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激昂と涙と漏れ出た本音

 ギリッと、アイリーンが敵意の込もった目でオレを睨む。

 水面のようにさざめいていた壁が、大きな波紋を広げるように波打ちだした。


『……そう。それが目的だったのね』

「ああ、神霊核を手に入れなければ失った霊力の回復もままならないからな」

『で? 私が素直に渡すと思う?』


 低く押し殺したような声音には、冷ややかな怒りを感じた。


 先ほどまで見せていた、どこか憎めず可愛げのある表情は影もなく消え去り、今の顔には猛々しい怒りに満ちていた。


 どうやら、完全に敵として認定されてしまったようだ。


『……ハルトと同郷だからって優しくした私が愚かだったわ』


 少し言葉足らずで誤解を招いてしまったようだ。

 段々と崩れはじめたアイリーンの精神世界は、今にも強制的に現世に戻されそうな雰囲気だ。


「そう悪者扱いするな。その神霊核で力を回復させたいだけだ」

『そんなこと言って、貴方もお父様のように力が欲しいだけでしょう!?』


 アレと一緒にされるのは不快だが、 まあ言っていることは間違っていない。

 ただ、オレだって彼女の想いを踏みにじってまで神霊核を手にしようとは思っていないのだ。


「力を求めることは悪いことではないだろう。人間が成功と繁栄を求めることも決して悪しきことではない」

『……あなた、それよく私に言えるわね!? その結果、ここはこうなったのだけど!!?』

「何をするかが大事だと言っているのだ」

 

 何を目的とし、いかように手にした力を使うのか。

 あの虚栄の理想を掲げる男が考えもしなかったことだろう。


「オレの目的は一つ。力を回復させて、ジークフリートを倒す。それでそなたもこの迷宮から開放されるだろう」

『……で? その後は結局、力に溺れてまた迷宮を作り出すのでしょう?』


 随分と信頼のないことだ。

 ……いや、彼女は人間が欲に溺れる弱い生き物だということを理解しているのかもしれないな。


「──ふむ。それはない。そもそも、数百年にも渡りジークフリートに散々使用された神霊核ではオレの力を十全に回復させることはできん。ましてや新たな迷宮を作り出すことなんて以ての外だ。神霊核の依代になっていたそなたならわかるだろう?」

『そ、それは……っ!! でもっ!! お父様に勝つなんて、そんなこと貴方にできないでしょう!! お父様との戦いはずっと見てたのよ!? 確かにすごい術を使うけど……でも勝てるほどじゃない!!』


 激昂する彼女に、静かに問う。


「──なあ、アイリーン。そなたはずっとここにいて良いのか? おそらくハルトはもう他界しているだろう……あまりに月日が経ちすぎたからな」

『……そんなこと、別に知ってるわよ!! 私達が迷宮に取り込まれたのは随分と昔だから……っ!』


 悲しげに伏せた目は潤んでおり、今にも涙が零れそうだ。

 未練が残っているのが、ありありと伝わってくる。


「だがな、アイリーン。ハルトの後を追うことくらいはできる。あの世で一緒になれるかはわからんが、ここにいては何も始まらない」

『そ、それは……っ』


 何かを言おうとして、またすぐに顔を伏せてしまった。

 言い訳をするように、彼女は俯いたまま沈んだ声で理由を話し始める。


『……駄目よ。あなたが敗れれば、お父様は迷宮の外に侵攻を始める。ここで抑え込まないと、私にもう止める力は残らない。だから──』

「それがそなたの望みなのかと聞いている」

『しつこいっっっ!! そんなの違うに決まってるでしょう!! 私だってこんなとこにいつまでもいたくなんてない……でも、私はアステリアの貴族だから……お父様を止める責務があるのっっ!! 貴方みたいな平民にはわからないでしょうけどねっっ!!』

 

 怒りをあらわにする形相とは裏腹に、瞳からポロポロと涙がこぼれていた。

 

「ハルトに会いたくはないのか?」

『話を聞いていたの!!? だから私には貴族としての責務がっ……』

「だからもう会えなくても構わないと?」

『会いたいに決まってるでしょう!!!!!』


 アイリーンが呆然とした顔で自分の口を両手で押さえている。


『あっ……』

「うむ、よかろう」


 彼女にも、オレはこんな風に本音を聞いていればよかったのかもしれない。

 いや、今更後悔したところでどうにもならないのだが。


「オレはこれでも少し前までは最強の陰陽師と呼ばれていてな。案ずるな、オレを信じろ」

『……でも──』

「それにオレに父を止めるよう乞い願ったのはそなたであろう」


 まだ彼女が本体にいた時、ジークフリートに神霊核を奪われた刹那、意識を取り戻した彼女がオレに父を止めるよう手を伸ばしたことは記憶に新しい。

 

「悲痛な女の願いを聞いて大人しくできるほど、オレは人間ができていないのだ。諦めよ」


 神霊核が手に入れば、目の前の彼女を救うことくらいはできるだろう。

 いつまでもこんなところに縛っていい女性ではない。

 いい加減、開放してやらないと。


『……別に、貴方に助けて欲しいなんて頼んでないでしょう』


 言っていることは否定だが、さきほどまでの覇気がない。

 彼女の本心は、ハルトを追いたくて仕方なかったのだろう。

 迷宮にのまれた時ですら、本当は……。


 きっとそれが、あの花嫁としての異形の姿ならば──。


「気にするな。オレがそうしたいからするだけだ。別に助けてやろうなどと、恩着せがましく言うつもりはないぞ?」


 カラッと笑ってそう言うと、アイリーンは時が止まったように目を見開いたまま固まっている。

 

「……どうした?」

『あ、べ、別に……ただ、ハルトみたいなこと言うから……』


 ボロボロと、また大粒の涙がこぼれだす。

 今度は勢いが止まらず、そのまま彼女は顔を抑え泣いてしまった。


『……会いたいよ、ハルト……』

「やれやれ。最初から素直に言えばよかったのだ」

『う、うるさい……っひぐっっ……』


 彼女が泣き止むまで、しばらくオレはぼうっと天井を見上げていた。


(あの時、本当はオレが彼女にこうするべきだったのだろうな)



         ◇



『言っとくけど……失敗したら永遠に祟るからね?』


 赤い光を放ちながら脈動する神霊核を受け取る。

 宿った力の大半をジークフリートに使われて尚、放つ波動はオレの体に重い圧をかけるかのようだ。


 ──これなら多少の力を取り戻せそうだ。


 隠し袋に神霊核を仕舞い込み、代わりに百鬼の鎖を取り出した。

 赤くなった目を擦るアイリーンに渡す。


「そなたも付いてこい」

『え? でも私は……』

「この鎖を持っていろ」

『これって、ハルトが使っていた百鬼の鎖じゃない……こんなものが何だっていうのよ?』


 霊体である彼女の存在は儚い。

 ジークフリートに支配されたあの異形としての本体に取り込まれる恐れもある。


「そなたの意識を保てる。妖力の弱い幽霊でもこの鎖に縛られているならば、消えることはない」


 目を赤くしていたアイリーンが、モジモジしながら今度は顔を赤くした。


『ちょっと……あ、あのね……例えこの身が幽霊でも淑女が鎖に縛られるのは……い、いくらハルトの鎖だからって……』


 コイツ……。


「おい、何を阿呆なことを言っている。縛るとはそなたの体のことではない。この鎖でその存在を縛ると言っているのだ」

『……な、ならそうだって言いなさいよ!!?』

「ほう? いや、まさかそのようなことを想像するとは思わなくてな」


 ニタリと笑うと、顔を赤くしながらぎゅっと鎖を抱きしめた。

 

『そ、それは貴方が……』

「まったく、破廉恥な娘だ。ハルに悪影響だから、向こうに戻ったら自重しろよ? くくく…」

『あ、貴方ってやっぱりハルトみたいで気に入らないわ!?』

「ふふ、悪かったな。ほら、存在を固定するから大人しくしろ」


 姦しく騒ぐアイリーンの霊体を百鬼の鎖で固定する。


「──さあ、戻るぞ。ハルトとやらのよしみだ。陰陽師としての頂点の力を見せてやろう」

『頂点って……貴方って本当に強いの? 言っておくけどハルトは最強の陰陽師だったんだからね? 山ほどの大きさの巨大な虫だって倒したことあるんだから!』

「くくく、左様か」


 熱っぽくハルトのことを語るアイリーンからは、その想いの強さが伝わってくるようだ。

 ジークフリートが己の欲に溺れなければ、彼女にも幸せな未来があったのかもしれない。


「……ふん」

『どうしたの?』

「いや、別に」


 アイリーンは彼女ではない

 ただ、彼女もまたアイリーンのように涙を流していたことを思い出した。

 長い髪が風に揺れ、鬼火に照らされた泣き顔が、今でも脳裏に焼き付いている。


「さて、そろそろあの男の軽薄な理想にトドメを差してやるとしよう」


 知らず、体に力が入った。


『でもあんまり強そうには見えないのよねぇ……胡散臭いし』


(こいつ、さっきまで泣いていたくせに……)


 前言は撤回するとしよう。

 彼女をこいつに重ねるなど、我ながらどうかしていた。


「おい、いいからさっさと現世にもどせ」

『あ、ちょっと! その言い草はなに!? 私はこれでも由緒正しきアステリアの貴族にして……』

「わかったから、急げ!」

『また言った!? この無礼者め、だったら……っ!!』


 アイリーンが両手を掲げると、急激に力が集まりだした。


「……おい、何をしている」

『お望み通り現世に戻してあげるわよ!!』


 周囲の景色が真っ白に漂白されていく。

 残ったのはアイリーンとオレだけだが、二人の間には大きな力の塊が存在していた。


『お行きなさい!!!!』

「こら、馬鹿っっっ」


 アイリーンが両手に集めた力の塊が爆発する。


 あまりの眩さに影すら消え去り、視界は白一色に染まっていった。




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