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第二章 6



 そして翌日。

 団員たちを任務に送り出したマリーは「ふむ」と食料の在庫を確認していた。


(小麦粉がだいぶ少なくなってきたわね……。卵と牛乳は十分あるけど、アイスクリーム用に別にもらってきておこうかしら)


 すると玄関の方からジローの「ひゃん!」という鳴き声がした。仕事に出た誰かが戻ってきたのだろうか、とマリーは慌ただしく出迎えに向かう。だがそこにいたのは団員ではなく、魔術師の制服を着たレインだった。


「突然失礼します、あの、マリーさんという方はおられますか?」

「マリーは私ですが……」

「あ、あなたがそうだったんですね……」


 レインのリアクションにわずかに驚いたマリーだったが、よく考えてみれば彼とは何度か会っているのに一度も名乗ったことがない。昨日のルカとのやりとりを思い出して緊張していると、レインがあらたまった様子で口を開いた。


「あの、もしよければこれから少しお話出来ないでしょうか?」

「お、お話?」

「はい。大切なお願いがあって……」

(ま、まさかライバル事務所の方から直接交渉に来るとは……!)


 やはりそれほどまでにルカを取り戻したいのだろう。だがアイドルの心と権利を守るのは世話係(マネージャー)の務め。マリーは戦場に赴く前衛騎士の気持ちでぐっと拳を握りしめた。


「分かりました! お話を伺いましょう!」

「あ、ありがとうございます!」


 リリアに留守を任せ、レインとともに魔術院へと向かう。待合室にいる人々を横目に廊下を進んでいくと、やがて彼の研究室だという部屋へと辿り着いた。


「物が多くてすみません。どうぞお掛けください」


 勧められるまま来客用のソファに腰かける。

 奥にある机には大量の本と羊皮紙が積まれており、壁には鉱石標本のように大量のサージュが飾られていた。いったいどんな移籍条件を切り出されるのかとマリーが身構えていると、向かいに座ったレインが静かに口を開く。


「急にお誘いしてしまって申し訳ありません。実は……力を貸していただきたいのです」

「そちらのご事情は理解出来ます。たしかに彼の能力は、魔術院にはなくてはならないものでしょう。ですが我々黒騎士団にとっても、ルカさんは大切な存在なんです」

「……?」

「とはいえ、ルカさんの意志がどうであるかがもっとも大切であると考えています。ですのでまずはお互いの待遇を明らかにして、最終的には本人に選んでいただくという形が――」


 ここまで話したところで、レインが「あのう」と片手を上げた。


「すみません。どうしていきなりルカの話を?」

「えっ? だってルカさんの移籍のお話ですよね」

「ち、違いますよ! ぼくがお願いしたいのはあなたです。マリーさん」

「私?」


 そう言うとレインは二人の間にあったテーブルに小さな木箱を置いた。中には真っ赤な鉱石が収められており、彼はどこか恭しくそれを見つめる。


「これは『黒騎士』様のサージュです」

「黒騎士さんの?」

「はい。中には黒騎士様の魔力が込められています。とても希少なものでしたが、本当に運よく手に入れることが出来て……」


 やがてレインが顔を上げ、すがるような眼差しをマリーに向けた。


「どうかこれに、あなたの《応援》を使っていただけないでしょうか?」

「これに……《応援》を?」

「《応援》は対象者に絶大な回復力――瀕死の人間が生き返るほどの治癒効果をもたらす、とお聞きしました。神殿の方からは新たな『奇跡の力』だと言われていたと」

「そ、それは、その」

「そのお力があれば、ここに眠っておられる黒騎士様を生き返らせることが出来るかもしれない、と思いまして」


 いきなり《応援》を引き合いに出されたマリーは、両手のひらをレインに向けた。


「ちょ、ちょっと待ってください⁉ おっしゃる通り私の《応援》にはその、とても強い癒しの力があるみたいです。けど、さすがに亡くなった方を生き返らせるというのは――」

「もちろん完全な蘇生ではなく、意識だけになると思います」

「い、意識だけ?」

「古代魔術の一つに、サージュに自身の魔力に封じておき、自身亡きあとに意思疎通出来るようにする方法があるんです。かなり複雑な術式ですし、永続的なものでもありません。でもあなたの『奇跡の力』であれば可能になるかもしれないと思いまして」

「ええええ……」


 要は故人の魂だけを蘇らせる、という感じだろうか。現実的に考えれば普通に無理な気もするが、ここは異世界。魔術という未知の力がある時点で、今まで生きてきた世界の常識は通用しないのかもしれない。


「でも、仮にそれが出来たとしていったい何を……」

「それは……」


 するとレインは唇を噛みしめ、そっと睫毛を伏せた。


「会いたいんです。黒騎士様に」

「会いたい?」

「ぼく……ぼくと兄は、黒騎士様に命を救ってもらったんです」


 聞けばレインは幼い頃、住んでいた村の近くで遭難し、野獣に襲われかけたところを黒騎士――ライアンに救出してもらったのだという。


「いつか王宮に行って、黒騎士様に直接お礼を言うんだって、兄と二人で一生懸命努力しました。でも、ようやく働けるようになった時には、もう……」

「そんなことが……」

「ほんの一瞬、一言だけでいいんです。黒騎士様と話がしたい――」


 膝の上に置いた手を、レインがぎゅっと握りしめる。血の気が引いて白くなっていく彼の手の甲を見ながら、マリーはあらためて机上のサージュを眺めた。


(本当に……私の力で、ライアンさんを蘇らせられる?)


 もしそれが本当ならレインの願いも――そして、自分のせいで彼を殺してしまったと後悔し続けているミシェルの心も晴らせるかもしれない。


(でも、亡くなった人を生き返らせるなんて――)


 木箱を手に取り、マリーは静かに中のサージュを見つめる。するとにわかに外が騒がしくなり、その直後、レインの部屋のドアが乱暴に開けられた。


「レイン! 勝手なことをするな!」

「に、兄さん!」

「兄さん⁉」


 現れた人物を見て、マリーは思わず目を剥く。

 そこに立っていたのは白騎士団のアーロンだった。彼は大股で研究室に入ると、マリーが手にしていた黒騎士のサージュを勢いよく取り上げる。

 さらに遅れて、フードを被った少年――ルカが研究室に踏み込んだ。


「良かった。間に合ったみたいだね」

「ルカさん、それに皆さんも……」


 不機嫌そうな顔のルカに加え、ミシェルやユリウス、ヴェルナーといった黒騎士団の面々が顔を覗かせる。騒ぎを聞きつけた魔術院の術師たちも集まって来るなか、ルカはじろっとマリーを睨んだ。


「勝手に一人で飛び出すなって言わなかったっけ? どうしてこんなとこにいるのさ」

「そ、それはその……ルカさんの移籍の話かと思って……」

「はあ?」


 かいつまんで説明すると、ルカは心底呆れたように眉根を寄せた。


「あのさ……言っとくけど、街でレインと話していたのはそういうのじゃないから」

「えっ?」

「頼まれたんだよ。《応援》の力を持つマリーって世話係に、黒騎士を蘇生させてほしい。同じ騎士団の僕からなら、聞き入れてもらいやすいだろうからって」

「頼まれた……」

「確かに、サージュに残存する魔力を介して生前の術者を再現する古代魔術はある。でもそれはあらかじめそういう術式を組み込んであることが大前提だし、今回のような非術師のケースではどういう反応が出るか分からない。だから断っていたのに――」



 

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