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第一章 5


「ぐぬぬぬ……」


 最後に設置された三連続のコンビネーションを鮮やかにクリアし、そのままゴールである白線に駆け込む。ユリウスは速度を落として地面に降り立つと、馬の首を軽く叩きながらわずかに微笑んだ。


「良い走りだった。ありがとう」

「ぐっ……!」


 その姿は、男である自分が見ても様になっており――案の定、取り巻く女性陣の歓声が最高潮に達した。それを聞いたエーミールはまたひとり、ぐぎぎと奥歯を噛みしめるのだった。




 ユリウスの走りを見ていたマリーとミシェルは、思わずこくりと唾を呑み込んだ。


「かっ……こいー!」

「馬術競技ってあんなにすごいんだ……」


 二人して興奮気味に拳を握りしめる。戻ってくるであろうユリウスを今か今かと待っていたのだが、なぜかいつまで経ってもこちらに帰って来ない。


「ユリウスさん、どうしたのかな」

「……多分だけど、あそこで捕まっているのかも」

「……?」


 ミシェルが指さした先を見ると、観客席にほど近いところでユリウスが大勢の女性たちに取り囲まれていた。おそらく先ほどの競技を見ていた観客だろう。


「だ、大丈夫かな?」

「さすがに適当に切り上げてくると思うけど……」


 しかしいっこうにユリウスがこちらに戻ってくる様子はなく、マリーはふと、以前ヴェルナーから聞いた『彼は女性全般が苦手』という言葉を思い出した。あの時は、ユリウスに嫌われていると落ち込んでいたマリーをフォローするため、くらいにしか考えていなかったが――。


(まさか、本当に逃げられなくなっているのでは……)


 いよいよ不安になり、マリーは背伸びをしてユリウスの状況を確認する。そこで普段以上に険しい顔をしている彼を発見し、たまらず一歩を踏み出した。


「ごめん。私、ちょっと行ってくる!」

「えっ、マリー?」


 驚くミシェルを残し、マリーは足早に人だかりのもとへと向かうのだった。





 むせるような香水と脂粉の匂いに、ユリウスは思わずその場で息を止めた。


(なんなんだこいつらは……!)


 競技を終え、厩番に馬匹を返したところでひとりの女性が駆け寄ってきた。すぐに逃げ出そうと踵を返したものの反対側にまた別の女性が立っており、その場で退路を塞がれてしまう。そのうち左右からも集まってきて、完全に四方を囲まれてしまった。


「ユリウス様、お疲れさまでした」

「とっても素敵でしたわ~!」

「……っ、離れ――」


 その瞬間、去年マリーから言われた言葉が頭をよぎり、ユリウスはむぐっと口を閉じた。


『その……じょ、女性に対して、もう少し優しく接していただけると……』

(くそっ、いったいどうしろというんだ!)


 怒鳴って追い払うことも出来ず、ユリウスは片頬をひくつかせながらその場に立ち尽くす。そんなユリウスに向かって、女性たちはさらにやいのやいのと質問を繰り出し始めた。


「素晴らしい腕前でしたわ。やっぱり小さい頃から馬と親しまれてきたんですの?」

「去年は大会自体に出場しておられませんでしたよね? 今年はお会い出来て嬉しいです~!」

「このあとお時間あります? よかったら二人でお茶でも」

「あっ、ずるいわ。わたしが先にお誘いしようと思っていたのに」

「あらそれでしたらわたくしだって」

「ちょっと勝手に決めないで。ユリウス様はあたしと――」

「……っ‼」


 口を開くときつい言葉が出てしまいそうで、ユリウスは強く目を瞑ったまま静かに唇を噛みしめる。なんとかしてここから離れようと、騎士団が待機している場所に向かってじりじりと移動を試みる――と突然、女性の一人が手を伸ばしてきた。


「あら、お待ちになってユリウス様。まだお話ししたいことが――」

「――⁉」


 白くて華奢な指。艶々としたピンク色の爪。

 それを目にした途端、ユリウスはまるで蛇に睨まれたかのように身動きが取れなくなる。


(やめろ、俺に触――)


 するといきなり、ユリウスとその女性との間にがばっと何かが割り込んだ。小さな背中――だが細い両腕をいっぱいに広げて、背後にいるユリウスを庇っている。


「すみません、これから予定がありますので」

「お前――」


 そこに立っていたのは黒騎士団世話係、サガラ・マリーだった。

 むっとする女性たちを前に一歩も引くことなく、毅然とした態度で話し続ける。


「ちょっとあなた、何よ急に!」

「邪魔ですわ。ユリウス様から離れて――」

「すみません。危ないので場所を空けてください。ユリウスさん、あちらへ」

「あ、ああ……」


 あれよあれよという間に先導され、ユリウスはあっさりと女性たちの輪の外へと脱出した。

 嫉妬と苛立ちを交えた視線をじりじりと送ってくる女性たちを物ともせず、マリーはすたすたとユリウスの手を引いて歩いている。自分よりだいぶ低い位置にあるその後頭部を眺めながら、ユリウスは苦々しく口にした。


「どうして来た」

「あ、ええと……実は前にヴェルナーさんから、女性が苦手だとお聞きしまして。もしかしたら逃げ出せなくなっているんじゃないかなと」

「あいつ……余計なことを」


 はあと息を吐き出し、前髪を掻き上げる。だがそこで初めて、自分が額に馬術の疲れだけではない汗をかいていることに気づき、ユリウスは素直に礼を言った。


「……助かった。正直、どうしたものかと思っていた」

「間に合ってよかったです。私もまさか、あそこまで騒動になっているとは」


 振り返り、ほっとしたようにマリーは破顔する。そんな彼女をじいっと見つめると、ユリウスはずっと抱えていた疑問を口にした。


「それにしても、ずいぶん手慣れているんだな」

「え?」

「ああした手合いを相手するのは、得意ではないと思っていたが」

「まあ、怖くないと言えば嘘になりますけど……。でも、アイドルを過激なファンから守るのもマネージャーの大切な仕事なので」

「アイドル? マネージャー?」


 聞き馴染みのない単語にユリウスは首をかしげる。するとマリーは「あっ」と口元を押さえ、何かをごまかすようにえへへとはにかんだ。


「と、とりあえず行きましょう! 他の皆さんも心配してましたよ」

「あ、ああ……」


 慌てて背を向けたマリーをいぶかしみつつ、ユリウスもまた足を進めようとする。そこでようやく自分が彼女と手を繋いでいることに気づき、振り払うように腕を引き抜いた。


「――なっ⁉」

「えっ、あっ、すみません!」


 その勢いに驚き、マリーが急いで手を離す。ユリウスはそれを見て名状しがたい罪悪感を覚えながらも、そのままマリーを追い越して歩き始めた。


「行くぞ」

「は、はい!」


 当然のごとく会話はなく、ユリウスはさすがに謝罪すべきかと逡巡する。だがそこでふと疑問が湧き、じっと自身の手を見下ろした。


(どうして……繋いでいられたんだ(・・・・・・・・・)?)


 普段の自分であれば、女性に触れられた時点で即座に拒絶反応が出るはず。しかしマリーとは短い時間ながらも、確実に手を握っていた。


(まあ、意識していなかったのはあるが……)


 それに令嬢たちとは違い、少しだけ荒れていたり、変なところにマメの痕があったりした。毎朝の食事の準備、共有部分の掃除や洗濯、活動日誌の記録に斡旋所とのやりとり――世話係としての仕事量を考えれば、手をケアする暇などなくて当然だろう。

 それでも、小さくて柔らかい、紛れもなく女性の手だったのに――。


「…………」


 先ほど、女性たちの前に立ちはだかったマリーの姿を思い出す。

 寮で団員たちに向けているのほほんとした表情ではなく、ユリウスを守ろうとする強い意志に満ちていた――と考えた時、ユリウスは一つの答えにたどり着く。


(ああ……そういうことか)


 あらためて自身の手をぎゅっと握り込む。

 後ろを歩くマリーとの距離が、少し遠くなってしまったことに気づき――ユリウスはさりげなく歩く速度を落としたのだった。




 

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