第五章 いざ、夢の大舞台へ!
早朝、肌寒さを感じたマリーは自室のベッドで目を覚ました。
ぼんやりと霞む視界で窓の外を見る。
庭の木々は枯れ、空には今にも雪を降らせそうな分厚い灰色の雲が広がっていた。もうすっかり冬の様相だ。
(すっかり寒くなったわ……外套を買ってこないと)
洗面器で顔を洗うと、いつもの衣装に着替えて食堂に向かう。
厨房で朝食の仕込みをしていると、今日の食事当番であるルカが姿を現した。
「おはよ。何を手伝ったらいい?」
「じゃあこっちの葉野菜を洗ってくれる?」
手を浸すだけでも冷たい水の中で、ルカは黙々と葉をちぎっていく。格子状になった木の器に入れて水分を払い落しながら、マリーに向かって話しかけた。
「そういえば例の魔獣退治、ようやく報酬が出たみたいだね」
「はい! 事後処理の確認にだいぶ時間がかかりましたけど……」
ルカが魔術を取り戻すきっかけとなった、魔獣の大量発生事件。
彼の活躍により魔獣たちは一網打尽され、異常な繁殖を抑えることが出来た。ただあまりに珍しい魔獣化だと判明し、任務終了後に魔術師団から人が派遣される騒ぎとなったのだ。
「ジェレミーさん、すごい興奮してましたね」
「あの人、魔獣がとにかく好きなんだ。部屋で飼ってるくらいだし」
「うわあ……」
黒騎士団同行のもと、ジェレミーはハクバクの森を隅から隅まで探索した。だが魔獣の発生源足りえるような魔力溜まりもなく、死骸にもこれといった特徴は見られなかったらしい。
最終的にマリーを含んだ黒騎士団全員に、透明な石のようなものを握らせて調査は終了した。
「そういえば最後に持たされた石、あれってなんだったんですか?」
「ああ、あれはサージュって鉱石だよ。僕たちは『賢者の石』って呼んでた」
「賢者の石……」
「その人が持つ魔力の量や質、特性なんかを調べる時に使うんだ。魔力はかなり個人差があるし、何かしら一定の基準を設けて測定しないといけないからね」
「なるほど……」
大量のスクランブルエッグを皿にとりわけながら、マリーはうーむと首を傾げる。
(いったいあの魔獣たちは、何が原因であんな風になってしまったのかしら?)
やがて早起きのミシェルがいちばんに訪れ、焼きたてのパンやサラダを皿に取った。
その後も「おはよー」「今日の仕事なんだっけ」などと言いながら、他の団員たちが朝食の席にやって来る。最後にようやく、寝起きの不機嫌さを全開にしたユリウスが姿を見せた。
「これで終わりかな。じゃあ、僕もそろそろ行くね」
「はい! ありがとうございました」
全体の片づけを終えたあと、任務に赴くというルカを見送る。
黒騎士団にはあれからぽつぽつと仕事が舞い込むようになり、今日は全体を二つに分けてそれぞれの別の依頼をこなすらしい。
迷い犬か迷い猫の依頼しかなかった以前に比べれば、本当に目覚ましい進歩である。
(この調子でいけば、いつか黒騎士団が『王の剣』に選ばれる日も――)
すると玄関先で、ジローが激しく吼え立てる声がした。
餌はさっきあげたはずなのに……と不思議に思ったマリーがロビーに向かうと、そこには純白の制服に身を包んだ白騎士団の姿が。
さらにそのリーダーであるクロードが立っていた。
「ええと、クロードさん? すみません、みんなついさっき出たばかりで」
「用があるのはあなたです。サガラ・マリー」
「え?」
そう言うとクロードはマリーの前に立ち、そっと両方の手を握りしめてきた。
突然のことに理解が追い付かないマリーは当然パニックになる。
(な? え? どういうこと⁉)
だが次の瞬間、その手首に金属で出来た円環がいきなり嵌められた。
これはもしかしなくても――
「手錠⁉ えっ、ど、どうして⁉」
「マリー、君を『魔獣化』の犯人として拘束させてもらう」
「は、犯人⁉ それに魔獣化っていったいどういう」
「詳しくは神殿で。それでは行きましょうか」
そう言うとクロードは、手錠に繋がった鎖を掴んだままマリーに背を向けた。たまらずその場に踏みとどまろうとしたマリーだったが、後ろから睨みを利かせてくる部下たちの迫力に、仕方なく彼のあとに続く。
(私が犯人って、どういうこと⁉)
王宮に連行されていくマリーを、ジローだけがくうんと寂しそうに見つめていた。
がしゃん、と重々しい音とともに、牢の扉が閉められる。
マリーは慌てて立ち上がると、外部とを隔てる鉄の格子を掴んだ。
「あの! 何かの間違いです! 私、魔獣化なんてしてません!」
がちゃがちゃと耳障りな金属音に顔をしかめつつ、強面の牢番が反論する。
「あーうるさいうるさい、こっちには証拠もあるんだ!」
「証拠⁉」
「例の魔獣に影響を与えた魔力が、お前も持つ魔力と一致したという分析結果が出た。それにお前は魔獣化が発生する少し前、あの隣町付近にいたそうじゃないか」
「それは黒騎士団の仕事で! というか私魔力なんてありませんし!」
「何を言っている? お前から『白』の魔力が検出されたと報告にあったぞ」
「し……白?」
ルカの一件以来、せっせとまとめていた魔術ノートの一節を思い出す。
確か魔術の四大要素に当てはまらない、特殊な区分けをされる魔力のこと。
そこから編み出される魔術はどれも特別なものばかりで、現在確認されているのはいくつかの古い一族に引き継がれているものと、過去に突然変異で出現した数例しかなかったはず。
(どうしてそんな魔力が私から……)
身に覚えのない追及に、マリーは鉄格子を握っていた手にぎゅっと力を込める。すると出入り口の方から若い牢番が姿を見せた。
「失礼します! 隊長、白騎士団のクロード様が来週行われる『扈従の儀』の警備計画について相談があるとのことで」
「ああわかった、すぐに行く」
隊長と呼ばれた牢番は愕然とするマリーを睨みつけると、ふんっと鼻から息を吐き出した。
「悪いが忙しいんだ。いま神官様たちが最後の調査を進めている。それが確定すれば、すぐにでも処分が下るだろう」
「いえ、本当に誤解なんです! 私は何も――」
だが必死に論駁するマリーを残し、牢番はその場を立ち去ってしまった。
マリーは諦め悪くその後も何度か格子を揺さぶってみたが、頑丈な造りなのかびくともしない。小さな出入り口を閉ざす錠前がかちゃんと冷たい音を立て、マリーは絶望のまま俯いた。
(どうしよう……もし確定してしまったら……)
誓って魔獣化などした覚えがないし、きっと最終的には誤りであったという結果が出るはずだ。
だが逆に――もしも、本当に自分のせいだとしたら。
(私が気づかないうちに、何かしてしまっていた可能性がある……?)
自分がそう思っていなかっただけで、マリーには魔力があるという。
もしそれが何らかの形で漏れ出していて、近くにいた動物たちに何らかの影響を与えてしまったのであれば――
(処分って言ってた……。私このまま……殺されてしまうの?)
石造りの牢にひゅうと隙間風が吹き込む。
その凍えそうな薄暗がりの中、マリーは恐怖とも寒さとも分からぬ震えに包まれるのだった。
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その日の夕方、黒騎士団の食堂でユリウスの怒号が響き渡った。
説明に訪れたクロードの胸倉を掴み上げる。
「ふざけるな! こんな横暴が許されると思ってるのか‼」
「ユリウス、落ち着いて聞いてほしい。だが本当だ。彼女の――サガラ・マリーの魔力が、魔獣化の原因に限りなく近いという報告が魔術師団から提出された。これは議会の決定なんだ」
「人ひとり拘束するのに書状も伝達もなしだと? 随分と舐められたものだな」
「特例措置だ。彼女自身が意識していなくとも、何らかの作用で魔力が漏れ出したという可能性もある。このまま放置して、また同じような魔獣化事件に繋がったらどうする」
「しかし……っ」
言葉に詰まったユリウスの背後には、落胆、もしくは怒りに打ち震える団員たちの姿があった。そんな中、ミシェルが恐る恐る手を上げる。
「あの、魔力の質が近いってだけなんですよね? 他の人と間違えているって可能性は――」
「残念ながら、彼女の魔力は『白』らしい。相当珍しい部類だから、勘違いだけで済ますわけにはいかなくてね」
するといちばん奥の壁にもたれていたヴェルナーが、はっと鼻で笑った。
「かもしれない、だけで簡単に捕まえるのか。さすが白騎士団。王家の犬だな」
「ヴェルナー……」
「事情は分かった。とりあえず、あの子が事件とは関係ないことを証明すればいいんだろう?」
「それはそうだが……出来るのか?」
「さあね。ただあんたの言いなりになるのは、なんか腹が立つんで」
鋭くねめつけるヴェルナーを見て、クロードはわずかに唇を噛みしめた。だがすぐに息を吐き出すと、改めてユリウスに向き直る。
「彼女のことについては以上だ。もう一件、黒騎士団に依頼がきている」
「依頼だと?」
「来週、聖女リリア様が『扈従の儀』を行う。その周辺警備を担当してもらいたい」
「扈従……? なんだそれは」
「遥か昔、北方の村で行われていたという儀式だ。動物を自らの支配下におき、隷属させる」
隷属、というただならぬ言葉にユリウスが眉を寄せるも、クロードは話を続けた。





