第二章 3
翌日。全体的にうっすらと雲がかった空の下。
マリーとミシェルの二人は王都から乗合馬車を使って、四時間ほどの距離にある西部の町を訪れていた。いくつかの住居と店、共同の牧場が広がる素朴な景観を前に、わずかに目を腫らしたミシェルが口を開く。
「ここはランブロアって町で……一応、今のおれの出身地になってる」
「……なってる?」
「小さい時、ここに住んでた今の父さんたちに拾ってもらって……。本当の生まれ故郷は、ここからだいぶ先にあるザガトって村」
そう言うとミシェルは町には入らず、そのまま街道沿いを歩き始めた。マリーもまた何も言わずそのあとをついていく。春と夏の間にだけ香る青臭い草の匂いを辿りながら、二人は黙々と足を進めた。
綺麗だった街道は徐々に石ころや穴ばかりの荒れた道になり、マリーはつまずかないよう注意しながら前に進む。やがて道としての境目自体もおぼろげになり、もう少し行くと深い森が広がっているあたりでようやくミシェルが足を止めた。
「ここがおれの生まれた村、ザガトだよ」
「ここ、って……」
マリーはあらためて周囲を見回す。眼前に広がっていたのはおよそ村とは呼べない、閑散とした荒地だった。街道沿いに建てられていたであろう柵は壊れ、建物は柱と外壁の一部がかろうじて残っている程度。そこら中に雑草が生えており、長く放置された土地なのだと分かる。
「十三年前、魔獣の群れに襲われて……その時、村中が火事になったんだ。家も店も、家畜も全部ダメになって」
「もしかして、その時に……」
「黒騎士――ライアンさんはここで亡くなった」
朽ちた柵の残骸を跨ぎ、ミシェルが奥へと進んでいく。マリーも急いであとに続くと、やがて焦げ付いた石の土台と瓦礫が見えてきた。
「ここは?」
「おれの家。……って言っても、もう何も残ってないんだけど」
かつての間取りをなぞるように歩み寄り、ミシェルは静かに宙を見つめる。そのまま片手を持ち上げると、あたかもそこにまだ壁があるかのように触れた。
「父さんはおれが小さい時に亡くなって、母さんと二人で暮らしてた。鶏とヤギを飼ってて、時々森に入ってウサギを狩って……。そんなに裕福じゃなかったけど友達もいたし、毎日楽しかった。そんなある日、ライアンさんがこの村に来たんだ」
当時は彼が有名な『黒騎士』であるとは知らず、とにかく『騎士団の人が来た!』という興奮だけが村中に広まった。ミシェルもまた同年代の男の子たちとこっそりと彼を見に行き、そこから交流が始まったのだという。
「ライアンさんは騎士団の任務がない日に、王都から離れたところにある街や村を回ってるって言ってた。魔獣とか野盗とかを退治してくれて……。本当ならお金を払って依頼しないといけないんだけど、なかなか工面出来るところは少ないから」
「すごい方だったんですね」
「うん。本当に強くて優しい……騎士の鑑みたいな人だったよ」
ライアンはその後も月に二回のペースでザガトの村を訪れてくれた。ミシェルの家で夕食をとることもあり、その際は母親とも仲良く会話していたそうだ。
「時間がある時には、友達と一緒に剣を教えてもらったな……。あと、おれが魔術を使えるって見出してくれたのもそう。ライアンさん、魔術の腕前もすごくて……火の『特級』らしかったんだけど、普通の赤いのじゃなくて、真っ白な炎を使ってるのが綺麗だった……」
その頃から、ミシェルの生活に一つの変化が訪れた。
ライアンがいない間は村の男の子たちと鍛錬し、彼が訪れた時にその成果を披露する。噂でしか聞いたことがない王都――そんな場所で騎士として働くライアンから師事を受けられることは、何よりも誇らしかった。
「ライアンさん、いつもすっごく褒めてくれてさ。『おれでも騎士になれますか?』って聞いたら『きみならきっと素晴らしい騎士になれるよ』って言ってくれて……」
だがミシェルが六歳になってしばらくした頃、その悲劇は起きた。
「十三年前の、ちょうど今日と同じ日。その日はちょっと肌寒くて、おれは上着を着ていつものように狩りに出かけた。半日もいれば一匹や二匹は獲れるのに、その日はなぜか全然ダメで……。いつもより遅く村に戻ったんだ。そしたら――」
ザガトの村が、燃え盛る黒い業火に包まれていた。
友達が住む家も、王都から仕入れた珍しいものを売っているお店も、家畜を囲っている柵もすべて炎に呑み込まれており、ミシェルはしばしその場に立ち尽くしていたそうだ。
おまけに――。
「魔獣がそこら中をうろうろしてた。村に入ってすぐ、血だらけになった友達の足が見えて、おれ、急いで自分の家に戻ったんだけど……」
実家も他と同様、どす黒い火に囲まれていた。近づくことすら怖かったが、中にまだ母親がいるかもしれない――そう思い、無我夢中で家の中に飛び込んだという。だがそこで、暖炉の傍で胸から血を流して倒れている母親の姿を目撃したそうだ。
「多分、魔獣に襲われたんだと思う。そのままだと母さんが燃えてしまうと思って、家から引っ張り出そうとしたんだけど、その頃のおれでは力が足りなくて……」
また魔獣が戻ってきたらどうしよう――という不安に駆られながらも、ミシェルは必死になって母親の体を引きずり出そうとした。しかしその瞬間、頭上でバキッという音がし、目の前に焼けた梁の一部が落ちてきた。
「もう頭の中が真っ白になって、でもその時、後ろから強く腕を引かれて――」
ミシェルは間一髪、外へと転がり出た。
訳が分からないまま顔を上げると、そこにはライアンの姿があったという。
「大丈夫か、って肩摑まれて。おれ、泣くしか出来なくて……でもそうしてたら、いっぱい魔獣がやって来て――」
パニックになったミシェルを抱え、ライアンは村の入り口へとひた走った。自分が乗ってきた馬にミシェルを乗せ、自らも騎乗しようとする。
だがそんな彼の足に、魔獣の一匹が全力で噛みついた。
「魔獣がどんどん、馬の周りに集まって来て……ライアンさんは馬に乗るのを止めて、剣でそいつらを追い払ったんだ。そして……『行け』って……」
どん、と強く体を押され、馬は勢いよくその場から走り始めた。ミシェルは振り落とされないようにたてがみを摑み、その背で乱暴に揺さぶられる。そうして日が落ちかけた頃、ようやくランブロアの町にたどり着いたそうだ。
「町長さんに事情を説明したんだけど、夜になるからすぐには行けないって言われて。おれずっと怖くて、助けてくれた人の家の倉庫にずっと隠れてて――」
やがて明け方になり、町の男たちが村へ様子を見に行ってくれた。
しかし彼らが到着した頃には、村はすでに火事と魔獣の被害で凄惨な状態になっており、生き残っていた者は一人もいなかったという。
その中には当然、ライアンも――。
「結局、最初に助けを求めた家の人がおれのこと引き取ってくれて……それからしばらくして、ライアンさんが『黒騎士』って呼ばれていた、凄腕の騎士だってことを知ったんだ」
「そんな……ことが……」
「いきなりこんな話をしてごめんね。でも……上手く説明、出来そうになくて」
ミシェルはその場にしゃがみ込み、煤けた石の土台を指先でそっとなぞった。あまりに壮絶な過去にマリーがかける言葉を失っていると、彼が静かに口を開く。
「おれ、ずっと申し訳なくて……。だっておれのせいで黒騎士団のすごい人、いなくなっちゃったから……。だから、少しでも何か出来ればと思って騎士団に入ったんだけど……今ですら、まったく役に立てなくて」
「そんなこと……」
はは、とミシェルは小さく笑ったが、その瞳は終始翳っていた。
「当然だよね。……おれなんかが、ライアンさんの代わりになれるわけないのに」
「……ミシェルは頑張ってるよ。誰よりも」
「……ありがとう。でも、やっぱり全然ダメだよ。剣だって上達しないし、魔術だって小さい頃からまったく成長してない。騎士団のみんなは優しいから、こんなおれでも笑って許してくれているけど……」
それに、と彼の声がわずかに強張る。
「ライアンさんのこと、話したら責められると思って、おれ……騎士団に入ったあとも、誰にも言えてないんだ。ユリウスにも、ヴェルナーにも……。だからおれがザガトの出身だってこと、みんなはまだ知らない。なのに――」
アーロンと対戦したあの日。彼から『黒騎士のことで確認したいことがある』と言われ、大会のあと裏庭へと呼び出された。そこで、ミシェルがザガトの生き残りであること、黒騎士と何があったのかを追及されたという。
「多分、だけど……あの人は別に、おれを責めるつもりで話したわけじゃなかったと思う。本当に怒っているなら、騎士団のみんながいる前で糾弾することも出来たはずだし……。でもいきなり指摘されて、言葉に詰まっているうちに、おれが殺したのかって言われて……」
「そうだったのね……」
「実際、生き残りはおれしかいないわけだし、何かあったと思われても当然だよね。でもそう言われた途端、頭の中がごちゃごちゃになっちゃって……。それから毎晩、あの時の夢を見るようになって――」
悪いのは、あの日村を襲った魔獣で。
ライアンはミシェルを守ろうとしてくれただけで。
おれのせいじゃない、と何度も自身に言い聞かせていた。でも――。
「あの時……おれがいなかったらきっと、ライアンさんは助かっていたと思うんだ。おれを逃がそうとしなければ、あの人ならきっと――」
「ミシェル……」
「だからやっぱり……おれが殺したようなもんじゃないかっ、て……」
ついに言葉に詰まり、ミシェルは嗚咽を漏らし始めた。マリーは彼のそばに歩み寄ると、ゆっくりとその背中を撫でてやる。
「すごくつらいこと、話してくれてありがとう」
「…………」
「誰が悪いとか、もっとこうしておけばとか、感じるのはミシェル自身で、私が何を言っても意味はないかもしれない。でもやっぱり私は……ミシェルのせいじゃないと思う」





