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第二章 ミシェルの過去



『騎士団対抗・武術大会』が終わってから数日後。

 今日は珍しく任務が早く終わったらしく、団員の何人かが夕食づくりを手伝ってくれていた。そんななか、ぶすぶすと黒い煙を上げるフライパンを見てマリーが悲鳴を上げる。


「ミシェル! 魚焦げてる‼」

「えっ? あっ、うわっ‼」


 慌てて持ち上げたせいで、真っ黒になったムニエルが鉄板の上に落ちてしまった。周りの団員たちが「あーあー」と集まってきて、ミシェルに向かって心配する。


「おい、大丈夫か?」

「す、すみません! ちょっとぼーっとしてて……」

「お前この前も怪我しかけてただろ? どっか悪いんじゃねえのか」

「いえ、そんなことは……」


 すぐさま調理に戻ろうとするミシェルだったが、「あとは俺たちがやっとくから休んどけ」と厨房を強引に追い出されてしまった。完全に姿が見えなくなったところで、マリーは「はあ」と肩を落とす。


(ミシェル、あれからずっと調子が悪いみたい……)


 やがて夕食の準備が終わり、お腹を空かせた団員たちが次々と食堂へ入ってきた。

 手慣れた様子で配膳や給仕をしていたマリーだったが、ひとしきり全員に行き渡ったかなというところで、ミシェルがまだ来ていないことに気づく。


「あの、ミシェルって見ました?」

「いやー? もしかしたら部屋で寝てんじゃないか?」

「マリーちゃん、呼びに行ってやってよ」

「わ、分かりました」


 他の団員たちに厨房を任せ、二階へと上がる。廊下を挟んだ左右に各団員たちの部屋があり、マリーはミシェルの部屋の前に立った。扉越しにそっと話しかける。


「ミシェル? 晩ごはんの時間だけど――」

「…………」


 しかし何度呼びかけても応答はなく、マリーはコンコン、コンコンと扉をノックする。するとドサッと何かが落ちる大きな音がし、続けて部屋の扉が慌ただしく開かれた。


「ごっ、ごめん! 何かな⁉」

「ば、晩ごはんが出来たから、呼びに来たんだけど」

「晩ごはん……。ああ……もうそんな時間か……」


 ミシェルはどこか安堵したように息を吐き出す。だがその顔や首が汗でびっしょりと濡れていることに気づき、マリーはたまらず尋ねた。


「大丈夫? なんか具合悪そうだけど」

「ごめんね、心配かけて。ちょっと寝てたら、変な夢見ちゃっただけだから」

「夢……」


 かいていた汗をごしごしと袖で拭い、ミシェルはふらつく足取りで食堂のある一階に向かおうとする。それを見たマリーはたまらず彼の腕を摑んだ。


「マリー?」

「ご、ごめん。でもあの、やっぱり大丈夫と思えなくて」

「…………」

「どこかで少し、お休みをとった方がいいんじゃないかな? この前の大会も頑張ってたし、ゆっくり体調を整える時間も必要というか――」


 前世でも、真面目であればあるほど、根を詰めて体やメンタルを壊す人が多かった。

 実際、ミシェルの目の下にははっきりとクマが浮かんでおり、マリーは必死になって説得を試みる。だが彼はしばし口をつぐんだあと、力なく微笑んだ。


「ありがとう。でもほんとに平気だから」

「でも……」

「さ、早く食堂に――」


 するとそんな二人にもとに、一階から上がってきたユリウスが姿を見せた。いつも通りの不機嫌そうな顔つきのまま、ミシェルに向かって口を開く。


「ミシェル。お前に明日から一週間、長期休暇を命じる」

「ユリウス? 突然どうして……」

「ここ数日のお前は、誰が見ても精彩を欠いていた。そんな不安定な状態で騎士団の任務に当たらせるわけにはいかない」

「だ、大丈夫だよ! そりゃ、最近ちょっとミスすることが多かったけど、でも……」

「そのミスが命取りだと言っている。いいか、これはリーダー命令だ」

「うっ……」


 反論は受け付けないとばかりに断じられ、ミシェルは困惑したように下唇を噛みしめた。

 それを見ていたマリーが「少しかわいそうかも」と案じていると、なぜかユリウスがおもむろにこちらを振り返る。


「ついでにお前も休んでこい」

「えっ?」

「世話係になって一年、まともに休息を取っていないだろう。世話係の業務は俺とリリアが引き継ぐ。一週間、旅行にでも行って気分転換してくるといい」

「そ、そんなこと突然言われましても……」


 いきなり長期休暇を申し渡され、マリーは頭の中が真っ白になる。前世では有休消化どころか、休んだふりして出勤しろと言われていたほどなのに。しかも二週間も。


(いったい……何をしろと⁉)


 だが混乱しているうちに、ユリウスは階段を下りて行ってしまった。

 ぽかんと立ち尽くしているミシェルを横目に、マリーは慌てて彼を追いかける。一階の廊下でようやく追いつき「あの!」と勢いよく挙手した。


「すみません!」

「なんだ?」

「お、お休みの件で……。ミシェルは分かるんですが、どうして私まで……」

「休みをやると言ったのに何が不満なんだ」

「だってそんなの気にされたこと、今まで一度も……」

「…………」


 するとユリウスは押し黙り、手を口元に押しつけて「んんっ」と妙な咳払いをした。


「うちの騎士団だけ、雇用条件が悪いと思われたくないからな」

「雇用条件……?」


 ハローワークで聞こえてきそうな単語が飛び出し、マリーは思わず眉根を寄せる。だが先日のあれそれを思い出し、すぐに「はっ」と目を見開いた。


(もしかして、エーミールさんが言ってたことを気にして……⁉)


 なんだか申し訳なくなり、どうしたものかと内心わたわたする。そんなマリーをしばらく眺めていたユリウスだったが、やがて体の前でゆっくりと腕を組んだ。


「言っておくが、理由はそれだけじゃない」

「へ……?」

「単に休めと言ったところで、あのミシェルが素直に従うとは思えん。そこでお前も一緒に休ませて、無理やりにでも休息を取らせたかっただけだ」

「あ……なるほど……」


 あの真面目なミシェルに暇を与えたところで、なんだかんだと言いながら剣の練習や鍛錬をしてしまうに違いない。だがマリーも一緒となればさすがの彼も――要はミシェルがちゃんと休んでいるかの監視役といったところか。


「あいつが無茶しないよう、適当に見張っておけ。ミシェルの様子がおかしいことは、お前も気づいているんだろう?」

「は、はい……」

「どこか街に連れ出してもいいし、旅行に赴いてもいい。悪いが少し、あいつの息抜きに付き合ってやってくれないか」

「わ、分かりました……」


 マリーが小さくうなずいたのを確認し、ユリウスは食堂へ戻ろうとする。そんな彼をマリーは再度呼び止めた。


「あの、ユリウスさん」

「? まだ何かあるのか」

「その……」


 黒騎士さんのことを詳しく教えてもらえませんか――という言葉が喉元まで出かける。

 だがその瞬間、建物の裏で話していたミシェルとアーロンの姿を思い出してしまい、マリーはすぐに口をつくんだ。眉間に皺を刻んだユリウスを前に「何でもありません」と首を振る。

 やがてユリウスがいなくなり、マリーは「はああっ」と息を吐き出した。


「どうしよう……」


 階段の先に続く二階を、廊下からじっと見上げる。

 ミシェルは結局、いつまでも下りてこなかった。



 

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