第三章 6
「――っ⁉」
足元がガロリ、と音を立てて崩落し、マリーはとっさに腕を伸ばす。
すると上にいた誰かが、その手をがしっと捕まえた。
(……?)
ミシェルのとは違う、ごつごつして節くれた長い指。
その力強い手に引っ張り上げられるようにして、マリーはどこかへ戻っていくのだった。
・
・
・
次に目が覚めた時、マリーは暗闇の中にいた。
正面には血に濡れて横たわったミシェル。彼に刺さった短剣を抜き、応急処置をしているヴェルナー。背後から聞こえてくる騎士たちの声――爆発を思い起こさせる独特な煙の臭いがし、ようやく自分のいた状況を思い出した。
(そうだ、ミシェルが刺されて――)
彼の手を再度握りしめ、呼びかけようと口を開く。
だがマリーが声をかけるよりも早く、ミシェルはぱちっと瞼を持ち上げた。
「ミシェル⁉」
「…………」
その直後、ミシェルの赤い瞳が潤み、透明な涙が眦に向かってつうっと落ちた。そのまま静かに目を閉じると、かすれた声で小さくつぶやく。
「そう、だったんだ……」
「ミシェル……?」
「ライアンさん、おれ――」
(もしかして……)
同じ光景を見ていたのか、とミシェルに尋ねようとする。だが騎士たちが「逃げろ!」と叫んだのが聞こえ、マリーは急いで自身の背後を振り返った。
そこには怨念と怒りに満ち溢れたロドリグの姿があり、マリーはこれまで感じたことのない恐怖で思考が停止する。立って逃げるという判断もままならないうちに、剣を構えた彼がこちらにまっすぐ向かってきた。
「貴様ら、そこをどけえっ‼」
(……っ!)
目の前で白刃が振り下ろされ、マリーは今度こそ死を覚悟する。
だがそんなロドリグの一撃をギャイン、という音が受け止めた。おそるおそる顔を上げると、起き上がったミシェルが自身の剣で彼の刀身を阻んでいる。
「……くっ!」
「ミシェル、貴様……!」
ロドリグはそのまま力に任せて圧し切ろうとする。だがミシェルは一歩も引こうとしない。それどころか低い位置という不利をものともせず、少しずつ押し返していた。
「……っ、なんなんだっ……!」
「マリー、早くここから逃げて……っ」
「う、うんっ」
やがてミシェルは完全に立ち上がり、ロドリグと真正面から対峙する。なんとかその場から逃げ出したマリーは、ミシェルの全身から光が溢れていることに気づいた。
(これって――)
それは彼の持つカリスマの輝き。
ただし以前よりもずっと強く、はっきりとした煌めきを放ち始めている。
「ロドリグ団長、おれは、あなたを許しません」
「……こしゃくな!」
苛立ったロドリグが無理やりに体重をかけ、ミシェルの剣をその体ごと後ろに押しやる。ミシェルがわずかに体勢を崩した隙を狙って、すばやく自身の手を広げた。
『火の叡智よ、こいつの息の根を止めろ!』
五指の間から、蠢く蛇のように赤黒い火焔がとぐろを巻く。それを見たミシェルもまた、対抗するかのように自身の片手をロドリグに向けて構えた。
「――っ、来い‼」
詠唱ですらない、ただの呼びかけ。
だがそれに応じるかのように、熱が瞬く間にミシェルのもとに集まっていく。
おまけに――。
(火が……いつもと違う……)
今までミシェルが使っていたのとは異なる、内側から強く発光するような白い炎。
それはライアンが使っていた魔術によく似ていて、それに気づいたロドリグは忌々しげに顔を歪めた。
「貴様、もしや――」
それぞれの炎が蛇――いや、竜の形となってぶつかり合う。白と黒、対照的な二匹の竜がマリーの目の前で絡み合い、噛みつき合い、一歩も譲らずお互いを燃やし続けた。
「っ……!」
「……っ、なぜだ! お前にそんな力、なかったはず――」
するとミシェルは敵であるロドリグを睨み、静かに口にした。
「ライアンさんが、力を貸してくれているんだ」
「何?」
「あなたを倒す、ために!」
どん、と地面を揺らす爆発音とともに、ミシェルの白い焔が一気に膨れ上がる。
それに合わせて火の粉が舞い、ミシェルのまとう輝きがまたも眩さを増していった。深紅の髪が熱風にあおられて美しく踊り、ルビーのような瞳に純白の強い炎が映り込む。
そんなミシェルの佇まいを見て、マリーは知らず息を吞み込んだ。
(すごい……)
前世で見たどんなアイドルより、有名人よりも。
圧倒的に綺麗で、力強くて、目が離せなくなって、呼吸すら出来なくなる。
(これがミシェルの、そして――)
その瞬間、ミシェルの背後に『彼』の姿が映し出された。黒騎士――ライアンは小さく微笑むと、まるでミシェルを支えるかのように手を伸ばす。
すると同様の幻が彼にも見えていたのか、ロドリグが苛立ったように吐き捨てた。
「消えろ! ライアンっ……! このっ、死にぞこないがー‼」
「……っ⁉」
決死の叫びに応えるかのように、黒い焔の勢いがここで一気に強くなる。マリーは頭の中が真っ白になり――いつの間にか、ミシェルに向かって叫んでいた。
「ミシェル、頑張ってー‼」
「……!」
きっと彼には聞こえていない、と思っていた。
炎の燃える音がうるさくて、周りの叫び声がすごくて。でもそんな喧騒のなか、ミシェルはたしかにこちらを見た。
マリーの姿を目で捕らえて、輝く赤い瞳をまっすぐに向けて、そして――にこっと微笑む。
それに気づいた途端、マリーの心臓が大きく跳ねた。
(ミシェル……!)
マリーの声援を受け、ミシェルは白い炎をさらに倍増させる。
もはや竜ですらなく、炎で出来た鳥が大きな両翼を広げているかのように――。
「これで――終わりだ‼」
「っ……くっそおおおおーっ‼」
火の鳥の懐に抱かれるように、ロドリグの全身が白い炎に包まれた。彼の生み出していた黒い火もまるごと呑み込まれ、すぐに恐ろしいほどの静寂が戻ってくる。
なかば放心状態でその顛末を見ていたマリーは、ようやくほっと息を吐き出した。
(良かった……これで……)
だが戦いが終わってもなお、ミシェルの輝きは残されたままだった。
やがてその光がふわりと移動し、人の形を取り始める。みるみるうちに形作られていくその姿を見て、ミシェルが信じられないとばかりに口にした。
「どうして……」
『久しぶりだな、ミシェル』
そこに現れたのは亡くなったはずの黒騎士――ライアンだった。
『……すまなかった。俺のせいで、ずっとつらい思いをさせてしまって』
「ち、違います! そもそもあれは、おれのせいで……」
『お前のせいじゃないだろう。全部、俺がしたくてしたことだ』
「でも……」
反論しようとするが、うまく言葉が出てこない。
そんなミシェルの前に歩み寄ると、ライアンはその大きな手をぽんと彼の頭に乗せた。ガシガシと撫でたあと、心の底から嬉しそうに目を細める。
『大きく、なったな』
「……!」
『お前が無事で、本当に――本当に良かった』
「……っ、父さ――」
ミシェルがようやく声を上げた途端、ライアンは煙が掻き消えるかのように消失した。
その不思議な光景に、その場にいた全員がしばらくぽかんとしていたものの、いちばんに気づいたマリーが慌ててミシェルのもとに駆け寄る。
「ミシェル! 今のはいったい……」
「分かんない……でもライアンさんがおれに力を貸してくれて、それ、で――」
「――ミシェル⁉」
ついに限界を迎えたのか、ミシェルは説明の途中でいきなり倒れ込んだ。マリーはすぐさま受け止めようとしたものの、すんでのところでヴェルナーが支えに入ってくれる。
「こりゃ魔力切れだね」
「だ、大丈夫なんでしょうか……」
「とりあえず寮――いや病院かな。マリーちゃんも疲れているだろ?」
気絶したミシェルを肩に担ぎ、ヴェルナーが「行こう」と王宮の方を振り返る。そんな二人を追いかけながら、マリーは遠くの山際が白んでいることに気づいた。
(やっと夜が……明ける……)
王都から立ち上る、白く細い煙の筋。
まもなく昇るであろう朝日を求め、マリーは歩く速度を上げたのだった。
 





