第265話 内なる対話
461さん達が桜田賢人と邂逅した日の夜。
〜シン〜
僕はタルパちゃんと2人で魔法を使える場所を探した。幸いホテルの近くは神田明神ダンジョンの周辺地域だったので、後は人目につかない場所に行くだけだ。見つけたのはビルの合間にある階段……雑居ビルに挟まれた空間だ。
細い路地の奥に見える大通り。だけど、他に人はいない寂しい場所。そこなら気兼ねなく時壊魔法が使える。
魔力がゼロの状態なら僕が眠っている間でも九条に体を奪われない。明日のダンジョン攻略は時壊魔法無しでやらなきゃいけないけど、元々僕はスキル無し探索者みたいなものだったしな。
2人で階段に座り、咲いている花に手をかざした。
時壊魔法で花の時間を巻き戻し、ツボミにする。そして地面から生える前まで巻き戻したら次はまた咲かせる……それを繰り返す。
時壊魔法を使っていると「願いの中心」の事を思い出した。
461さんは、九条の願いを聞き出して欲しいと言った。アイツの願いの中心が本当に賢人を蘇らせる事なのかにも疑問を持っているみたいだ。その言葉を聞いた時、僕も同じ事を思った。
僕は、自分を取り戻してから九条の心をずっと観察していた。アイルさんを連れ去った時も、461さんと戦った時も、ヤツの心の動きを見ていた。その中には、自己矛盾と迷いとが渦を巻いていた。
あの憎悪も、自分勝手な思い込みも、それを自分に言い聞かせるような言葉も、全部が後悔から来ていたと思う。
賢人を蘇らせたい。
それが心からの願いなら、あんなに迷いがあるだろうか?
賢人が死んだ場面だけは僕の中にも鮮烈に引き継がれている。口から血を流して座り込んでいる賢人。どれだけ揺さぶっても、呼びかけても決して開くことのない眼。なぜそんな事になってしまったのかという混乱……あれが九条の起点。その後悔がヤツの全てを歪ませたんだ。
タルパちゃんが僕の肩に頭を置く。心臓が止まりそうになって思わず離れそうになってしまう。だけど、タルパちゃんが僕の腕をギュッと掴んで逃してくれなかった。
「ダメだよ、やっと会えたのに恥ずかしがらないで」
「う、うん」
緊張しているのを深呼吸して落ち着かせる。はぁはぁと息をしていると、タルパちゃんがクスリと笑った。
「ふふっ、緊張しすぎだよ」
「え、あ、ごめん……こういうの初めてで……」
「私も初めてだよ……」
「え」
その言葉に思わずタルパちゃんの方を見てしまう。彼女と目が合って、目が離せなくなる。吸い込まれそうな瞳に。
彼女と再会してから色々あったせいで全然落ち着けなかったけど、今やっと実感が湧いた。タルパちゃんだ。ずっと会いたかったタルパちゃんが目の前にいるんだ。
それを意識したらまた恥ずかしくなって、俯いてしまう。彼女は小さく笑ってまた僕の肩に頭を乗せた。
肩にタルパちゃんの体温を感じてむず痒いような感覚がする。髪からいい匂いがして頭がクラクラする。必死に理性を保っていると、彼女は花を見ながらポツリと呟いた。
「ねぇシン君。シン君は賢人さんが、その……大丈夫なの?」
タルパちゃんの言いたい事が何となく分かった。賢人が死んでしまうのを見届けられるかということだ。
……正直、辛い。僕にだって賢人との思い出があるし、助けられるなら助けたい。何かの裏技を使って賢人を助ける事ができるのだろうか?
いや、やめよう。僕達のいた時代にどんな影響があるか分からない。
「賢人を助けたせいでみんながやって来たことを無かった事にしてしまうのは、違う」
そう、それをやってしまったら九条と同じになってしまう。自分達以外の今はどうでもいいってことに。
賢人を助けて461さんとアイルさんが会えないのは違う。きっとそれはシィーリアさんも同じだ。
賢人が死んでしまったのは悲しい。その事実は苦しくて仕方が無いけど……みんなだって辛い事が沢山あって、それでも前に進んで来たんだ。それを乗り越えて、彼らが出会って、重ねて来た色んな物を奪っていいはずかない。
「だから賢人の死は、僕達が飲み込まなきゃいけない事なんだ」
僕は、自分に言い聞かせるように言葉を口にした。タルパちゃんは、何も言わずに僕の手を取って指を絡めた。彼女は何も言わなかったけど、僕の事を肯定してくれたのだと思う。
花へ目を向ける。ツボミまで戻していた花は、魔法を使う前の姿に戻っていた。話しているうちに魔力が切れたみたいだ。
魔力が無くなった時、僕の中で何かがグニャりと揺らぐ。忘れもしないこの感覚、内なる声がいた時と同じ感覚……僕は、タルパちゃんの手をそっと離した。
「ごめんねタルパちゃん。少し1人にして貰っていい?」
「……起きたんだね」
「うん、少し話をするよ」
突然、タルパちゃんの顔が目の前に来た。唇に感触がして、頭が真っ白になってしまう。
「ん……っ」
タルパちゃんが目を閉じているのに気付いて慌てて目を閉じる。目を閉じると彼女の唇の感触に意識を向けてしまって、僕の全身が熱くなる。そうしている内に、風でそよいだ彼女の髪が僕の頬を撫でた。そこでやっと僕は我に返る事ができた。
彼女はゆっくり唇を離すと、優しく微笑んでくれた。その顔は耳まで真っ赤だ。僕を勇気付ける為に無理をしてくれたのかも。タルパちゃんの顔を見ていると、彼女を好きだという気持ちが溢れ出しそうになる。思わず彼女の頬に手を当ててしまう。彼女は、そんな僕の手に自分の手を重ねた。
「シン君が私と帰りたいって言ってくれて、嬉しかった、から……その、も、もう行くね!」
「う、うん」
彼女は恥ずかしそうな笑顔を向けると、ホテルへ戻って行った。
また心臓が止まるかと思ったぁ……心臓が止まったり早くなったり大丈夫か僕。
でもそのおかげで覚悟は決まった気がする。もし賢人の事を引き合いに出されても絶対に迷わない。ありがとう、タルパちゃん。
……ここからだ。
「九条、起きたんだろ?」
──なんだよ。
この声、内なる声、九条の声。聞いた瞬間思い出す。真実を告げられて体を奪われた時の事を。手を握って深呼吸する。大丈夫、もう僕は大丈夫だ。落ち着け。
──そんな状態で俺に優位に立とうなんざ無理な話だぜ。
「状況は分かってるのか? 体を奪おうとしても……」
──油断してる場合かよ。もう手遅れだ。
「なっ……!?」
焦って周囲を確認する。しかし、自分の周りも、体も、どこにも時壊魔法が使われた形跡は無かった。
──何焦ってんだよ。テメェが体奪わせないようにしたんだろ?
「お前……なんでそんな嘘吐くんだよ!!」
──嫌がらせしかねぇだろ馬鹿が。青クセェもん見せ付けやがって。
見てたのか……というかなんだよコイツ! 確かに協力してくれる訳はないと思ったけどさ……っ!
……だけど、九条の様子が変だ。アイツの中心にあった憎悪を感じない。ただの嫌なヤツ……そんな雰囲気だ。
──お前の記憶を覗いた。過去に飛んだんだろ?
「うん。お前の望み通りに。もっと必死になって体を取り戻すかと思った」
──……。
九条は何も言わない。なんだこの反応? 明らかに以前と雰囲気が違うぞ。
──お前はなぜ平気でいられる? 賢人が死ぬんだぜ? 一部とはいえ記憶を共有してるお前なら分かるだろ? その辛さが。
「それは過去に起きた事だ。僕にそれを変える権利はない」
──目の前に助けるチャンスがあるのにか?
「チャンスだったとしてもだ。僕には他に大事なものがある。何かを選べば、他の何かを失ってしまう。今の僕は……賢人と同じくらい大切な物がある」
──けっ、ネギ女の為かよ。俺のクセに冷たいヤツだな。
ネギ女って……九条のヤツ、タルパちゃんが言った事を根に持ってるな。というか、そんな所まで僕の記憶を読んだのか。
「お前には分からない。タルパちゃんは僕を救ってくれたんだ」
──そうかよ……お前にはそれが見えてんだな。
「? どういう事だ?」
──なぜ461に勝てなかったかを考えていた。もし、賢人達とパーティメンバーだった頃に、仲間を殺されそうになったら? ……俺も461のように必死になったかもしれない。そう、考えた。
九条のパーティメンバー……今日、賢人が見せてくれた写真の中では、九条は楽しそうにしていた。僕にとってそれは、461さんやアイルさん達のパーティを彷彿とさせた。
ダンジョンを楽しんで、仲間と一緒だからどんな困難も乗り越えられる。そんな信頼を……感じた。
──461は、俺の事を「分かる」と言った。だから許せないとも……。
九条がそんな事を言うなんて……。
九条と461さんの戦いは壮絶だった。武器を失ってなお戦い続けた2人。そんな彼らだからこそ、通じた言葉もあるのかもしれない。
ここは、ストレートに聞いてみるか。九条の望みを。
「九条、お前の望みはなんだ?」
──……。
「なんとか言えよ」
──うるせぇ。明日は賢人達とダンジョン攻略するんだろ? 遅れるんじゃねぇぞ。
「あ、おい!」
どれだけ呼びかけても九条の存在を感じない。また眠ってしまったのか?
立ち上がって路地を出て行く。ホテルに向かう大通りには車は走っていなくて、僕1人だけだ。冷たい風が頬を撫でると先ほどのタルパちゃんとの、キスを思い出して、余計に寂しい気持ちになる。
……。
さっきの九条の言葉。嘘を吐いている感じはしなかった。461さんと戦って、負けた事でアイツの中で何かが変わった? それとも、この時代に来て思う所があったのか……?
「後でみんなへ話さないと」
それと明日の攻略だ。過去の仲間を見て、九条が何を思うのかを、僕が掴まないとな。
次回は閑話です。461さんとシィーリアという珍しい組み合わせの2人。同じ魔族であるイシャルナの行動に責任を感じるシィーリア、そんな彼女へ461さんがある言葉を……?