4章閑話 狐は老婦人と出会う
今回はステラの一人称です。
ヒヨコ達が出て行った高級宿はたいそう静かだった。
「ピヨピヨきゅうきゅう鳴いて喧嘩ばかりなんだけど、何故か仲良しなのよね、あの二匹」
ステラはヒヨコ達が町の中に消えていくのを眺めてから窓を閉める。
「どうしよう、お仕事に行こうかな。何故、バカンスなのに仕事をしたくなるのだろうか?自営業なのに」
ステラは宿についている冷蔵庫から冷茶の入ったビンを取り出しコップに注ぎ、再びビンを冷蔵庫へと入れる。
魔石によって常時ものを冷やしておくことが出来る帝都では貴族や豪商くらいしか持っていない逸品がこのホテルにはすべての部屋に備え付けてある。魔石は未だ大量生産のめどが立っておらず一部の富裕層しか持っていないらしい。
「こんな快適生活、続けていたら絶対にダメになる」
冷茶で一服してから自分の現状を正確に分析して溜息を吐く。
私が冷茶を作るには、まず日頃から滞在している安宿の裏手にある共同井戸からポンプで水を汲み、まず鉄鍋に入れてをオーブンで煮沸させる。ティーバック投入後に冷ますのである。
これでお茶は完成するが、冷やす為のアイテムは金がないので手に入らない。
勿論、私も氷魔法で冷やすことが出来ないわけではない。だがこんな事の為に魔法を使うのはどうかと思ってしまう。
幼い頃、母に最低限の魔法や生活術を習ってきたがやはり力が足りてない。母はそういった事を簡単にこなすのでスキルでしか出来ない事以外は自分の手でやっていた。500年以上もこの世界の為に命を費やして生きてきた人だ。
「貧乏性なのかなぁ。そもそも獣人族の頂点に立っていたお母さん自身が病気になるまで普通に森の中で野草を摘んだり狩りをして生活していたからなぁ」
温かい常夏の陽気の中で飲む冷たいお茶は心地よく、小さく溜息を吐いてからテーブルに頬を付けてまったりする。
「皆が生きてたら一緒に来たかったなぁ」
思わずつぶやいてしまう。
ステラは母と血のつながらない兄しか知らずに山奥で過ごして生きていた。
物心がつく頃には父はいなかった。父の事は一切知らないし聞いた事もない。
義兄からもその話は聞いた事が無かった。そもそも、小さい頃は病弱で布団の中だけが自分の世界だった。
母には多くの事を習った。生きていくためのあらゆる事をだ。
そして、多くを習った後、私の病気が快癒と入れ替わるように母は病気になり亡くなった。何となく、母が私の為に何かをしたのだという事だけは分かった。それから先の人生は母の代わりになろうと頑張るだけの人生だった。でも、自分のせいで誰も彼もが死んでしまった。
唯一の家族であるお兄ちゃんも結婚して猫王になって中々会えない日々も続き、結局、獣人族を守るために死んでしまった。
家族はみんな死んでしまったのだ。
「私は何で生きてるんだろ。お母さんは未来をどこまで見れていたのかな。私もお母さんみたいに予知スキルが10まで上がったらわかるようになるのかな」
ステラは再び溜息を吐き、ブラーンと椅子からぶら下がる様に垂れている5本の尻尾をふらふら振る。
そこで気付く。
「そっか。私は生きる為とかに仕事をしてるんじゃなくて、お母さんに少しでも近づくために仕事を通して予知スキルを育てる為に仕事をしていたんだった」
そうぼやいた瞬間、頭にこの町の門から魔物があふれるように現れる絵が見える。
「え?な、何?」
その脳裏に走った絵を思い出す。間違いなく死者が出ている絵だった。
魔物が現れるという事だ。こんな大きい街に魔物が襲い掛かるなどありえるんだろうか。そう考えた時、強大な電撃と爆発の煙が立ち上っている背景が見える。それでヒヨコとトニトルテが魔物を一網打尽にしているが、その残りがこの町を襲ったのだろうことが予測される。
「どうしよう」
ステラは困り果てる。
居ても立っても居られない気持ちに駆られるが、自分が行ってもどうしようもない。
別に町が滅ぶという訳でもないし、何が原因で起こる事なのかもわからない。
結果だけわかるのは人が死ぬと言う事。ヒヨコとトニトルテも関わるという事。彼らの身の危険の心配はないだろう。
誰かが強い人がいれば……
そう思た瞬間、ふと思い出すのはかつて自分の過ごした町の長だったヒューゲルを思い出す。彼らのパーティがこの町に滞在している筈だ。頼めば一発ではないかと思い直して立ち上がる。
ホテルのフロントに連絡をしてヒューゲルの居場所を尋ねるが、答えられないと一蹴される。それも当然の事だった。知り合いだと示す事もできないが、このホテルに泊まっているらしい事を聞いてはいたがどの部屋かは分からない。部屋の数が多すぎるので探すのも困難だ。
全ての部屋に向かうような時間はない。どうすれば良いかと考え、足が外へと向かってしまう。
ヒューゲルの仲間の誰かに鉢合わせられれば説明できる。オークロードの人は自分の素性も知っていたので問題ないと考える。気持ちを落ち着かせて外へと向かう事にする。
それこそ予知でどうにか出会える場所を探そうとしていると、ホテルの出入り口にいつかの老婦人が現れる。
「あら、貴女は」
ふと老婦人はステラに声をかけてくる。
「あ、ええと、以前、お会いしたご婦人の………」
足早に歩を進めようとしていたステラは速度を緩め、婦人の前で小さく一礼する。
「もしかして今からお出かけですか?実は貴女に会いに来たのよ」
「わ、私に?」
目の前の貴族のような女性が、ステラを訪ねて来ていたようだ。
「ええ。以前、助けられた上に指輪を見つけてくれましたでしょう?そのお礼をしたくて来たんですよ」
「え、いえ、あの、気になさらないでください。指輪は仕事でしたし、急病のご婦人を介抱するのは人として当然の事ですよ」
すると婦人の後ろに立つ二護衛のような二人のうちの一人が前に出る。
「そうはいきません。ご恩を受けたのに返さないとあってはメルシュタイン侯爵家として示しがつきません」
とかしこまる様に口にする。
「め、めるしゅたいんこーしゃくけ?え、ええ?この領地の家の人ですか?高貴な方とは思っていましたけど」
「こちら、グレータ様は前侯爵閣下の御母君であらせられます。どうか礼を受け取って頂きたいのです」
そう言って男が大きなトランクケースを前に出す。
中から現れたのはトランクケースいっぱいに入った金銀財宝であった。
「とは言われましても………そんな大金いただけません。そもそも指輪一つで見返りが大きすぎます」
「あれは亡くなった夫との婚約指輪だったのよ。孫娘が見たがっていたので部屋に出していたのだけれど、猫が咥えて持って行っちゃって、凄く困っていたの。命に代えられないものなのよ」
「は、はあ。とはいえ、私は占いの対価は基本的にコイン一枚です。それは譲れません。プロですから。私にとっては占師業は修行の一環です。修行でもそれでは生きていけませんから、コイン1枚で多くの人に細やかな幸福を届ける対価として一食分を頂く。ただそれだけの仕事なのです。私腹を肥やす為に自分の力を使ってはいけないと母に教わって生きて来たので……」
「それでは侯爵家としてはメンツが潰れてしまいます」
護衛の男が訴えるとご婦人は
「ならば何でもいいのでかなえて欲しいものでもありませんか?これでも領内であればある程度の事は何でもできる身です。私たちに出来ない事をやってもらったのですから、貴女がしてほしい事を私が叶える。そう、これは対価としてです。コイン一枚では我々の感謝は表せないのですから」
ご婦人はそう言ってステラを見る。
ステラはふと考えて、思い出す。そもそもこれから人助けに行こうとしていたのだ。占いをある程度信じてもらえるかもしれず、しかもこの領の権力者でもある。もしかしたらこちらの声を聞いてもらえるかもしれないと考える。
「そ、それではお願いがあります」
「何でしょう?」
「実は今日、占いでこの町が魔物に襲われるのを見ました」
「え!?」
「あ、あの、別に町が滅びるという訳ではないのですが、急な事で門番や衛兵の方が何人か失われるようなのです。知り合いに伝えれば助けてくれそうなのですが、その知り合いが見当たらなくて、恐らく町の外なのだと思います。会いに行くには私の足ではどうしようもなく、丁度いい足もお出掛け中で困ってまして」
「本当にこの町が襲われるのですか?」
「ええと、正直、分かりません。自分より大きい力のうねりがあると占いは成功しないので。ただ、見知らぬ門番数人と偶々通りかかった一般人数人が死ぬかもしれないというだけで…」
口にすると意外にどうでも良い事ではある。
が、見知らぬとはいえ亡くなって良いとは思えない。恐らくは人為的な何かによって死ぬのだろうことは一目瞭然だったからだ。
「なるほど。なら避難訓練をしましょう」
「は?」
ご婦人は横に侍っていた執事に何やら指示を出す。執事はペコリと礼をしてから他の者に伝令を出すのだった。
「避難訓練とは?」
「外部から魔物が襲ってきた時にどういう対応をするのかという訓練をするのです。貴方の仰ったシチュエーションで兵士たちが避難訓練をした時にどういう対応を取れるのか見てみましょうという事です」
ご婦人の言葉は目から鱗だった。
なるほど、そう言っておけば誰も傷つかない。傷つくとすれば面倒な事を急にやらせた人だけになるのだが、そういうのを受け持つのも貴族の役割である。
「もしも外れていても問題はなく、当たっていれば対応できるという事ですね。でもそんな事が可能なんですか?」
「私の立場なんてこの程度の事くらいしか出来ないもの。でも、そんなに当たったり外れたりするものなの?」
「実は昔はよく当たったんですけど、最近はペットというかヒヨコとドラゴンがいるせいで当たらなくなったというか。奇想天外な二頭が守ってくれるから、あまり予知が働かない事も多くて」
「そう言えばあのヒヨコさんもいましたね。今はどこに?」
「外に出歩いているのですけど………むしろ今回の事に関わっていないか心配ですね。まさかあの子たちが魔物を追い立ててスタンピードを起こしていたとしたら目も当てられませんし」
「それはないでしょう。元々、この辺はスタンピードが多いですし、兵士たちも鍛えられているんですよ」
フフフフと笑うご婦人。
確かにステラの見た予知ではかなりの数の魔物がいたがそれでも魔物から門を死守していた。
練度は高いようだ。
「でも、何でそのような事が起こったのでしょう?」
「これが一番のこのスキルの悪い所で、原因が分からなくても結果が出てしまうのです。占いなんてそう言うものといえばそれまでなんですけど。それも含めて知り合いに相談したかったんです」
「お知り合いはどなたなのです?」
「え、ええと、シュテファン・ヒューゲル様と言って私が暮らしていた田舎で太守代行を務めていた方なんですけど」
「あらあら、まあまあ」
楽し気に目を細めるご婦人。
「何か?」
「貴方がエレンを導いた占師さんなのね?」
「………あ、アレはどうなのでしょう。私とは関係ないような気もしますけど……」
ヒューゲル様への最終的な詰めはヒヨコの魔法である。まさかヒヨコがヒューゲル様の呪いを解除できる数少ない魔法使いだったなんて思いもしない。だってヒヨコだから。
まあ、そもそもヒューゲル様は何でもできるスーパーマンだったから、てっきり呪いも何か好きでつけているのかと勘違いしていたり、ヒヨコが治せる神聖魔法を使える事も特別話す事でもはなかったからではある。
そう言う部分で予知が働いていれば簡単にハッピーエンドだったのだが。
「何でも当たったりしないわよ。どんなに占いが当たったとしても、人の力で避ける事は出来るのだし、そうなる為の道標みたいなものだと思っているわよ、私は」
「道標…」
ステラはふと母の言葉を思い出す。
『予知なんてただの指標にしかならないわよ。人間は自分の力で切り開いていくものなんだから』
すべてを教えている訳でもない相手なのに母を思い出させるような事を言われて、少しだけ自分の力を過信していた事を思い出す。
「そうですね…」
ステラは目の前の老婦人の人生経験からくる言葉に、自分はどんなに予知が優れていてもまだ16歳の若造なのだと思い知ってしまう。どこか目の前の老婦人が母に似ているのだと感じるのだった。
「それじゃあ、行きましょうか。ちゃんと避難訓練しているかどうか」
「あ、はい」
臨時の避難訓練という対策一つで死の予知が消えていくのを感じる。
だが、ちゃんと成功するのかを確認するまでは分からない。当たらない可能性だってあるのだから。
ステラは老婦人と一緒に歩いて外へと向かうのだった。