆するように頭を抱えるが、霊力不足で何度も死にかけた身としては霊力回復手段が手に入のるのは何より嬉しい。
「だが、いささか年月が経ちすぎているな」
巨大な鳥類の卵ほどの大きさの龍涎香だが、内包された龍気はだいぶ抜け落ちているようだ。
大型の龍から穫れたものだろうが……。
「──まあいい」
龍涎香から龍気を吸い出し体内に巡らせる。
龍の力が霊脈を伝い体に力が漲ってくるが、かつての万能感とは程遠く、どこか心もとない。
「中級術式を二、三回といったところか」
霊力の代用としては心もとないが、それでもないよりはマシだ。
いずれにせよ、この迷宮から出るためにも戦う力は必須だろう。
この体を貫いたあの剣の持ち主にも、いずれお返しをしなければならんしな。
「主、それは?」
「ん? ああ、これは……日記かな?」
最後の一つは、古びた書物だった。
埃を払い、そっと開く。
表紙にはアイリーンと名前のようなものが記されている。
「アイリーン……そなたの名か?」
絵画の女性に語りかけても、固まった微笑みを返してくるだけだ。
「中身は……ふむ」
パラパラとめくれば、びっしりと文字が書いてある。
日付らしい数字が書かれているが、それは200年は前のものだ。
文字はかすれているが、かろうじて読める。
──ハルトがお父様に神霊核を献上した。これで私達は結ばれる。
多くはインクの滲みと羊皮紙の風化で読めなかったが、ハルトとやらは絵画の女性と結婚するために迷宮を攻略したようだ。
かろうじて読めた最後のページに書かれていたのは、たった一行。
──愛しいハルト。私があの人を止めます……さようなら──。
「……迷宮にのまれる前に、何かあったようだな」
人間の情念が関わっているのなら、この迷宮も一筋縄ではいかないだろう。
迷宮の主を倒して終わり……普通であればそうなのだが、相手はただの化け物ではなく知性があり目的をもった元人間なのだ。
「面倒な……」
幸運に恵まれているのか不運に苛まれているのか、なんだか釈然としない気持ちがこみ上げる。
「……ま、いいか」
考えてもしょうがないだろう。
それよりも今は目の前のお宝の山だ。
「さてさて」
できれば迷宮主を一撃で倒せるような伝説の武器でもないかと期待しつつ、オレは金貨と魔道具の山に手を出した。
「……ハル、一緒に探さないか?」
「主!!」
ハルを強く抱きしめた夜朱雀に怒られた。
いや、ハルと一緒なら掘り出し物がでるかもと期待してのことだったが。
「まったくいつからこんな俗物に成り下がってしまったのやら……情けない」
あ、まずい。夜朱雀の説教は長くてしんどいのだ。
「もちろん冗談だとも。さ、使えるものは無いかな?」
「あなたねえ……」
呆れる夜朱雀の小言から逃げたのだが、どうやらバレバレだったらしい。