第103話 お姉ちゃん。
〜ミナセ〜
スマホを閉じる。自分の手が震えてるのが分かる。ユイ、私のために狂乱を……取ったのか。それであんな風に。
「ユイ……」
落ち込みそうになって自分の顔面を本気で殴った。涙が出そうになるたびに殴った。私が!! 泣いててどうする!! ユイは……ユイは私の為にああなったんだ!!
「カズ君、シィーリア……」
手を握って額に当てる。私には2人がいた。カズ君が救ってくれて、シィーリアが癒してくれた。新しい仲間もできた。だけどあの子はまだ1人。
今もずっと暗い中で……もがいてる。
「私がユイを助けないと」
ここに来るまで、ユイには何も奪わせないって思ってた。でも今は違う。私は助けなくちゃいけない。ユイからあのスキルを消し去る……っ!
そのためには、まずシィーリアに会わせないと。そうすればきっと糸口が見えるはず。シィーリアなら、私の気持ちを分かってくれるはずだ。
腰のカバンから眠り薬を取り出す。今のままじゃ躱わされるだけ。正面からユイと戦って倒す。それしかない。
──マイぃぃいいいッッ!!!
聞こえる、ユイの声。
「お姉ちゃんが迎えに行くよ」
全然ダメな姉だけど……もう何年も1人にして来た私だけど……迷ってばかりだけど……ユイのために、私の全部を賭けるから。
魔力回復ポーションを飲む。物理防御魔法を2段階、物理攻撃魔法を1段階、そして……速度上昇魔法を1段階使用する。使い切った魔力を戻すため、もう1本の魔力回復を一気に飲み干した。
「ふぅ……行くか……」
落ち着いて。怖がるな。ユイのために。
扉の外をゆっくり確認する。外に出て十字の通路を抜けようとすると、死角からユイが現れた。
「やっと見つけたぁ……私のバッグ奪うなんてどういうつもり?」
「全部見たから……ユイにあったこと」
「あったこと? 何それ?」
ユイは本気で分からないという顔をした。多分本当に分からないんだろう。あの日記の最後で、ユイは自分のこともよく分かってない感じだったから。
「まぁいいや、そろそろ遊ぶのもやめて本気で行くかなぁ〜」
ニタニタと笑いながらユイが「物理攻撃上昇」と「速度上昇魔法」を発動する。その瞬間、あの子の周囲にユラユラと黒いオーラのようなものが見えた。さっきは気づけなかったけど、アレが「狂乱」の効果なんだ。
だから、私よりもずっと強い。基本能力が底上げしているのに加えて、能力上昇魔法まで使っているから。
さっきまで戦えていたのは、あの子が私を痛め付けようとしただけだから。普通に戦えば、あの子が本気で私を殺しに来たら、私に勝ち目はない。
けど……。
だけど。
「私は、勝たなきゃいけないんだ!!!!」
「ははっ!! いいじゃん!!! なら本気でぶっ殺してやるよぉ!!!」
ユイが地面を蹴って飛び込んで来る。速い。私よりずっと速い。思い出せ。カズ君やシィーリアと訓練した時のことを。2人とも、今のユイと同じくらい速かった。
「物理攻撃上昇・ニ連」
私にとって5度目の強化魔法。初回の持続時間は30分。重ねがけする度、持続時間は半減する。
これをかければもう2分弱しか強化魔法は持続しない。1テンポ遅れて光る体。2度の使用で物理攻撃30%の上昇。その為には、ユイの力も利用しないと。足りない部分は……私の全てで補うしかない。
今までを思い出せ。忘れたい過去も、シィーリアとの訓練も。カズ君の、鎧さんの、アイルちゃんの……全部、全部!! 私の中にある物を全部使え!!
「死ねえええマイぃぃぃぃぃ!!!」
飛び込んで来たユイが拳を振り上げる。どこを狙う? 急所しかない。同じ訓練を受けた。相手を壊すことだけを叩き込まれた私には分かる。
あの飛び込み、角度、拳の位置。全てが顔を狙ってる。顔は急所の塊だ。一瞬で決めるならそこを狙えと言われたから。私はユイに散々殴られて来たから。
掴め、位置は分かる。後はタイミングだけ。
「ユイィィィイィィ!!!」
恐怖感を紛らわせるためにユイの名前を叫ぶ。アイルちゃんは怖いときに大声を出す。自分を奮い立たせる為だ。私も……怖い。だから叫ぶ。アイルちゃんみたいに。
「死ねえええぇぇ!!!」
放たれたユイの拳。それを左手でいなし、手首を掴んだ。
「な……っ!?」
シィーリアがやったようにその手を引く。バランスを崩したユイ。その顔に本気の掌底を叩き込む。ズンと腕全体に響く感触。それだけでユイの力の強さが分かった。
「があぁっ!?」
ユイが仰け反る。右にステップしてその左頬に拳を叩き込む。
「う゛あ゛あああああ!!」
ユイが壁面に叩き付けられる。彼女が激突した壁面にビシリとヒビが入った。
「やりやがったなあああああ!!!」
怒り狂ったユイが再び殴りかかって来る。その拳の狙いを予測して咄嗟に体を捻る。鼻先を掠めたユイの拳は轟音と共に壁穴を開けた。
ユイが焦点の合わない目をギョロリと動かして私を見た。
「なんでさぁ……なんでいなくなったんだよぉ……アタシを置いてったんだよぉ」
泣きそうな顔。それを見て胸が苦しくなる。それがユイの本心だって分かるから。今のユイは感情がぐちゃぐちゃでコントロールできないみたいだけど……私の事には固執している。殺そうとしても、復讐しようとしても、私を求めてるってことだ。
「ユイを助けたいよ……だから一緒にシィーリアの所へ行こう? きっとなんとかできるから」
「うるさい!!!!」
ユイが殴りかかる。昔の記憶を頼りにユイの攻撃を予測して、なんとか紙一重で避けることができた。
「アタシはぁ……お前のせいでこんなになっちゃったんだ!!! 分かんない分かんない分かんない!! なんでこんなに気持ち悪いんだよぉ!!」
ユイが拳を放つ。それを避けようとして腕を掴まれてしまう。
「しまっ──っ!?」
「捕まえたぁ!!!」
そのまま地面に叩き付けられる。全身に物凄い衝撃が襲いかかった。息が止まりそうになる。
「かはっ……っ!?」
でも、生きてる。危なかった。防御強化を2段階かけてなかったら死んでた……なんとか動け──。
「あはははははははっ!!!」
ユイの拳が私の顔を捉える。転がってなんとかその攻撃を避けた。ユイの拳がズガンという音を立てて床を殴り付ける。ひび割れる床の振動まで感じた。こんなのが当たったら……。
「オラオラオラ!! 死ねよマイ!! お前が死ねば苦しいのが消えるんだ!!」
何度も放たれる拳。それを転がりながらギリギリで躱わす。正直、躱わせているのが奇跡だ。1秒でも動きが遅ければ死ぬ、少しでも予測が外れたら死ぬ。それくらいユイの攻撃は速かった。
「くっ!!」
避けたタイミングで体勢を立て直す。両足で地面を踏み締める。ユイの追撃。それを迎撃しないと。
両手に装備した籠手を構える。この装備なら再現できるはずだ。鎧さんのパリィを思い出せ。渋谷で見たことを思い出せ。
「ラァああああ!!」
襲いかかるユイの拳。それが当たるタイミングを測って籠手で弾く。彼女に隙が生まれる。その顔に右の拳を叩き込む。
「う゛あ゛っ!?」
よろめくユイ。彼女の脚を払って距離を取る。いける。これなら……。
そう思った瞬間、強化魔法が消えてしまった。体がズシリと重くなる。防御魔法も消えてしまう。私の中で、一気に不安感が広がった。
「く、こんな時に……」
私に残る魔力量なら、あと3回が限界。回復する暇もない。それなら……。
ユイが大勢を立て直す前に攻撃上昇魔法を3回発動する。私の全部を攻撃に回す。それしか、ユイに勝てる方法はない。
「クソがああああああ!!!」
再び突撃して来るユイ。脚が震える。あれをまともに食らったら……私は死ぬ。
……。
ずっと死ぬのが怖かった。私は死ぬのが嫌で嫌で仕方なくて、生きるために人を傷付けて来た。生きる為に逃げ出して来た。
だけど。
私の大好きな人は……ジークリードは絶対に恐れない。誰かを守る為なら、絶対にためらわない!!!
私は……それを1番近くで見てきた。
私は、今、ユイを助けたいんだ!!!!
「うあああああああああああああ!!!!!」
覚悟を決めてユイのもとへ飛び込む。
「マイイイィィィィ!!!!」
叫ぶユイ。放たれた拳に自分の拳を重ねる。全体重を乗せる。
「ユイイイィィィィ!!!!!」
目を離すな。怖がるな。避けられる。私なら避けられる……っ!!
「あっははははははははひひははははあははははは!!!!」
絶叫のような笑い声。その中で、泣いてるユイが見える。分かる。私はユイのお姉ちゃんだから。ユイ、迎えに来たよ? 一緒に帰ろうよ? だから……。
「だから私は……負けないっ!!!!」
目前に迫った拳に、さらに飛び込む。
「な……に……っ!?」
ユイの拳が頬を掠める。
「うわあああああああああああ!!!」
彼女の顔にメキリと食い込む私の拳。その瞬間、自分の右手から嫌な音が聞こえた。ユイの方が速い。この子の力を利用するってことは、私の体にもダメージがあるということだ。
「う゛ぅっ!?」
手首に衝撃が走る。折れてしまったのかもしれない。
けど構うな。ユイを倒せるのは今しかない。
左手を添えて、そのまま全体重をかける。
「あああああああああああああああああ!!!!」
ユイを絡めとるように地面に叩き付ける。
「うあ゛ああぁぁぁっ!?」
フロアを揺らすほどの衝撃。それがおさまった時、ユイは焦点の合わない目で私を見た。
「今までごめんね……ユイ」
「な……で……あやま……だよ……」
ユイが私を見る。ずっとぼんやりとしていた彼女の視線が真っ直ぐ私を……そう思った時、ユイは静かに目を閉じた。ジンジンと痛む右手を押さえながら、妹の手を握る。
「おね……ちゃ……」
私を呼ぶ声。それを聞いて涙が溢れた。
ユイ……。
絶対……お姉ちゃんが苦しいの取ってあげるからね。
姉妹の戦い、決着。
次回は「あの女」がついに動き出します。お楽しみに。