終章 君の手に、『王の剣』の栄光を
頭上から降り注ぐ、暖かい春の日差し。
甘い花の香りが風とともに漂ってきて、遠くからは大道芸人の掛け声や子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてくる。
「…………」
マリーはそんななか、王都にある噴水のへりに座って本を読んでいた。
そんなマリーのもとに、同じ黒騎士団・世話係のリリアが駆け寄ってくる。ただし、いつも着ている制服ではなく、可愛らしい花柄のワンピース姿だ。
「マリーさーん!」
「リリア」
本を閉じてその場に立ち上がる。目の前に立ったリリアは初めて会った時から随分と成長し、もうすっかり大人の女性になっていた。
「すみません。せっかくの『感謝祭』なのに、どうしてもこの日しか取れなくて」
「いいのよ。どうせ結果を聞くだけだし、打ち上げもお店でするしね。それより緊張するわね、クロードさんのご実家訪問」
「ひいっ!」
いきなり本題を出され、リリアは一瞬で顔を真っ赤にする。持っていた鞄の持ち手をぎゅっと摑むと、ぎこちなく足元の石畳を見下ろした。
「正直、上手くこなせる自信ないです……。ものすごい貴族だって聞くし、そもそもわたし、別の世界から来た人間なのに……」
「転生してきたんだから、そこはあんまり気にしなくても?」
「で、でも! こっちの常識とか、いまだに分かんない時ありません? もう七年も経ってるっていうのに……」
「うーん、それは確かに」
大人になったリリアに詰め寄られ、マリーは思わず苦笑する。
マリーもまた二十六歳で亡くなり、十九歳の体でここアルジェントに転生した。だがあれから七年が経ち――ついに前世と同じ年齢に追いついてしまったのだ。髪はかなり長くなり、身長も少しだけ伸びた気がする。
「まあでも、大丈夫でしょ。クロードさんならフォローしてくれるだろうし」
「そ、そうですよね!」
「うん。だから頑張って!」
「はい!」
マリーがぐっと拳を握ると、リリアもまた強く片手を握りしめる。だが何かを思い出したように「はっ」と目を見開くと、こそこそっと耳打ちしてきた。
「そういえば、マリーさんの方はまだなんですか?」
「えっ?」
「ミシェルさんですよぉ。付き合ってるんですよね? いつ結婚するんですか⁉」
「はあっ⁉」
予期せぬカウンターに、今度はマリーが赤面する番だった。先輩の意外な反応に嬉しくなったのか、リリアはなおもにやにやと続ける。
「やっぱり本当だったんだー! ルカさんが『絶対そう』って言うから気になってて」
「ル、ルカ……なんで……」
「ミシェルさん、カッコいいですもんねー。身長もある時を境にぎゅんって伸びたし、可愛い系からイケメン系に変わったっていうか」
「リ、リリア? あのね」
「昔はちょっと頼りない感じでしたけど、最近ではすっかり黒騎士団のエースって感じですし。そういえば、ユリウスさんが次期リーダーに指名するって噂が――」
「わ、私たち、別に付き合ってないから!」
それを聞き、リリアは一瞬「?」という表情を浮かべていた。だがすぐに眉根を寄せると「嘘ですよね⁉」と食ってかかる。
「だってよく二人だけで出かけてません⁉」
「あれは食材の買い出しとか、荷物運びを手伝ってくれてるだけよ」
「しょっちゅう顔近づけて話してるし……」
「単なる打ち合わせ。任務の配分とかを相談してるの」
「あっ、あんなにミシェルさんから『好き好きオーラ』が出てるのに⁉」
「すっ……⁉」
リリアから飛び出した恥ずかしい単語に、マリーは思わず声を裏返らせてしまう。するとタイミングがいいのか悪いのか、件のミシェルが「おーい」と言いながら駆け寄ってきた。
「ごめんマリー、遅くなった」
「う、ううん⁉ 全然……」
「リリアはこれから挨拶? 頑張ってね」
「はーい! それじゃ投票の結果、楽しみにしてますね~!」
立ち去る直前、リリアがマリーに向けてばちん、とウインクする。
七年前、聖女として対立していた時を思い出して眉をひそめていると、ミシェルが不思議そうな顔でマリーを覗き込んだ。
「大丈夫?」
「へっ⁉ な、何が⁉」
「いや、なんか顔赤いから。熱でもあるのかなって」
「ね、熱は……ないけど……」
先ほどのリリアの言葉を思い出しながら、マリーはあらためてミシェルを見上げる。
七年経って伸びた身長。日頃の鍛錬でついたしなやかな筋肉。特徴的な赤い髪と瞳は変わっていないが、顔つきは以前よりもずっと男らしくなっていた。おまけに、前までは時折しか現れなかったカリスマの光が、ここ最近いつも彼の周りを舞っているように見える。
現に、今も周囲の女性たちから熱い視線を向けられているが、そんなことにも気づかず彼はひょいとマリーの額に自身の手を押し当てた。
「ほんとに?」
「ほ、ほんとだから! 全然なんともないから!」
そう? とやや不安そうにするミシェルに向かって、マリーはぶんぶんと勢いよく首肯する。そんなマリーの手を取ると、ミシェルがゆっくりと歩き始めた。
「きつくなったらすぐに言ってね。それじゃ、行こうか」
「う、うん!」
王都の中央にある大聖堂と広場を目指し、マリーとミシェルの二人は大通りを進んでいく。その途中、屋台の主人から声をかけられた。
「おっ、ミシェル! こないだはありがとな! 助かったぜ!」
「いえいえ。また何かあったら言ってくださーい!」
「ミシェルー。今年はちゃんと黒に投票したからな! 頑張れよ!」
「わあっ、ありがとうございます!」
「あらミシェル、デートなの? おばちゃんサービスしちゃうわ」
「えっ、いや、その」
一人が話し始めると向かいから、背後から、軒先からと次々に話題を振られる。そのたびに律儀に振り返り、お礼を言い、頭を下げるミシェルを見て、マリーは思わず微笑んだ。
「相変わらず大人気だね」
「騎士団で働いて長いからね。みんなすっかり顔なじみって感じで」
「でもこれだけ覚えてもらえるのは、ミシェルが普段頑張ってるからだよ」
「そうかな……。そうだといいな」
えへへとはにかみ、先ほど屋台の女性から貰った焼き菓子を二人で半分こする。バターが香ばしいそれを頬張りながら広場に入ると、大聖堂とともに獅子、鷲、鹿、狼の四体の銅像が見えてきた。狼像の下には先に来ていたルカがけだるげに座り込んでおり、二人に気づくと恨めしそうに睥睨してくる。
「ちょっと、見せつけんのやめてくれる?」
「見、見せ⁉」
「はーもーほんとやだ。ねえ僕もう帰っていい? あとで結果だけ教えて」
「せ、せっかく来たんだし、一緒に見て行こうよ!」
今にも帰ろうとするルカを、二人がかりで必死に引き留める。
ルカもまた少年から青年に様変わりしており、ミシェルほどではないが身長も伸びていた。ただ体質的なものなのか筋肉はあまりついておらず、絶世の美貌を隠すフードもいつも通りだ。
若者組がぎゃーすかと騒いでいると、遅れて年上組が姿を見せる。
「お前たち、何を騒いでる」
「相変わらず元気だねえ。若くて羨ましいよ」
「ユリウス、ヴェルナー」
見た目的にはほとんど変わらない二人だったが、出会ったばかりの頃よりずっと余裕と貫禄に満ちていた。ユリウスはミシェルの方を見たあと、あっさりと口にする。
「ミシェル、寮に戻ったら話がある。あとで俺の部屋に来てくれ」
「う、うん!」
やがて他の騎士団たちも広場に顔を見せ始め、それに合わせて聴衆たちも集まり始めた。狼像のもとにも多くの市民が押し寄せ、口々に激励の言葉をかけていく。
「ミシェル! 一票入れたぞ! 今年こそ選ばれるといいな‼」
「ありがとうございます!」
「ユリウス、犬が苦手なの克服したんだな」
「うるさい黙れ」
「ちょっとぉ、最近全然遊んでくれないじゃん、ヴェルナーったら」
「ごめんごめん。また今度店に行くから許してよ」
「ルカさーんっ‼ 顔見せてーっ‼」
「きゃーっ‼ どうしよ、こっち見たーっ‼」
「うるっさ……」
定刻を迎えたところで大聖堂の扉が開き、中から美しい女性が姿を現す。白く長い髪に純白の衣装。七年経ってもまったく変わらない容姿――魔術師団の団長だ。
それに合わせて、祭りの司会者が勢いよく口を開いた。
『さあて、今年もやってまいりました! 我が王と民にもっとも愛されし騎士団――《王の剣》を決める、運命のお時間です‼』
「っ……!」
緊張のために手が震えてしまい、マリーはたまらずぎゅうっと拳を作る。するとそれに気づいたミシェルが、その手を包み込むようにして自身の手を重ね合わせた。
「大丈夫だよ、マリー」
「で、でも、結局まだ一度も取れたことないし……」
「今年は絶対大丈夫。おれを信じて」
「う、うん……!」
司会者の合図とともに、魔術師団長がゆっくりと歩み出る。
豪奢な杖に取り付けられたリボンがたなびき、可愛らしく、同時にぞくぞくするような蠱惑的な声での詠唱が始まった。
やがてそこかしこでがたん、という音が響き、鳥籠型の投票箱から紙の鳥たちが大聖堂目指していっせいに飛翔する。真っ青な空を白い鳥たちが覆い尽くし――マリーたちの頭上で、ぽん、ぽぽんと白い花に変化した。
(お願い……!)
今まで体験したことがないほど大量で――純白の花吹雪。
それらは甘い芳香を漂わせながら、マリーとミシェル、そして団員たちの周りに淡い雪のように降り積もっていく。髪や服にも白い花弁が付き、皆がそれを見て嬉しそうに笑い合っていた。
その光景はまるで、世界のすべてから祝福されているかのようで――。
『今年の《王の剣》は――』
「――っ‼」
司会者の発表を聞いたミシェルが、頬を紅潮させてこちらを振り返る。
その顔には、今まででいちばんの瞬きが輝いていて――マリーは喜びを口にするより早く、全力で彼に抱きついたのだった。
(了)
ミシェルの設定は一部を書いていた頃からずっと考えていたものだったので、ちゃんと描き切ることが出来て良かったです。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
 





