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不穏な気配

 浴びせられる嘲笑と罵声を気にせず、オレが悠然と陰陽寮の門を出ると空はすっかり茜色に染まっており、大通りに並ぶ商店は店仕舞いの支度に取り掛かっていた。


 すぐにオレを待っていた小さな影が駆け寄ってくる。


 朱色の着物を纏ったおかっぱ頭の座敷童子、ハルだ。

 白磁のような肌にはうっすらと紅みが差しており、もっちりとした両頬は幼子おさなご特有のふくよかさが存在する。


 唯一、爛々(らんらん)と輝いている赤い瞳が鬼の名残を感じ、この子を襲った呪が完全解呪していないことを示している。

 しかし、もう心配はないだろう。

 呪いの残滓は身体に残るだけで、その精神は開放されている。

 その証拠に大きなくりっとした赤い瞳を不安げに揺らしながら、彼女はぽつりと声を漏らした。


「むみょー、だいじょうぶ? ハルのせい?」

「ハル、あの時も言ったであろう。そなたは何も悪くない。さあ、これから忙しくなるぞ」


 オレはハルの小さな手を握り、歩き出した。

 繋いだ手から伝わる温もりが、この選択が何一つ間違いではないと教えてくれている気がした。


「しかし、前途多難とはこのことか……」


 力のほとんどを失い、職場どころか国まで追われることになるとは。

 

「なかなか思うようにいかない人生だな」

 

 未だ、目的は果たせそうにない。

 少し気落ちしていると、道端に咲く小さな花が風に揺れているのが見えた。

 この身に何が起ころうと、変わらず外の世界は穏やかだ。

 そんな穏やかな景色の中で、ハルが得意げに鼻息を荒くした。


「むみょー。ハルね、おにぎり作れるようになったよ」

「ほう、それは頼もしいな。次の宿で早速その腕前を披露してもらおうか」


 大通りに並ぶ商店のざわめきが聞こえてくる。

 店主たちは閉店の準備をしつつも、最後の客を笑顔で迎えている。

 香ばしい焼き串の匂いが漂い、空腹を思い出させる。

 街の片隅に残る小さな喧騒が、旅立ち前の不安を優しく包み込むようだった。


 ──その時ふと、うなじがチリチリとする。


 振り返った先に立っていたのは、陰陽装束をまとった陰陽師だった。

 夕暮れに包まれた大通りの中で、その姿は異様なまでに浮いていた。

 通り沿いの店主たちが最後の客を笑顔で見送る中、彼だけが静寂をまとい、周囲のざわめきを裂くように立っている。

 装束の黒は光を吸い込むように暗く、金色の刺繍がかすかに光を反射し、不気味な輪郭を描いていた。

 その瞳は冷たく光り、この穏やかな時間を壊している。


「フハハ! 貴様、無明と名前まで変えて……落ちたものだなあ!」


 声を発したのは、かつての同僚であり、常にオレを敵視していた男──賀茂かも弦一郎げんいちろうだ。

 薄ら笑い浮かべオレをあざけるが、その瞳は敵意を隠しきれていない。


「……むみょー」

「なに、大丈夫だ」


 オレは小さく鼻を鳴らし、鋭い視線に怯えるハルの手を安心させるように軽く握り直した。


「で? 名門賀茂家の御曹司が、わざわざクビになったオレに何用かな?」


 長老会に名を連らねる賀茂家の長男、弦一郎は昔から何かと突っかかってくる。

 薄々、嫉妬を通り越して憎しみを抱いているのではないかと感じていたが、どうやら間違ってはいなかったようだ。


「英雄気取りで好き放題していたお前が、凡人に落ちぶれる気持ちはどんなものかと聞きたくてなぁ!」


 年は確か二つ下で、今年で三十三になるが二十代前半と言われても納得行くほど見た目が若い。

 黙っていれば整っているであろう顔の造形はその性格のせいか、どこか歪んでいるように見える。

 現に笑みを浮かべる口元はまるで作り物じみていて、頬がピクピクと引きつっていた。

 オレのこの惨めな現状が、嬉しくてたまらないとでも言いたげだ。


「無明、貴様も不思議な話だと思わなかったか? 次期筆頭に一番近いと称されたお前が簡単に追放されるなんてな。海を超えてやってきた亡霊騎士団ワイルドハントの討伐に、赤龍山脈の三ツ首龍の退治……今までの功績を鑑みれば、そもそも追放は過大な処分だ。陰陽寮は随分と妙な判断をする」


 その言葉は一見冷静であるが、嘲りと皮肉が混じっている。

 まるでオレに疑念を抱かせるように誘導するかのようだった。


「そのくらい分かっているさ。だからなんだ? 何が言いたい?」


 あの処分は所詮、オレをどうにかしようとする方便に過ぎん。

 まあ、長老連中から疎まれていたことくらい自分でもわかっている。

 だからこそ、オレは特段興味もなく返すが、弦一郎はさらに笑顔に乗せた嘲りを色濃くする。


「妙な判断といえばだが……実はな、私にある命令が降っているのだ」


 そこで弦一郎はハルを見た。嫌な予感に、さっとハルの前に立ち視線を遮る。


「そこの座敷童子は陰陽寮で引き取る。お前も力を失った元凶の世話などしたくないだろう? 見た目は童女のくせ、己のために陰陽師を犠牲にするなど、随分と危険な妖怪ではないか」


 その言葉に、ハルの小さな肩がかすかに落ち、唇を噛みしめながらじっと足元を見つめた。

 繋いだ手から感じる震えは、この子の不安と傷ついた心情がありありと伝わってくるようだ。

 オレが陰陽師をクビになったことを知ったハルは、自分のせいなのかと気にしていた。

 弦一郎の言葉は、ハルの心をえぐったようだ。


「──弦一郎」


 意図せず、低い声が出た。

 一瞥いちべつを送ると、弦一郎は肩を震わせ、装った笑みが崩れた。

 喉を鳴らす音が聞こえ、瞳には僅かに怯えが浮かんでいる。


「オレが助けたいと思ったからこの子を助けた。それはこの子の精神の在り方にオレが惹かれたからだ。そなたの言葉はハルに対する侮辱であるぞ」


 ハルの手を、安心させるように強く握る。


「むみょー」


 か細い声でハルがオレを呼んだ。こちらを見上げる瞳は少し潤んでいるようにも見える。


「ハルはオレが責任をもって面倒を見る。だから陰陽寮には関わるなと伝えておけ」


 不安そうにオレを見上げるハルに微笑むと、目をぱちくりとさせていた。


「ハル、あの時も言ったであろう? オレが助けたいと思ったから、そなたを呪いから開放したのだ。その結果、確かにオレは霊力を失ったが、決してそなたが気に病むことではない」

「……うん」


 視線を伏せてうなずくハルの表情をうかがい知ることはできなかった。だがまあ、改めてオレの心情を言葉にすることで 少しはハルの心を癒せたか──と考えていると弦一郎が不気味に笑う。


「──クク、そうか命令に反抗するか」


 ニタリと歪むその目は、まるでオレが拒否することを待ち望んでいたようだ。


「──ならば実力行使に出るとしようか!!」


 弦一郎の影が色濃く伸びる。蠢き出した影からが無数の人型が飛び出してきた。


 青く光る目の正体は眼窩の奥に揺らぐ紫炎だった。

 その姿は、かつて陰陽師たちが倒してきた妖怪たちの妖気を無理やり縫い合わせ、使役するために生み出された異質の式神だ。


影縫法師かげぬいほうしだと──まさか、ここまでするのか!?」


 式神には感情豊かな妖狐や犬神もいる。主に忠実な一方で、時に命令に不満を漏らし、口答えすることもある。


 だが、影縫法師は違う。怒りや慈悲といった感情どころか知性もなく、妖気を縫い止められて作られた人形。ただ命令を遂行するためだけの存在だ。


 その強さは、迷宮の中層から最下層に出てくる妖魔に匹敵する。

 

 そんな影縫法師が、弦一郎の影から無数に湧き出してくる。


 霊力の乏しい身では、万が一にも勝ち目はない。


「む、むみょー……」

「……安心しろ、そなたを渡しはせんよ」


 安心させるようにハルを抱き上げる。

 そもそも、座敷童子を──妖怪を助けるなど陰陽師として不適切だという理由でオレはクビにったはずだ。

 それを今更、陰陽寮で引き取るなど、まったく筋の通らない話だろうに。


 ──だが、しかし。


「ちっ……」


 どれほど不条理に憤ったところで、力がなければこの窮地は乗り越えられないだろう。

 こんなに己を頼りないと思ったのは生まれて初めてだ。


「さあ、無明!! 思う存分、抵抗するがいい!! 力を失った今の貴様など、何も恐るるに足りん!!」


 まるで積年の恨みを晴らす喜びを噛みしめるように、弦一郎の笑みが色濃く歪んだ。


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