第一章 6
マリーとユリウスが戻ってきたのとほぼ同時に、馬術競技を終えたヴェルナーがくたびれた様子で待機所に帰ってきた。
「いやー疲れた~」
「ヴェルナーさん、お疲れさまでした」
「ありがと。もうさ、あれクリアさせる気ある? って感じだよねえ」
マリーが差し出したタオルを受け取り、ヴェルナーは額や首に残る汗を拭う。そこでふとユリウスの姿に気づき「あれ?」と瞬いた。
「ユリウス、無事だったんだ」
「何の話だ」
「いや、ご令嬢たちに囲まれているのが見えたからさ。終わったら助けに行かないとなーと思ってたんだけど」
「お前の助けなぞいらん」
苛立ちのままに片眉を跳ね上げ、どこか憤慨した様子でユリウスが去っていく。
マリーがぽかんとその背中を見送っていると、ヴェルナーがタオルを首にかけながら「ありがとね」とこちらを振り返った。
「マリーちゃんが助けに行ってくれたんだろ?」
「い、いえ! そんな大層なものでは」
「いや、実際助かったよ。あいつ、女性に触られると気絶しちゃうから」
「き、気絶ですか⁉」
初めて聞く情報にマリーは目を見開く。一方ヴェルナーは、受け取った水筒の水を勢いよく飲みながらあっさりと言い放った。
「うん。前に言ったじゃん、女性が苦手って」
「それは聞きましたけど、でも気絶するとまでは」
「あー、まあ本人にもよく条件は分かってないらしいんだけどね。ただ女性の手? が特にダメらしくて。バルコニーから飛び降りて回避するくらいだから、もう相当だよね」
「は、はあ……」
単に性格的な好き嫌いかと思っていたが、思った以上に深刻な事情があるようだ。今さらになって緊張してきたマリーだったが、そこでふと自身の手を見下ろす。
(あれ? でもさっき、少しだけど普通に手を繋いでいたような……)
いよいよ訳が分からなくなり、マリーは「ううん?」と眉根を寄せる。すると会場の方から進行役の声が聞こえてきた。
「以上で午前の競技を終了します! 昼食休憩後、午後の種目をスタートしまーす!」
「お昼休憩……」
気づけば太陽が頭の真上にあり、背後から「マリーさーん!」という元気な声が飛んできた。振り返ると大きなバスケットを手にしたリリアが走ってくる。
「そろそろかと思って、お昼持ってきました!」
「ありがとう、運ぶの手伝うわ」
「ああいえ、もうミシェルさんたちに手伝ってもらってます」
待機場所にいた団員たちとともに、王宮内にある中庭へと移動する。
そこには枝ぶりの良い樹木が植えられており、下には大きな木陰が広がっていた。厚手の布で出来た敷物をいっぱいに広げ、ミシェルや他の団員たちが昼食の準備を進めている。
「ごめんね、色々運んでもらったみたいで」
「ううん全然。ええっと、あとはルカを呼んでこないと――」
「ねえまだ? お腹空いたんだけど」
「い、いつの間に……」
姿を消していたルカがしれっと戻ってきており、ミシェルはおもわず苦笑する。全員が揃ったところでマリーがぱん、と嬉しそうに両手を叩いた。
「さあ皆さん、いただきましょう!」
バスケットの中身を取り出してどんどん配る。真っ白い油紙に包まれたそれは、香ばしく焼き目を付けたパンに分厚いハンバーグ、チーズ、レタスにトマト、玉ねぎと特製ソースを挟んだ手作りハンバーガーだった。
別のバスケットを開けると、大量に揚げた皮付きフライドポテトとオニオンリング。手作りのトマトソースとサワークリームの隣には、ナゲットが山盛りに詰め込まれている。
「リリアごめんね、大変だったでしょ」
「いえいえ、準備はマリーさんに手伝ってもらいましたし。それにこういうジャンクフード、一回お腹いっぱい食べてみたかったんですよね~」
「まあたしかに。この量は前世でもなかなか見ないわね」
初めて見るメニューだったのか、具材が何層も重ねられたハンバーガーや出来たてのナゲットに団員たちも興味津々だ。やがて全員の手に麦酒とジュースが行き渡ったところで、ユリウスがジョッキを掲げた。
「とりあえず午前は無事終了した。引き続き、午後の競技も怪我なく挑むように」
「おーーっ‼」
カンパーイ、という声があちこちで交わされ、ガサガサという油紙の擦れる音が続く。
すぐに「うめぇー!」「なんだこれ‼」という感想が上がり、それを聞いたリリアがどこか得意げに「ふふん」と口角を上げていた。
「それじゃあ、私も」
マリーも満を持してかぶりつく。焼いたパンのサクッという歯ごたえのあと、シャクッというレタスのみずみずしさ、ジューシーなトマトとハンバーグの肉汁が混じり合い、ぺこぺこのお腹にあっという間に呑み込まれていく。
社畜時代にもこうした軽食にはよくお世話になっていたが、天気の良い外で食べているということもあり、今まで食べたどれよりも美味しかった。団員たちも同様だったらしく、みな満面の笑みでハンバーガーを頬張っている。
「いやー、汗かいたあとにビールと美味い飯! もうこれで大会終わってもいいな!」
「おいおい、まだちょっと早えーだろ」
「おーいおかわり!」
「ほらよ! いやーうめえなあ!」
ポテトとハンバーガー片手に、団員たちは冷えた麦酒をぐびぐびと吞んでいる。それを横目に見ていたルカが、自身の持つジュースの小さなグラスを見つめてぼそっと零した。
「なんていうか、ずるいよね……」
「ルカさん?」
「仕方ないよ、おれたち未成年だし。来年には吞めるからいいじゃん」
「むー。それはそうだけど……」
それを聞いていたマリーは「あっ!」と嬉しそうに顔を上げた。きょとんとする二人を残し、リリアのもとに駆け寄る。
「リリア、一緒に持ってきてほしいって言ってたやつは……」
「あ、これですか?」
リリアの手には金属製の保冷箱があり、マリーは「ありがとう」とそれを受け取った。
「中身見ずに氷室から出して来たんですけど、何が入っているんです?」
「ふふ。リリアもこっちに来て一緒に飲む?」
新しいグラスとともに、ミシェルたちのもとに戻る。
不思議そうな顔をする三人の前で、マリーは保冷箱の蓋を押し開けた。中に入っていたのはキンキンに冷やしたボトルの炭酸水に、緑に色づけしたシロップ。摘み立ての真っ赤なベリー。そして昨日作っておいたバニラアイスだ。
「これをこうして……」
「あ、これってもしかして――」
前世の知識があるリリアが、さっそく完成品を予想する。
グラスの底に緑のシロップを入れ、炭酸水をなみなみと注ぐ。泡が収まったところで丸くくり抜いたバニラアイスを乗せ、最後にベリーを添えれば――。
「はい、メロンクリームソーダの完成!」
「きゃー! おいしそー!」
「まあ実際、メロンは色だけなんだけど……」
緑の濃淡とバニラアイスの白さが眩しいそれを、リリアは感激した様子で手に取る。ミシェルとルカもおそるおそる受け取ったあと、興味深げにグラス全体を眺めていた。
「これ……ジュース?」
「うん。良かったら飲んでみて」
マリーに勧められ、ミシェルが恐々と口にする。一口飲んだ途端、ぱあっと目を輝かせた。
「美味しい……!」
「暑い時には最高ですよねー。私も大好きで」
「ねえ、この上の白くて甘いの何」
「これはアイスと言って……」
若者組が四人揃って、クリームソーダづくりにわいわいと盛り上がる。するとそこに白い騎士服を着た男性が近づいてきた。男性は背後からリリアに向かって話しかける。
「あの、すみません」
「はい! もしかして一緒に飲みたいと――」
勢いよく振り返ったリリアだったが、その正体を見た途端さあっと青ざめた。
「ク、ククク、クロードさん……⁉」
「やはり、リリア様でしたか」
(ま、まずい……!)
そこに現れたのは白騎士団・リーダーのクロードだった。
すぐにマリーも気づいたものの、ここでいきなり割り込んでいいのだろうかと一瞬戸惑う。するとリリアは手にしていたメロンソーダをマリーに押しつけ、そのまま勢いよく明後日の方向に向かって逃げ出した。
「リ、リリア⁉」
「す、すみませんー!」
突然のことにマリーはただただぽかんとする。すぐにクロードに事情を――と思ったものの、なんとその直後、クロードがリリアを追いかけて走り出したではないか。
「クロードさん⁉」
「リリア様! お待ちください‼」
あっという間に姿を消してしまった二人を、マリーもまた慌てて追いかけようとする。だがその腕をルカががしっと捕まえた。
「ほっときなよ。ここで暮らしている以上、一生顔合わせないとか無理だし」
「で、でも」
「当人同士でしか話せないこともあるでしょ」
しゃく、と溶けかけたアイスを口に運びながら、ルカがこともなげに言う。それを聞いたマリーは足を止め、不安そうに二人の行き先を見つめるのだった。
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全速力で走りながら、リリアはほとんど泣きそうだった。
(どうして……どうして追いかけてくるのー⁉)
周りにいないか十分気を付けていたはずなのに、クリームソーダに夢中ですっかり警戒を怠っていた。それにしたって、どうして――。
「リリア様! お願いです、話をさせてください!」
「い、いやですー!」
こんなに走ったのは前世、体育祭で無理やり出場選手にさせられた時以来だろうか。あの時はトラックを回っているだけで笑われたが、今は誰もリリアのことを蔑む人はいない。
(それは、いいんだけど……)
人生でいちばんと断言出来るほど必死に走ったが、エリート揃いの白騎士団、そのリーダーであるクロードに勝てるはずもなく、あっという間にリリアは腕を摑まれた。
「リリア様!」
「――っ‼」
いよいよ逃げ場を失い、リリアは仕方なくその場に立ち止まる。はあ、はあと二人分の息が落ちる音のあと、クロードがやっと手を離し、続けて勢いよく腰を折った。
「――申し訳ありませんでした!」
「……?」
突然謝罪され、リリアは訳が分からず目をしばたたかせる。一方クロードは額に落ちてきた前髪をぎこちなくどかしたり、自身の手の甲をさすったりと忙しい。
「おそらく自分が何か失礼なことをしてしまったと思うのですが、正直なところまったく心当たりがなく、そもそもこのような謝罪をすること自体、とても恥ずかしいことだと分かっているのですがそれでも」
「ちょ、ちょっと待ってください⁉ いったい何の話を……」
「ですからその……リリア様が、わたしに怒っておられる理由を――」
「――っ‼」
まさかの回答にリリアは急いで首を横に振った。
「ち、違います! クロードさんが何かしたなんてこと、全然なくて――」
「でもずっと、わたしのことを避けておられましたよね?」
「そ、それは……」
 





