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異質な迷宮

「これは……」


 暗い迷宮内の闇が晴れた瞬間、見えたのは西洋貴族の城を思わせる豪奢な広間だった。

 天井に吊るされたシャンデリアの青白い輝きが壁面をぼんやりと照らし、大広間全体に異様な冷たさを漂わせていた。


「むみょー、ここどこ?」


 ハルが首を傾げながら、不安そうに周りを見回している。


「迷宮内だ。ハルは迷宮に潜ったのは初めてだったな」

「うん。きれい……でも怖い」

「大丈夫、そばを離れるなよ」


 怯えるハルの手を握りながら大広間の奥に目を凝らした。

  迷宮の中は一種の別世界だ。扉を潜ると荒野や森が続くこともあれば、いつの間にかこの城のような人工的な広間が出現することもある。


「……あれは何だ?」


 一際目につくのは、大広間の奥に飾られた巨大な絵画だ。

 それは、白いドレスを纏った貴婦人の肖像画だった。 流れるような金髪に、笑顔を湛えた表情。しかし、その不自然さに眉を顰める。


「目が削り取られているな……門に彫られていたレリーフと同じか」


 迷宮にある時点で、普通の絵画でないことは百も承知だが、貴婦人は目を削り取られていてなお、美しい。


 大広間の静寂の中で、絵画に近づくオレたちの足音がコツコツと響く。


「むみょー、絵が動いた!」


 ハルが突然、無邪気に指を差した。


「おいおい、まずはオオカミや小鬼などの低級から出てくるのがお決まりじゃないのか……」


 腰に履いた刀の柄に手をおいて身構える。

 背後では迷宮の入り口の扉が激しい音を立てて閉まった。

 閉じ込められたことを悟ったのとほぼ同時に、貴婦人の削られた目の部分から赤い液体がじわりと染み出す。


 その液体は淡い筋を描いて床に滴り落ち、小さな池を作り始めた。


「……これは……血か?」


 ほのかに鉄臭い匂いを感じた時、血溜まりを作った床が不気味な音を立てながら波紋を広げる。


「むみょー……中、何かいる……?」


 ハルの言葉に応えるように、血溜まりの中から湿った音が響いた。

 ぐちゃり、ぐちゃりと液体を掻き分けるような音だ。オレは咄嗟にハルを背中に押しやり、身体に霊力を巡らせる。


 最初に目に飛び込んできたのは純白のヴェールだった。

 しかし、それは本来の意味からは遠く離れた姿だろう。

 かつては魔除けと祝福の象徴であった花嫁ドレスが、血の赤と黒ずんだ泥にまみれ、その無垢な輝きを失っている。引きずるたびに床に汚れを広げながら、ゆっくりとその姿を現す。


 ヴェールの下から見えたのは、滑らかな金髪だ。

 だが、その髪色もどこかくすんでおりで、長い間放置された遺体を思わせる。


 そいつの顔が姿を現した瞬間、息が止まる。


 顔の半分は滑らかな美しさを残していたが、もう半分は鱗のような肌で覆われ、目の部分が深い闇にえぐり取られている。


 空洞の中では何かが渦を巻いているようにも見えた。


 異様に長い手が床をがっしりと掴み、湿った音を立てながらソレはゆっくりと這い出してきた。


 花嫁ドレスはかつて純白だったであろう生地が血と汚泥に塗れ、引きずるたびに不気味な跡を残している。

 その姿は一見人間に見えるが、首が異常に長く、まるで蛇か竜を思わせるように不気味にうねりながら動いている。


 床に這い出したソレは、長い首を不規則に振りながら周囲を見回し、冷たく湿った風が吹き付けるような声で囁いた。


「……アナ、タ……ミツケタァァァァ……」


 湿った声が広間に響いた。その声を聞いただけで、体の芯が凍りつくような感覚が襲う。

 オレは刀を構え、呼吸を整えながら、目を離さずゆっくりと距離をとった。


「ハル、オレの後ろに……もっと下がっていなさい。こいつは普通の魔物じゃない……」


 間違いなく階層主かいそうぬし級の妖気だ。迷宮に入ってすぐに会敵するとは。オレは余程、運がないらしい。

 花嫁の削られた目から溢れ出した赤黒い液体が足元に広がり、不気味な血溜まりを作り始める。


 その血溜まりはただの液体ではなかった。


 広間の床に染み込むのではなく、まるで意思を持ったかのようにゆっくりと渦を巻き、中心で形を成していく。


 ──血溜まりからぬるりと一対の腕が突き出た。

 

 それは、赤黒く光る金属の鎧に覆われた腕だ。続いて、肩、胸当て、そして兜が形成されていく。

 できあがったのは、漆黒の鎧を纏った大柄な騎士だった。

 鎧の隙間からは、血溜まりの液体がゆらゆらと滴り落ち、まるでその体そのものが血からできていることを示しているようだ。

 巨大な剣を引きずるように持ち上げた騎士は、誓いを立てるように胸の前に掲げる。


「………………」

「──────」


 二人に言葉はなかった。騎士に花嫁が歪んだ微笑みを浮かべると、その瞬間、騎士が重い足音を響かせながら、オレたちに向かって突進してくる。


「……やるしかないか」


 霊力の乏しい身で、階層主とその従者を相手取る。

 できれば逃げたいが、帰りの門は閉ざされたままだ。


 ──重い足音が響く。


 騎士が一歩踏み出すたび、鈍い音が広間全体に響き渡り、その重みに圧迫感を覚える。

 全身を覆う漆黒の鎧は異様なまでに分厚く、その圧倒的な質量はそのまま威圧となってこちらの戦意を震わせる。

 鎧の隙間から漏れ出す赤黒い血が、冷たい金属の輝きに不気味な濁りを与えている。


 ヘルムの隙間から赤い瞳が鋭く光ると、怖気が走るような緊張感が場を支配した。


 騎士が爆発的に加速する。その巨体に似合わない速さで、まるで獲物を狩る獣のように間合いを詰めてきた。広間全体に響く金属音と共に、その重みが迫る。


(速い……!)


 ──巨剣が振り下ろされる。


 グレートソードと呼ばれる相手を叩き潰すことに重きを置いた剣が、ゴオオと鈍い音を伴って空気が振動させた。

 剣先が床に触れる直前には強烈な風圧が吹き荒れる。

 大袈裟に飛び退いて躱したその一撃が地面に叩きつけられると、床が砕け、広間全体が震える轟音が響き渡った。

 飛び散る破片がオレの体に掠すると、顔を顰めるほどでもない痛みと共に、薄らと血が滲んできた。


(体は……戦えなくはない、か)


 乏しい霊力で戦うには強すぎる相手だ。

 しかしその重たい剣はすぐに振りかざされ、容赦なくこちらの命を奪おうとしてくる。うだうだと考えている暇はないらしい。


「──霊装降衣」


 体内の霊力を活性化し、それを全身に巡らせる。血液のように流れる霊力が筋肉や骨の隅々にまで行き渡り、体が内側から押し広げられるような感覚が鮮明に伝わる。

 五感は研ぎ澄まされ、視界が鮮明になり、迫る重騎士すらゆったりと動いているように見える。


 だが、その感覚の裏側で、小さな違和感が全身を駆け巡っていた。

 霊力は十分ではない。《《慣れた》》体がもっと寄越せと霊力を貪ろうとする。

 高まり続ける心臓の鼓動に反して、制御を誤ればその循環が途切れる危うさを孕んでいる。

 

 ──今はこれで十分。化け物と人の違いを見せてやろう。


「…………」


 目の前の騎士がグレートソードを構え、大きく踏み込んだ瞬間に俺も刀を抜き放った。

 重厚なグレートソードが空気を切り裂き、轟音を伴いながら振り下ろされる。

 オレは霊力を刀に込め、致死の一撃を迎え撃つ。


 ──ギイイイイン!!!!!!!!!!!


 けたたましいほどの高音が鳴り響き、刃と刃の間に生じた凄まじい火花が広間を照らした。

 耳を(つんざ)く衝撃音と共に、力の奔流が空間を震わせる。

 騎士の赤い瞳が僅かに見開き、驚きと疑念が滲み出る。

 その巨大な剣が受け止められるとは思っていなかったのだろう。

 グレートソードと比べれば、刀は木枝程度の大きさでその見た目はひどく頼りない。

 本来であればその巨大な質量を支えきれず、刀ごとこの身を潰されるだろう。


「ふっっっっ!!!」


 歯を食いしばりながら、オレは押し返す力を練り上げる。 

 金属同士の軋む音が響き渡る中、全身の霊力を刀と腕に注ぎ込んだ。

 刀身が流される霊力を吸い上げるように、淡く白い輝きを帯びる。

 身体は熱く、額から汗がにじみ出る。過剰な霊力の供給に警鐘を鳴らすかの如く、鈍痛が胸の内より全身を這うように駆け巡った。 


(だが、これでいいッ!)


 重騎士は見た目からして真正面から己の力を打ち返さる経験はないのだろう、と。

 そう予測しての迎撃だったが、どうやら正しかったようだ。 

 己の膂力への絶対の自信は特に強大な化け物に存在する。

 しかしその信仰にも近い自信を打ち砕かれたとき、化け物は総じて大きな隙を生む。


 ──ズバァンッ!!


 金属が断ち切られる音が響き渡る。


「…………!?」


 重騎士のグレートソードが、抵抗する間もなく両断された。

 切り口から鋭い音を立ててグレートソードの破片が床に落ちる。

 両断された剣の勢いに引きずられた重騎士は、体勢を崩し、つんのめって膝をつきそうになる。

 その隙を見逃さず、オレは振り抜いた身体をそのままの勢いで回転させた。

 足元を軸にして全身をしならせるように、刀を横一閃に振り抜く。


 「…………ッ!!」


 驚愕するように兜の奥の赤い瞳が見開かれた。

 狙いは一箇所、普段なら届かぬ位置にある場所でも、体制を崩した今なら容易に斬れる。


「終わりだ──!!」


 骨や鉄が断たれる感覚が重い衝撃となって腕に伝わってきた。 

 重騎士の首に刃が深々と喰い込むたび、手首に鈍い振動が走り、僅かでも力を緩めれば刀を奪われそうになるほどの重厚感が刃先越しに伝わる。

 それはゴム質の巨木を裂くような感触でありながら、どこか滑らかに進む不可思議な感覚があった。

 ザン、と。血しぶきが空中に弧を描き、声にならぬ悲鳴を上げて、重騎士の胴体がぐらりと傾いた。

 甲冑の裂け目から、赤い液体が滲み出し、床に滴る音だけが静寂の中に響く。


浄刀じょうとう──白蛍しろほたる。そなたの国で例えるなら神遺物級ゴッズクラスの刀だ。その鋼は龍の鱗にまさる強度を持つ。見た目に油断したようだが、刀を持つ者と戦うのは初めてだったか?」


 切っ先を向けるのは、重騎士の後ろに佇んでいた花嫁だ。

 首を失い、血煙となって消えていく重騎士を見つめるように、微動だにせずじっとこちらに顔を向けている。

 目元に当たる部分は砕けた陶磁のようにひび割れ、闇が広がっているばかりでその表情は測れない。


 ──ドプン。


 花嫁の闇の眼窩から滴り落ちる血が、濃厚な質量をともなって溢れ出す。


(来るか……っ!)


 この化け物は重騎士のように見た目でその能力が測れない。

 従者を滅ぼされて慌ても怯みもしないのは、重騎士など意に介さないほどに己が強い証なのだろうか。

 重騎士が完全に血煙となって消え去ったその瞬間、花嫁がゆっくりと首を傾けた。

 まるで微笑みかけるかのような仕草だが、その空洞の眼窩はこちらをじっと見据えたままだ。


「──愛しいヒト……」


 明瞭で冷たい声が広間に響き渡った。

 その声を聞いた瞬間、背筋を冷たい何かが這い上がるような感覚に襲われる。

 赤黒い液体が再び彼女の足元に広がり始め、まるで新たな怪物を生み出そうとしているようだった。


(重騎士は不意を付けたが、果たして……)


 オレはその異様な光景に気圧されつつも、刀を握る手に力を込め、次の一手に備えた。

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