第五章 3
「もしも本当にただの『魔術』なら、なおのこと正しい取り扱いを教えないといけない。理論も手順もなしに適当にやれば、それこそ予期しない結果を招くことだってある」
「だから落ち着け。お前の言うことはわかる。だがそもそも聖女が魔術師だという確証がない。神官らに訴えたところで、突っぱねられるのがオチだ。せめて聖女が『白』の魔術を有しているという証拠でもあればまだ話は別だが――」
するとルカはジェレミーの机の引き出しを開け、未使用の透明なサージュを一つ取り出した。あっと目を見張るジェレミーを前に、その石をぎゅっと握りしめる。
「……僕がやる。聖女が魔術師だって分かればいいんだよね」
「それはそうだが……」
「先輩は別の方向から調べてほしい。魔獣は確かに倒しちゃったけど、それ以外にも聞いた話で気になるものがあったんだ」
そう言うとルカは、騎士団員との雑談で耳にした「暴走馬車事件」のことを説明した。眉間に皺を寄せていたジェレミーは、すべて聞き終えたあと「はあーっ」と疲れ切った息を吐き出す。
「分かった。厩くらいならまあ、近づけるだろ」
「……ありがと」
「この借りは高いからな」
こうしてルカは話を終えると、入ってきた窓辺に再び靴裏をかけた。地上に続く階段を下りていくその背中に、窓から顔を出したジェレミーが声をかける。
「お前、変わったな」
「何が?」
「前は魔術の研究さえ出来れば、他のことはどうでもいいって感じだったのに」
その問いに、ルカはしばし沈黙した。
だがすぐに振り返ると、フードの下で目を静かに細める。
「――あの子が変えたんだ」
「あの子?」
「じゃあね、先輩」
疑問符を浮かべるジェレミーを残し、ルカはそのまますたっと地表へと着地した。途端にどさっと細かい砂の山に変貌した階段を地面に戻しながら、聖女が匿われているという王宮の奥――神殿の方角を見つめる。
(さて……どうしようかな)
冷たい空気の中――ルカは白い息をはあっと吐き出すと、そのままどこかへ消えていった。
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だが黒騎士団たちの奮闘も虚しく、マリーが無実であるという証拠は集まらなかった。
マリーが拘留されてから一週間。
今日は聖女・リリアが『扈従の儀』を行う日だ。
普段は市民が出入りしている広場も封鎖され、斡旋所で働く文官たちも今日だけは暇を言い渡されている。
儀式が行われるのは王宮でも最奥に位置する中庭の祭殿で、王族たちが一年を通して儀礼や式典に使用する場所だった。
観覧席に集められたのは王族と侯爵以上の高位貴族。
そして聖女の後見人である神官たち。「聖女はどれほど美しいのか」「奇跡の力によって狂暴なドラゴンが服従する様を一目見たい」「これで我が国は安泰」などと、なかば見世物を前にしたかのように早々に談笑を繰り返している。
その舞台や会場内を警備するのは、アルジェントが誇る白騎士団――そしてそこから一枚も二枚も壁を隔てた外周部分に黒騎士団が待機していた。
「リーダー、俺ら必要ですかね?」
「中は白騎士団の奴らがぎっしりだし、何もすることなんかないんじゃ……」
「黙れ。儀式の間、誰もここに立ち入らないよう見張っていろ」
ユリウスから一喝され、団員たちは人っ子一人いない敷地を前にはあーとため息をついた。やがて息を切らせたミシェルがこちらに駆け寄ってくる。
「ユリウス、だめだ。やっぱり邸にもいなかったよ。一応『今日は邸で待機してて』って置き手紙は残したけど……。ちゃんと気づくかなあ」
「ルカの奴……」
マリーが連行された日の夜から、何故かルカが姿を消した。
最初は「また部屋に引きこもったのか」と激怒していたユリウスだったが、どうやら部屋にも不在らしく、夜も邸に戻ってきた様子はなかった。
もしやまた転籍を希望しているのか、と念のため魔術師団にも確認したが、受付では見かけなかったらしい。
「まったく……いったいどこをほっつき歩いている?」
するとほっつき歩く代表・ヴェルナーがげんなりした顔つきで現れた。
「オレも邸待機が良かったなあ……」
「今回は警備の範囲が広い。団員総出で当たる必要がある」
「どうせお偉い方は『白が居れば大丈夫』って思ってるんだからさ。多分、オレたちなんてここにいることすら気づいてないって」
「存在を主張するのが仕事ではない。俺たちがすべきなのは定刻まで外部からの侵入を防ぎ、無事に儀式を完了させることだ」
生真面目に答えるユリウスを見て、ヴェルナーは隠れて「うへえ」と舌を覗かせた。するとそこで、会場の奥を見つめているミシェルに気づく。
「ミシェル、どうした?」
「え⁉ あ、ええと……マリーが捕まってるの、あの辺りかなあって」
「あー……確かにあのへんだな。しかしどうしてまた、裁判所や普通の獄舎じゃなくて神殿に連れて行かれたのかね」
「おれもそれが、ずっと疑問で仕方ないんだ……」
仕事の合間を縫って調べたところ、マリーが捕らえられているのは神殿内にある牢獄であることが分かった。
だがそこは政治犯や国王弑逆を企てた極悪人らが留め置かれる場所で、とてもではないがマリーに掛けられている容疑にはそぐわない。
神官らに説明を求めても、何も口外できないの一点張りだ。
(早く助けたいのに……いったいどうすれば……)
やがて会場に続く扉の前に、巨大な檻が運ばれてきた。
中には幼体というのが嘘に感じられるほど大きな黒いドラゴンが入っており、鋭い牙を剥き出しにしてがきん、がきんと鉄の格子に噛みついている。
門前の団員たちが通行証を確認したあと、檻はゆっくりと会場の中へ入って行った。その終始を見守っていたユリウスがひとり言のように呟く。
「本気でドラゴンを隷従させるつもりなのか……」
「そんなこと、出来るのかな」
「分からん。だが仮に手懐けられれば、他国の魔術師たちには相当な脅威となるだろう」
「どういうこと?」
「ドラゴンは魔術師にとって『天敵』だからだ。実際どれだけドラゴンによる被害が出ても、魔術師団が討伐に赴くことは絶対にない。今回、ルカを外したのもこのためだ」
「それってどうして――」
そこでわあっと興奮した声と割れんばかりの拍手が壁の向こうから聞こえてきた。どうやらようやく登場したドラゴンの姿に、観客たちがにわかに興奮しているようだ。
「全員持ち場につけ! 儀式終了まで警備を続行する」
ユリウスは出入り口の閉鎖を確認すると、改めて団員たちに告げる。
だが頭上に広がる高い青空を眺めながら、何故か言いようのない不安に襲われていた。
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荒々しく吼え立てるドラゴンが壇上に運ばれ、向かいの椅子に腰かけていたリリアは優雅な所作でゆっくりと立ち上がった。
衣装はこの日のために作らせた、白い絹布に銀糸や金糸を織り込んだ特別製だ。
(わっ、ほんとにドラゴンだ! 映画で見る奴みたい。すっごいリアル~)
今際の際、女神を名乗る女性が現れたことで、憧れの『異世界転生』だとすぐに分かった。
中世ヨーロッパのような別の世界に転生して、とんでもない力で強い敵を倒したり、元の世界の知識を活用して領地を改革したり、びっくりするようなイケメンから溺愛されたり――そんな話を通学電車の中で何個も何個も何個も浴びるように読んできた。
だからこれは、頑張っていたわたしに与えられた、『ご褒美』なんだって。
「それでは聖女様、『扈従の儀』をお願いいたします」
「うん、任せて~!」
神官長に言われるままとことこと足を進め、ドラゴンの檻の前に立つ。ちらりと舞台の端に目をやると、白騎士団のリーダーであるクロードと目が合い、まるで応援されるかのようににこっと微笑まれた。
途端にリリアの頬がぽっと赤くなる。
(今日もかっこいい……! よーし、頑張ってクロードに褒めてもらおっと!)
いつものように両手を胸の前で組む。
何がどうなっているのか、正直よく分かってはいない。
ただリリアが動物の前でこうやって祈ると、何故かみんな即座に大人しくなり、リリアの命令に何でも従うようになるのだ。
初めてこの力を使った時、神官たちは驚愕し『奇跡の力だ』と称賛した。
それを聞いたリリアもまた「自分にはすごい力がある」と胸がいっぱいになったものだ。
(当然よね。だってわたしは選ばれし『聖女様』なんだし!)
得意になったリリアはそれからも、求められるごとに動物たちを支配下に置いた。
最初は小さな鳥、ネズミ、ウサギ……慣れてくると猪や狼、果ては蝙蝠まで持って来られたことがある。
だがリリアが力を使うと、どの子もあっという間に大人しくなったものだ。
(あなたも絶対、わたしの言うことを聞くようになるんだから……)
目を瞑り、適当に念じる。
いつもであればすぐに鳴き声を発さなくなるものなのだが、ドラゴンは鳴き止むどころかいっそう激しく喚き始めた。
困惑したリリアは再び強く祈る。
(どうしたのかしら……ほら、聖女様の言うことを聞きなさい!)
だがやはり沈静化の兆しは見えず、ドラゴンは捕らえられている檻を破壊し始めた。さすがに時間がかかり過ぎたのか、観客席からも疑惑の声が挙がり始める。
度重なる攻撃にいよいよ格子が歪み始め、恐ろしくなったリリアはさらに必死になって心の中で呼びかけた。
(ちょっと! どうして大人しくしないの⁉ もう嫌い! なんなのこいつ――)
リリアの額には汗が滲み、ぶわりと嫌な感覚が体内を駆け巡る。
するとその瞬間、杭が突き刺さったような激しい痛みが心臓に走り、リリアはうっと胸元を押さえた。思わず座り込んだリリアの元に神官長とクロードが慌てて駆け寄る。
「聖女様⁉ いったいどうなさったので――」
だが彼らの背後で、突如バキッという破砕音が響いた。
神官長が恐る恐る振り返ると、大きく歪んだ檻の隙間からドラゴンがずるりと這い出てくるところで――同時に貴婦人方の甲高い悲鳴が響き渡り、会場内は一気にパニックになった。
「皆さん、落ち着いてください! 団員の指示に従って、すぐに退避を――」
クロードの必死な指示も貴族らには届かず、皆我先にこの場を離れようと出入り口へと駆け出した。ひしめく人の群れに白騎士団たちも対処出来なくなっている。
一方で、完全に檻から抜け出したドラゴンは背中の両翼をバサッと広げた。
赤い瞳に、縦に走る細い瞳孔。
ドラゴンはそのまま悠然と上空に舞い上がったかと思うと、苦しむリリアの真上に移動し――そのまま、彼女めがけて青い焔を吐き出した。





