5章10話 古き思想と新しい世代
ローゼンブルク帝国で2年に1度行われる武闘大会。
500年前、ろくでもない勇者が『天下一武道会』という名で始めた大会であったが、彼が逝去すると廃れ、それから400年後の現代に『ローゼンブルク武闘大会』として復活した。
当時の勇者が何故そのような名前で大会を開いたかはいまだ不明である。
武器は刃引きされた剣などを使う。拳を使う者はバンテージなどで保護するし、極力死者は出さないような武芸の力を示す大会だ。
魔法禁止という中で咆哮砲系の攻撃で6年前に優勝したモーガンがおり、以来、ハウリングやブレス等も禁じられてしまっている。
これは、竜人族や蜥蜴人族がブレスを使うからだ。
魔法剣や補助魔法による身体能力アップも禁止で、辛うじて魔力による身体能力増強は許可されている。前者のモノは魔法を唱える必要があるが、後者は何も唱えなくても自然体に使えるものだからだ。
基本は肉体だけで戦う武闘大会。その予選が始まる。
***
そんな中、獣人族を居住させている別館の一室で2人の男が密会していた。
黒い髪に熊耳をした熊人族の長マキシム・ベアード、猫人族の長クラーク・リンクスターだった。
「クラークよ。本当に大丈夫なのか?」
「ええ。勿論です。帝国も話の分かる人間がいますからね。他国が我が国を欲する理由は資源です。ちょっと資源の輸出入について融通すれば簡単に首を縦に振りました。これでマキシム様の獣王の座は確実でしょう。勿論、貴殿に勝ち抜いてもらわねば話にはなりませんが」
ベアードはフンと鼻で笑う。
「問題ないだろう。帝国の兵士共の実力は見たが大したことはない。問題は獣王候補同士でぶつかり合う事だ。クラークとマーゴットは少々厄介だ。俺が危惧しているのは同日に準決勝と準々決勝が行われる。そこで二度も当たる事を回避したいだけの事。本来であれば奴らが俺に挑むのが筋。名門の連中は直に恩恵を受けて不利だった筈が、戦い順番は優位になる。奴らが上手く潰し合えれば何も問題はない」
「さすれば次の獣王はベアード様、そして従魔士としての三勇士は私にと」
「勿論、分かっている」
ガハハハハと笑うマキシム・ベアードであるが、クラーク・リンクスターはベアードにへつらう。
(これだから脳筋は……。まあ、良いさ。マーサのガキがどんなに才能があっても獣王を味方に付ければ三勇士の座も猫王の座も俺のモノだ。あの隠居のジジイがマーサのガキの後見になったとした所でもはや実権は何もないんだからな。これで獣王国は全部俺のモノだ。扱いやすい獣王候補がいて助かるぜ)
と、クラークは内心ではほくそ笑んでいた。
「だが、俺としては帝国なんぞとの講和は正直好かん。何で弱っちい人間なんかと仲良くしてやらねばならんのだ」
「実はその協力してくださった貴族の方も現皇帝に不満を持っているようでしてね」
「ほう?」
「マキシム様に是非お願いしたいと」
「お願いだと?」
片眉をあげて怪訝そうな顔をするマキシム。
「優勝すれば皇帝から直接優勝トロフィーを受け取る機会があるようなのです」
「なるほど、俺と皇帝が1対1で誰の邪魔もなしに立ち会う。そこで?」
「つまりその貴族もまたマキシム様に勝利してもらい、……分かるでしょう?」
クラークはサラリと皇帝暗殺を示唆する。
獣王国が帝国と完全な亀裂を作り、尚且つ、帝国にいる協力者はマキシムが獣王になる事ではなく優勝する事で利を得る。
「とはいえ実行後、敵に囲まれ孤立する羽目になるが」
「私の従魔にはマキシム様を乗せて飛んで逃げる物もいますから」
「なるほど、既に犯行そのものは計画完了しているという訳か」
マキシムは納得をする。その半面で気になる事が有った。
「だが、帝国は血によって後継者を選ぶんだろう?聞けば皇族は全員があの皇帝を推しているらしいじゃないか」
クラークが担がれていないかが気になっていた。
「それが……今の皇帝が死ねば、皇帝の子供は幼過ぎる為、次期皇帝候補は我々に協力してくれるリューネブルク公爵の可能性が高いらしいのです。その為に色々と秘策があり、また、揉めるのでどちらにしても自分たちの芽が大きくなるそうですね」
「なるほど、弱者同士だからこそゴダゴダ揉めるという事か」
二人はクツクツと笑い合い、自分たちの利を上手く得ようと話し合っていた。
***
時はさかのぼり、ヒヨコが修行の旅に向かった後の事だった。
「つあああっ」
ドカンと音が響く。
庭の木に吊るされたサンドバックがあっさりと壊れてしまい、虎人族の少年ガラハドは思い切り溜息を吐く。
「くそっ、俺はもっと強くなりたいのに」
だが、まともに練習できる相手も場所もない。
子供だからと省かれてしまう。
周りは獣王の子だからと遠慮する。
偶に抜け出して魔物退治をしたいのだが帝都では抜け出すにも町がデカすぎて抜け出せないでいた。一年前、東の方で人間の軍が来て一人で戦う事になって以来、全く戦闘訓練なんてさせて貰っていない。
3年前の戦争で兄達が王国に殺されて以来、本気でぶつかってくれる相手がいなかった。唯一の元獣王の子として大事に扱われすぎて強くなれないと不満を持っていた。
「あー、虎君だ」
「きゅうきゅう(虎なのよね)」
「にゃーん」
「な、なんだよ」
虎君、と呼ばれた虎人族の少年ガラハド・タイガーは少し頬を紅潮させてやって来たミーシャを見る。
ミーシャの隣には子虎猫のシロと幼竜のトニトルテがいた。
ガラハドはどうもミーシャが苦手だった。見ていると動悸が高まり緊張して上手く話せない。話そうとしてもミーシャ自身はマイペースなので振り回されっぱなしだからだ。
「今、お庭を探検中なの!」
ミーシャはそう説明するが、その間にも白い虎縞の子猫シロがガラハドに襲い掛かる。
ガラハドは慌ててシロの爪から避ける。
「こいつ、直にひっかいてくるから近づけるなよ!」
「シロ。ダメだよ。いくら虎君が嫌いでも」
グサッとガラハドは胸を痛めたかのようにふらつく。
「くっ………だ、だが、ええと、何で虎君なんだよ。俺にはガラハドって名前がちゃんとあるんだ!」
………
驚いたような顔でミーシャが凍り付く。何を驚いているのかガラハドは首をかしげる。
「名前、あったの!?」
「あるに決まってるだろ!」
とんでもない事を尋ね返すミーシャに、思わず突っ込むガラハド。
「きゅうきゅう(そりゃあるのよね)」
「でも、ご本読んでると名前のない子もいるよ?」
「きゅ、きゅう~(た、確かに本では名前のない子もいるのよね。確かに言われてみると………名前の無さそうな子なのよね)」
「でしょ!」
「脇役扱いするな!」
手を振りそこらの子みたいな扱いをするミーシャに訴える。
「でも名前、知らないし」
「ガラハドだよ!ガラハド!っていうか、前にも言ったよな!」
「言ったっけ?」
コテンと首を傾げるミーシャに複雑そうな顔をするガラハド。
「きゅうきゅう(弱っちいから眼中に無いのよね、きっと)」
「弱いから?」
「弱くねえし!いつか俺は獣王になるんだ!」
「獣王様になるの?」
ハッとするミーシャの姿にドヤッと胸を張ってみせるガラハド。
ミーシャはこの時、ガラハドがとっても偉い人になるのかと驚いていた。三勇士を狼の小父さんと軽く扱っている事実に若干気付いていないが。
「きゅきゅきゅ~」
トニトルテは地面に字を書いていく。
『獣王国の男児100人に聞きました。将来の夢は?』
という文字に、ミーシャはハッとする。
「はっ……トルテちゃん賢い!そう、獣王国の男児100人に聞けば100人が答える、将来の夢。1位は獣王様!つまり虎ハド君はその他大勢と同じ!」
ミーシャの言葉にガラハドは自分に雷でも落ちたかのようなショックを受ける。
特別だと思っていた。自分こそがと思っていた。だが、よく考えてみれば獣王国の男児100人に聞けば100人が答える将来の夢とほぼ同じ。
ガラハドはこれまで積み上げてきた色んなものと一緒に崩れ落ちていく。
おれ、普通の子やったんや。
そんな事を思い愕然としていると
「きゅうきゅう(分かれば良いのよね。竜王の中の竜王の子、このトニトルテ様と比べたらザコなのよね!)」
「トルテちゃんすごーい。虎ハド君はがっかり君だったんだね」
ガラハドの胸にグサグサと突き刺さる言葉の矢。
天然ではあるが、ガラハドは同世代で見た事もないくらい可愛い女の子に言われると心が折れそうになる。ガラハド自身も何でここまで傷ついているのか分からなかったが。
「くう、だが、俺は負けぬ!たかが幼竜風情に見下されると思うなよ!」
拳を振りかぶりトニトルテに攻撃を仕掛けるガラハドであるが、トニトルテは攻撃をピョインとかわして体を翻し尻尾でガラハドをひっ叩く。
「きゅうきゅう?(トニトルテに一撃をいれようなんて100年早いのよね。我が終生のライバルHIYOKOの足元には遠く及ばないのよね)」
「トルテちゃん、ピヨちゃんのライバルなんだ。そうだね、いくらがっかり君でも我が親友トルテちゃんには敵わないのだ!」
「にゃーん」
シロがトニトルテの横に並び立ちポーズを決める。
「きゅう!(シロドラバスターズ推参!なのよね)」
「にゃにゃにゃにゃーん」
地面に項垂れるガラハドは右の拳を握り、叩かれた顔を左手で擦りながら悔しくする。
「くうっこんなちっちゃい幼竜なんかに負けるだと。そんな馬鹿な!?」
「きゅうきゅう(このトニトルテ様が可愛がってやるのよね)」
右手でこまねきつつ、トニトルテは尻尾をピッタンピッタンする。
「つあああっ」
ガラハドはトニトルテに襲い掛かるが、トニトルテは角で防御し、尻尾で反撃する。
ガラハドは尻尾攻撃をジャンプで避けながら地面に付いた右足をそのまま力を込めて前に押し出しトニトルテの体に攻撃を仕掛ける。
ガキッ
拳がトニトルテに見事に入るが……
「いってーっ!何て体してやがるんだ!」
「きゅう~きゅう~(だから言ったのよね、お前では我が体に傷など付けること敵わず。終生のライバルHIYOKOはもっと硬い父ちゃんに攻撃して偶然だけど痛みで悶絶させたのよね)」
「ピヨちゃん、トルテちゃんのもっと硬いお父さんを悶絶させたの?」
「きゅうきゅう(奴はピヨピヨのヒヨコだけど、やる時はやるヒヨコなのよね。いつか丸々と太ったら美味しく食べてやるのよね)」
「た、食べるのはどうなのだろう?」
さすがのミーシャも若干引いていた。
「くっ……たかが子ドラゴンを殴って拳を痛めるなんて……修行が足りない!」
「きゅうきゅう(まあ、頑張るが良いのよね。トニトルテは挑戦はいくらでも受けるのよね。獣王よりもはるか高みにいる竜王だから余裕なのよね)」
「おー、トルテちゃんは獣王様より強いのか―。そっか、竜王様の子供だもんね」
ピシャーンと雷が落ちたようなショックを受ける。
こんな小さな子ドラゴンにも勝てないと思えばガラハドは獣王の子だが、目の前の子ドラゴンは竜王の子。
「いつか竜王も倒してやるんだからな―っ!」
涙目で走り去っていくガラハドにトルテは手を振って去り際を見送る。
「きゅうきゅう(少年よ、大志を抱け。なのよね)」
「にゃーん」
腰に手を当てて胸を張るトニトルテの上に登り、シロは斜め上に指を差すポーズをとる。
「きゅうきゅう(お前は中々分かっているのよね。いつか獣王になると良いのよね)」
「にゃ~う」
「きゅうきゅう(きっとヒヨコも今頃優勝を目指して頑張っているのよね)」
トニトルテは肩の上に乗っているシロを両手で降ろしながらウムウムと頷く。
武闘大会が近づくそんな頃、ヒヨコは武闘大会会場の設営準備を一生懸命手伝っていた。
***
時同じくして、ステラはマーサに連れられてグレンの元へやってきていた。
「これは巫女姫様、よくぞいらしてくれました。呼んでいただければ参りましたものを」
そそくさと白髪交じりの猫耳族の老人は部屋に来たステラに跪く。
「……ええと……ほ、本当にグレンさんで?」
ステラは目の前の老人に首を傾げる。ステラのイメージでは獣王国では大きい権力があり、自分に対しても強い発言権で言葉を封じ、巫女姫なんて飾りとしか思っていないような態度の人だった筈だ。
目の前で頭を垂れられると逆に困惑してしまう。
「獣王国での事は申し訳なく、これも全ては獣王国の為と思い……。巫女姫様にとてつもない無礼を働いていた事は誠に申し訳なく思っております。こんな老骨でも許せないというのであればこの命いくらでも捧げる所存」
「いえいえ、そんな事は望んでいませんから」
ステラはグレンの今までの姿とは余りにも異なりすぎて逆に困惑してしまう。
「こちらへどうぞ」
グレンは上座の席を差し、ステラは凄く困惑したままそこに座る。
マーサはグレンと同じく下座側に座る。
「実はグレンさんに確認したいことがあったので来たのですが」
「あの赤いヒヨコの事でしょうか?」
「読心術でもあるかのように的確ですね」
「失礼をいたしました。巫女姫様には及びませんが、念話は心得ておりますので。思考防御もせず来られれば察するというものです」
グレンは深々と頭を下げて丁寧に説明する。
マーサは苦々しい顔をしていた。狸爺と呼ぶ所以でもある。最近は完全なジジバカとなってしまい、鳴りを潜めていたが、前獣王陛下が立つ以前は獣王国を己のモノとしていた猫王である。
幼い巫女姫ではどうあがいても腹の探り合いで勝てそうもない。こんな権謀数術に優れた男を軽くあしらっていた母が異常なのだとステラも感じる。
「あのヒヨコを私が出会う前に知っていたと聞いております。アレは何者なのでしょうか?スキルが異常すぎて、何か特別な存在なのは分かりますが…」
「勇者です」
「ま、まあ、確かに勇者の称号がありましたが」
「少なくとも、我が里に現れた時、アレはエミリオと獣王陛下を殺した勇者ルークでした」
「「え」」
グレンの言葉にマーサとステラは同時に驚愕する。
「ど、どういう事!?ピヨちゃんが勇者って?」
マーサは自分の命を助けてもらっているが故に困惑した様子で問い返す。
「ヒヨコが……お兄ちゃんを殺した勇者?」
ステラも困惑していた。あの呑気でとぼけたヒヨコが兄の敵だったとは到底思えないからだ。
「まあ、正しくはその記憶を持っていたというだけですね。転生の事は知ってますか?」
「話に聞いた事はありますが…。深い恨みを持って死んだりすると魂が固まり生まれ変われず残留魔力が瘴気となりゾンビやスケルトンになるとかそういう話ですよね」
まさに最近、ヒヨコハウスで見たばかりの事であるが。
「恐らくあのヒヨコの卵に残留した魂が移ったのでしょう。王国への憎しみか何かはしりませんが」
「何でピヨちゃんが勇者だったと?」
マーサさんが訊ねる。
「当時のヒヨコは名前が気に入らない、ルークが良いとか思っていました。生まれ変わったのは自覚していたようですが、自分がどの時代に生まれ変わったのかも分かっていないようでしたね。確かにワシも勇者が殺された情報を聞いたばかりなのに目の前に勇者と思っているヒヨコがいるから少々困惑していましたが。そもそも、それ所ではありませんからの」
「それ所じゃなかったとは何ですか。勇者が獣王国にいる事自体が大問題じゃないですか!」
「生まれ変わって力のない元勇者なんぞよりお前が死に掛けていた事が一番の大問題じゃろうが」
じろりと呆れるように見えるグレンの言葉にステラは驚く。マーサが死にかけていること自体が驚きだったからだ。少なくとも獣王国屈指、三勇士に次ぐ実力者である。
「う」
グレンの切り返しにマーサは二の句を継げなくなる。
今でこそ元気だが、当時は死ぬ間際だったのだ。コカトリスの呪い石化毒によって、徐々に石化していたのだから。
「そんな厳しい状況だったんですか?」
「え、ええ」
「あのヒヨコは勇者時代に知っていた調合法で魔物を狩りに出掛けていましたなぁ。ミーシャは寂しがっていたが…いや、そもそもレベル6の弱いヒヨコがバジリスクやエルダートレントを狩るのは不可能だとは思うのですがバカみたいでそのまま森の方へ向かっていったのです」
「………そ、それで居なくなっていたのですか……?ですが、どうして勇者が私を…」
マーサは困ったように首を傾げる。
ステラがグレンに視線を向けるとグレンは徐に話を始める。
「あの時、ヒヨコは自分が死んだせいで獣王国に迷惑を掛けていた事を気にしておりました。だから命を懸けてマーサの命も救うために努力をしたし、ミーシャを助ける為に死ぬ覚悟で王国騎士団と最後まで戦っておりました。獣王様に託された獣王国の未来を守るために」
「………………何故、それを教えてくださらなかったのですか?」
「言ってどうする?勇者の死によりアルブム王国の不審な動きがあり、我々はどうしようもない状況だった。守り手であるお前が倒れていたしな。そして勇者は我らに負い目があって命を懸けてどうにかしようとしているから利用しただけの事。我らにとって何の問題もあるまい」
マーサとグレンの言葉にステラはやはりこの爺さんは食わせ物だと感じる。勇者の心を利用して自分たちの利を得ようとしていたのだから。
「そもそもそうでなければ我らの民は最低限の犠牲で逃げ延びる等不可能だった。さすがお祖父様ですと褒めてくれても良いのだが」
「そう言った人の感情を利用して生き延びようという汚い所が嫌いなのです」
マーサはグレンを睨みながら今にも噛みつきそうなほどいきり立っていた。
「それに、ミーシャが拾ってきた魔物を差して『実はこいつは勇者だから殺そう。お父さんの敵だぞ』とは言えないだろう」
「そりゃ、まあ、そうですけど」
グレンの言葉にマーサも理屈では納得しているが感情として納得できてない部分はある。
祖父や勇者への蟠りもあるし、ヒヨコへの恩義もある。
「それにマーサとて勇者がいたからとて殺したいわけでもあるまい」
「それは………。……分かっています。あれは仕方なかった事だと。獣王様の方針に従うしかなく、この戦争での最大戦力はエミリオと獣王様の二人。戦争の終結は勇者の死亡か二人の死亡のどちらかだと。戦の上で勇者が勝った。獣王国が仕掛け、獣王国が負けた。強者を敬う獣人族のしきたりで言えば恨むのは筋違いです」
「まあ、それはそれ、感情とは別よの」
グレンに指摘されマーサは口をつぐむ。
「まあ、こう言っては何だがの、ワシはそもそもあのヒヨコ、利用するだけ利用して死んでもらうつもりだったからな」
「!」
「まさに狙い通り死んでくれたわけだ。我々に持つ必要もない負い目を持っていた事を利用させてもらったという訳よ。とはいえあのヒヨコもワシを警戒していたから出来るだけ距離を取っていた。そのせいでミーシャが誘拐されたり散々な目にあったが上手く動いてくれたわ」
かっかっかっと笑うグレンの姿に、さすがのステラとマーサも思い切り顔を引きつらせる。
「ヒヨコよりも目の前の爺さんを殴り殺したいんですけど、ステラ様宜しいでしょうか?」
「さすがにちょっと引きますね」
ステラも流石にちょっととは言うが、実の所、かなりドン引きである。
そういう人間だとは知っていたが、こうも堂々と口にされて開き直られるとは思いもしなかった。
「より正しい事をする為に、他人を利用する。何が悪いと?自分を犠牲にして正しい事をしようとした結果、勇者は、アルトリウス様は、エミリオはどういった結末を迎えましたかな?」
グレンの開き直りに近い言葉にステラもマーサも文句が言えない。
誰も彼もろくな最期を送ってはいない。
「それにヒヨコもですな」
「あの、別にヒヨコは死んでませんが?」
「同じ生き物なのは存じてますが、もうあのヒヨコの中に勇者の記憶らしきものはほとんどない。それは巫女姫様もご存じかと」
「あ…………」
幼い頃にあった事を忘れてしまうのは仕方ない事。
王国との戦争によってヒヨコは成長と同時に忘れてしまった。いや、恐らく記憶喪失の間にかつての事が思い出せず、小さい頭にしか入ってなかった記憶が失われてしまったのだろう。
「まあ、元より前世の記憶を引き継ぐことが稀、ワシとて何千と魔物を見てきましたが過去に2匹くらいしかいなかったし、生まれて数日もすれば完全に消えてましたからな。谷底に落ちた時、もし生きていたとしても凡そは忘れているだろう事は想像していた」
「それは再会時に喜んで突っ込んでいったミーシャに教えてあげてください」
マーサはジト目で祖父を睨む。
ヒヨコに抱き付こうとしたミーシャは避けられてしまっていた。誰だろう、この子?みたいな扱いだった。恐らく忘れていると最初から思っていたならば教えてあげれば良いのに。
「そもそも魔物は頭が悪いからの。忘れられるのもよくある事よ。それも含めて良い勉強じゃな」
グレンは苦笑しながら魔物が忘れる事なんてよくある事だとアッサリ暴露する。
ダメだ、この爺。どうにかしないと。
マーサは心の中で強く思った。
ステラはヒヨコの謎が分かり何となく納得する。圧倒的なスキルと高レベルの理由、そして何もかも忘れて普通のヒヨコとして生きているなら、もうどうでも良いかと呆れと共に溜息を吐く。
そう、普通のヒヨコとして…………
(あれ?あいつは普通のヒヨコだったっけ?)
ステラは自分の認識が明らかにおかしい事に気付き、自分の認識に対して困惑する。
「とはいえ、……グレンさんは巫女姫なんて信仰してないと思っていたのですが」
「まさか。獣人達の多くが敬っております。この種族が存続しているのはフローラ様が率いていたからですしね。フローラ様の子供は我らのような無力な者にとってフローラ様に出来なかった恩返しを代わりに出来る存在だと思っています。」
「その割には獣王様が追放を言い出した時、嬉々として後押ししていたように見えるけど」
ジトリとマーサがグレンを見る。
グレンはふむと顎鬚に手を当ててマーサとステラを見る。
「アルトリウス様と私はとある一つの意見が一致していたからです」
「え?」
「獣王国に巫女姫という存在は必要ないと」
「そんな不敬な!」
グレンの言葉に噛みつくようにマーサが叫ぶ。
「500年、当たり前のように世界を救う力を我が国の為に使って頂いていた事がどれほどのものか?それでも一切変わらない、否、変わろうとしないこの国を変えるにはどうすれば良いのか、お前は、いや獣王国の獣人達は考えたことがあったか?ないだろう。巫女姫様の御蔭であの国は他国に負けず生き延びてきた。500年前、奴隷だった我々が勇者様に救われ、巫女姫様によって誇りをもって生きられる今がどれほどありがたいものか分かるまい」
グレンは獣人族全体をバカにするかのように嗤い、マーサを見下す様に視線を向ける。
「アルトリウス様は不敬にも巫女姫そのものをこの国から追放するしか、獣王国があるべき形に収まらないと仰られた。だが、私も…荒療治であるがそれしかないと同意したのだ。だが、それが可能かどうか、民意は従うのか、離反し獣王国そのものが潰れないか、非常に危険な話だった。このような私の様な者さえ、最初は獣王陛下は頭がおかしくなったのではないかと思うほど、獣王国の巫女姫様への信仰は強いものですから。………これはフローラ様のいる頃からの話ですよ」
グレンの言葉にステラもマーサも黙ってしまう。
ステラはその信仰が自分ではなく母へ向かっている事を重々理解している。その母の子供だという存在がどれほど大きいのかまでは理解してなかった。そしてまさかその母でさえ追い出す気でいた獣王の言葉に戦慄した。
「獣王陛下は一度、その事を巫女姫様本人に相談しました」
「なっ」
マーサは本格的に驚く。不敬にも程があると言わんばかりに。だが巫女姫様本人がどういう反応をしたのかが気になる。
ステラも同様だった。
「母はなんと?」
「獣王陛下にフローラ様は『貴方がこの時代にいてくれて良かった。逃れられぬ破滅を前に、近々生まれたばかりの娘を上手くこの国から出してあげて欲しい。その時はすでに私は身罷っている筈だから』と」
「ま、まさか追放は母が!?しかも私が生まれたばかりの頃に自分の死期を予知していたと!?」
「獣王陛下は何もかも受け入れ未来を変える為に逃れられぬ破滅と戦ったのです。最初から分かっていたのです。あの戦いで死ぬかもしれないと」
「……まさか、エミリオは………」
「エミリオ様は………お兄ちゃんは自分の破滅を覚悟していました。その上で抗うと。私はお兄ちゃんに伝えたかったのは獣王国から逃げるべきだと、マーサさんとミーシャを連れて」
「それは……分かっていても出来ない相談ね」
マーサはステラの言葉に首を横に振り、エミリオが最善を尽くしたのだと理解する。
誰も彼も分かっていたのに死ぬ方向へ選択肢を切っていた。他の誰かの為にだ。答え合わせをして悲しみに明け暮れるしかないのだ。どうしようもなかった。
「獣王陛下が巫女姫様を良からぬ思いを抱いていたのは知っていたけど、それにお爺様が加担していたどころか、フローラ様本人までステラ様の追放に関わっていたなんて。いや、私たちに言ってくれているならエミリオや私だってもう少し配慮はしたわ」
「獣王陛下は巫女姫様に良からぬ思いなど抱いてはいない。確かに意図的にそう思わせていたがな」
「……では獣王陛下は…」
「幼い頃の獣王陛下は巫女姫様の住まう場所をみてショックだったそうだ。三勇士だった父に連れられ、誰よりも高みにいる人が、自分よりも粗末な家で粗末な場所でこっそりと暮らしている事に。獣王国の頂点にいる人が、まるで獣王国の奴隷じゃないかと」
「………。それは……」
「獣王国の歴史を知れば知るほど思い知ったそうだ。何かが起こる前にいつも巫女姫様の助言で救われている。獣王が悪政を敷いても、獣王がどんな振る舞いをしても、巫女姫様一人の助言によって国が救われている。あんな些末な暮しを強いていて、何もかも巫女姫様に守られている。この国がおかしいと、アルトリウス様はその事実にお気付きになっていたのだ。巫女姫様をこの国から解放したいのだと。獣王陛下は当時、三勇士だった私に相談をした。他の者には相談できぬことだ。この国の在り方のおかしさ唯一気付いていた私だからこそ相談できたことだ」
マーサはグレンの言葉が真実だと理解する。その上で獣王とグレンというこの国の本当の意味での上層部は志を共にしていたのだ。恐らくは獣王家の家宰でもあるクリフォード・テイラー様も知っていただろう。
「ならばどうしてそれを私たちに伝えてくれなかったの?そんなに信用できないとでもいうの!?」
マーサは一線を引いていても血のつながった祖父に対して強い抗議をする。
「獣王様と共にフローラ様に相談したのは獣王様が即位した頃、お前が家を出ていた頃よ」
「………!?」
「ワシはワシと同じ志を持つ獣王陛下に平伏した。彼ならばすべてを任せられると。これまで私が国を操っていたのは私腹を肥やす為ではない。国をよくするためだ。獣王など力だけのお飾り、むしろ害悪だからな。ワシはこれまでの獣王を軽蔑していた。だが、アルトリウス様は違ったのだ。アルトリウス様に知恵を授け、よりよい形を提案し続けた。獣王陛下の圧倒的な力が我等を導けるように。後に獣王陛下がいなくなっても国が回る様に。事実、大変ではあってもこの3年、獣王抜きで見事に回っている」
「…………獣王様がそのような重いものを抱えて一人で戦い民を守って亡くならねばならなかったなんて。誰かが支えてあげられなかったの?」
「馬鹿を言うな。獣王陛下は死ぬつもりなどなかった。だが……フローラ様の予知は聞いてしまったからこそ、最後に踏ん張れなかったかもしれぬな」
「どういう事だ?」
「皆が獣王の背中を見ている。命の限り戦い抜けば、やがてその背を追いこの国を背負っていく者が現れるだろう。何も心配はいらないのだと、そう仰っていた。とはいえ、ワシには今の獣王国の状況がそうは思えぬがな。若い者達は誰もが古い時代の獣王にそっくりだ。力が全て、そんな者ばかりだ。フローラ様の見た未来とは違うのかもしれぬ。エミリオが生きていればと思う事が何度あった事か。少なくともエミリオは思想こそ違えど、志は獣王陛下と同じくしていた。彼もまた巫女姫様を解放してあげたいと思っていた一人だからな」
グレンはどこか寂しそうに語る。それは自分よりも力のある未来があり志を共にする若者が先に死んだ事による憐憫だった。
未来は余りにも移ろい易い。この場の3人はそう思わざる得ない話であった。
そして帝国をよく知るステラだからこそ、獣王国において、権謀数術を使い悪の化身のように周りに思われていたグレンこそが、今生きている獣人達の中で最も獣王国を想い、良い国にしようとしていたのが分かるのだった。
(出来るならば、もう少し獣王様とお話をしたかったなぁ…)
獣王の厳しい姿しか知らないステラは、後になって見えない所で気遣われていた事を知りそんな事をよく思うのだった。