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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

デュランダル

掲載日:2022/02/27

 ガラスの嵌っていない歪んだ窓枠。そこから射し込む陽光は何処か黄色がかっていて、この廃ビル内の停滞した空気の中を漂う微細な埃を映し出していた。目の前をいっそ雪かと錯覚するほど神聖さを帯びた埃の結晶が緩やかに落ちていく。

 僕はその埃たちを掻き分けるようにして、経年劣化で角の取れた階段を上って屋上へと向かっていく。錆びた手すり、蛍光灯の嵌っていない照明、主のいない蜘蛛の巣、それらをガスマスク越しの狭い視線の端で捉えながら暫く上っていると、無骨でくすんだ扉が見えてきた。ドアノブを回すと砂でも噛んでいるのか、嫌な感触が手に伝わってくる。

 扉を開け放つと、薄暗かった視界が瞬間的に黄色い輝きに満たされた。その輝く世界の中心で、長い髪を靡かせている人影があった。

 僕はその背を向けている人物の許へと近づきながら声を掛ける。


「こんな所にいたのか、ツムグ。探したよ」

「ああ、スガル。おはよ」

「おはよう」



 ツムグはこちらを振り向く。僕のフルフェイスタイプのマスクとは違い、口元だけを覆い隠すような古びたガスマスクを着けた彼女は、その双眸を細めている。しばらくシャワーを浴びでいないせいで砂埃に塗れた長い髪が絡まり、そして解けながら風の中を泳いでいた。

 僕はツムグの隣へと歩いて行き、少々頼りない転落防止柵に両手を置いた。そんな僕の横で彼女はツナギの胸ポケットから押しつぶされた煙草を取り出し、ガスマスクを取り外した。煙草のフィルターを咥え、ライターを取り出そうとポケットの中を探っている彼女に向かって僕は言う。


「屋外でマスク取るなよ。肺やるぞ」

「……いーよ」


 ツムグは煙草に火を点け、紫煙をたっぷりと吸い込んで肺の中でぐるぐると回し、それを旨そうに吐き出しながら言葉を続ける。


「そんなこと気にしてたって、こんな世界じゃ長生きできないよ。飢餓か病気か、怪我でその内ぽっくりと逝くさ。あるいは――」


 ツムグが視線を僅かに横にずらした。つられて彼女の視線を追って僕もその方へと顔を動かす。

 そこには、超高層ビルだったものの残骸を優に超える()()()()()が蠢いていた。生肉を無茶苦茶に押し固めたような、もしくはは脳味噌をそのまま取り出したような醜悪な見た目のそれには皮膚が無く、表面はぬらぬらと濡れているように見える。その肉塊が動く度、大量の水蒸気が空へ向かって立ち昇っていた。巨大すぎる身体を動かす代償に、その内部に蓄積する高熱によるものだろう。

 柵に身体を預けたツムグが、指先に挟み込んだ煙草を弄んでいる。


「――あれに取り込まれるかだよ。アタシたちに未来なんてない」


 僕はちらりとツムグの方を見て、再び遠くの肉塊へと視線を戻した。肉塊は蠢くようにゆっくりと動きながら、辺りの廃ビル群を薙ぎ倒し、それを進行方向の側部にぽっかりと開いた口腔部と思しき箇所から貪るように取りこんでいく。

 それを眺めながら僕は口を開いた。


「なんか、昨日より大きくなってるよな」

「だね」


 ツムグは痙攣のような頷きを返しながら、ゆっくりと深呼吸するように煙を吸い込んで吐き出した。その僅かに紫色を帯びた煙が風に流されて僕の身体に纏わりつくが、しかしガスマスク越しにその臭いを感じることは出来なかった。



 □□□□



 第三次世界大戦の勃発により、地球は致命的な損傷を被った。海は青から灰色へと濁り、木々は殆どが枯れ果て、大気は汚染されて毒へと至った。

 地球は、人類と言う身の程以上の技術を身に着けてしまった『綻び(バグ)』によって、修復不可能なまでに破壊されてしまったのだ。生物が生存するには過酷な環境へと姿を変えてしまった地球を目の前にした人類は、止むをえず地球を棄てることを選んだ。地球を棄て、かねてより計画されていた火星への移住を決定する。しかし、移住を決定したはいいものの、現存する全ての人間を運ぶことは残りの資源的にも時間的にも困難を極め、そこで彼らは取捨選択を――淘汰を選択した。

 人類がこれからも永遠に存続するために必要な人材、資源、動植物、それらを可能な限り船に――『ノアの箱舟』と呼ばれる宇宙船に詰め込み、地球から火星への旅に出た。

 そうして地球を脱出した人類ではあるが、しかしただ母なる星を捨てたわけではなかった。旅立つ直前、ある生物を作り上げたのだ。ただの肉塊のような見た目のそれは、人工物を体内に取り込み、消化のような過程を経て限りなく自然の物へと戻し、体外へと排出する機能を備えていた。それを地球に残していくことによって、人類が誕生する以前の最も美しかった頃の地球へと戻そうとしたのだ。人類の願いを一身に背負ったその肉塊は、こう名付けられた。

 ――ひと振りの希望(デュランダル)――と。



 □□□□



 ツムグは根元まで燃え尽きた煙草を屋上から弾くようにして遥か下の地面に投げ捨てた。そして胸ポケットから新しいものを取り出して口に咥え、それに火をつけながら顎で肉塊(デュランダル)を指した。


「ねえスガル。あれの秘密知ってる?」

「秘密?」

「まあ、秘密というよりどちらかって言うと噂に近いんだけどさ、もっと言うと都市伝説的な話なんだけど」


 肉塊が蠢き、近くの高層ビルをなぎ倒した。大きく舞い上がる砂塵と共に、思わず耳を塞ぎたくなるほどの爆音が轟く。劣化したコンクリートが砂の城のように砕け、鉄筋が地を穿ち、霧散するガラスの破片が太陽光を乱反射させる。

 そんな光景を眺めながら、ツムグは僅かに声量を上げながら言葉を続けた。


「あれの中に取り込まれたビルとか車とかはさ、自然に返されるのは知っての通りだけど、生物が取り込まれた場合、どうなるか分かる?」

「……同じようにぐちゃぐちゃにされて排出されるんじゃないのか?」

「ちっ、ちっ、ちっ」


 ガスマスク越しのくぐもった視界の中、肉塊が倒壊したビルの残骸を貪るように体内へと取り込んでいる。まるで嚥下するような動作を見せるたび、濃厚な水蒸気が立ち昇っては空気中へと舞い散り、何処かへと消えていく。

 ツムグは煙草を一口吸ってから再び口を開いた。


「犬とか猫とか牛とか、もちろん人間もだけど、そんな脳を持つ生物が取り込まれるとさ、殺されずにそのままあれの体の一部になるらしいんだ。何でも、取り込んだ生物の脳はあの巨体を動かす為の演算装置として使われ続けるって話さ」

 

 その話を聞いて、僕は思わず顔を顰めた。


「嫌だな、それは」

「アタシも嫌だよ。でも、ただ取り込まれて働かせられ続けるだけじゃないんだ。……夢を、見せられるらしい」

「夢?」

「そう夢。幸せな夢。休みのない労働の苦痛によって、せっかく取り込んだ脳が壊れてしまわないように、対価として幸せな夢を与えられては、それを見せられるんだ」

「……」


 僕は肉塊を見つめながら、思わず喉を鳴らした。聞いた限りだと、その話は永遠に自由を奪われる生き地獄のように思える。でも、今の僕たち――否、この地球に捨てられた『いらない』人間達からすれば一種の――――


「救い……」


 僕の口は気づけばそう呟いていた。ゆっくりと崩壊していく地球と共に朽ちていくぐらいならば、あれに取り込まれてしまった方が幸せなのかもしれない。いつか帰ってくるであろう新しい人類の為の道具となった方が、有意義なのかもしれない。

 そんなことを思い、肉塊が滅んだ街を喰らっていく光景を眺める。そうしていると、ふとある考えが脳裏に過った。

 ……あの肉塊が冠する『ひと振りの希望』と言う名。それは火星へと旅立って行った未来ある人類の為の希望だとずっと思っていた。だけど、もしかしたらその希望は僕たち残された者達へと向けられたものなのかもしれない。逃げ場のない終末の世界に置き去りにされた僕達に対する、せめてもの慈悲だとも取れないだろうか? それこそ、ひと振りの――唯一の希望なのではないだろうか?

 僕は身体を預けていた柵から離れ、未だ紫煙を燻らせているツムグへと声をかける。彼女のその埃に汚れた、それでも涼し気な横顔はどこかニヤリと笑っているように見えた。


「ツムグ、そろそろ行こう。ここももう時期あれに潰される」

「いいけど、でも何処に?」

「そうだな……取り敢えず郊外へ行こうか。ガソリンが欲しい」

「……何処に行ったって、最終的な結末は変わらない。精々地獄か、それと種類の違う地獄に向かうって選択肢しかないよ」

「分かってる。でも、僕はまだ歩いていたいんだ」

「そう……ま、仕方ない。付き合うよ」


 ツムグが煙草を屋上が投げ出し、外していたガスマスクを装着しながら踵を返した。僕はその背中を追いながら、ふと足を止めてもう一度肉塊の方へ向く。

 いつかあの肉塊に取り込まれ、ツムグと――愛する人とふたりではなくひとりとなって――ひとりではなくひとつとなって――決して折れることはないひと振りの希望となって――淡々と、半永久的に何の苦痛も憎悪も無い幸せな夢を見続ける。そんな日が来る。来てしまう。

 確かに、それも悪くはないのかもしれない。

 でも、だとしても、僕はツムグと『ふたり』として、『個々』として、この世界で生きていたい。それが限りなく短い時間だとしても。


「スガル! 何してんの行くよ!」

「ああ、うん」


 僕は今度こそ、希望から視線を外した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 短編なのが勿体ない世界観でした、続きが読みたい。
[一言] 喫っていたのはショートホープかな?
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