第一章 4
『土の叡智よ、その力を我に貸し与えよ――』
植物が根を張るかのように、複雑な術式が次々と地面に展開される。続けてルカが手を打ち鳴らすと、鋭くとがった土の杭が結晶に向かって何本も突き出た。四方八方から貫かれ、絶対に砕けないと思われていた結晶が、バリンと派手な音を立てて木っ端みじんになる。
「こ、壊れた……」
「そっか、属性限定か」
属性限定? と首をかしげたマリーを見て、レインがどこか嬉しそうに解説した。
「対魔術師を含む防衛戦ではよくやるんですけど、攻撃可能属性を限定するんです。今回の場合だと、周りの防御壁に加えられた攻撃は中の結晶には通らなくする、みたいな……」
「そうか、それで……」
先ほどの白騎士団は、今よりずっと早くに防御壁を破壊した。だが中央の結晶にダメージが入らなかったのは、おそらく防御壁の攻撃にすべての属性を使用してしまったせいだろう。バランスの良い白騎士団ならではの落とし穴だ。
それに対して黒騎士団は、防御壁を破るまでの時間はかかったものの、ルカの『土属性』の魔術だけは誰も使用していなかった。そのため結晶にピンポイントで攻撃出来たのだ。
「もしかしてルカさんはそれに気づいて……」
「多分そうだと思います。でもあの結晶自体も相当攻撃を加えないといけないはず……。あれを一発で壊せるなんて、やっぱりルカはすごいなあ……」
感動を反芻するようにレインは胸を押さえ「はあーっ」と息を吐き出す。だがふと視線を動かすと、ルカの隣にいたミシェルの方をじいっと見つめた。
「ところであの赤い髪の人って、以前一緒に魔術院に来られていた方ですよね?」
「あ、はい。そうですけど」
「あの人、どうしてあんな魔術の使い方してるんですか?」
「えっ?」
質問の意味が分からず、マリーはまたも疑問符を浮かべる。一方レインは瞬きひとつせずにミシェルを凝視し、ブツブツと早口につぶやき続けた。
「魔力量はたしかに少ないかも。でも絶対まだ出力を上げられるのに……。術式構築をしていないからかな? いや、それより発動の時点で違和感があるというか、なんか怖がっているようにも見えるし、うーん……」
「あ、あの、レインさん?」
「あっ! す、すみません! 実はぼく、魔術の分析を専門にしていて……」
マリーの視線に気づいたのか、レインはようやくこちらを振り返った。
「ここから見ただけなので断言は出来ないんですけど、あの人……やり方を変えればもっと上手く魔術が使えるようになると思います」
「もっと上手く?」
「はい。もちろん今も使えているんですけど、なんていうかこう、無理やりセーブしている感じというか……。本当は今より大きな炎が生み出せるのに、無意識にそれを抑止しているような印象を受けました。火が怖いとかかな……」
(火が……怖い?)
いったいどういう意味だろう、と考えていると、レインが「そういえば」と切り出した。
「あの、ついでにもう一つお聞きしたいんですが」
「はい?」
「ええと……『マリー』さんって方は――」
そこに突然、「げえっ」というルカの刺々しい声が割り込んできた。会場から帰ってきたところだったのか、隣にはミシェルも立っている。
「なんでレインがここにいんの」
「き、君が出場するって聞いたから、応援しに来たんじゃないか!」
「いやそういうの要らないから」
「そんなぁ……」
本気で嫌そうな顔をするルカに、レインが悲愴な顔で訴える。そんな二人を微笑ましく見つつ、マリーはミシェルに笑いかけた。
「ミシェル、おつかれさま」
「うん、おつかれ。なんとか無事に壊せてよかったよ。攻撃のルールが全然分かんなくて、どうしようかと思ってたんだけど……ルカのおかげだね」
「あれくらい普通でしょ。魔術師ならよくやるトラップの一つだし」
「でもおれじゃ絶対に気づけなかったから。ありがと、ルカ」
「別に」
ミシェルの素直な称賛にルカはそっけない態度で応じる。だがその口ぶりが以前よりも随分穏やかになった気がして、マリーはついニコニコしてしまった。するとそれに気づいたのか、ルカがいきなりしかめっ面になる。
「何ニヤニヤしてんのさ」
「べ、別にそんなつもりは」
「どうでもいいけど。ていうか、会場の方見てなくていいの?」
「えっ?」
ルカに指摘され、マリーたちは慌てて会場を振り返った。
そこではすでに青騎士団がターゲットへの攻撃を開始しており――今まさに、防御壁とその中にある結晶が破壊されているところだった。おまけにかかっている時間はルカたち黒騎士団が要した時間よりもはるかに短い。
「ど、どうして……」
「攻略法を教えちゃったんだから当たり前じゃん。術師のレベルとしては、あっちの方が全体的に高いしね。ま、やる順番が悪かったんじゃない」
「そんなあ……」
青騎士団の勝利の歓声にマリーが愕然としているのを横目に、ユリウスが競技に参加していた面々に声をかけた。
「お前たち、よくやった。特にルカ、よく攻撃条件に気づいたな」
「もういいって。青に負けちゃったし、意味ないじゃん」
「それでも――いい働きだった」
「…………」
さすがにこれには耐え切れなかったのか、ルカはふいっと後ろを向くと、近くにいたレインの腕をがしっと摑んだ。
「どうせこのあとは僕の出番ないんでしょ? ちょっと休んでくる」
「ル、ルカ? 何を……」
「魔術院に突き返すに決まってるでしょ。ほら、行くよ」
「えええ……」
名残惜しそうなレインを、ルカは意外な力強さでぐいぐいと引っ張っていく。マリーはその様子を見送っていたものの、ふと「あれ?」と顎先に手を添えた。
(レインさん、何か私に用事だったんじゃ……)
こうしてルカとレインがいなくなったところで、会場に再び進行の声が響いた。
「それでは続きまして、第三競技『馬術』です。会場内に設置された障害物を、馬に乗って順番に越えていきます。各騎士団は出場選手を指名してください!」
「馬術……」
まさかそんな競技まであるとは、とマリーは目をしばたたかせる。たしかに騎士団共用の厩舎には黒騎士団の馬がいる――が、大人数が移動する幌馬車用であり、誰かが騎馬として乗っていたという記憶はない。
いったい誰が出るのだろうかと眺めていると、ユリウスがさらりと口にした。
「この競技は俺が出る。それからヴェルナー、お前も行けるな?」
「えーオレあんま得意じゃないんだけど……」
「グタグダ言うな。あとは――」
続けて何人かの名前が読み上げられ、ぞろぞろと会場へと赴いていく。それを見ていたマリーはこっそりとミシェルに尋ねた。
「やっぱりみんな、騎士だから乗れて当然って感じなの?」
「いや、そうでもないよ。騎士学校ではそれなりに練習させられるらしいけど、おれとか騎士団に入ってから初めて乗ったくらいだし。もしかしてマリーは乗れるの?」
「と、とんでもない……!」
前世の頃、ちょっとだけ興味があって体験をしたことはあったが――そのあとのスクール勧誘で、金額のあまりの高さに諦めてしまった。貴族のスポーツというイメージはあったが、こちらでもあまり変わらないらしい。
そんな話をしているうちに、厩番に連れられて何頭かの馬が入場してきた。進行役の指示のもと、先ほど一位を獲得した青騎士団の選手が騎乗する。その姿を見てマリーは「あれ……」と瞬いた。
「もしかしてエーミールさん?」
「あ、ほんとだ。ユリウスと同じ競技、大丈夫かな……」
大会前の二人を思い出し、マリーとミシェルはなんとなく不安を覚えるのだった。
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手綱を握ったエーミールは、背後で準備しているユリウスをちらりと一瞥したあと「ふっ」と片方の口角を上げた。
(やはりここに合わせてきたかユリウス! ぼくの読み通りだったな!)
リーダーは一つの競技しか参加できないというルールもあり、これまでなかなかユリウスと対決することが出来なかった。去年にいたっては当人が入院しているという体たらく。だが今年は無事対戦することが出来そうだ。
(このためにぼくは一年間、馬術の特訓を積んできたんだ。絶対に負けん!)
眼鏡のブリッジを押し上げ、鐙に置いた足をドンと馬の腹にぶつける。突然のことに驚いたのか、馬はわずかに立ち位置を乱した。スタート係が旗を振り下ろしたのを見て、手にしていた短鞭でパン、と馬体を叩く。
「行くぞっ!」
馬はいななきとともに加速し、最初の障害物を軽々と跳び越えた。休む間もなく指示を出し二番目、三番目とクリアしていく。激しい揺れに上体を持っていかれそうになりながらも、エーミールはいっさい速度を落とさなかった。
(ぼくの勇姿をそこで見ていろ、ユリウ――)
しかし四番目の障害物を跳び越えようとした際、馬の足が引っかかりバーが落ちてしまった。足元のそれを避けつつ、エーミールは自らが操る馬に向かって叱責する。
「おい! ちゃんとタイミングを合わせろ!」
「…………」
急かすように馬を鞭で叩く。すると先ほどまで力強く走っていた馬は突然トトトッと速度を落とし、次の障害物を前に立ち止まってしまった。エーミールは手綱を引いたり拍車を押し当てたりと必死に促すが、馬はぷいっとよそを向いたままいっこうに動かない。
そのまま時間だけが経過し、審判役の騎士が高らかに宣言した。
「拒止、青騎士団リーダー・エーミール、失格とします!」
「なっ⁉」
あっさりと終わりを告げられ、馬上のエーミールは目を見張った。しかし審判は覆ることなく、エーミールは憤慨したまま会場の外へと連れ出される。ようやく馬から下りたところで、今度はユリウスの疾走が始まった。
「あいつ……っ」
走り出しは軽く、いとも簡単に障害物を乗り越えていく。エーミールがバーを落下させた箇所も難なく突破し、そのあともまったく速度を落とさずに場内を駆け抜けた。そのうえ驚くべきことに拍車や短鞭を一度も使用していない。
その姿はまさに人馬一体と称するにふさわしく、高難度の障害物を跳び越えるたびに観客席から「キャーッ!」という黄色い声援が上がっていた。





