第一章 7
たしかにマリーや団員たちには、クロードが来ても取り次がないでほしいとお願いしていた。しかしそれは決して、彼に怒っていたなどではなく――。
「違うんです。クロードさんが悪いんじゃなくて、単にわたしが会いたくなかっただけで」
「それはやはりわたしのせいで」
「だからそうじゃなくて! その……軽蔑されてる、って思ったんです……」
「軽蔑?」
クロードの小さな問いかけを聞き、リリアは肘のあたりの袖を片手でぎゅっと握りしめた。
「わたし……嘘ついてたじゃないですか。本当はこんなブスなのに、可愛い子のフリしてクロードさん連れ回したりして」
「…………」
「ワガママもいっぱい言ったし、お仕事の邪魔もたくさんしたし……」
あの頃の自分にとって、可愛いことは絶対的な正義で。
聖女として選ばれた自分は、きっとこの世界の主人公なのだと思っていた。
でも自分の力は本当はものすごく不安定なもので、それを甘く見ていたせいで奇跡の力はあっけなく失われた。どんな男の人でも振り向かせられるような美貌も損なわれ、地味で大っ嫌いな以前の顔に戻ってしまった。
(前の顔なら、クロードさんの横にいても恥ずかしくなかった。でも……)
今の自分はどう考えても、彼の隣に立つのにふさわしくない。実際、彼も困って二の句が継げないでいるではないか――とリリアはひとり絶望する。
だがしばらくして、クロードがとても真面目な顔で小首をかしげた。
「あの、失礼なことでしたらすみません。その……ブスとはどういう意味なのですか?」
「えっ? あ、もしかしてこっちにはない言葉なのかな……。えーっと要はその、不細工ってことです! 顔が悪いとか美人じゃないとか」
「? いったい誰が不細工だと?」
「いやですからわたしが……」
いったい何の確認をさせられているのだろう。
リリアはいよいよ情けなくなり、やけくそ気味に自身を指差す。だがクロードは神妙な顔つきのまま「ふむ」と顎に片手を添えた。
「申し訳ございません。やはりよく分かりません」
「わ、分からないって……」
「リリア様は不細工でも、顔が悪いとも思えないのですが」
「――っ⁉」
真正面からどストレートに言われ、リリアは一瞬で赤面してしまう。
「だ、だってこんな地味な顔ですよ!」
「個人的にはとても綺麗なお顔をされていると思います。目鼻のパーツがどれも整っていますし、配置も上品で美しい」
「せ、性格だって暗いし!」
「そうですか? 以前、護衛として一緒に行動させていただいていた時は、遊びにも視察にも毎日楽しそうに取り組まれる方だなと思っておりました」
「そ、それはその、初めて見る異世界が珍しかったからってだけで……」
「それに今も黒騎士団で頑張っておられるんでしょう?」
「う、ううう……」
ついに反論する材料を失い、リリアはその場で口をつぐむ。するとクロードがあらためてまっすぐにリリアの方を見つめた。
「とにかく、わたしがリリア様を軽蔑するなどありえませんので」
「は、はい……」
「それより……もう一度だけ、きちんと謝りたくて」
「……?」
そう言うとクロードは、リリアに向かって再度静かに頭を下げた。
「あの時――ドラゴンからお守りできず、本当に申し訳ありませんでした」
「あ、あれはそもそも私のせいで……」
「いいえ。あなたをあらゆる危険からお守りするのが自分の役目でした。それなのに、あんな恐ろしい思いをさせてしまうなんて……」
「…………」
なおも謝罪を続けるクロードを前に、リリアはぐっと唇を引き結ぶ。小さく息を吸い込むと、恐々と口を開いた。
「あれは……本当にわたしのせいなんです。わたしが自分の力に慢心して、よく分からないままに使い続けたから、ドラゴンを怒らせてしまった」
「それは――」
「だからクロードさんにはなんの責任もありません。ですからあの、もうこんな風に謝罪とか、申し訳ないとか思わないでください」
「リリア様……」
上手い言い方が思いつかないながらも、リリアは必死になって自分の思いを伝える。クロードはほんの少しだけ戸惑っていたようだが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。……あなたは優しい方ですね」
「や、優しくなんて……」
「いきなり追いかけるような真似をしてすみませんでした。休憩時間が終わる前に、騎士団の皆さまのところまでお送りいたしますね」
「えっ⁉ い、いや、いいです、大丈夫です!」
「遠慮なさらず、さあ」
ためらいなく手を差し出してきたクロードを前に、リリアは少しの間硬直する。
だがぎこちなくその手を取ると、彼に先導される形でゆっくりと歩き始めた。その背中を見つめながら、やがておずおずと口にする。
「あの、ち、近くまででいいですから」
「何故です?」
「わたしと一緒に戻ったりしたら、誰かから何か言われるかもしれないし……。わたし、もう昔みたいに可愛くないし、聖女様でもないのにクロードさんとなんて……」
すると前方から「ふふっ」と小さな笑いが零れた。
「リリア様は、ずいぶんと今のご自分を卑下しておられるんですね」
「そ、それはそうです。だって――」
「わたしから見れば以前のあなたも、今のあなたも等しく可愛らしい女性なのですが」
「えっ?」
リリアが思わず顔を上げると、前を歩いていたクロードが振り返ってにこっと微笑んだ。
それは聖女として選ばれたあの日、『今日から専属護衛を務めます』と自己紹介してくれた彼のままで――。
「どうか自信をもってください。あなたは今も、とても素敵な女性です」
「……!」
やがて休憩している黒騎士団一行が見えてきた。クロードが足を止め、繋いでいたリリアの手をすっと離す。
「お約束通り、ここまでにいたしますね」
「あ、ありがとうございます……」
「それでは。……話を聞いてくださり、ありがとうございました」
クロードは礼を言い、すぐにその場を立ち去ろうとする。その背中をじっと見つめていたリリアだったが、ようやく決心したのか「あの!」と彼を呼び止めた。
「わ、わたし……前みたいに可愛くないし、聖女でも、ないんですけど……」
「……?」
「お仕事の時とか……話しかけてもご迷惑じゃないですか……?」
クロードはそれを聞いてぱちぱちと瞬いたのち、嬉しそうにゆっくりと目を細めた。
「もちろんです。これからも、よろしくお願いします」
「は、はいっ!」
やがて彼の姿が完全に見えなくなり、リリアは「はああっ」と息を吐き出しながら胸に手を置いた。心臓が今にもはち切れそうなくらいくらいドキドキしている。だけど――。
(昔、いじめられていた時みたいな、嫌な動悸じゃない……)
今の自分は、あの頃の可愛い『リリア』ではなく、ただの『馬〆璃々亜』でしかない。
でも――。
(わたしやっぱり、クロードさんのこと――)
自覚するだけで、顔からぼんっと火が出そうになる。
秘密の恋をしっかりと胸にしまい、リリアは足早に皆のもとに戻るのだった。
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一方、リリアがいなくなってしばらくした頃。
ハンバーガーを食べ終えた団員たちから、じわじわとおかわりの声が聞こえてきた。
「マリーちゃん、これもう一個貰っていいかー?」
「オレも欲しーい!」
「あ、はーい」
バスケットを開け、余分に作っていたハンバーガーを配っていく。ポテトとナゲットも残り少なくなっており、マリーは「うーん」と口元に手を添えた。
「量が足りなかったかしら……。まだパンの生地はあったはずだし、ハンバーグは明日使う予定のお肉をミンチにすれば……野菜も――」
やがてマリーは「よしっ」と立ち上がると、ミシェルたちの方を振り返った。
「ちょっと寮に戻って、おかわり作ってくるね」
「えっ、今から?」
「まだみんなお腹減ってそうだし……。休憩時間ってもう少しあるよね?」
「それは大丈夫だけど……」
今にも走っていこうとするマリーを見て、ミシェルが慌てて立ち上がった。
「じゃあおれも手伝うよ。人手は多い方がいいだろうし」
「え、でもせっかくの休憩時間が」
「大丈夫。ほら、行こ!」
ルカの怠惰な「いってらっしゃーい」という見送りを受け、ミシェルと二人で黒騎士団の寮へと向かう。すると中庭を越えた辺りで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おい! まだ直らないのか⁉」
(この声……エーミールさん?)
ちらりとそちらの方を見る。どうやら近くに寮があるらしく、エーミールと青騎士団の団員たちが困惑と焦燥を交えた顔つきでたむろっていた。
「いったい何があったのかしら?」
「さあ……」
何やら剣呑な雰囲気を察し、二人はなんとなく足を止める。すると建物の中から青騎士団の世話係らしき男性が現れ、エーミールたちに向かってペコペコと頭を下げ始めた。





