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第二章 5



 その後、特に大きな事件もなく一週間の休暇はあっけなく終了した。

 業務を代わってくれたリリアとユリウスにお礼を言い、マリーはすぐに世話係の仕事に戻る。だがその心には、いぜん大きなわだかまりが残っていた。

 内容はもちろんミシェルのことだ。


(あれから、少しは元気になったみたいだけど……)


 今日の早朝。同じく休み明けのミシェルは以前と変わらない様子で任務に出立した。

 ザガトを訪れてから、多少その顔に笑顔が戻ったように見えたが――やはり時折、ぼーっと空を眺めている時がある。やはりそう簡単に心の傷は癒えないようだ。


「とはいえ、私に何が出来るのか……」


 はあとため息をつき、手元にあった報告書をまとめて立ち上がる。今日は月に一度、王宮に騎士団の活動実績を提出する日だ。


「リリア、ちょっと出かけてくるわね」

「はい! 行ってらっしゃーい」


 寮の外に出ると、夏の始まりを感じさせる陽光が容赦なく降り注いだ。

 武術大会の会場となっていた広場を通り抜け、おなじみの斡旋所へ。すっかり見知った顔になった一番窓口の文官に月次報告書を提出し、再び広場に戻ってくる。

 まだ時間には十分余裕があり、マリーは王都の方を振り返った。


(よし、ついでに夕飯の買い物を――)


 そこで近くにあった図書館に目が留まり、マリーはふと思い出した。

 去年の秋。引きこもりのルカと話をするべく、独学で魔術の勉強をしていた時期があった。

 その時、参考資料を手に入れるために足しげく通っていた場所なのだが――そういえば、魔術以外の本もたくさん置かれていた気がする。


「もしかしたら、ザガトの記録が残っているかも……」


 久しぶりに足を踏み入れると、懐かしい紙とインクの匂いが鼻をついた。カウンターには以前蔵書探しでお世話になった眼鏡姿の司書がおり、マリーの姿を見つけると「あっ」と嬉しそうに顔を上げる。


「お久しぶりです。魔術の勉強は順調ですか?」

「その節は大変お世話になりました。魔術……は今ちょっとお休みしているんですが、実は他に探している本があって」

「おや、どういったものでしょうか?」

「十三年前、ザガトという村で起きた事件についてなんですが……」

「なるほど。それでしたら――」


 そそくさとカウンターを出たかと思うと、分厚い一冊の本とともに戻ってくる。まるですべてのページを記憶しているかのように一発で該当の場所を開くと、マリーが見やすいようにくるりと持つ向きを変えた。


「ここ二十年ほどの大規模な事件・事故をまとめた本です。これ以上の情報となると、魔術院の蔵書庫に行かなければなりませんが、おそらくさほど違いはないかと」

「ありがとうございます。さっそく見てみますね」


 壁際に置かれた書見台を借り、開かれたページの文字を追う。そこには十三年前の日付とザガトの場所、魔獣の種類、被害者数などが記載されていた。具体的な名前は書かれていないが、おそらくこの中にライアン――黒騎士もいるのだろう。


(何か新しい情報があればと思ったけど……特に何もなさそうね)


 文字だけで表された事件は淡々としていて、実際に見たザガトの悲惨な光景と乖離している気がする。少し寂しくなったマリーが、なんとか最後まで文章を読み終える――ところで、突然背後から「お、白の魔力持ちじゃねーか」と声をかけられた。


「⁉」


 びっくりして振り返る。そこには世にも珍しいピンクの髪――そして顔の下半分を覆う白い仮面を身に着けた師団の魔術師、ジェレミーが立っていた。


「やっぱりそうだ。どうした? ようやく入団試験を受ける気になったか」

「い、いえ……」

「勉強なんかしなくても、お前の《応援(エール)》ならおれが即推薦してやるぞ?」

「し、しーっ! そのことは秘密にしてくださいって……!」


 マリーは慌てて自身の口の前に人差し指を立てる。

 かつてリリア――というより彼女を担ぎ上げていた神殿は、転生者が女神様から与えられた力のことをなんの制限も縛りもない『奇跡の力』と謳い、長年王宮内で強大な権力を擁していた。

 しかしリリアが『扈従(こじゅう)の儀』に失敗し、その力を失ったこと。そしてルカの潜入調査の結果、実際には『白』に分類されるただの魔術であると判明したことで、その国情の一角を崩すこととなったのだ。

 ただしその際、マリーの持つ《応援》という能力のことも知られてしまい――あわや新しい『聖女様』に祭り上げられかけたことがある。


(あの時はなんとか逃げ切れたけど……。女神様からも、あんまり力を使いすぎるなって注意されてるし……)


 幸か不幸か、その力を使ったのはドラゴン騒動の渦中だったため、黒騎士団の団員たちと聖女の護衛として付いていたクロード、そして王宮の一部の関係者に知られる程度で済んだ。そのため名前だけは伝わっていても、マリーの顔を知らない者は多い。


「いい加減世話係なんてやめて、その力をもっと有益に使ったらどうだ」

「わ、私は今の生活が気に入っているからいいんです」

「まあ、好きにすればいい――それより『モーザ・ドゥーグ』に感心があるのか?」

「えっ?」


 するとジェレミーは腕を伸ばし、開いているページの最後の行を指差した。


「ここに書いているだろう。あいつらはいいぞ。獣でありながら炎を恐れず、むしろ狂暴化するという特異性。さらに群れで狩りをする頭の良さ。単身で討伐するのは非常に厄介だが、おれはいつか狩猟犬として――」

「ちょ、ちょっと待ってください⁉ 『モーザ・ドゥーグ』って……」

「なんだ知らんのか。魔獣の固有名だろうが」


 そう言うとジェレミーはつかつかとどこかの本棚に歩いて行き、ものの数分でつかつかと戻ってきた。マリーが見ていた本を押しのけると、図鑑のようなそれをどんと書見台に置く。勢いよく開かれたページには、黒い狼のような魔獣が描かれていた。


「モーザ・ドゥーグ。アルジェント北部の森に生息する魔獣だ。狼に似ているが比較的小型で、野生の動物にしては珍しく炎を好み、また攻撃的になるという性質がある。牙には毒があるから、とにかく一人では戦わない方がいい」

「な、なるほど……」


 矢継ぎ早に繰り出される説明に、マリーは圧倒されながらただただ頷く。そういえばロドリグ団長が『森にいるから気を付けるように』と言っていた気がする。


「ザガトの村を襲ったのはこの魔獣だったんですね」

「まあ、ここにそう記載されている以上そうなんだろ。しかし珍しいな。あいつらはよほどのことがない限り、わざわざ人里には近づかないが」

「近づかない?」

「まあ、よほど大きな焚火でもしていれば別だがな。ちなみにあまり知られていないが、人を襲う時は顔や首といった急所ではなく、足を狙うといった報告が近年上がっていて――」

「…………」


 ジェレミーの補足を聞きながら、マリーはあらためて図鑑に目を落とす。獰猛な『モーザ・ドゥーグ』のイラストを見つめつつ、喉に小骨が引っかかったように首をかしげた。


(何かしら……この変な感じ)


 もやもやとした違和感があるが、その正体がはっきりしない。

 その後も延々と魔獣の良さについて語るジェレミーに付き合い、一段落ついたところでなんとか解放された。本を返して司書に礼を言うと、ようやく図書館をあとにする。外はすでに夕方になっており、マリーは「ひいい」と小さく悲鳴を上げた。


「いつの間にかすごい時間に……! 早く買い物して帰らないと」


 小走りで王都の大通りに向かい、いつもの肉屋へ。夕飯用の豚肉をまとめて購入すると、マリーはすぐさま寮に戻ろうとした。だが大通りに出る途中で、聞き覚えのある声を耳にする。


「――ルカ、お願いだよ!」

「やだよ」

(この声……)


 何やらただ事ではない雰囲気を察し、こそこそっと声のした方に向かう。通りから一本奥まった店の脇にルカの姿があり、マリーは「はて」と首をかしげた。


(ルカさんは今日お休みだったはず。隣にいるのって……)


 そこには武術大会の時に顔を合わせた、若手魔術師のレインが立っていた。彼はルカの両腕を摑むと、なおも必死に口を開く。


「頼むよ、ルカの力が必要なんだ!」

「だからやだって。もういい? そろそろ夕飯の時間だから」

「ルカっ……」

(なんか言い争い? してるみたいだけど……)


 この場を離れるべきか迷っているうちに、ルカはさっさと大通りに戻って行ってしまった。一人取り残されたレインはどこか寂しそうに足元の石畳を見つめている。

 その光景を見ていたマリーは、ようやく一つの結論にたどり着いた。


(もしや……引き抜き⁉)


 他社に所属しているアイドルに対し、待遇や条件を良くして自社へと引き入れる行為。

 もちろん円満に移籍できる場合もあるが、そうでない場合は両社と当人の関係がこじれる諸刃の剣。前世でも、突然ライバル事務所に行ってしまったアイドルがおり、上から「信頼関係を築いていないからだ!」とかなり叱責された。


(そっか、魔術が使えるようになったルカさんに戻ってもらおうと……)


 そもそもルカが黒騎士団に来たのは、魔術が使えなくなったという理由からだ。

 しかし魔術に対する恐怖を克服したことで、今ではもう以前と変わらない術を使いこなしている。となれば魔術院(元の事務所)が「帰ってこい」と言うのはある意味当然で――。


(でもさっきの感じだと、ルカさんはそこまで希望していない? ような……)


 とりあえず、ここで色々邪推しても仕方がない――とマリーは買った豚肉を抱え直すと、そそくさとその場を立ち去るのだった。




 その日の夕食後。他の団員たちは食事を終え、すでに各々の部屋へと戻っていた。

 厨房では当番のルカが黙々と食器を洗っており、マリーは隣でそれを拭きながらちらっ、ちらっと彼の様子をうかがう。やがてルカがうっとうしそうに横を向いた。


「あのさ」

「は、はいっ⁉」

「さっきから何なの? ジロジロ見て」

「な、なんでもありませんっ!」


 じいっと睨んでくるルカの視線から必死に逃れる。引き抜きの件について詳しく尋ねたいが、こちらから切り出すのも詮索していると思われそうで――。


(うう、どうしよう……)


 その後も聞く勇気が出ず、作業を終えたルカはさっさと二階に行ってしまった。残されたマリーは食堂のテーブルで今日の活動日誌を書きながら、「うーん」と頭を抱える。


「気になる……けど、ルカさんが打ち明けてくれるのを待つしかないよね」


 ミシェルのことに加え、ルカの引き抜き疑惑。

 マリーは痛むこめかみを指で押さえながら、しおしおと自分の部屋へ戻るのだった。



 

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