4章閑話 勇者とラファエルの会談
「ようこそいらっしゃいました、ヘレーナ・ノルディーン聖王女殿下。並びにノルデン王国の勇者アーベル殿」
メルシュタイン侯爵の居城にある応接室に通されたノルデン聖王国の第一王女ヘレーナ・ノルディーンと白銀の鎧をまとった勇者アーベル一行は、豪華なソファーに座り歓待の言葉を聞く。
目の前に座るのは50に差し掛かろうとする容貌のユルゲン・メルシュタイン元侯爵閣下だった。
今は息子に跡を継がせて隠居の身であり、当の息子が帝都で戴冠式に出席していたのでその代役を務めていた。
退位した元皇帝の義兄にあたる人物であるが、とても腰の低い男である。
「ふん、どうやら身をわきまえているようだな」
ぼそりと呟くのは勇者アーベルにパーティメンバーの女子二名も頷き合う。どこかメルシュタイン元侯爵を下に見ているような素振りであった。
その一言に元侯爵の部下達は顔には出さないが怒りを向ける。彼らはこのかつての主を心から尊敬しているからだ。
「事前に書状にて通達しましたように、我らは聖光教会の奉じる女神さまの神託に従い、連邦獣王国への侵攻を計画しております。つきまして我らが聖光教会の勇者アーベル様の下に宮廷魔導士にして賢者ラファエル殿を遣わしていただきたいのです。かつて勇者アルベルトと共に世界を平和に導いた賢者様の力添えを我らは必要としております。聞けば侯爵閣下は幼い頃のラファエル殿を城に留め置いた事が有ったとお聞きし、貴殿から説得してもらいたいのです」
「我が国が連邦獣王国とは不可侵としている事はご存じでしょうか?宮廷魔導士であるラファエル殿が連邦獣王国と戦うのは政治的に不可能です。それでも求めるのですか?」
「何を言っているのですか。女神さまの神託はすなわち、世界の危機の前触れ。世界の危機を前にして、国や身分などというくだらないものに囚われていてはなりません。宮廷を辞して駆けつけるのが筋かと思いますが」
「なるほど」
この国は別に女神教も聖光教も国教どころか信仰する義務さえないので、それは余りにも押しつけがましい言い分であるが、教会関係者からすると当然の言い分と言えるだろう。
「俺は教会に認められた勇者だ。かの賢者は共に戦うのが筋だろう。帝国はそれとも世界の敵なのか?」
ギロリとアーベルは侯爵をにらみつける。
侯爵はハンカチで汗を拭いながら誤魔化すように笑い
「私ではどうにもなりません故、当人に聞いてみたら如何かと。我が国では他人に命令する権利はありませんから」
「元侯爵であり皇帝陛下の義兄である閣下ならば命令一つで済む話でしょう?」
聖王女は理解できないという顔で元公爵をにらみつける。
「まさか。貴国のような封建制と異なり帝国は皇帝陛下であっても非常時以外で他人の権利を束縛する事はできません。それこそ法律にある範囲内で、貴族や王族が下位者に対して危急の避難などでもなければ許されません。我が国は法治国家です。無論、上位者の多くが、権力を使って下位の者に無理強いするという事が少なくないとは言いません。ましてや下位者である私のような貴族が上位者であらせられるラファエル殿に言う事を聞かせるなんて失礼極まりない」
「戯言を」
吐き捨てるように小さく口に出して、アーベルは侯爵を殺気のこもった鋭い視線で睨みつける。カチャカチャと腰に差してある鯉口で剣を遊ばせながらだ。
そんな視線にさらされてもヘラヘラと笑い腰を低くして受け流す元侯爵はまさに下級貴族が上級者にこびへつらうかのような姿勢であった。
だが、侯爵は身内に皇族がおり、幼い頃のエレオノーラをよく知っている。エレオノーラの殺気と比べたら彼らのそれは可愛いものである。
そも8年前、帝位争いにて劣勢だった現皇帝派閥について、のらりくらりと戦争にならないようにかわし続けた男でもある。
見た目はヘタレな元侯爵であるが、タヌキとも言うべき腹黒さと屈強な戦士を前にしても態度を変えない豪胆さを持った人物であった。
「そう申されると思いまして、今日はラファエル殿がこちらにいらしております。ご本人を説得してみてはどうでしょうか?」
そんな侯爵の言葉に聖王女一行は驚きの様子を見せる。
まさか宮廷魔導士がこんな場所に来ているとは思ってもいなかったからだ。
無論、戴冠式に合わせて拉致した紅玉級冒険者がここに連れてくるタイミングで、ベルグスランド聖王国が訪問するという話が重なってしまったという偶然ではある。
だが、聖王女ヘレーナは『この腹黒狸、侮れない』と、勝手に勘違いしていたりする。
使用人が部屋を出ていき、暫くして男装したラファエルが使用人を連れられて現れる。
「初めまして。貴方が宮廷魔導士にして賢者と謳われるラファエルね。私はベルグスランド聖王国の聖王女ヘレーナですわ」
「これはご丁寧に。……聖王国の皇女殿下に嘘を吐くわけにもいかないので正しい自己紹介をしましょうか。私の本名はラファエラ・F・フォン・ローゼンブルク、先日戴冠したローゼンブルク帝国皇帝アルトゥル陛下の腹違いの妹になります。お見知りおきを」
「「「え」」」
ラファエラの言葉に聖王女一行全員が驚きの声を上げる。
ラファエルはラファエラ皇女が男装している姿だという話は自国では知られている噂ではあるが、他国ではあまり知られていない話だ。与太話のような噂ではあるがまさか真実だとは思っていなかったようだ。
「くだらない噂とばかり思ってましたが、まさか本当にラファエラ皇女殿下本人があのラファエルだったのですか?」
「ええ。帝国としては貢献する人物が必要だったため、筆頭宮廷魔導士という肩書を持つ私が勇者パーティに参加したというのが実情です。実際には皇族として竜王陛下や鬼人王陛下らと大々的な戦争にしない為の調停役でしたが。我が国は竜王領や鬼人領とは不可侵条約を結んでおりますので」
「……ですが、今は世界の危機。調停など必要はないでしょう。共に連邦獣王国を滅ぼす為に手を取りましょう」
「と言われましても、悪魔王の時は鬼人領や竜王領が不穏な動きを見せて各国へ恭順するように攻め込んできた状況でしたが、連邦獣王国は未だ獣王が定まっておらずどこかと戦争をしているという話もありません」
「ご存じないようですね。連邦獣王国はつい数か月前に南部でアルブム王国と戦争を起こしていることを。アルブム王国はその時に2万以上もの死者を出しているのですよ」
「我が国が聞いた話ではアルブム王国は宣戦布告もなく勇者様と締結した不可侵条約を破棄して進軍したと聞いています」
ラファエラは呆れるようにヘレーナを見る。
彼女たちは恐らくアルブム王国の言い分だけを信じているのだと推測される。
というのはベルグスラント聖王国の成り立ちは、そもそもアルブム王国の北方民族が聖光教会を信仰し始めて戦争が起こった土地だからだ。アルブムは女神教であったが聖光教会側を支援しベルグスラント聖王国の成立に貢献している過去があった。
ベルグスラント聖王国は獣人領と竜王領に挟まれている国だが、内向的な国家で人族至上主義的な国でもある。これはアルブム王国に通じるものがあり、精霊信仰、女神教会、聖光教会という三大宗教の中でも聖光教会の宗主国でもある為、宗教的にも強い国家でもある。
「それは連邦獣王国が流した嘘です。かの国はアルブム王国へ進軍し、アルブム王国は多大な被害を出したと聞いています」
「ですが我が国の調査では連邦獣王国は獣人族の生存圏を北へと下げておりますし、オークの集落は滅ぼされたとも聞いています。かつて獣王陛下と勇者様との戦いで出来た渓谷の北に逃げたという話も聞いてます。アルブム王国の言い分を一方的に聞くのは余りにも…とは言いたいところですが、貴国は獣人に人権を認めていない国家。彼らの言い分しか聞かないのは当然でしょうね」
ラファエラは小さく溜息を吐く。
「獣共の話など聞くに値しませんわ」
「奴らは畜生の如き野蛮な連中だ。女神様が神罰を下せないからこそ、俺が勇者として神託を受けて奴らを成敗しなければならないんだ」
ヘレーナの言葉を肯定するように勇者が神を持ち出して獣人の征伐を訴える。
獣人族を普通に受け入れて人権を認めている帝国としては彼らの言葉に全く心を動かされないものだった。元よりラファエラの父は獣人の宰相によって帝国を守られてきていた。
人権に対する考え方を変えようと父である皇帝陛下が苦心しているのはよく知っている。
父は短期政権で終わる事になってしまったが、奴隷制度の廃止、ドラゴンや獣人を含む人権の確立、国民に押されて出来たものであるが、貴族の反対が大きい中で見事に成立させた案件だ。
それと全く逆方向の考えを持ち込まれて心が動くはずもない。
ルークは違った。
ラファエラは思い出す。
ラファエラがルークと話したのは帝国で彼らを歓迎する舞踏会でのことだった。ラファエラは宮廷魔導士ラファエルとしてそこにいたのだが、ルークは周りに聞こえないのを確認するかのように尋ねて来たのだ。自分と同じくらいの年で宮廷魔導士になっているから話しかけやすかったというのが理由らしい。
どうすれば悪魔王の傘下に入った竜王、鬼人王、不死王らと戦わずに収められるのかと。
倒すために来たと思っていたのだが、彼は獣王を殺しておきながら、戦うのを是としてなかった。恋人の聖女やパーティの仲間たちにも言えない様子だった。
彼は鬼人王や獣王が一人の武人であり、強く気高い事を、敵として戦う事で共感していた。
そして王国においては蔑まれていた獣人達もまた心根の良い連中で、戦争だから仕方なく殺すしかなかったが、出会い方が違えば共に戦う仲間になれたかもしれないと悩んでいた。
だが、それは叶わなかった。
故に王国との間に強引に入り不可侵条約を結んだのだという。
ルークがもしも帝国民として生まれていれば、立派な勇者になっていただろう。
それを導きたいと思ったからこそ賢者ラファエルとして彼を導く立場に立候補したのだ。ルークの優しい思想は、王国にとって邪魔になるから危険だとも感じていた。
悪魔王を倒しラファエラが事後処理に奔走しているうちに、ルークは王国で偽勇者として死ぬこととなった。ルークは結局王国に踏みにじられたのだ。
ラファエラにとっては悔やんでも悔やみきれない出来事だった。それを避けるために仲間になったのに、まんまと王国に出し抜かれたからだ。
「我が国では獣人族も普通に暮らしております。連邦を故郷に持つ方々も多くいらっしゃいます。そんな国が何の理由もなく国境も無い連邦と戦うなどありえません」
「平和の調停者たる帝国が手を貸すからこそ意味があるのです」
「ならばベルグスランドは獣王国への侵攻を辞めるべきでしょう」
「つまり、帝国は聖光教会を敵に回すというのか?」
ギロリと睨んでくるのは勇者アーベルだった。殺気を込めて威圧してくる。
基本、帝国貴族は精神耐性を高くなるような教育を受けているので、そんな殺気如きならば、侯爵やラファエラは軽く受け流す。
「何故、そこまで獣人を厭うのか分かりませんね」
「俺の村は獣王国に滅ぼされたからだ。奴らは野蛮で獰猛な生き物だ。全て駆逐すべきだ」
「…滅ぼされた?」
獣人族は基本的に弱者を相手に戦いはしない。自然主義的な考えがあり無駄な殺生も厭うのが獣人族の特徴である。村を襲い、しかも滅ぼすなんて聞いた事も無い。
ラファエラは隣で飄々としている元侯爵を見て訪ねる。
「お爺様はご存じですか?」
「まあ、ベルグスランドだからね。よくある事だよ」
「村を滅ぼされることが?」
それはちょっとした驚きだった。獣王連邦の知らない一面を見たような気がしてラファエラは驚いていた。
「そうだ!あの邪悪な連中が隣に存在するだけでも悍ましい!」
ガンッと机を拳で叩き勇者アベールは訴える。
「ベルグスランドは獣人領にあるミスリル鉱山や金鉱山を手に入れる為に、宣戦布告もなく何度も獣王領に侵攻して鉱山付近の無辜の民を殺しているからね。何度となく領土管理をしている三勇士や族長達が報復しているんだよ」
当たり前のように返す元侯爵の言葉に、ラファエラは鋭い視線を聖王女へと向ける。
「言い掛かりですわ。あの獣達の言っている事と我々の言う事のどちらを信じるというのですか?」
「どちらも信じていませんよ。国とは大抵自分の都合の良い事しかいいませんからね。我が国が調べた調査結果に基づいた話です。まあ、嘘を付けば真実になる貴族だらけの国であるベルグスランドの話なんて信用したことありませんけど」
にっこりと笑う元侯爵。その笑顔は隣にいたラファエラでさえ鳥肌を立たせるほどの覇気をも含ませるものだった。
そう、この腰の低いタヌキ親父はシュテファン・ヒューゲルや現宰相クラウスと並び帝位争いに置いて前皇帝陛下を勝利に導いた立役者の一人である。帝国北部全域において大きい力を握っている傑物でもあるのだ。
「な」
「情報なんてものは信用できる人間から正しくとって来たもの以外に信じられるものではありません。帝国の諜報機関が確認してきた事です。で、ラファエラ殿下はどうなさるのですか?」
そこえ、元侯爵はちらりとラファエラを見る。
「一つだけ勇者様にお聞きいたしたい」
「何でしょう?」
アーベルは若干不機嫌そうにラファエラを見る。
「歳ほどは私と大差ないようにお見受けしますが、何故、今になって勇者なのでしょう?悪魔王は500年前の魔神の系譜である事は明らかでした。その時に立ち上がらず、どうして今回獣人討伐という事で立ち上がったのでしょうか?」
「何をバカなことを。俺が勇者になったのはつい最近の事だ。仕方ない事だろう」
その言葉にラファエラは全てを理解し納得してしまう。そして呆れてしまう。
「そうであるならば私はベルグスランドの勇者殿とは共に行くことはできません」
「「「!」」」
勇者一行は驚くようにラファエラを見る。
「馬鹿な。世界のために戦う気概はないのですか?」
「それに獣人族は貴殿の仕えた勇者アルベルトを再起不能にした悪逆非道な悪魔だ。共に戦うのは当然だろう!」
ヘレーナとアーベルはラファエラの拒絶を非難する。
ラファエラはアルベルトが勇者だと言われて腹も立つが、彼らがアルブムの情報をうのみにし、アルベルトが実際に勇者として申受理請されているならば、見掛け上はアルベルトが勇者だと勘違いするのは仕方ないと受け入れる。
そしてそのことについては触れたくも無かった。言い合いになったら目の前の人間を殺したくなってしまうからだ。
「以前、供をした勇者様は余りにもお人よしで危なっかしいから助ける為に手を貸そうと思い、付き従いました。ですが、貴殿にはその必要は無さそうです。そして前勇者様は足手まといである私を求めたわけでもなかった。勇者様から見れば、私のような足手まといは必要ないでしょう。それが答えです。お帰りを」
ラファエラは完全なる拒絶をする。自分は足手まといなのでどうぞお気になさらずという言葉であるが。
にべもない雰囲気に勇者は舌打ちをする。これは決裂したと思わせるものだった。
元侯爵の態度からしてもそういう匂わせはあった。
「ちっ、腰抜けが」
「行きましょう、勇者様」
「このような臆病者、我らのパーティには不要です」
「神の言葉に背くとは哀れな事です。この都市は近く天罰が下る事になるでしょう」
勇者一行は帰りがけに愚痴をこぼし、聖王女は呪いの言葉を吐きながら去っていく。
彼らが去って行った後、侯爵はラファエラを気に掛けて心配する様子で尋ねる。
「良かったのかい?」
「ええ。竜王陛下や師匠たちの言う通りでした」
「彼らはなんと?」
「勇者は勝手に勇者になるものだと。あのアベールという男からは勇者足り得るものを感じませんでした。思えばルーク様には話してみて、初めて私が仕えたいと感じるモノがありました。やはり偽物と本物では違うのでしょう」
「そうだねぇ。まあ、前勇者殿と同じく適当に騙されている感はあるけども、どちらも勇者はただの成り上がりものだ。私も前勇者には会ったが腰の低く優しい子だったが今の勇者は手にした権力を使うただのガキ。ラファエラ殿下が従者になるなどありえない事。愚かな選択肢を取らずに私はホッとしているよ」
「そんな人を試すような事ばかりするからダメな甥っ子を作って失敗するんですよ」
「あははは、それを言われると痛いねぇ。ラファエラ殿下は手厳しい」
侯爵はペチペチと頭を叩いて苦笑するのだった。