第四章 9
こうして驚きの速度で撤収準備を終えた黒騎士団の面々は、久しぶりに満面の笑みで帰館した。
だが夕飯の準備をしておらずマリーが蒼白になっていると、ヴェルナーが慣れた手つきであっという間に野菜と肉を切り、大量の香辛料で煮込んだ料理を作ってくれた。『トット・ラ・ジュルネ』という料理らしいが、その匂いはカレーそのものだ。
同じくミシェルが庭でたき火を起こし、そこに乗せた巨大な鍋で倉庫に眠っていた芋を片っ端から茹でていた。
各々で皮を剥き、塩味をつけて潰したそれを先ほどの『トット・ラ・ジュルネ』に添える。食欲を誘う香りに、お腹も満たされる立派な一品の完成だ。
「ヴェルナーの料理、久々だな!」
「野郎に食べさせる予定はなかったんだけどな~」
「そう言うなって。うい、おかわり!」
がやがやと賑やかな食堂の様子にマリーがほっとしていると、それに気づいたヴェルナーが両手に皿を持ったまま近づいてきた。
「お疲れ。今日は伝令ありがとね」
「こちらこそすみません、晩御飯作ってもらっちゃって……」
「いえいえ。それよりまずは泥を落としてきなよ。この時間なら団員たちもいないし」
ヴェルナーに勧められ、マリーはありがたく先に体を綺麗にすることにした。といっても文明レベルが中世ヨーロッパなこの国にシャワーやお風呂などあるはずがなく、マリーは水を溜めたタライを使って、土まみれになった髪や腕を洗っていく。
(それにしても……ルカさんの魔術、本当にすごかったな……)
テントの中にいた間は分からなかったが、外に出てみてぎょっとした。
以前ユリウスが見せた氷の壁も相当驚いたが、ルカが使う魔術はそれを遥かに凌駕している。あれだけの規模の地盤を一気に動かすなんて、現代日本でも相当な重機と人手がかかる作業だろう。
それをたった一人で。
(この世界で機械が発展していないのって、やっぱり魔術があるせいかしら……)
やがて着替えを終え、食堂で夕食を受け取ったマリーはきょろきょろと座るところを探した。だがみんなよほど空腹だったのか席を立つ者がほとんどおらず、マリーは仕方なく他の場所で食べようとふらっと邸内を移動する。
すると玄関先で「ひゃん! ひゃん!」と鳴くジローの声が聞こえ、マリーはそそくさとそちらに足を向けた。
ひとり置いていかれて寂しかったのか、ジローはマリーの姿を見つけると嬉しそうに跳ね回る。
「ごめんねジロー、留守番ありがとね」
しゃがみ込み、ジローの頭をよしよしと撫でる。
するとどこからか、笑いを噛みしめるようなルカの声が聞こえてきた。
「君、犬と話せるの?」
「えっ、あっ、ル、ルカさん⁉」
なんとなく恥ずかしくなり、マリーは慌てて立ち上がる。
ルカは玄関脇にあった花壇の縁に腰かけており、マリーに向かってちょいちょいと手招きした。隣に座ったところで、マリーはさっそく今日のお礼を口にする。
「あの、ありがとうございました。助けてくださって」
「お礼を言うのは僕の方だよ。君のおかげで、僕はもう一度魔術を使うことが出来た。本当に……ありがとう」
フードの奥で彼が柔らかく笑った気がして、マリーも顔をほころばせる。
「でも、どうして急に使えるようになったんでしょうか?」
「それがよく分からないんだよね……。あの時はとにかく『君を守らないと』って頭の中がからっぽになってたから、それが逆に良かったのかも。あとは――『もう使えなくてもいいや』って思えたことかな」
「使えなくてもいい?」
「うん。君が言ってくれたじゃない。生きていくためならどんな武器を使ってもいいって。それを聞いて、なんだかはっとしちゃって。……僕はずっと『僕には魔術しかない』って思い込んでいたから」
最初は「好きなもの」だったはずなのに、いつしかそれが自分の価値を決める指標になってしまった。それがない自分に存在する意味はなくて、それだけがこの世にいられる理由で――だからその核を失ったとき、己の無力さに絶望した。
「でも護身用に渡されていた短剣を持って、森に行った君を追いかけた時――僕ははじめて、自分にもやれることがあると思えた。魔術が使えなくなっても、僕にはまだ、この手と足があったんだって」
「ルカさん……」
そう言うとルカは俯き、組んでいた足の先をぶらぶらと揺らした。
「ただ……もう一度使えるようになってすごく実感した。……僕やっぱり、魔術が好きだったんだなあって。いくら忘れようとしても、捨てようとしても、どうしても……これだけは手放せないものだった、って……」
「それはそうですよ。きっとずっと頑張っていたんでしょうし」
「そりゃあね。……だからこそ、これからはもう少し自分と距離を置いて考えたいと思った。魔術は僕にとって大切な武器だけど、同時に大好きなものでもあるから。その価値を間違えたくないなって。あとなにより、もっと他の武器も手に入れたいしね」
そう言うとルカは足を止め、膝の上に置いていた両手をぎゅっと組んだ。
「その、今更だけど……これまで酷い態度とって、本当にごめん。無視したりとか、扉閉めたりとか……」
「……そうですねえ」
「ご、ごめんなさい……。ゆ、許してもらえるとは思ってないけど、でも……出来れば他の団員たちと同じくらいに接してもらえると、ありがたいというか……」
居心地の悪い沈黙が落ち、元々白いルカの手の甲からいっそう血の気が引いていく。
やがてマリーは彼の手を取ると、笑いながら強く握り返した。
「もちろんです。だって私、黒騎士団のお世話係ですから!」
あっさりとした快諾に、ルカは何度か目をしばたたかせていた。
だがマリーの力強さに驚いたのか、思わず「ふっ」と笑いを零す。それを見たマリーもつられるようにして微笑んだ。
そうして二人して笑い合った後、マリーが「そういえば」と目を輝かせながら縁石に置いていた皿を持ち上げる。
「これ食べました? ヴェルナーさんが作ってくれたんですけど、すっごく美味しそうで」
「ああ、まだ食べてないや」
「取りに行ってきましょうか? ルカさん、お腹空いてましたよね」
「他のを食べてるから、いいよ」
「他のって、いったい何を――」
不思議に思ったマリーが首を傾げていると、ルカは傍にあったお皿をひょいと持ち上げた。それは今朝、自分が彼の部屋に置いていったサンドイッチで――と気づいた途端、マリーはあわわわと焦燥する。
「そ、それ、多分もう乾燥してぱっさぱさになってません……⁉」
「うん。口の中の水分すっごい取られる」
「わ、私、すぐにヴェルナーさんのご飯貰ってきます! とりあえず私の分を――」
今にも立ち上がろうとするマリーの腕を、ルカがぱしっと掴む。
「いいんだ。これで」
「で、ですが……」
「これがいい。……君が、僕だけのために作ってくれたものだから」
髪に隠れがちなルカの瞳がわずかに細められ、マリーは何故か顔がじわじわと熱くなるのを感じていた。おまけに彼はいっこうに手を離してくれる気配がなく――結果マリーは食堂に行くのを諦め、真っ赤な顔でしずしずとルカの隣に座り直した。
(ふ、深い意味はないのよ。きっと、捨てるのがもったいないってくらいで……)
すると足元でおとなしくしていたジローが、ふいにぴょこんと二人を見上げた。何やら意味ありげに尻尾を振ったかと思うと、勢いよく膝、そしてルカの頭へと身軽にジャンプする。
「うわっ⁉ なんだお前!」
「ジロー! だめよ! 下りなさい!」
すると激しく頭を振ったせいで、ルカのフードがするりと頭から落ちた。
「大丈夫ですか? 怪我は――」
じたばたと暴れるジローを確保したマリーは、数秒間その場に凍り付く。
何故ならフードを取ったルカの素顔が――それはもう恐ろしいほど整っていたからだ。
ユリウスやヴェルナーのような男らしさとは微妙に違う。
でも女性というには凛々しすぎるという、まさに漫画やアニメに出てくるような中性的な『美形』である。
「? どうしたの」
「へ⁉ い、いえ、あの、ルカさんって、……すごい綺麗な顔だったんだなって……」
「……」
それを聞いたルカは、途端に眉をひそめた。
「……こういうのが嫌だから隠してたのに」
「ルカさん?」
「僕、もう行くね。……明日からは夜食、別に取っておかなくていいから」
サンドイッチを持ったまま、すたすたといなくなってしまったルカの背中を、マリーはぽかんと見送る。だがすぐにはっと意識を取り戻すと、彼の言葉を反芻し嬉しそうに微笑んだ。
(よし、明日からまた頑張ろう!)
ほくほくの芋と一緒にスプーンで口に運ぶ。
豊かな香りとぴりっとした辛さ、ほろりと溶ける角切りの牛肉がマリーの疲労と空腹をしっかりと癒してくれる。
くれるの? とばかりに首を傾げて見つめてくるジローにだめだめと首を振ると、マリーはもう一口、勝利の味を噛みしめるのだった。
 





