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アイリーン・フォン・アステリア

「ここは……」


 迷宮に飲み込まれたはずのオレは、気付けばこの迷宮に足を踏み入れた時に最初に訪れた大きな絵画の部屋に立っていた。

 絵画の掛かった壁は微かに揺らめき、まるで水面のようにさざめている。

 足元も、ほとんど床を踏みしめる感覚がない。


「……ふむ?」


 花嫁を描いた大きな絵画、その絵画の前に見覚えのある金髪碧眼の綺麗な女性が立っている。眼窩に空洞が空いていた異形の姿ではなく、生前の絵画通りの姿のアイリーンだ。

 美しい金色の長髪を背中に流し、オレを見つめるキリッとした力強い瞳は、儚げなに描かれている肖像画より気丈な印象を受ける。


『はじめまして。私の家族が色々と迷惑をかけたようね』


 異形の花嫁と化していたアイリーンで間違いないだろう。


(ではあの異形が本体でこちらが精神体……分霊のようなものか)


 オレをここに招いたのは彼女の意志かもしれない。

 ただまあ、謝罪という感じでもないさそうだ。

 切れ長の力強い目はこちらを見下すようでもあり、彼女からは絵画に描かれた深窓の令嬢とは、とても思えない気の強さを感じる。


「はじめまして。迷惑どころか、つい今しがたそなたの父、それとそなた自身にも殺されかけたな」

『……あのねえ。それは貴方がこの迷宮に入ってきたからでしょうが! せめてお父様の被害者をこれ以上ださないようにって、せっかく最後にこの領地ごと封印して孤島に飛ばしたのに!』

「なるほど、だからか。こんな誰も訪れぬ小さな島に、迷宮にのまれた領地があるなど、おかしな話だと思っていたが」


 どうやら彼女が隔離した結果だったようだ。

 孤島に領地ごと飛ばすなど、随分と思い切ったことをする。


 まあ、あのジークフリートの性格からして、もし人間の領地がこの迷宮と隣接でもしていたら間違いなく戦になっただろう。アレは欲に溺れすぎている。

 

 だからその判断は正しかったのだろう。現にこの迷宮はオレが入るまで誰も足を踏みれていない。


 しかし、自身もろとも僻地に領地を飛ばすなど随分と豪快だ。

 判断力に優れて、豪快な手段も迷いなく実行するなど、もし真っ当に当主を継いでいたら、それなりに名君として名をはせたのかもしれないな。


『あなた、ハルトと同郷の人よね?』

「ああ、そのようだ。大和国の陰陽師で、名を無明という」


 そう、と。眉間にシワを寄せて目を閉じる彼女の感情がいかなるものかは伺えないが、あまり機嫌はよくなさそうだ。


『まあいいわ、アイツと同郷のよしみよ。まだ私に力が残っている内に外に出してあげる。そのまま逃げなさい』

「ん? 父を倒してくれとは言わないのか?」

『あのねえ……』


 ジトッと、苛立ちをぶつけるようにアイリーンがオレを睨む。


『私の本体にも殺されかけた挙げ句、あれだけボコボコにされて何度も死にかけた貴方に何ができるのよ!?』

「くくく、それを言われると弱いな」


 魔眼に囚われ、大剣に貫かれ、そして最後はコテンパンに打ちのめされた。

 この迷宮内で三度も死にかけるとは、我ながらよく生きていたものだと感心する。


(ん? だが、おかしいな……)


「痛みが消えている? 治ったわけではなさそうだが」

『それは──』

「あと、逃がしてくれるとはどういうことだ? というか、そなた意識があったのか」

『……そうね、まずはこれを見て』


 そう言って彼女は自分の胸のウチに手を突っ込む。

 分霊だからなのか、その手は音もなく体の中に入っていく。


「ほう……」


 彼女が自分の身体のウチから取り出したのは燃えるような赤い光を脈動させる神霊核だった。


「ジークフリートがそなたの本体から取り出し取り込んだはずだが?」

『あの時……あなたが私の本体を瀕死にしたおかげで少しだけ意識を取り戻せたの。その際に私も神霊核の一部を自分用に分けたのよ。お父様は私を神霊核の依り代にしていたから……』

 

 どうやら意図せず、オレは彼女の精神を開放していたらしい。

 随分と都合の良い偶然だが、それは幸運の幼女がついているおかげかもしれないな。


『おかげで今、こうして精神体として意識を取り戻せたし、あなたを招くこともできたわ。驚くでしょうけど、ここは現実じゃなくて神霊核の力で作った私の精神世界で時が止まっている。あなたの体はここにいる限り、傷が悪化することはない』


 それが最初の答えだと彼女は言う。

 なるほど、どおりで体の不調が嘘のように消えたわけだ。

 癒えたわけではないのは残念だが。


『で、二つ目のなぜ逃がすのかの答えだけど、アステリアは初代ジークフリート様が民を救うために竜殺しを成し遂げて、爵位を賜った英雄と呼ぶにふさわしい由緒正しき家系よ。いくらもう滅びたとはいえ、私にだって、偉大な先祖を持つ貴族としての矜持がある。暴走させたままなんてできないわ』

「なるほど」


 大和にも龍はいるが、下手すれば亜神に近い力を持つ大妖だ。

 西洋の竜も多少の差異はあるだろうが、勝てる人間のほうが少ない天災のようなもの。

 どうやらこの者たちの祖先は英雄の名にふさわしい力の持ち主だったようだ。


 そして、目の前の女性もその精神は英雄と呼ぶに相応しいのかもしれない。


「くくく、己の身すら満足に守れぬ力のただの人間が……随分と高潔なことよ」


 久しぶりに気持ちの良い人間に出会い、思わず言葉が漏れてしまった。

 おかげで少し機嫌を損ねてしまったようだ。


『はあ? あなただってただの人間でしょうが!! 強いのか弱いのかだってハッキリしないし……多分、ハルトの方が強かったわよ?』

「いや、すまん。そなたを侮った訳ではないのだ。そういえば、そのハルトという陰陽師はどこに?」


 この迷宮が隔離された時、どうしていたのかふと気になった。

 仮にも自分の想い人である以上、彼女も気になっていることだろう。


『さあ?』


 ただ、返ってきた言葉はまるで関心がないかのように淡白だった。


「なんだ、そなたは気にならないのか?」

『……ふん、別に。どうでもいいわよあんなヤツ。そもそも身分違いだし。なのにアイツ、たまたま私が魔物に襲われているを助けたからって……っっっ!』

「……ん?」


 ギリッと、アイリーンから歯を食いしばるような音が聞こえた。

 何やら雲行きが怪しい。

 彼女の怒気に呼応するように、アイリーンの長髪がワナワナと波打っている。 

 これも迷宮に取り込まれ力を手にした影響か?


『何が女の子を一人にするのは危ないよ! 護衛なんて勝手に名乗ってついてきて……私がいつ助けてなんて頼んだっつうの!! 騎士の位でも狙っているのかって聞いたら、キシとはなんだ? 食えるのか? って、ほんっとあの田舎者は……!!』


(助けてほしいなんて、誰が頼んだ……か。くくく)


 少しハルトにも親近感を抱きそうだ。


『私がちょっと優しくしてあげただけで、勘違いしちゃって……身分違いのくせに、じゃあ神霊核を手に入れたら大丈夫か、とか馬鹿なこと言って無茶して……挙げ句にほんとに持ってきて……っ!!』


 やはり神霊核を献上したのはハルトだったのか。

 想い人と結ばれるための迷宮を攻略した結果が、このような結末を迎えた時、彼は何を思ったのだろうな。


『本当にいつも私は振り回されっぱなしよ!! もうあのとぼけた顔を見なくてすむと思うと、清々するってものよ!! いい? わかった!? 私はね、別にあんな田舎者のことなんてなんとも思ってないの!!』

「どうどう、オレに怒っても仕方なかろう」


 何やらハルトのことを毛嫌いしている雰囲気を出しているが、それは無理があるだろう。

 異形と化していたとき、あれほどハルトを求めていたクセに。


 そういえば、宝物庫で手に入れた彼女の日記を隠し袋にしまっていたことを思い出す。


「確か書かれていた言葉は……ハルトがお父様に神霊核を献上した。これで私達は結ばれる……だったか」

『へっ!?』


 彼女がサアっと血の気の引いた顔でオレを見る。

 隠し袋にしまい込んでいた日記を取り出し、内容を確認する。


「ああ、この日記に書いてあるのは……愛しいハルト。私があの人を止めます……さようなら──ほうほう、随分と健気な娘よな。うむ、奥ゆかしくていいではないか」

『うひゃあっ!!?』

 

 隠し袋から取り出した日記を読むと、アイリーンは目を吊り上げ、顔を真っ赤にして目にも止まらぬ速さでオレの手から日記を奪おうとする。


 一瞬でオレとの距離を詰める速度は、神霊核を手にしたジークフリート並みに早かった。


 ──だが。


「おっと」


 彼女は少しばかり身長が足りず、オレが日記を持った手を頭上に上げると、必死の形相で掴みかかってくるがその手は届かない。


『ちょっ! ソレをさっさと返しなさい!!?』

「これはオレが迷宮で手に入れた宝なのだ。そんな素直に渡すわけ無いだろう」

『私のだっっつうの!!? 打首にするわよこの無礼な田舎者めっ!?』

「おいおい、同郷のオレにそんなことを言うと愛しいハルトに嫌われるぞ?」

『っっっっ!!!??!!』


 ようやくオレから奪った日記を胸に抱きしめながらアイリーンは真っ赤になった顔を伏せ、肩を震わせている。その耳元まで紅潮していた。

 まったく、己の想いにくらい素直になればいいものを。


『あなた、本当に性格悪いのね!! もう助けてあげないわよ!!?』

「はは、そう怒るな。そなたが少し、昔の知り合いに似ていてな……すまん、すまん」


 オレも随分と彼女を怒らせていたことを思い出す。

 当時はあまり理解できなかったが、もしかしたらアイリーンのように照れ隠しだったのかもしれないな。


『……はあ、もういいわ。あの娘たちと一緒に外に出してあげるから、とっとと逃げなさい。お父様はこの神霊核の力でなんとかもう一度、この迷宮内に押し込めるから……』

「おっと、そうはいかないな」

『は、なによ?』


 そんなことをされてはオレも困る。

 もともと、この迷宮に入ったのは目的があってのことなのだ。


「ではアイリーン。その神霊核を渡してもらおうか」

『……えっ?』


 アイリーンの瞳が驚愕に見開かれる。

 混乱したまま硬直していた彼女の表情が、徐々に冷たい怒りに染まっていった。


『そういうこと……』


 彼女の瞳に鋭い敵意が宿り、オレを射抜くように睨みつけた。

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