座敷童子の力
「神装降衣──」
頭上に突き上げた片手で刀印を結ぶ。
夕日が落ち、闇の帳が広がる薄暗い空が、白夜のように明るく光った。
「これは……まさか……!!」
異常を感じた弦一郎が空を見上げるが、すでに遅い。
「堕ちろ、天津火槌」
どっぷりと落ちた白炎の塊が、影縫法師を蕾のように包み込む。
白い炎が静かに絡み合いながら螺旋を描き、黒い影を抱きしめるように揺らめいた。そして、蕾が花開くように白炎が弾け、花弁のような火の粉が降り注ぐと、音もなく消え去っていく。
残ったのは、砕けて散った黒い塵だけだった。
──身体の調子がいい。
体の奥で霊力が湧き上がるような感覚が広がり、オレは足を止めた。
生き残った弦一郎を見れば、まだヤツから生まれる影縫法師の数は増え続けていた。
「ほう、己の霊力によるものではなく、何かしらの魔道具か」
「……」
天津火槌に飲み込まれた弦一郎から返事はない。玄武の護りがあったので気絶しているだけだろう。
まあ、全身やけど程度で済んだのは腐っても大陰陽師といったところか。
「はあ、まったく」
オレはどれほど陰陽寮の恨みを買っていたのだろうな。
明らかな過剰戦力の投入に、これでも陰陽師として貢献していただろうがと、少し不快感を覚える。
「まあよい。霊力が戻ってきた今なら……くくく!」
ここでコイツらを悉く滅ぼしてやろう。
全盛期とは程遠いが、今なら多少の無茶は可能なはず。
「神装降っ……ごふっ……!」
再び印を結び術を発動しようとした瞬間、鋭い痛みが胸を貫いた。
口から鉄臭い熱が込み上げ、血が滴り落ちる。
視界が一瞬ぼやけ、脚の力が抜けかけた。
「や、やっぱり無茶は……やめるか」
そう全てがうまくはいかないようだ。
苦笑しながら印を解き、ハルをしっかり抱き直す。
多少の霊力が戻った程度では、これ以上の戦闘は無理だな。
術が不発に終わったオレを警戒するように影縫法師達が、一歩ずつ退いた。
先程の大技で怯えてくれたのなら有り難い。
正直、まとめて向かってこられると今の状態で──ん?
いや、おかしい。そんなはずは無い。
ヤツらに怯えを抱くほどの知性はない。そもそも感情など持ち合わせないのだ。
「……なんだ?」
影縫法師たちが一ヶ所に集まり出す。
その影のような体が、一つ、また一つと溶け込むように黒い霧となり、渦を巻きながら集結し始めた。
霧は一つにまとまり、巨大な影の塊となってうねり始める。
「なっ、融合だと!?」
背筋に冷たい汗が流れる。目の前で巨影の怪物が形を成し、無数の紫炎の瞳がこちらを見据えた。
眠るハルの体が小さく震えた気がしたが、意識が戻る気配はない。
「ここは逃げるが勝ち、だな」
オレは刀を握りしめたが、この体に戦い抜く力は残っていない。
このままでは二人とも終わりだ。
「ならば──天津開界」
再び指先で印を組み、残りの力を召喚術式に注ぎ込む。空気が張り詰め、次元の壁に亀裂が走る音が鋭く響く。その瞬間、赤黒い霊気が筆の軌跡のような線を描きながら宙に広がった。
広がる霊気は赤黒い炎が溢れ出しては再び吸い込まれるように脈動を繰り返していた。
「来たれ、後天の拝神──夜朱雀!」
円陣の中心から漆黒の炎が爆ぜ、鳥影が翼を広げて飛翔する。
その姿は大きな鷲を思わせる堂々たる体躯をもつ、朱と黒が交錯する羽を広げた鳥神だ。熱風が空を駆け抜け、その力強い翼が音を裂き、オレの前に静かに舞い降りた。
「久しいな、夜朱雀! すまんが事態は急を要する。このままオレたちを国の外まで運んでくれ!」
言うや否や、オレは眠るハルをしっかりと抱きかかえ、夜朱雀の背に飛び乗った。
「クオルルルル!!」
こちらの意図をすぐに理解してくれた夜朱雀が、うごめく巨影に背を向ける。
夜朱雀は尾羽根から燃え広がる焔の残光を引きながら、漆黒の空へと舞い上がった。だが、その直後、背後の巨影法師がゆっくりと両腕を上げ、その手の中に漆黒の大弓を形作る。
──空気が凍りつくような異質な妖気が絡まり、漆黒の矢が夜朱雀に狙をい定める。
「まずい……!」
闇を裂く轟音が耳をつんざき、矢が地響きのような唸りを上げて迫る。
夜朱雀は翼を大きく広げ、右へ左へ鋭く旋回して回避するが、闇の矢は次々と放たれた。
風を切る轟音に追いたてられるように、逃げ道を狭められていく。
「クオオオオオオオオッッッ!」
放たれた一矢が、ついに夜朱雀の翼を貫いた。焔を纏う羽毛が散り、夜空に火の粉のように舞い散った。
「しまった!」
夜朱雀が大きく体勢を崩し、急降下を始めた。陸地を離れたのか、下は既に暗い海だ。
尚も轟音を鳴らしながら大矢の追撃が迫りくる中、オレは振り落とされぬようハルを抱きしめる。
「夜朱雀……持ちこたえてくれ!」
途中、飛行制御を取り戻したように夜朱雀が高度を保ち直す。墜落は免れたが、不規則な動きで必死に矢を避けながら飛行距離を伸ばそうとする夜朱雀に、後方から放たれた大矢の音が容赦なく近づいてくる。
「クォォオッッ!!!!」
やはり、この子も限界だったようだ。手負いで全てを避けられるはずもなく、最後の矢が轟音と共に命中した瞬間、夜朱雀が短い悲鳴を上げ翼を痙攣させながら重力に引かれるように急落した。
「ぐっ……!!」
黒く波打つ大海が視界に広がる。
冷たい風が肌を切りつけ、潮の匂いが鼻を突いた。
強い衝撃を感じた後、冷水が鉛のように全身を包みこむと、そのまま意識は暗闇へと溶けていった。