第238話 鎧の男、死の恐怖を与える。
「タルパ、ジーク達を安全な場所へ。その後は援護頼む」
「はい!」
不死鳥に乗ったタルパマスターがジークリード達の元へ向かったのを見届け、鎧の男がゆっくりとスージニアへ歩き出した。
スージニアの頬に汗が伝う。鎧の男から放たれる凄まじい殺気に、彼女の本能が「この男は殺しておかなければならない」と告げる。
「死ね」
スージニアが手を翳して魔法陣を展開。3体の狼を同時に召喚し、鎧の男へと突撃させる。
が。
3体の狼が襲いかかった瞬間、鎧の男はユラリと半歩移動し、攻撃を避けた。狼達の同時攻撃。僅かに生まれた安全地帯へと身を置き、その聖剣を叩き付けた。
「オラァ!!!」
吹き飛ぶ狼の首。残り2体の狼が戸惑った一瞬の隙を見逃さず、鎧の男が聖剣を薙ぎ払う。同時に吹き飛ぶ狼達の首。その様子にスージニアの顔は蒼白となった。
それは男があまりに自然体であったからだ。先程のジークリードのようにスキルを使う訳でも、魔法を使う訳でも無い。人ができる範囲の動き。そこに派手さも恐ろしさもない。だが、そのような動きだけで狼の精霊を瞬殺してみせたのだ。
スージニアの中に焦りが生まれる。彼女は次に5体の狼を召喚し、数秒の時間差による連続攻撃を放つ。
鎧の男は、最初に飛びかかった狼にダガーを投げ付け、その体を蹴り飛ばした。吹き飛んだ狼が別の個体にぶつかった瞬間、聖剣でその首を跳ね飛ばす。3体目の狼の攻撃をローリングで避け、投擲したダガーを抜くと同時に投げつける。
3体目の狼がドサリと倒れ込む。それを4体目の狼がサイドステップで避けた。狼が着地した場所には既にアスカルオが振り下ろされていた。4体目の狼は顔面を真っ二つに切断され絶命。5体目の狼も、噛みつきを紙一重で避けられ、すれ違いざまに斬り捨てられていた。
「な、なに……この男……」
スージニアがさらに精霊を召喚するが、そのどれもが倒されていく。スージニアの中に生まれた焦りは、やがて恐怖になっていた。どれだけ精霊を呼び出しても、それが当然のように死んでいく。
それはあまりにも自然。その結果はあまりにも必然。精霊達は、彼に殺される為だけに呼び出されているようにすら思えた。
鎧の男は、12年間あらゆるモンスターと戦い続けた。人型、四足獣型、魚型、蛇型、巨人型、ドラゴン型……彼はこの東京に至るまでの12年間、人生の全てをダンジョン攻略に費やした。そしてモンスターとの戦闘に費やした。
他人が余暇を楽しむ時も、大切な者と過ごす時も、身内の死を悲しむ時も。おおよそ人が人足り得る生活を送る時間を、全てダンジョンの攻略へ費やした。
そこから来る経験が、体に染み付いた感覚が、モンスターを模した精霊の動きを完全に読んでいたのだ。
普段の彼ならば、そこに攻略の楽しみを見出し、モンスターの新たな行動パターンを引き出そうとする試みも込められるのだが、仲間達を痛め付けられ、相棒を攫われた今……彼にそのような気は毛頭ない。
ただ目の前の障害を排除し、スージニアの元へ向かう為に。彼女を仕留める為だけに動いていた。
そこに人間が持ち得る恐怖や怒り、焦りの感情は一切無い。冷静な判断と敵を殺す為の最適解だけを出力し続ける。それが、彼へ襲いくる精霊達の死を絶対にした。
「まだ……っ!!」
スージニアが大ガラスの精霊を3体呼び出す。鎧の男が合図をすると、その内の2体をタルパマスターの不死鳥が引き留めた。
残った1体が鎧の男に滑空攻撃を仕掛ける。
しかし、大ガラスの攻撃を読んだ鎧の男は、滑空攻撃に生まれる安全地帯へと飛び込み、攻撃を回避してしまう。
「また当たらない……!?」
鎧の男が大ガラスの着地タイミングを見計らってアスカルオを一閃。着地に失敗した大ガラスは大地に薙ぎ倒されてしまう。鎧の男はその隙に大ガラスへ飛び乗り、頭部を聖剣で貫いた。
スージニアの中では疑問が渦巻いた。
おかしい。あり得ない。
こんな事はあるはずがない。
この男を殺さなければと考えていた。この男で警戒すべき能力はイァク・ザァドを倒した竜人の剣技だと思っていた。
だが、実際はどうだ?
スキルも魔法も使わず、こんな……当然のように私の魔法を打ち破って来るこの男……。
私に、この男を殺せるのか……?
地面に着地した鎧の男がスージニアに向かう。
スージニアはツノ無しといえど、魔族が持つ膨大な魔力を利用した召喚魔法を得意としていた。その力は、こちらの世界では絶大な強さを発揮した。
それは、彼女が戦う相手がマナの使用法も分からない人間ばかりであったから。
だからこそ、彼女は暗躍できた。だからこそ、彼女は一方的に他者を蹂躙することができた。本来の魔力量の差、魔族に生まれた利点こそが彼女をジークリード達と対等に戦わせる力量へと引き上げていた。
彼女は、異世界生まれの魔族という利点のみで、この世界で超人的な働きができたのだ。
しかし、今目の前にいる鎧の男。彼は、経験、体力、技量、全てにおいてスージニアの知る人間を凌駕していた。
そんな男が、真っ直ぐに自分を殺そうと向かってきている。それは彼女にとって死の恐怖以外何者でもなかった。その感情が、スージニアに異世界での記憶を思い出させた。
彼女がまだ異世界にいた時……同族の魔族にはツノが無いことで蔑まれ、追い立てられ、世界を彷徨い、各地で何度も命の危機に瀕した。
放浪の末辿り着いたツノ無し達が住む村での生活も、異世界の人間達の襲撃により全てを奪われた。散り散りになった仲間達は神族に魔術実験体として捕獲されていった。
異世界で常に感じていた死への恐怖。
この世界で12年間忘れていた死の実感。
それが、彼女を後退りさせた。
「く、来るな……」
「始めたのはお前達だろ」
鎧の男の冷たい声。それが彼女の冷静さを奪った。無茶苦茶に精霊を召喚し、鎧の男を襲わせる。しかし、そのような無策な攻撃は一切通用せず、精霊達は次々に殺されていく。
鎧の男が走り出す。飛びかかる狼を斬り倒し、襲い来る大ガラスを叩き落とし、無機質な鎧が殺戮を繰り返しながら自分に向かって来る姿に、スージニアは生き延びる事を優先した。
逃げなければ。
スージニアから彼らを始末するという選択肢が消える。元々九条には彼らの抹殺は命令されていない。己の命を失えば、魔王の姉、イシャルナに拾われた事で手に入れた安住の地……九条の元へ帰ることができなくなってしまうのだから。
スージニアは防御の為に新たに狼を5体呼び出し移動魔法を発動しようとする。しかし、一度に呼び出せる最大量の精霊を召喚した事で移動魔法の発動にタイムラグが生まれてしまう。大ガラスを向かわせようと頭上を見るが、2体の精霊は氷の不死鳥と戦闘を繰り広げており、援護に来れないようだった。
早く。
早く……っ!
焦っている間も鎧の男が向かって来る。狼達が次々と殺されていく。男があと2メートルの地点にやって来た時、スージニアは魔法を発動した。
「移動魔法……っ!」
地面に魔法陣が現れる。あの男の距離なら転移までに飛び込む事は不可能。スージニアが安堵した瞬間、その右胸にダガーが突き刺さった。
「うあ゛……っ!?」
鎧の男が投擲したダガー。その刃が彼女の胸に深々と突き刺さる。胸の奥に燃えるような熱さと痛みが渦巻き、口からゴボリと血を吐き出した。
「が、は……あ゛……あぁ……」
発動直前であった移動魔法が消えてしまう。身動きが取れないほどの激痛。彼女は膝をついてしまった。
鎧の男は彼女の目の前へと至り、こう呟いた。
「逃す訳ねぇだろ」
無機質なヘルムから発せられる淡々とした声。それはスージニアが今まで遭遇した中で最も恐ろしい人間であった──。
次回、スージニアを捕らえた461さんはシィーリアの館で情報を掴もうとします。果たしてジーク達は無事なのか? 461さんはアイルを救えるのか?