第二章 2
翌日。私服に着替えたマリーは自分の部屋でうろうろしていた。
今日から一週間の長期休暇なのだが――。
「うーん……落ち着かない」
こんなに長い休みをもらったのはいつ以来だろうか。前世でもごくたまに平日休みを取ったことがあったが、あれをしようこれをしようと考えているうちに寝てしまったり、途中で呼び出しされてそのまま仕事に行ったりという記憶ばかりだ。
(私……休みの日に何してたんだっけ?)
とりあえず部屋の掃除にとりかかる。だが元々物が少ないことに加え、食事は食堂でとることもあり、ものの数分で終わってしまった。
「……ミシェル、何してるのかしら」
廊下に出て、彼の部屋がある二階に向かおうとする。
すると偶然にも、階段を下りてきていたミシェルと遭遇した。いつもの団服ではないが軽装で、その手には鞘に入った剣が握られている。
「おはようマリー。いい天気だね」
「う、うん。えーとミシェル? いったい今から何を……」
「ユリウスからはああ言われたけど、なんだかそわそわしちゃってさ。任務に参加出来ないなら、せめて剣の練習だけでもしようかと思って」
(あああ、予想通り……!)
普段であれば「頑張ってね」と送り出す場面なのだろうが、ミシェルの目の下にはいまだ濃いクマが残っていた。なんとかして引き留めなければ――とマリーは一瞬で思考を巡らせたのち、勢いよく手を上げる。
「あ、あの! 良かったら一緒に出かけない⁉」
「えっ?」
「私もお休みで暇だし、それに実は、全然観光とかしたことなくって……。ミシェルなら色々詳しいかなって思ったんだけど」
さすがに強引すぎた? とマリーはドキドキしながら返答を待つ。だがミシェルは少しだけ考え込んだあと、疲れた顔を上げて笑みを浮かべた。
「おれも地方の出身だから、そんなに詳しくはないよ。でもたしかに、ゆっくり王都を案内したことはなかったね」
「それじゃあ……」
「せっかくのお休みだし、出かけよっか」
準備してくるねと言葉を残し、ミシェルはいったん自分の部屋へと戻っていく。その姿を階下から見守りながら、マリーは「よしっ」と拳を握りしめた。
(とりあえず、少しでも気分転換になればいいんだけど……)
しばらくして、私服に着替えたミシェルが一階に下りてきた。
胸元を紐で結んだシンプルなチュニックにブラウンのパンツ姿。剣も部屋に置いてきたらしく、年相応の爽やかな笑みをマリーに向ける。
「それじゃ、行こ?」
「うん!」
ミシェルに連れられ、マリーは王都のさまざまな場所を巡っていく。
生花店やケーキ屋、理髪店に帽子屋など、さまざまな店が軒を連ねる大通り。街の中心にある大聖堂では今日も多くの人が祈りを捧げていた。
雑踏の中を歩いていると、ミシェルがくるりと振り返る。
「どこか、行きたいところとかある?」
「えーっと、それなら新しい服を見たいかも」
「あ、いいね」
そうして案内されたのは、女性ものの衣装を専門に仕立てる工房だった。
ある程度縫製が終わっている仮の衣服を着用し、細かいサイズをその場で調整していく。現代でいうパターンオーダーに近い感じだろうか。仕事用のブラウスとスカート、普段着用のワンピースを何着か注文して店を出たところで、ミシェルが得意げに提案した。
「そろそろお腹減らない? おれ、いい店知ってるんだ」
昼ご飯を食べ、そのまま近くにあった屋台へ。
砂糖をいっぱいまぶした焼き菓子を片手に、二人は時間を忘れて散策した。買い物や仕事で何度も訪れている街並みだが、オフの日というだけでまったく別の景色に見える。
(あらためて見ると、色々なお店があるのね)
アクセサリーショップや宝石店、舞踏会で着るようなドレスのお店など、普段近づくこともない道沿いのショーウインドーを眺めていると、うっすらと青く色づいた水晶に目が止まった。
ふと興味を惹かれミシェルに尋ねてみる。
「ミシェル、あれは?」
「あれはサージュだよ。前に握らされたことあるでしょ?」
「そういえば……」
半年ほど前、ハクバクの森で大量発生した魔獣の原因を調べるため、黒騎士団の全員に配布された記憶がある。それが物的証拠となって、マリーが捕まることになったというある意味忌まわしい思い出だ。
「基本的には魔力の確認に使われるものなんだけど、力の強い魔術師が魔力を込めたものは、それだけで特殊な効果があると言われているんだ」
「特殊な効果?」
「うん。簡単に火を付けたり、飲み水を生み出したり……。だから有名な人のサージュはすごく高価で貴重なんだよ」
「へえー……」
すらすらと紡がれるサージュの説明を、マリーは興味深く聞き続ける。
だがそこでふとミシェルの言葉が途切れ、驚いたマリーはそろーりと彼の方を見上げた。ミシェルはショーウインドーに片手をついたままぼーっとしており、こちらの視線にまったく気づいていない。
「ミシェル、大丈夫?」
「えっ?」
「さっきから時々……その、ごはん食べてる時とかお店見てる時も、気づくと心ここにあらずって感じだったから」
「ご、ごめん……」
指摘されるまで本気で気づかなかったのだろう。ミシェルは慌てて口元を押さえ、わずかに顔色を悪くする。それを見たマリーはおそるおそる口にした。
「ただ疲れているだけならいいの。でももしかして、他に理由があったりする?」
「そんなこと……」
「たとえばその……アーロンさん、とか……」
「‼」
その名前をマリーが口にした途端、ミシェルは大きく目を見開いた。これまでにないほど表情が曇り、マリーはこれ以上踏み込んでよいのか一瞬迷う。
だがこのままでは、ミシェルが本当にいつか壊れてしまう――と勇気を出して口にした。
「実は見ちゃったの。大会のあと、アーロンさんと一緒にいるところ」
「そう……なんだ」
「黙っていてごめんなさい。でも――」
するとミシェルがマリーの言葉を遮るようにして口を開いた。
「もしかして……話も聞こえちゃった?」
「……!」
正直に答えてよいか迷い、マリーはしばらく口をつぐむ。
その態度だけで察したのか、ミシェルは困ったように眉尻を下げた。それを見たマリーはぐっと唇を噛みしめ、すぐさま顔を上げる。
「ごめん、聞こえた。けど、私は信じてないから」
「……マリー」
「だって黒騎士さんって、地方の村で魔獣に襲われたのよね? それならミシェルは全然、関係ないと思うし」
そうだ、大丈夫、とマリーは何度も自分の心の中で繰り返す。
だが大会が終わってからのミシェルの態度が、どうしても頭から離れない。アーロンから何を言われても、無実ならそう言い返せばいいだけなのに。どうして――。
「関係ないよね? 何もして、ないんだよね?」
「…………」
知らず握りしめた拳が、いつの間にかガタガタと震えていた。
ミシェルはその場でしばし押し黙ると、震えるマリーの手をそっと持ち上げる。見た目の綺麗さとは違い、彼の手のひらは剣の鍛錬でついたマメでごつごつしていた。
「ごめん。なんていうか、その……」
「…………」
「……ごめん……」
二人の頭上には雲一つない青空が広がっていて。街ゆく人たちはみんな楽しそうで。
どこかで子どもの笑い声が上がっていて、お店からは美味しそうなご飯の匂いが漂ってくる。
世界は今日もこんなに、こんなにも幸せそうに輝いているのに――まるでここだけ、どしゃぶりの雨の下にいるみたいだ。
(ミシェル……)
今にも泣きだしそうな彼の声を聞き、マリーはたまらずその手を強く握り返した。
「私に……出来ることはない?」
「……?」
「その、何があったかなんて聞けないけど、でも……これからもずっとミシェルが苦しみ続けるのは嫌だよ……」
「マリー……」
すがるような気持ちで、自らの奥底に眠る《応援》の力に呼びかける。
繋いでいる二人の手から、すぐにふわっと白い輝きが舞い上がった。しかし女神様からの『ギフト』であっても、心の傷には効果がないらしく――ミシェルはただ寂しそうに微笑んだ。
「ありがとう。でも、ごめん」
「ミシェル……?」
「関係ないって、言いたい。でも……やっぱりおれのせいだと思うし……」
「どういうこと?」
「もう、自分でもよく分からないんだ……。でも本当のことを知ったら、きっとみんなおれのこと嫌いになる。おれ、黒騎士団にいられなくなる……」
「…………」
「おれ……どうしたらいいんだろう……」
普段の明るくて朗らかなミシェルからは想像も出来ない、暗く落ち込んだ表情。その手は恐怖からか、すっかり冷たくなっていた。
マリーはあらためて握り直すと、まっすぐに彼の目を見つめる。
「ミシェル。良かったら、ちゃんと教えてほしい。いったいミシェルと――黒騎士さんの間に何があったのか」
「でも、おれ……」
「私はやっぱり、ミシェルがそんな……酷いことする人だとは思えない。どうしてミシェルが自分のせいだと思っているのかは分からないけど……でも、このまま苦しんでいるミシェルを放っておけないよ」
「…………」
「何を聞いても、どんな事実があっても、絶対に嫌いになんてならない。だから――」
その瞬間、ついにミシェルの目からぼろりと涙が零れ落ちた。赤い瞳がルビーのように輝き、長い睫毛に透明な水滴がいくつも実を結ぶ。
「ありがとう、マリー……」
「ミシェル……」
「ごめん……ごめんね……」
二人が立つ石畳に、ぱた、ぱたといびつなまだら模様が出来る。そのまま声もなく泣き濡れる彼の手を、マリーはいつまでも握り続けたのだった。





