第155話 少年と少女の距離。
〜シン〜
461さん達がまだ地下街に潜ったばかりの頃。
──新宿東南口周辺。
「シンくんこっち! このビルは普通だよ! 入れそう!」
タルパちゃんがビルの中に入って手招きする。異世界の建造物が融合していない普通のビル。逃げ回った中で見たビルの大部分は融合のせいで入り口が塞がれていた。このタイミングで中へ入れるビルと出会えたのは奇跡だ。急いでそこへ駆け込む。
「グアグア!!」
「グアアグ!」
「グッグア!!」
さらに奥に隠れようとした所でリザードマン達の声が外から聞こえて来た。
(シンくん!)
タルパちゃんに腕を引かれて柱の陰に隠れる。バランスを崩して彼女に抱きしめられるような形になってしまう。いつもなら絶対恥ずかしいはずなのに、今は違う意味で心臓が破裂しそうなほど緊張していた。
「ググア!」
「グアグ!」
「グアアッ!!!」
ドスドスという足音。それがすぐ近くで聞こえてくる。気付くなよ……。
柱の陰から外を覗く。窓ガラスの向こうでは3体のリザードマンが周囲を警戒するように近くを歩き回っている。
……。
この新宿は異常だ。多すぎるリザードマン。仕掛けられた罠に敵の連携……明らかにモンスター離れした動きだ。今までのダンジョンとは明らかに違う。こんな所、突破するのも並の探索者じゃできないよ……。
「グア」
1体のリザードマンがビルの中に入って来る。腰のダガーに手を伸ばそうとすると、タルパちゃんに強く抱きしめられた。
(動かなければ大丈夫、大丈夫だよ)
そこで自分の手が震えていたのに気が付いた。僕は何をやっているんだ。同世代の子に心配されるなんて……。
「グアグア!」
「グア!!」
近くまで来ていたリザードマンの足音は、外から聞こえた仲間の声で遠ざかっていった。
しばらく2人で息を殺して、辺りが静まり返った頃、やっとタルパちゃんの体から力が抜ける。彼女は立ち上がると、ビルの中に続くドアに手をかけた。
「良かった、開いてる」
「危ないって」
僕の忠告にウィンクで返すと、タルパちゃんが中を覗き込んだ。
「ん〜大丈夫。モンスターはいないみたい」
ドアの中へと入っていく彼女。すぐにでも移動しようと思ったけど、考えを改めることにする。どうせ外はリザードマンだらけだ。なら、今はこのビルの上階に隠れた方が安全かも。
扉の中には階段があった。彼女に続いて階段を登り、5階の扉に入る。
中は応接用のソファーに給湯室、それに事務用デスクが置いてある一室だった。何かの会社だったみたいだ。
タルパちゃんはデスクに座ると、探索者用カバンから小型のノートパソコンを取り出した。
「そんなの持ってたの?」
「うん。配信用に持ってきてたの。そんな余裕無くなっちゃったけど、ドローンはあるから偵察はできるかなって」
パソコンとドローンを起動したタルパちゃん。彼女がそっと窓を開けて外を覗き込んだ。
「やっぱりどこかに行ったみたいだね、さっきのリザードマン達」
タルパちゃんがドローンを飛ばし、探索者用スマホで操作を始める。PCに映るドローンカメラの映像。それは僕の知っている物よりずっと高画質だ。
「すごい……こんなに鮮明に見えるんだ」
「配信用にお金貯めていいヤツ買ったの。バッテリー持ちも凄いんだよ。ダンジョン配信用の最上位モデルで……っと集中しないとね」
タルパちゃんがドローンで新宿駅周辺を見て回る。しかし、入り口はどこもバリケードが張られていて侵入することができなくなっていた。
「こんなの……どこから侵入すればいいのぉ……」
タルパちゃんがガックリと肩を落とす。都庁に行くにはJR新宿駅を西側に抜けなければいけない。鯱女王みたいにスキルで飛び越えられたら良かったのに。
攻略開始してすぐ、鯱女王は大きく跳躍してビルを飛び移っていってしまった。そのおかげでリザードマン達にも妨害されずに西エリアへ。あんなのズルイよ……。
「どうするシンくん? やっぱり地上は諦めて地下から行く?」
僕達が探索した結果、地下への入り口は見つけたけど、入るのを迷っている間に先程のリザードマン達に見つかって逃げるしかなかった。
あそこに戻るにはまたあのリザードマンの包囲網を戻らなきゃいけない……どうしたら……。
「うぅん……本当に入り口が無いかもう少し探してみよう。もうちょっと見て回ってくれる?」
「うん、まだ諦めるには早いよね」
タルパちゃんのドローンがさらに新宿駅周辺を飛び回る。南口方面もダメだ、城壁みたいなのが出現していて中に入れない。
さらに先の新南口方面もダメだ。東口もやっぱりバリケードが張られている。
「どこもダメか……」
天井を見つめる。地上は無いのか? 早くしないとボスが倒されちゃうよ……。
「シンくん見て!」
タルパちゃんが画面を指差す。そこに映っていたのは「ルミネエスト」という駅ビル。何を言いたいか分からず彼女の顔を見ると、彼女は画面を拡大させた。
「見て。このビル、駅と繋がってるみたい!」
拡大された先には天井に設置された看板。そこに「JR新宿駅」と書かれていた。このビルから侵入すれば新宿駅に入れるかもしれない。そう思ってドローンをビルに近付けるタルパちゃん。しかし、その入り口を見た瞬間、落胆の声を上げた。
「あ……でもリザードマンがいる……」
ビルの入り口に2体のリザードマンが立っていた。
「門番……? ヤツらの棲家なのか?」
よく考えてみれば、バリケードということは誰かが設置したってことだよな? 新宿駅の入り口を封鎖してるのはヤツらってことか。一体何のために?
「とりあえずあの門番達を突破する方法が無いか様子を見よう。ダメなら覚悟を決めて地下への入り口に戻るしかないよ」
彼女と話し合ってこのビルで門番達を見張ることにした。スマホで時計を見るともう夕方5時だ。ヤツらは夜目が効くかもしれない。夜にウロウロするのは危険だし……。
「ドローンを自動操縦にして、高さを固定に変更……これでよし」
タルパちゃんの操作で画面が固定される。彼女の話ではバッテリーが無くなりそうになると自動で戻って来るらしい。予備バッテリーに交換すれば見張りから目を離す時間も数分程度。最新型はすごいな。
「見張りは2時間交代でいい? 私が最初にやるからシンくんは休んでて」
「タルパちゃんが先に休みなよ」
「私は大丈夫。シンくんが先に」
またこれだ……こうなると意地でも僕を優先するんだよな、タルパちゃん。
タルパちゃんはオーヴァルさんと違ってすごく優しい。ここに来るまで彼女の魔法をメインに使い、魔力チャージの時間を僕が稼ぐという戦法で進んできた。即席パーティの割に良く連携できてると思う。
だけど、彼女は自分のことは二の次にしてまで僕を気遣ってくる。何度僕が言っても変わらない。その様子が僕から見ても……危うく見えてしまう。
チャージまでの囮役になると言ったのは僕だから気にしなくていいのに。
僕は、タルパちゃんの言葉に甘えて、応接用のソファーに横になった。ホコリも何もない綺麗なままのソファー。12年前から時間を感じさせないそれに、なぜか妙な安心感を覚える。
にしても寝るにはまだ早いよな。
ふと見ると、タルパちゃんはPCを見つめながらキーボードを叩いていた。ドローンを自動にしたって言ってたし、ネットで新宿のことを調べているのかもしれない。
タルパちゃん、確か配信者って言ってたよな。じゃあネットに彼女の名前があるのかな?
なんとなく自分のスマホで「タルパマスター」を検索してしまう。すると、配信者としての彼女のチャンネルやツェッターのアカウントが出て来た。
ツェッターのプロフィールを見てみよう。ハンターシティにも出て……8位!?
すご……タルパちゃんって僕の思ってたよりずっと凄い子だったんだ。
ん? でもこんな実力があるのになんであんなこと言ったんだろう?
彼女へ目を向ける。真剣な表情の彼女。その顔を見ていたら疑問に思っていたことを口にしてしまった。
「タルパちゃんはさ、なんで僕を誘った時「不安」だって言ったの?」
「……」
キーボードを叩く手が止まる。彼女はしばらく考えた後に、静かに口を開いた。
「私のスキルツリーね、夢想魔法とステータスアップのスキルしか無くて、もう全部スキル解放しちゃったんだ」
「え……」
彼女がスマホを差し出して来る。画面に映ったスキルツリー。中心に夢想魔法を示す赤いアイコンが見える。その周囲にはステータスアップの灰色のアイコン。でもそれは極端に少なかった。そして、どれも解放済みだ。
それはつまり、彼女がこれ以上成長できないということを意味していた。
「で、でもあの夢想魔法ってすごく……強力な魔法じゃないか」
僕はなんと言っていいか分からず、つい浮かんだ事を口にしてしまう。
「アレは……使えるように頑張ったからそう見えるだけだよ。私の攻撃方法はあの魔法で打ち止めなの。他の戦法は私にはとれない。炎も、氷も何も使えない」
タルパちゃんの悲しそうな顔に胸がズキリと痛む。
「しかも、とにかく燃費は悪いしチャージは長いし、出せても熊のぬいぐるみしか出せないし……」
彼女の手が震えているのが見えた。
「高校で探索者育成クラスに行ってたんだけどね、クラスメートからイジメられてたんだ。あの時夢想魔法で出せたのは熊のぬいぐるみ1つ。攻撃も何もできないぬいぐるみ。おかしいだろってみんなにスキルツリーを見られて……笑われた」
「先生はスキルについて何か言ってなかったの?」
「普通科クラスに行くよう勧められた。私悔しくて……鯱女王みたいな探索者になりたくて学校入ったのに……みんな普通に加護を貰って、スキルツリーに色んなスキルがあったのになんで私だけって……」
タルパちゃんの声が震えていく。画面をジッと見つめる彼女の目には、涙が溜まっていた。
「ネットには夢想魔法のノウハウも無いから全部手探りで魔法の使い道が無いかって探した。そしたらある日ぬいぐるみを重くしたり飛ばしたりできることに気付いたの。それで……」
タルパちゃんが話してくれる。何とか自分の可能性を掴みたくて魔法攻撃を上げるスキルを取ったりチャージ時間を減らす装備を探したということを。
けれどその時の彼女は実技をクリアできず、スキルツリーを捨てて普通科クラスに行くか、退学してソロ探索者になるかの2択を迫られた。そして彼女は後者を選んだ。探索者である事を諦めきれなかったから。
「この前のハンターシティでね、全部のスキルを解放しちゃって……限界が見えたの。これ以上強くなれないって。だから……新宿に来た。今の私が自分の最高地点だから」
最高地点。彼女はこれ以上強くなれない。でも探索者でいたい。そんな時、最高難易度の新宿に挑めると分かったら? 僕がタルパちゃんなら、きっと挑むだろう。
少しでも、自分の可能性を信じたいから。クリアして、自分がやって来た努力が無駄じゃなかったって証明したいから。
自分は探索者でいいんだと、証明したいから。
僕にも分かる。スキルツリーについての悩みは僕も……。
「学校を辞めて東京に来たのも、配信者をしていたのも、信じたかったの。自分のことを」
その結果がハンターシティ8位か……きっと想像を絶する努力をしてきたんだろうな。
「強がっててごめんね。本当は私弱いの。だからシンくんを誘った。シンくんは優しそうだったし、もし本当のことを知られても許してくれそうだと思って……」
彼女が俯く。彼女の長い髪が顔を隠してしまう。そんな彼女を見ていたら、胸が締め付けられる。タルパちゃんだけじゃないよって言いたい。僕も、同じだって。
「……僕の、スキルツリー、見る?」
「え?」
──やめろ。
頭の中に響く声を振り払う。タルパちゃんに、見て欲しい。彼女は僕に秘密を打ち明けてくれたんだから。
──見せるな。
彼女に僕のスマホを渡す。彼女は、僕のスキルツリーを見て固まった。
「な、何これ……何も読めない……」
僕のスキルツリーはかなりのスキルが解放されていた。だけど、説明も、名前も、アイコンも、落書きされたみたいに真っ黒に塗り潰されていて、何の能力なのか一切分からない。解放した記憶もない代物だ。
「僕も……変なんだ、スキルツリー。管理局の担当からさ、幸運のスキルだけ読み取れると言われただけで、それ以外は何も分からない」
「そう、なんだ……こんなの初めて見た……」
「僕は、スキルが一切使えない。自分が何ができるのかも分からない。自動で発動する幸運のスキルしかない。でも、どうしても新宿をクリアしなくちゃいけないから、ここに来た」
彼女が俯く。僕も目が合わせられなくて、俯いてしまう。しばらく沈黙が続いた後、彼女はポツリと呟いた。
「同じだね」
「え?」
「シンくんは私と同じ変わり者なんだね」
彼女は少し嬉しそうな顔をしていた。その顔を見て、すごく安心した気持ちになる。僕も同じことを思っていたから。
「あのさ、新宿から出たら本当にパーティ組も? 即席じゃなくて本当のパーティ。シンくんとなら上手くやっていけそう」
彼女が手を差し出す。ゆっくりとその手を握る。
「うん。僕もタルパちゃんと仲間になりたい」
「良かった!」
タルパちゃんが笑顔になる。その笑顔が眩しくて……それを見ていると僕もつい、つられて笑ってしまう。タルパちゃんのこともっと知りたい。力になりたい。僕はそう思った。
ただ……。
──忘れるな。
頭の中に声が響く。
──アイツを救えるのはお前だけだということを。
分かってる。忘れた訳じゃない。親友を見捨てたりなんかするもんか。
──お前はその為に新宿に来た。それを忘れるな。
分かってるから今は静かにしてくれよ。ほっといてくれ。
──決して忘れるな。お前の目的を。
僕の頭の中で、ずっとその言葉がループしていた。
次回はこの翌日のお話。門番を見張っていた2人はとんでもない物を目にしてしまいます。色々ターニングポイントな回です。