第253話 いつもの日々
〜天王洲 アイル〜
シィーリアが亜空間の門に手をかざす。彼女が魔力を流し込むと、イシャルナが開けた時間魔法を呼び出すための亜空間の門が閉じた。
「……これでよし。イシャルナにも封印魔法を使った。スージニアも助けねばの。彼女が閉じ込められた門が残っておるようじゃが……」
「あ、僕が時壊魔法でこじ開けますよ。きっと巻き戻せば開くはず」
「確かにそれならいけそうじゃの!」
「私も手伝います!」
「ありがとう2人とも。だが、その前にイシャルナを拘束せねば。手伝ってくれるかの?」
タルパちゃんとシンがシィーリアに着いていく。私達も手伝おうとしたけど止められた。2人は大変だったから休めって。
「はぁ〜……疲れたぜ〜」
ヨロイさんが地面に横になる。その隣に腰を下ろした。
「怪我はもう大丈夫なの? 九条に相当殴られてたけど」
「ん? まぁ痛いけど平気だって」
「ダメ。ちゃんと見せて。さっきはイシャルナのこともあったしそれどころじゃ無かったんだから」
ヨロイさんのヘルムを外す。ヘルムの中のヨロイさんはボロボロで、さっきイシャルナと普通に戦っていたのが嘘みたいだ。
「わ、回復薬でも綺麗には治らないのね……」
「応急処置みたいなもんだったしなぁ。後でちゃんと回復させれば綺麗に治るさ」
ヨロイさんが九条と戦っていた事を思い出して、急に胸が苦しくなる。
俯いていると、ヨロイさんが私の頭を撫でてくれる。素顔の彼が、ボロボロのヨロイさんが優しい顔で微笑んでくれた。
「もう泣くのはいいじゃねぇか。な?」
「うん……」
ヨロイさん……大好き。
私もヨロイさんの隣に居られるように強くならないと。精神的にも……。
「あ」
「なんだよ?」
急にヨロイさんが言っていた事を思い出した。
「そういえばヨロイさん『俺のアイルを泣かせるな』って……言ったわよね?」
ヨロイさんがビシリと固まる。
「え、ああああああいい言ったかなななな……そんな事……ハハハ、必死だったからなぁ……言ったのかも」
ヨロイさんが顔を真っ赤にして目を泳がせる。すごく動揺してる……こんなヨロイさんは初めてだ。こうしてると普通の男の人みたい。
私は、そんなヨロイさんを見ていると胸が──
「きゃああああああああああ!?」
その時、タルパちゃんの悲鳴が聞こえた。
「行くぞアイル!」
ヨロイさんがヘルムを被り直す。私達は急いでみんなの所へ走った。
みんなのところへ着くと、ボロボロになったイシャルナが立ち上がろうとしていた。体をガクガクと震わせながらもゆっくりと立ち上がるイシャルナ。彼女は自分の手を見てポツリと呟いた。
「封印魔法か……力は……使えぬ……か……」
イシャルナが落ちていた漆黒の剣を拾い上げる。ヨロイさんが私を庇うように抜刀の構えを取った。
イシャルナと対峙していたシィーリアが拳を握りしめる。
「諦めろイシャルナ!! お主は負けたのじゃ!!」
「シィーリアよ……おかしいとは、思わなかったのか……? 貴様達に負けるような者が創生神を殺すなどと……どう考えても、力不足であろう……?」
イシャルナが喉元に剣を当てる。
「貴様達は甘い……我を殺さぬとはな……自らの手で下さねば……」
「な、何をやってるのよ!! 自殺する気……!?」
剣を当てたイシャルナが、私を見る。彼女の瞳は、なんだか悲しそうだった。その顔を見た瞬間、イシャルナが私の背中を撫でてくれた事を思い出した。
──あそこに行けば、その苦しみは終わる。
あの時の声、戦っている時からは考えられないほど優しい声だったことを。
「我は……ソナタのように……強くはなれない。ソナタのように……明日へ生きられない」
「イシャルナ……」
「ソナタの純粋な想いを利用してすまなかったな……桜田カナよ」
イシャルナは一瞬だけ微笑んだ後、勢い良く自分の首を掻き切った。私も含めて誰もが固まってしまって動けない。ただ、血を吹き出す彼女を見つめることしかできなかった。
「時の神エモリア……我を……」
イシャルナが膝をつく。彼女は地面に倒れ込み、広間の中心にあった女性の像へと手を伸ばした。
「ウルダリウス……愛しい子……同じ姿で生まれることができなかった……姉を……どうか……許して……」
パタリと落ちる手、息絶えた表情。イシャルナは……死んでしまった。
広間の中が静まり返る。しばらくみんな警戒していたけど何も起こらなかった。
事切れたイシャルナの前にシィーリアがしゃがみ込む。
「イシャルナ……様」
シィーリアが悲しそうな顔で、イシャルナの目を閉じた。
「彼女はツノが無いことで貴族達から虐げられていた……それを今の地位へ登用したのが彼女の弟、魔王ウルダリウス様じゃ。仲睦まじい姉弟であったが……このような苦しみを抱えておったとは……」
「イシャルナは何を言っていたんだ?」
ヨロイさんが尋ねると、シィーリアは静かに首を振った。
「我ら魔族は創生神エリオンより生まれた。創生神が我らの始祖たる存在、アクゥを3つの種族に分けたのじゃ。魔族、神族、人族へと……だが、時折そこに収まらぬ姿をした者が生まれる。それが彼女達、ツノ無しじゃ」
「イシャルナは、創生神を殺すと言っていたわ」
「そうじゃ。過去へ戻って創生神を殺せば、種族は分けられぬ。彼女は己が運命を、そして同じツノ無し達の運命を変えたかったのかもしれぬの」
みんなが沈黙する。彼女の壮絶な最後にみんな何も言うことができなくなっていた。
「帰ろう。これから大変じゃが……魔王様に全て話すつもりじゃ」
「そうだな。まずは帰って──」
ヨロイさんが言いかけたその時。
広間の中央で私達を見下ろしていた女性の像。その周辺の空間がバリバリと割れ、その中から光の球体が現れた。それに呼応するようにダンジョン中の異世界文字がチカチカと明滅を始め、轟音が時の迷宮内へ響き渡る。
「な、なんですかあれ!?」
「文字が、鼓動みたいに光ってる……」
シンとタルパちゃんが周囲を見渡す。石像が放った光球がイシャルナの方へユラユラと近付いて行く。
──ネガイ……ネガイ……エリオンノコヨ……アワレナモノヨ……ソノネガイ、トキノカミ、エモリアガ……キキトドケヨウ……。
響き渡る女性の声。光の球がイシャルナを包み込み、広間を眩いまでに照らした。
「イシャルナから離れろ!」
ヨロイさんに言われて、みんなイシャルナから距離を取る。彼女の光が激しさを増す。目が開けてられないと思った時、急に周囲が暗くなった。
「何この光……? みんな大丈夫?」
声をかけても、みんな呆然としたように上を見上げていた。私もつられて見上げてしまう。
そこには……見た事のないモンスターがいた。
天井に届くほどの大きさ。全身プラチナのような色をしていて、ドラゴンみたいな姿だけど、翼がない。代わりに虹色のヒレが6枚。それがユラユラと漂っていた。竜に似た顔。その額にはイシャルナの上半身が埋め込まれていた。
「カナシイ」
ポツリと呟いて、モンスターが周囲を見渡す。額のイシャルナは水銀のような物に覆われて、像のようになってしまった。
あまりに異様な姿。それはモンスターというより……。
「あ、あれは……古の書物で見た時の神エモリアにそっくりじゃ……」
「し、知ってるのシィーリア?」
「時間魔法を使う神じゃ……イシャルナは時間魔法を求めておった。時間魔法は神の力、それを取り込めばどうなる? もしかして……」
シィーリアが見上げたままブツブツと独り言を言う。そして、何かが繋がったように呟いた。
「イシャルナの目的は、時の神そのものになることじゃったのか……己の命を差し出してまで……」
「時の神そのもの? じゃあアイツは神になってるって事かよ?」
ヨロイさんがアスカルオを引き抜く。その視線の先には変わってしまったイシャルナがいた。彼女はただ静かにこちらを見ていた。
「……時の神は創生神と対を成す原初の神。妾達に勝てるのか? だが、やるしか……」
シィーリアが呟いた時、イシャルナがそのヒレを開いた。
「カナシイ。ケシタイ」
部屋を埋め尽くすほどの大きなヒレ。それが虹色に光る。それは、周囲から光の粒を吸収し始めた。
「マズイ!! マナを吸い出したぞ!? 時間魔法を使う気じゃ!!」
ヨロイさんがみんなの方を見た。
「タルパ! 不死鳥を先行させろ! アイルは氷結晶魔法! シンは時壊魔法でヤツの動きを少しでも妨害してくれ! シィーリアは俺と突撃するぞ!!」
「キュオオオオオオオオオ!!!」
ヨロイさんの指示とほぼ同時に不死鳥が舞い上がる。不死鳥が氷結ブレスを発射しようとした瞬間、イシャルナのヒレが不死鳥を薙ぎ払った。
「ギュオア゛ッ!?」
「不死鳥が!?」
壁に叩き付けられる不死鳥。タルパちゃんの驚いたような顔。私達が走り出そうとした瞬間、目の前に巨大な尻尾が叩き付けられる。響く轟音。シィーリアは、その顔を青くした。
「こ、行動が読まれておる……伝説通りなら、この場に漂う思念を読んでおるのか……」
思念?
「あの触角を見るのじゃ。アレは周囲の思念を読む器官。アレがある限り、ヤツに行動が見透かされる」
「そ、そんなのアリなんですか……!?」
シンがイシャルナの顔を見上げる。竜の目元には10本の触角があって、ユラユラと漂っていた。
「……ヒテイシナイデ」
ポツリと呟いたイシャルナ。龍の口から光が放たれる。それが石像に向かい、そのふもと……紫電の剣に直撃した。紫電の剣を中心に赤い魔法陣が浮かび上がる。それは部屋全体に広がり、私達の方へ向かって来た。
「時間魔法じゃ!! アレに飲まれてはいかん!!」
シィーリアが部屋の入り口にある通路を指した。そこに向かって全力で走る。私達のすぐ後ろまで赤い魔法陣は迫っていた。
「キエテ」
イシャルナの声が響いた直後、昼間のように周囲が明るくなる。
「アイル!!」
背中を押される。振り返ると、ヨロイさん達が光に飲み込まれる所だった。
手を伸ばそうとした瞬間、光が消える。目の前に、再び真っ暗になった広間が広がった。
そして。
目の前にいたヨロイさんは………跡形も無く消え去っていた。
「ヨロイさん!! ヨロイさん!!」
周囲を見渡してもヨロイさんも、シィーリアも、シンも、タルパちゃんも誰もいない。
「嘘……嘘よ……!!」
イシャルナが私を見下ろす。竜の眼は、憐れみの籠ったような顔で私を見つめた。
「カナシイ、カナシイ」
こんなの、こんなことって……これから帰っていつもの日々に戻るはずだったのに……!! ヨロイさんと、みんなと一緒に……。
「うあ゛あああああああああ!!!!」
杖を向けて炎渦魔法を発動する。イシャルナに放たれた炎の渦。しかしそれは彼女のヒレによって一瞬の内に掻き消されてしまった。
「ヒテイシナイデ」
イシャルナが呟いた瞬間、私の足元に赤い魔法陣が浮かび上がる。
「しまっ──!?」
「キエテ」
全身が真っ白な光に飲み込まれる。
私は……いつもの日々を選んだのに。
なんで、こんな……。
ヨロイさん。
私を信じて下さい。