Aランク冒険者パーティーから追放されることになった支援術師が最後の冒険をお願いするお話
「支援術師マルティープ。君にはパーティーを抜けてもらいたい」
夜も更けたころのある宿屋の一室で、冷たい言葉が響いた。
告げたのは、一人の青年。名はソルウォード。金の髪に鋭い目。年のころは20歳手前といったところ。鍛え抜かれた肉体に、軽装の皮鎧をまとった剣士だ。彼は最近昇り調子にあるAランク冒険者パーティー『小さき者たちの守り手』のリーダーだ。
告げられたのは、一人の少女。名はマルティープ。黒の髪に黒の瞳。年のころは17歳ほど。細い身体に纏うのは、長袖長ズボンの冒険用軽装服。彼女は冒険者パーティー『小さき者たちの守り手』の一人であり、支援術師としてメンバーをサポートしてきた。
マルティープは目を見開き、沈黙した。しかしそれも数秒の事だった。
彼女はすぐにいつもの冷静な顔を取り戻し、冷めた目でソルウォードを見つめて問いかけた。
「理由を聞いてもいいですか?」
「我が冒険者パーティー『小さき者たちの守り手』は、Sランクへの昇格を目指している。残念だが、君ではもう力不足だ。そこで、新しい支援術師を仲間とすることにした」
そう言って指し示されたされたのは、ソルウォードの隣に立つ一人の女。名はシェーニア。金の髪に、すこし垂れ目がちの大きな瞳。年のころは18歳ほど。纏うのはゆったりしたローブ。落ち着いた雰囲気の、美しい女性だった。
「君の支援スキル『一呼吸の輝き』は強力な代わりに1秒間しか強化できない。しかしこのシェーニアの支援魔法は持続時間が長く、戦闘中に途切れることはない。彼女をメンバーに組み入れることで、『小さき者たちの守り手』はSランクへと駆け上がる」
シェーニアはにこりと微笑んだ。
対するマルティープはまったく動じた様子が無い。
ソルウォードは、彼女のことがいまいち気に入らなかった。
マルティープはいつも冷静だった。感情の見えない冷めた目つきの黒い瞳は、何もかも見透かしているようで、どこか不気味だ。自分のことはあまり語らない。凹凸に欠けた身体のせいで、最初は男だと思っていたくらいだ。
本人もそのことが気になるようになってきたのかもしれない。以前はぼさぼさにしていた髪が、櫛を淹れるのようになったのか、きちんと整っている。最近は右手に銀の指輪をつけるようにもなった。半端に色気づいた感じがして、微妙にイラっとする。
こうした変化は、半年くらい前に貴族の護衛任務を受けてからだった。上流階級の生活にあてられたのだろうか。
冒険者パーティーにマルティープを迎え入れたばかりの頃は、その支援スキル『一呼吸の輝き』には大いに助けられた。
だがパーティーメンバーもみな強くなった。最近はマルティープの支援を実感する機会も少なくなった。そろそろ手を切るべき時期が来たと思ったのだ。
「なるほど、わたしはパーティーから追放されるということですね」
「ああ、そういうことだ」
「それなら最後に一つお願いがあります」
「なんだ? 当面の生活費が必要か? 俺も鬼じゃない。少しくらいなら工面するぞ」
「いえ、お金については大丈夫です」
「じゃあなんだ?」
「最後に一度、冒険に連れて行ってください」
真剣でまっすぐな目だった。その言葉には、ひたむきさすら感じられた。
ソルウォードは思わず言葉を失った。
最後の冒険。『小さき者たちの守り手』を抜けたら、マルティープは冒険者を辞めるつもりなのかもしれない。
だから、最後の思い出を作るために、冒険をしたい。
それはソルウォードの胸に響くものがあった。
「し、仕方ないな。一回だけだぞ。それでどこに行きたいんだ? やっぱり景色のいいところがいいだろう。海にするか? それとも水晶の洞窟がいいか? 天空の城砦は眺めは最高だけど、さすがに遠すぎるし……」
「いえ、モンスターの討伐クエストがいいです。場所は近ければどこでもかまいません」
「モンスターの討伐? ああそうか、最後に思いっきり支援スキルを使いたいわけか」
「いえ、支援スキルは一切使いません」
「は?」
ソルウォードは言葉を失った。
ここに来て、話が決定的にかみ合わないことに気づいたのだ。
しかしマルティープは、迷いなくまっすぐに言い放った。
「わたしはついていくだけで、何もしません。わたしの支援抜きで立派に活躍する『小さき者たちの守り手』の姿を見れば、もう思い残すことはありません。心置きなく安心して追放されるために、最後の冒険に連れて行ってください」
「なんだそりゃあああああっ!?」
予想外の要望に、ソルウォードは叫んだ。
ソルウォードは憤慨した。
冒険者パーティーを「辞めさせられる者」が、パーティーの力を確認したいだなんて、聞いたことが無かった。バカにされていると思った。
だが、ソルウォードはその提案を怒っていたからこそ受けた。
新しい支援術師を迎え、生まれ変わった『小さき者たちの守り手』の強さを見せつければ、マルティープは惨めな思いで去ることになるだろう。せいぜい悔しがらせてやろうと思ったのだ。
マルティープから提案されたのはリザードマンの群れの討伐だった。予想される数は、30匹以上。
リザードマンは並の刀剣をはじくウロコに、人間を上回る腕力を持ち武器も使いこなす。頭も悪くない、なかなか手ごわいモンスターだ。
その群れの討伐となると、中堅冒険者パーティーなら何日もかけて命がけで挑まねばならない困難なクエストとなる。だが、『小さき者たちの守り手』ならば、さほど難しくないクエストだ。一日あれば十分だ。
「みんな準備はいいか?」
ソルウォードの呼びかけに、パーティーメンバーたちは自信に満ちた声でうなずいた。
みな、既に新しい支援術師シェーニアの支援魔法をかけてもらっている。力がみなぎっているのが実感できる。
この感覚が、戦闘中ずっと途切れることが無い。なんと素晴らしいことだろう。
既にリザードマンの本拠と巡回ルートは調査済みだ。今の時間、群れのほとんどが本拠にいるはずだった。戦いの準備は整った。あとは一気に蹴散らすのみだ。
「さあ、いくぞ!」
『小さき者たちの守り手』は、一気呵成にリザードマンの群れに突き進んだ。
「さて。それでは反省会を始めましょうか」
マルティープの声が、宿屋の一室に冷え冷えと響いた。
二日後の昼下がり。宿屋の一室のテーブルには、マルティープ、リーダーのソルウォード、新しい支援術師シェーニアが着いている。
背筋を正して席についているのはマルティープだけだった。ソルウォードとシェーニアは二人ともぐったりとして、椅子の背もたれによりかかってなんとか座っているという有様だった。
リザードマンとの戦いは、ソルウォードの予想に反して大苦戦だった。思ったように相手の数を減らせず、何度も危険な状況となった。
予定では残敵の掃討も含めて、夕方には終わるはずだった。しかし実際には、昼過ぎに戦い始め、終わったのは月が出たころだった。辛うじて勝利はしたものの、死者が出てもおかしくない厳しい戦いだった。
リザードマンの大半は叩いたが、殲滅には至っていない。また後日、痕跡を調べ残りを狩らねばならなかった。
翌日はほとんど眠って過ごした。二日後の昼下がり、ようやく食事をするくらい気力が戻ってきたところで、一人いつもとかわらないマルティープがやってきた。
他のメンバーに声をかけたが、みな疲労は深く、起き上がるのも億劫なようだった。来てくれたのは比較的消耗の少なかったシェーニアだけだった。
ソルウォードは気まずげに口を開いた。
「違う……違うんだマルティープ。あの時はみんな、妙に調子が悪かったんだ」
「いえ、調子の問題ではありません。あそこまで苦戦するとは予想していませんでしたが、うまくいかないことは事前にわかっていました」
「なんだと!?」
思わずカッとなり、食って掛かりそうになった。だが、マルティープの顔を見て手が止まった。
彼女は目を伏せていた。いつも冷静なこの少女から、深い悲しみが感じられたのだ。
「……まず、シェーニアさんとわたしの支援の違いを説明します。シェーニアさんの支援魔法は『能力加算型』で、わたしの支援スキルは『倍率変化型』なのです」
「……どう違うんだ?」
その質問に、まずシェーニアが答えた。
「私の支援魔法は『能力加算型』。魔力で対象者の能力を増やすというものです。対象者の能力が低くとも、確実に能力を上げられるという利点があります」
その言葉にソルウォードはうなずいた。シェーニアに支援魔法をかけてもらったときは、確かに自分の力が増したという実感があった。
続いて、マルティープが説明を始めた。
「わたしの支援スキルは『倍率変化型』。対象者の能力を倍率で増やすというものです。対象者のもともとの能力が高ければ高いほど効果が大きくなりますが、元が低いと大した効果は無いというものです」
ソルウォードはマルティープを仲間にしたころのことを思い出した。彼女のスキルによって、力がグンと上がるのを感じた。あれは倍率で上がっていたということなのだろう。
「そして支援スキル『一呼吸の輝き』の効果は、対象の能力を1秒の間、2.5倍にするというものです」
「ん? 2.5倍? お前、パーティーに入ったばかりの頃は、1.3倍とか言ってなかったか?」
「それなりの期間、冒険者をやってましたからね。わたしも成長したのです」
「へえ~」
ソルウォードは仲間の意外な成長を知った思いだった。
マルティープは出会った時から小柄で、あまり成長したと感じることは少なかったのだ。
シェーニアが妙に静かだと思って目を向けると、彼女は驚愕に目を見開いていた。
「ど、どうしたんだシェーニア?」
「いえ、失礼しました。少々驚いてしまいました。2.5倍……2.5倍ですか……」
「そんなに凄いのか?」
「支援スキルとしてはおよそ最高峰です。2.5倍なんて、伝説級のアイテムでしか聞いたことがありません……!」
「ええ!? そんなに凄いのか!?」
思わずマルティープの方を見る。
彼女は驚きの視線を受けても、いつもと変わらず平静を保っていた。
「いえ、そこまでではありません。わたしは持続時間を延ばすのではなく、倍率を伸ばすことに集中したからこうなったんです。それに伝説級のアイテムなら、1秒間なんて短い持続時間じゃありませんよ」
マルティープはなんでもないことのように謙遜した。
だが、ソルウォードは言葉通りには受け取らなかった。持続時間は短くても、伝説級のアイテムと同等の効果を出すのは、やはり凄いことだ。
最近は実感する機会がなかったが、マルティープは意外なほど有能なようだった。
「シェーニア。君の支援魔法は、倍率だとどの程度なんだ?」
ソルウォードが問いかけると、シェーニアは気まずそうな顔をした。
「『小さき者たちの守り手』のみなさんは元の能力が高いですからね。倍率で換算すると……およそ1.5倍といったところです。マルティープさんに比べるとずっと低いです……」
「謙遜することはありませんよ。わたしの『一呼吸の輝き』は一回につき一人にしかかけられず、しかも1秒しかもちません。戦闘中、パーティーメンバー全員の能力を上げ続けることができるシェーニアさんの方が、支援役としては優秀ですよ」
自信なさげなシェーニアの言葉をマルティープがフォローする。
1秒しか持たない2.5倍の支援魔法。ずっと持続する1.5倍の支援魔法。
どちらが優秀かは微妙なところだった。
そこで、ソルウォードは違和感に気づいた。
「ちょっと待ってくれ。シェーニアの支援が優秀なら、どうして俺たちはリザードマンの群れごときにあんなに苦戦したんだ?
いつもなら、あのくらいの群れなら軽く蹴散らせたはずだ。いくら倍率が落ちたとは言え、十分な支援魔法があったなら、あそこまで危なくなることはなかったはずだ」
今度はマルティープが気まずそうな顔になった。
「それは、『小さき者たちの守り手』のみんなが、わたしの支援スキルに『慣れ過ぎていた』せいなんです」
「慣れ過ぎていた……?」
「わたしの支援スキル『一呼吸の輝き』は、効果が絞られている分、消費魔力が少ないんです。戦闘中はおよそ3秒に1回のペースで使ってました。例えば、5分間の戦闘なら100回以上は使ってた感じですね」
「ば、バカなっ!? そんな実感は全然なかったぞ! 最近はみんな力をつけて来たから、それでお前も支援スキルを使う機会が減っていたんじゃないのか!?」
「だから慣れ過ぎていたんです。支援スキルの効果がかかっているのが当たり前になっていて、意識すらしていなかったんです。
リザードマンとの戦闘中、みんなぼやいていたじゃないですか。『いつもならあの一撃で倒せていたはずだ』とか、『思ったように威力が出ない』とか、『手ごたえがいつもと違う』とか。
あれはそういうことだったんです」
ソルウォードは息を呑んだ。
それではまるで、今までの『小さき者たちの守り手』の活躍が、全てこの少女に支えられていたようなものではないか。
あまりに受け入れがたいことだった。
「じゃあ何か、森でのドラゴンとの遭遇戦、俺がドラゴンの首を斬り落とした時はどうだったんだ!?」
「ソルウォードさんが斬撃を放つ寸前に支援スキルを使いました」
「盾役がオーガ2体の突進を止めたときは!?」
「衝突する寸前に支援スキルを使いました」
「盗賊がヴァンパイアの眷族をかいくぐり、真祖の胸に白木の杭を突き立てたのも、シーサーペントが水中から出た瞬間、魔法使いが的確に最大火力の炎の魔法を当てた時も、空を舞う大カラスの目を、アーチャーが撃ちぬいたときも……」
「ええ、どれもよく覚えています。全部、支援スキル『一呼吸の輝き』を使いました」
ソルウォードは言葉を失った。
今挙げたのは、どれもパーティー全滅寸前の、厳しい戦いを決した一撃だった。誰もが生き残るだけで精一杯の状況だった。その渦中にありながら、この支援術師は冷静に状況を見据え、わずか1秒しか持たない支援スキルを的確に使用し、あの難局を打開してきたのだ。
ただちょっとした支援スキルが使えるだけの少女だと思っていた。最近は活躍の場がなくなってきたのだと思い込んでいた。
自分は何を見ていたのか。そして彼女は一体、『何が見えていた』のか。
ソルウォードは震えた。
「メンバーのみなさんは、私が支援している前提で戦っていました。シェーニアさんとのと支援能力の違いについて事前に教えていなかったのは、私の落ち度と言えます。申し訳ありません」
そう言って、マルティープはぺこりと頭を下げた。
マルティープは、自分がどれだけパーティーに貢献してきたかを正確に理解している。だが、それを誇りもしない。おまけに自分のちょっとした不備に対し、こうして簡単に頭を下げる。
その殊勝さは、不気味にすら思えた。
「前任者が出しゃばりすぎると嫌がられると思ってやめておきましたが……やはりこれは、予めシェーニアさんに渡しておくべきでした」
そう言ってマルティープが取り出したのは、紙の束だった。バインダーでひとまとめにされ、ページの入れ替えが可能なタイプだ。
手渡されたシェーニアがぱらぱらとページをめくり、ソルウォードは横から覗き込んだ。
そして、二人は目を見開いた。
その資料にはパーティーメンバーの詳細な情報が記されていた。
能力、所有スキル、装備。各属性への耐性。得意武器。得意なモンスター。苦手なモンスター。
平原、森、洞窟など、場所ごとの戦闘時の位置取りと戦い方。戦闘の序盤・中盤・終盤ごとの行動傾向。各メンバーとの関係。モンスターの種類別の行動傾向。怪我をしやすい場所。
驚くほど綿密かつ詳細に、各メンバーの情報が書きこまれていた。
「こ、これはいったいなんなんだ……?」
「メンバーの情報をまとめた『パーティー情報覚書』です。わたしの支援スキル『一呼吸の輝き』は1秒しかもちませんから、みなさんの行動を先読みできないと使い物になりません。紙に書き出すと考えがまとまるので、そんな感じでメモを取っていました。
ああ、心配しないでください。クエストに出るときは冒険者ギルドに預けて、わたし以外には絶対に渡さないように厳命しています。パーティーの弱点が漏れるようなことはありません」
あまりにも軽い口ぶりだった。
これほどよくできた資料を、マルティープはただの自分用のメモ帳程度にしか考えていないようだった。
強力な支援スキル『一呼吸の輝き』。それを使いこなす技量。パーティーメンバーの情報を把握し尽くし、戦況を制する才覚。
パーティーの戦力外などとんでもない。彼女は『小さき者たちの守り手』をSランクまで引き上げるのに、絶対に必要な人物だった。
「マルティープ、すまなかった!」
ソルウォードは頭を下げた。もはや体面も何もなかった。
「君を追放するなんて、どうかしていた! どうかパーティーににとどまってくれ!
シェーニアと君がいれば、パーティーはより盤石なものとなる! 俺はなんとしても、『小さき者たちの守り手』をSランクまで引き上げたいんだ!」
「やめてください。ソルウォードさん、頭を上げてください」
頭を上げると、眉を寄せて困り顔のマルティープが見えた。
何かおかしかった。パーティーにとどまれることを喜ぶと思った。あるいは、一度は追放しようとしたのに、今度は留まれと言われて、その理不尽に怒るのではないかと思っていた。
だが、困るというのは予想していなかった。
「つまり……追放は取り消しだということでしょうか?」
「ああ! そうだ! あんなことを言って虫がいいと思われるかもしれない……だが、俺が間違っていた。本当に済まなかった!
君が望むなら、クエスト報酬の配分をいまよりずっと引き上げる! パーティーで君の発言が通るよう、俺も全力で取り立てる! だから……!」
「いえ、あの……わたしは、冒険者パーティーを抜けたいのです。追放が取り消しと言うのなら自分で辞めることにします」
「な、なぜだ!? 俺が悪いのか!? 君が望むなら土下座でもなんでもする! 慰謝料が欲しいというのなら払う! だからっ……!」
「いえ、そうではなく、こちらにも事情があると言いますか……」
「なんだ? 何か困っているならなんでも力になるぞ!」
「あのその……何て言うか、ええっと……」
どうにもおかしかった。マルティープはいつもは冷静沈着で、感情などほとんど見せず、冷めた目をしていた。だが今は、どうしてだか頬を赤くしてモジモジしている。これではまるで、年頃の町娘のようだ。
何が言いづらいことがあるのだろうか。
お互い、相手の様子をうかがっていると、シェーニアが声を上げた。
「マルティープさん、結婚なさるんですね?」
シェーニアにそんな指摘をされ、マルティープは火が着いたみたいに耳まで赤くなった。。
そこでソルウォードはようやくわかった。マルティープがしばらく前から指輪をしているのには気づいていた。色気づいたのかと思っただけで、あまり深くは考えなかった。
でも、どこにその指輪をしているかを見れば、あまりにも明白だった。マルティープはずっと、右手の薬指に指輪をしていたのだ。それは婚約を意味する場所だ。
「え? 結婚……? い、いったい誰と?」
「先日クエストで護衛したペルセティブ子爵から、お声をかけられました。クエスト後も何度か招かれまして、お会いするうちに、何て言うか話が合いまして……」
しどろもどろに答えるマルティープ。シェーニアは疲れを忘れたかのように、口元に手を当ててきゃーきゃー言いながらマルティープから話を聞き出そうとしている。
そんな様を眺めながら、ソルウォードは一人、戦慄していた。
思えば指輪以外にも兆候はあった。マルティープが髪に櫛を入れるようになったのも、確かに貴族の護衛任務を終えたころからだった。そのころから付き合いがあったのだ。
ペルセティブ子爵は、『小さき者たちの守り手』が拠点とする町を含む一帯を統べる若き領主だ。パーティーがランクAに昇格したことで、子爵直々にクエストを依頼された。
ペルセティブ子爵は王の急な召集のため、どうしても急いで王都に向かう必要があった。最短経路の一部では危険なモンスターの出没が報告されていた。その護衛を任されたのだ。
途中、何度かモンスターの襲撃を受けたが、『小さき者たちの守り手』の敵ではなかった。その活躍にペルセティブ子爵がいたく感激していたのをソルウォードも憶えている。
ペルセティブ子爵は『小さき者たちの守り手』の活躍を直にその目で見た。彼が一番見たのは、パーティーメンバーのうち誰だろう?
当然、後方に位置していたマルティープだ。
マルティープは顔は悪くないが、とにかく化粧っけがなかった。美しく着飾った令嬢に見慣れた貴族が、一目ぼれするなどまずありえない。
きっと子爵は、彼女が戦況を見極め巧みにスキルで支援するのを目の当たりにしたのだ。その有能さに惹かれたに違いない。マルティープの才覚なら、おそらく領主の仕事でも、その能力を存分に発揮することだろう。
マルティープはきっと今まで、クエストの合間に何度もペルセティブ子爵の元に通っていたのだ。そんなこと、気づきもしなかった。いや、注意を向けてすらいなかった。ソルウォードは、彼女が右手の薬指に指輪をしていたことすら、今になって知ったのだ。
そもそも、マルティープが驚くほど優秀な支援術師であることすら、今日初めて知ったことだ。
最も重要なパーティーメンバーの能力すら把握していなかった。リーダー失格だ。こんな様では、見る目のある者に奪われるのも当然というものだった。
だが、諦めるわけにはいかなかった。
ソルウォードは何としても『小さき者たちの守り手』のランクをSまで引き上げたかったのだ。
ソルウォードは辺境の村の生まれだった。貧しい村だった。モンスターの襲撃を受けても、冒険者パーティーを呼ぶことすらなかなかできなかった。
こうした村は珍しくない。この国にはありふれている。モンスターの数はあまりに多く、王国の騎士団の手は回らない。冒険者たちも、報酬が少なければなかなか助けに来てくれない。
だからソルウォードは、冒険者パーティーを立ち上げた。貧しい村を、力無き人々を救うという決意を込めて、パーティーの名を『小さき者たちの守り手』とした。
冒険者パーティーのランクが上がれば、より難易度の高いクエストを受けることができる。それはより多くの人々を救えるということだ。
だから、上へ。もっと上へ。ソルウォードは必死に冒険者パーティーのランクを上げるよう、努力した。
途中で諦めるわけにはいかなかった。
だから、目の前のこの少女には、結婚を諦めてもらうしかない。
突然、何かがはじけるような音が聞こえた。
子爵との付き合いの話で盛り上がっていたマルティープとシェーニアは、突然のことに驚き、そろってソルウォードの方を見た。
「ど、どうしたんですか、ソルウォードさん……?」
「なに、疲れで頭が寝ぼけていたようだから、ちょっと喝を入れただけだ」
先ほどの音は、ソルウォードが自分の頬を、両の手のひらで叩いた音だった。
相当強く叩いたのか、彼の両頬は真っ赤に腫れあがっていた。
「それよりマルティープ! お前、貴族と結婚するんだってな!?」
「は、はい!」
「パーティーメンバーに相談もせず、こっそり貴族と通じ合っていたのか!? それで自分だけしあわせになろうだなんて、まったく見下げ果てたやつだ!
どんなに優秀だろうと、お前のようなやつに支援役は任せられない! やはりお前はパーティーから出て行ってもらう! 追放だ! 今すぐどこかに行ってしまうといい!」
ソルウォードは言うだけ言ってしまうと、腕組みをしてそっぽを向いた。
マルティープは驚きに目を見開いていたが、すぐに普段の冷静な顔に戻った。いつもの冷めた瞳でじっとソルウォードを見つめた。その瞳は、わずかにうるんでいた。
何かを振り払うように、マルティープは勢いよく席を立つと、深々と頭を下げた。
「今までありがとうございました!」
その言葉を最後に、マルティープは宿屋の部屋を出ていった。
しばらく、部屋を沈黙が満たした。
やがて、シェーニアがぽつりと問いかけた。
「……本当に、よかったんですか?」
「……『小さき者たちの守り手』は、力なき人々を守るために立ち上げたギルドだ。それが、結婚してしあわせになろうという仲間を阻んだりしたら……何のために立ち上げたのかわからなくなる」
ソルウォードは腕組みを解き、シェーニアの方をじっと見た。
「これから、一からパーティーを鍛え直さなくてはならない。大変な苦労をすることになるだろう。
君は入ったばかりだ。無理に付き合わなくていい。嫌なら今のうちにパーティーを抜けてくれ。止めはしない」
シェーニアは微笑んで首を振った。
「辞めたりしません。みなさんが頑張るというのなら、全力で支援します。それが支援術師と言うものです。それに、こんなすごい資料もあるのですから、きっと大丈夫です」
マルティープの残した『パーティー情報覚書』をしっかりと胸に抱き、シェーニアは、明るく答えたのだった。
「『小さき者たちの守り手』が、また活躍したようだよ」
マルティープが冒険者を辞めて三年ほど過ぎた。
執務室で領地経営の事務仕事をしていたとき。夫であるペルセティブ子爵から、資料を渡された。
その資料には、領地にある小さな村のモンスターの襲撃について記されていた。そしてその最後には、『小さき者たちの守り手』が解決したことと、村人たちの感謝の言葉がいくつも記されていた。
マルティープが追放された後。『小さき者たちの守り手』の冒険者パーティーのランクはAからBに落ちた。だがこれは、彼らの実力が落ちたことを意味しない。方針を変えたのだ。
『小さき者たちの守り手』は、報酬は少ないが厄介なクエスト……すなわち、小さな村の出すクエストを率先して受けるようになったのだ。
その活躍は目覚ましいものだった。通常なら一か月かかるようなクエストを一週間足らずでこなし、そしてすぐさま次のクエストに向かうのだ。彼らのクエスト達成数の増える勢いは、他の冒険者パーティーの追随を許さないものだった。
冒険者ギルドの規定上、高難易度のクエストを受けない冒険者パーティーはAランクを維持できない。だからBランクへ降格となった。
だが、彼らはそんなことを気にしていないようだった。むしろ降格されたことで、余計な意地を張らずにより活動が活発になった節も見える。
『小さき者たちの守り手』に領民が救われたという知らせが届くのも、今回が初めてではなかった。
そんな彼らの活躍を目にし、マルティープは切なげなため息をついた。
「マルティープ……やはり君は、冒険者を続けたかったかい?」
「ペルセティブ様……」
「君が優秀だと見抜いた僕の目は確かだった。事実、領地経営の仕事を、驚くほどの早さえで覚えてしまった。君ほどの才覚があれば、冒険者としても大成していたことだろう」
マルティープの本領は、膨大な情報を瞬時に把握し、正解を見出すというものだった。
それによって『一呼吸の輝き』を使いこなし、冒険者パーティーを支えてきた。
その才覚は領主の仕事においても発揮された。領地経営は、各地・各部署から寄せられる膨大な情報をいかに正確に把握し、正しい判断をするかということだ。
マルティープにとってはまさに得意分野だった。彼女はその才能を遺憾なく発揮した。今ではペルセティブ子爵の補佐ばかりでなく、多くの仕事を任され、確かな成果を積み重ねていた。
「いいえ、そうではないのです。冒険者を辞めたことに後悔はありません」
そう、マルティープに後悔はなかった。
ペルセティブ子爵との出会いは偶然だった。彼に自分の能力を認められるのは嬉しかった。逢瀬を重ねて、その人柄に惹かれた。支援術師として戦い続けてきた彼女にとって、初めての本物の恋だった。
しかし、『小さき者たちの守り手』を抜けたのは、恋のためではなかった。
マルティープは優秀な支援術師だった。しかしその能力は、『小さき者たちの守り手』には過剰だったのだ。
彼女の支援により、『小さき者たちの守り手』は実力以上の活躍ができた。それはソルウォードを、より高い冒険者ランクへ至るよう駆り立てた。
しかし同時に、危うい状況でもあった。『小さき者たちの守り手』の快進撃は、マルティープの支援スキルによって支えられていた。常にギリギリだった。小さな綻びですべてが壊れてしまうほどに、張りつめていた状況だった。
例えば、マルティープがほんのわずかに読み違え、傷を負って支援が遅れたとしたら……それだけでパーティーが全滅することもありえた。
マルティープの提案した最後の冒険。彼女の支援を失った『小さき者たちの守り手』は、格下であったはずのリザードマンに後れを取った。そのことは、彼女の危惧を現実だと証明することとなった。
マルティープは『小さき者たちの守り手』のメンバーのことを深く理解していた。
だからこそ、わかってしまった。この歪な状況を変えるには、自分が冒険者パーティーから抜けるしかないと、わかってしまったのだ。
それゆえに、マルティープは『小さき者たちの守り手』から抜けることを決意したのだ。
子爵との結婚の段取りを進め、冒険者パーティー脱退を告げようと考えていたときに、ソルウォードから追放を言い渡された。潮時というものだったのかもしれない。
そして、彼女が抜けた後。『小さき者たちの守り手』は強くなった。伝え聞く情報だけでも、自分がいた頃より確実に強くなっていると、マルティープは確信していた。
そのことを寂しく思うこともある。でも、それだけではないのだ。
不安げに自分を見つめるペルセティブ子爵に優しいまなざしを向けながら、マルティープは口を開いた。
「彼らの活躍を知ると、そばにいられないことを悲しく思うこともあります。
でも、それ以上に誇らしい気持ちになるのです。『小さき者たちの守り手』の支援役として、彼らと冒険したことが、わたしにとって何よりの誇りなのです」
そう言って、マルティープは晴れやかに微笑むのだった。
終わり
主人公を追放したことで、冒険者パーティーが大変なことになってしまうという展開をよく見かけます。
主人公が抜けたらどうなるか、お試し期間みたいなものがあったらどうなるかなあ、と思ってあれこれ考えていたら、こういう話になりました。
読んでいただいたありがとうございました。
楽しんでいただけたのなら幸いです。