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そして迷宮へ



「まったく! お前はいつもそうだ!! いつも自分勝手なことばかりっっっ!!」


 季節外れの雪が降り積もる夜、その静寂を破るように、彼女の声が鋭く響いた。

 周囲に漂う鬼火の蒼白い焔に照らされる彼女の瞳は、赤く潤んでいる。

 紅葉を舞い散らせる霊樹千年紅葉(せんねんこうよう)に囲まれた並木道で、拳を握りしめて立ちはだかる彼女の体は、微かに震えていた。


「誰が助けて欲しいなんて言った!? 私が、いつ………っっ!!」


 必死にこらえようとしていた涙が、とうとう頬を伝ってこぼれ落ち始めた。


「──もし……お前が私にこの先を生きろというのなら、私は……」


 かすれた声は途切れ、彼女は短く息を呑む。

 涙に濡れた瞳が、まっすぐにオレを見つめてきた。


「──私はあなたと、一緒にいたい……」


 溢れた涙がさらに頬を濡らし、懇願するようなその表情に、胸が締め付けられるほどの愛おしさが込み上げてくる。


 ──ああ、てっきり嫌われているものだとばかり思っていた。


 まさか、彼女からこんな言葉を聞けるとはな。

 なぜ彼女がこれほどに涙を流し、体を震わせていたのか……その意味をようやく知れたが、どうやら少しばかり遅かったようだ。

 自分が今までどれだけ誤解していたのか、その事実に胸が熱くなる。

 心の中に閉じ込めていたこの感情は、とっくに報われていたらしい。


 ──だけど、だからこそ。


「そなたに生きていて欲しいから、オレは行くのだ」


 自分の声とは思えないほど穏やかに響くその言葉に、彼女の瞳が揺れる。

 彼女は瞳を閉じ、オレの手を取ると、甘えるように頬を寄せた。

 その温もりが、このまま永遠に抱きしめていたいと思うほどに未練を増幅させる。


「さようなら、──。オレもそなたと…………」


 最後に、頬を流れる涙をそっと拭い、微笑みを向けた。

 触れた肌の熱を感じながら、オレは彼女の横を静かに通り過ぎる。


 一緒にいたかったと、最後まで言葉にすることはできなかった。

 言えば、彼女を縛ってしまう気がして──。

 この未練を断ち切れないような気がして──。


 背後から呼びかける声はなかったが、足取りは軽い。

 きっと、その静寂が背中を押してくれたからなのだろう。


            ◇


「……ょー」


 なんだかひどく懐かしいような気持ちが込み上げてきた。

 泣きたくなるような心地良さの中に、転げ回りたくなる程のもどかしさを感じるような、如何いかんとも形容し難い感情が胸の奥から溢れてくる。


「むみょー!!」

「……ハル?」


 揺り起こされる体に、意識が覚醒する。

 眼を開ければ、目に涙をためたハルが胸に縋り付いてきた。


「ん、無事だったか」

「おるる、守ってくれた」


 ひしと、服の襟を掴むハルの頭を撫でながら辺りを見回す。


「クォォ」


 翼の傷ついた夜朱雀が、力無く横たわっていた。その翼は所々が欠け、傷口からは微かに妖気が漏れ出ている。再生の炎を絶やさぬよう努めているものの、その光は頼りなく揺れていた。


「──そうか、そなたがここへ」


 波の音が響く中、潮の香りが鼻につく。

 濡れた体を起こすと、見覚えのない岩礁の上にいた。


「すまん、夜朱雀。天津に帰り、その身を休めてくれ」

「クオルルル?」


 彼女を返そうとすれば、こちらの身を案じるように嘴の先で軽くつついてきた。

 鳥神の透き通った目は、オレの足に抱きつくハルを見ていた。

 ついでオレに視線を移すが、こちらを責めているようにも感じる。

 幼子を連れているくせに、と。


「大丈夫だ。何、この先のアテはあるのだ。ほら──」


 先ほどふと見つけたものを指さす。

 それほど広くない浮島の中央に、朽ちた石造りの砦が聳え立っていた。

 その入口には、巨大なアーチ型の門が口を開けるように佇んでいる。


 ──迷宮だ。


 大和国のものとは違う、国外の迷宮だろう。

 神々の遺物が安置されるこの遺跡は、かつてその土地に降臨していた神によってその趣が大きく異なる。

 例えば迷家と呼ばれる大和国の迷宮は、古い大屋敷を思わせる風貌で、苔むした瓦屋根や黒ずんだ木材が特徴的な門構えをしている。

 対してこちらは二つの円塔が力強くそびえる石造りの城砦だ。

 中央の大きなアーチ型の門に続く石畳には苔が広がり、踏み荒らされた形跡もない。それは長い年月、この地に人が足を踏み入れていないことを物語っていた。


「クオルルル!」

「ちょ、こら、いたっ!」 


 怒ったように夜朱雀がオレの体を強く突く。

 しきりにハルに嘴を向けるが、こんな幼子を連れてどこに行くのかと怒っているようだ。


「大丈夫だ、夜朱雀。この子は座敷童子……ただの人間の幼児ではない」

「クオル?」

「そう案ずるな。オレも力を失っているとはいえ、多少の戦闘はできる」


 影縫法師の危険度は、迷宮に出てくる化け物で例えるなら上の方だ。

 そう奥深くに進まなければ、強い化け物が出てくることはない。

 階層によって化け物の強さが変わるのは迷宮のお決まりであり、オレが安心している理由でもある。

 まだまだ心許ない霊力だが、それでも低層の化け物くらいならなんとかなる。

 そして低層で力を多少は取り戻してから、深部に赴き神霊核を頂くとしよう。


「しかし、都合よく迷宮に出会えるとは………きっとハルのおかげだな。助かったぞ」

「むうー?」


 首を傾げるハルにはどうやら自分で能力を使った自覚がないらしい。

 あの影縫法師との戦いの最中も、無意識に近かったのかも知れないな。 

 自在に能力を発揮できるならと、少し期待したが……。


「おるる、ありがとう。これ、燃えてる? あつい?」

「くるる」


 夜朱雀の羽に恐る恐る手を伸ばしながら、翼の火の粉に目を輝かせる無邪気なハルを見れば、この子をアテにしようとした自分が浅ましく感じ、少し恥ずかしい。


 ──さてさて。


 人の入った形跡のない迷宮なら宝などもまだ残っているかもしれない。

 この先の路銀も稼げるだろうし、神霊核が手に入れば力を取り戻せる。

 まさに座敷童子の幸運が微笑んだ形だろう。

 ただ、まずはこの矮小な己の霊力をどうにかしなければ、鬼が出た瞬間に詰んでしまう。鬼と言えば呪われたハルが変異していた酒呑童子の姿も思い浮かぶ。

 あれも十分な脅威であったが、ハルの意識が残っていたおかげでまだマシだった。

 だが、敵意をむき出しにする迷宮や在野の鬼となれば話は違う。

 陰陽寮でも精鋭の陰陽師でなければ簡単に返り討ちにあう存在だ。

 そして間違いなく、この迷宮を深く潜れば鬼に比肩する存在もいるだろう。


「ふむ、この紋章とレリーフは………」


 中央の大きなアーチ型の門には、一人の女性が描かれた紋章が刻まれていた。

  彼女の顔は眉間に深い皺が彫られ、その瞳だけが削り取られたように消えている。

 周囲には剣を掲げた騎士たちが描かれているが、彼らの表情は恐怖に引きつり、目をそらしているように見えた。騎士の一人が持つ大楯には細かいひび割れた痕が刻まれている。

 この地が西洋ならばドラゴンや巨人などの類が迷宮の主だと思うが、暗示のような門構えは懸念を抱かせる。

 未開の地の、忘れられた迷宮ともなれば今までの常識が通用しないかもしれない。


「それでも潜らねばならんな。陰陽寮の動向も気になる」


 あれほどの戦力を導入し、衆人の目も気にせず殺しにかかってきた。

 オレがそれほど恨まれている、と思える部分もなくはないが、一番大きいのは……。


「むみょー! おるる、ふわふわ! あつくない!」


 嬉しそうに夜朱雀の焔羽毛ほむらうもうに顔を埋めているハルだろう。

 元々、この子が呪われた理由も判明していないのだ。

 陰陽寮であの山村についての資料などを漁ろうとした矢先の呼び出しをくらい、免職通告だった。

 大和国を離れたから、この先は穏やかに……といかないのは間違いないだろう。

 オレとてしも大和国には用がある。いずれ戻らなければならない。


「ふむ、力を取り戻す前に戻るのは危険か」

「むみょー、危ない?」

「ハル、今は大丈夫だ。幸いここは異国の領域のようだしな。まずはこの迷宮を攻略し、冒険者ギルドに凱旋と行こうではないか」


 迷家の管轄は陰陽師を束ねる陰陽寮が行っているが、海外の迷宮は冒険者組合が管轄していると聞く。異邦人のオレとハルが紛れても何も問題ないだろう。

 大和国出身の冒険者もいると聞くしな。


「当面の目標は失われた力の回復と、路銀の確保。そして神霊核を手にいれたい。さあ、ハル。この迷宮に挑むぞ」

「ハル、たたかう?」


 しゅー、しゅーと。

 両手を胸の前で握りしめているのは、異国の拳闘士同士の戦いをこの前に見たからなのだろう。


「こらこら、そなたに戦う力はないだろうが」

「しゅー!」


 勢いよく拳を突き出すハルを優しい眼差しで見ていた夜朱雀が、オレにはきつい目を向けてくる。


「クオル!」

「おい、いくらオレでもハルを前戦に立たせる訳なかろうて」

「クルルゥ……」


 怪しい、ともで言うように鳴き声をあげる夜朱雀だが、オレはどれほど信頼されていないのだろうか。


「少しは主を信じろ、全く。さ、戻って回復に努めるがいい」

「クルル?」

「………おい、何を着いてこようとしているのか。そなたの巨体では中に入れんだろうが」

「クオルルル!!」


 抗議するように傷ついた翼を広げる夜朱雀を残し、オレはハルの手を引いて迷宮の門を開いた。

 錆びついた門が軋む音を立てながら重々しく開き、その向こうには不気味な暗闇が広がっていた。足を踏み入れると、冷たい風が頬を撫でた。


「……何かいるな」


 どこか遠くから、微かな嗚咽のような音が聞こえた気がした。

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