3章閑話 皇子、帝国から亡命する
ローゼンブルク帝国ローゼンシュタット市の帝城前にて衛兵に囲まれて城から出される青年がいた。
「とても残念に思います」
涙ながらにそんな青年を慮るのは母親のエリザーベトだった。
「母上、私を見捨てるのですか!?どうか、どうかお願いです!父上に取りなして…」
エリアスは母親に縋るように訴える。
「陛下は今回の件を重く受け止め、退位するようです」
「は?」
エリアスは意味が分からないという顔であっけに取られていた。
凛とした姿で立ったまま息子を見下ろすのは母エリザーベトである。まだ20歳に満たない子供に対して酷だと感じながらもきっぱりと口にするのだった。
「今回は帝国だけの事ではありません。貴方が関わらなかった事も多いでしょう。ですが全ては貴方の指示により多くの者が動き、結果として国を滅ぼしかけているのですよ」
「わ、私はそんな事を……ど、ドラゴンの子供でも連れて来いとは言ったけど、それが法律違反だなんて誰も教えてくれなかった!」
「貴族学院では1年生の頃に人権宣言を習うはずです。知らなかったではすみません。何も知らない貴方の言う事に従うべく貴族達が動きます。皇帝とはそういう立場なのです。」
次期皇帝の権力を存分に使っていた多くが法律違反だった。それを今更言われても自分のせいじゃない。それは違うと言ってくれれば……。
「陛下は自分が愚かだと分かっているから、自分を否定する人間を部下に置いているのです。信用でき、誰よりも頭の回る者を。貴方の周りはどうでしたか?」
「それは………」
エリアスは自分を褒め称え気分良くさせてくれる連中ばかりを使っていた。
彼らはエリアスを出来る人間だと褒め、エリアスを全肯定してくれる。有能な兄姉達と違って、無能だとバカにするような事もしない大人たちだ。
母の言葉に唸り、言葉が継げなくなる。
「母上は、それでは、私が帝位を継げなくても良いと言うのですか?」
「私はそれでも仕方ないと思っていました。私はずっと言ってきましたよね。付き合う人間は考えなさいと。マイヤー侯爵やバルツァー伯爵と距離が近すぎないか、ちゃんと諫めて貰っているのかと」
「う」
「それに有能だと言われているエレオノーラ、それにラファエラ様やヴィンフリート様は所詮、武力に長けているだけで決して為政者として優れている訳ではありません。貴方はそんなものを有能だという人間の言葉を気にする必要さえなかったのです」
「でも俺だって魔物レースでは周りに褒め称えられていたし……」
エリアスはそれなりの功績を上げていたという自負はあった。
「一つ聞きたいのですがアインホルン様は貴方に何と仰っていたのですか?」
「あ、アイツは、………周りの皆は俺の改革案に肯定的なのに、あの爺さんはダメだとばかり言っていたんだ。だから切り捨ててやったんだ。あの爺さんがいるからこそ魔物レースは改革が出来ない。強い権力を持っているから変えられないと皆が憤っていた。俺はその代表として…」
エリーザベトはエリアスの言葉に思い切り頭を抱えて溜息を吐く。
「そう、ですか」
エリーザベトは思い切り息子の愚かさに肩を落とす。
「ではその背景は理解できているのですか?」
「背景?」
「何故アインホルン様が貴方を否定していたのか。何故ライツィンガー様が貴方を肯定していたのか。陛下はアインホルン様の言う事を聞くようにと言っていた筈です」
「で、でも、アイツは…」
「貴方は自分を肯定してくれる人間を是として、否定する人間を否定していた。アインホルン様が何を意図して否定したのか正しく聞きましたか?調べましたか?あなたは結局、レースの事さえ何も分からないで、権力を使って自分の敵を滅ぼした。何の問題も無かった4つの貴族家が途絶えてます。レースに貢献とはレースではなく戦争の時にレースで使っていた魔物を貸し出すなど彼らは代々皇族を支えてきた一族です。貴方のせいで二度と力を貸す事は無いでしょう。自分がした事がどれだけ大きいか理解してないようですね」
「………」
「陛下の言葉を無視し、アインホルン様を処罰し、更には陛下にばれないよう隠していました。貴方は陛下に対して裏切ったのです。アインホルン様は魔物レースにおける本当の意義をよく理解しており、それは代々皇家から指示されてきた事を正しく認識していた事。彼が否という事は皇家にとって害をなすという事。それを理解せずに貴方は好きなようにやっていた」
そこでエリアスは思い出す。アインホルンの爺さんが何やら自分の考えを否定すると一々皇族としてとか口にして面倒だから耳にもしなかった。何故、自分が騎士爵家の老人などに皇族としての考えを教えられねばならないかと耳を塞いでいた。
「何も知らない貴方を手放すのはとても悲しいですが、仕方ありません。どうか元気でやるのですよ」
「ほ、本当の私を捨てるのですか!?じょ、冗談ではなくて?俺はそこまでの事をしたのですか!?息子よりもおのれの身が可愛いとでも言うのですか!?」
エリアスは母親だけは捨てないと高を括っていた。
「人一人の命を直接奪っておいてそれを言うのですか?」
「で、ですが……き、騎士爵一人程度の命で皇族が平民になるなんて割が合わないじゃないですか!」
「多くの勲章を授与し、帝国に計り知れない貢献をなさっていた騎士爵と、まだ何も成していない皇子とどちらが大事だと思っているのですか?爵位で人を測るなどおこがましい。貴方はこれから自分の罪を償う為に働かなければなりません。良いですね」
「そんな、母上!」
母親にすがろうとするエリアスだが、兵士が間に入って押しとどめる。
「そろそろ良いですか?」
衛兵達は王妃に訊ねる。
「そうですね。いつまでもこれではいけません。それではエリアス。貴方が心を入れ替えて立派に生きていく事を祈ってますよ」
「まってくれ!母上、母上!」
エリアスはまだ母親にすがろうとして、門番に門を閉められながら城の外に押し出される。
門番に押し出されてポイッと地面に捨てられる。
「アンタはもう王族でも何でもないんだよ」
それは酷く軽蔑したような視線だった。
「何で貴様如きにそんな事を言われないといけない!この俺を誰だと思っている!」
「平民のエリアスさんだろう?」
「!?」
門番はさっさと消えろと言わんばかりに手を振って去る様に言う。
「き、貴様…」
エリアスは剣を抜こうと腰に差してある剣を手に取る。
「抜くのか?」
「むしろ抜かせろ。ヘンリックさんは俺の乗馬の先生だったんだ。仇が討てるなら願ってもねえ。公然と敵討ちが出来るからな!」
「陛下はテメエの罪を背負って退位してんだよ。本来であればテメエ一人首を落とせば終わる話なのによ」
衛兵たちは殺気立ってエリアスを睨む。
「くっ……覚えていろ!」
舌打ちをしてその場から逃げるように去る。エリアスに出来る事はこの程度の事でしかなかった。
***
だが、この程度の事はまだ序の口だったことを彼は知らなかった。
大勢の前でエリアスを放逐する事を宣言していたのだ。民が知らぬはずもない。身の程も知らなければ世間も知らないお坊ちゃんを放っておくはずもないのだ。
ガッシャーンッ
エリアスは賭博場から放り出される。パンツ一枚でだ。
「文無しには用がないんだよ」
「カッ……ぐっ」
ヘラヘラ笑う賭博場の男たちと、悔しそうにしているエリアス。
「ふ、ふざけるな!いかさまだ!」
エリアスは噛みつくように訴える。
賭博場で遊んでいかないかと言われてそれに乗り、軽く遊んで出るつもりが大当たりをしてしまった。
周りの男たちも流石殿下だともてはやしていた。
調子に乗って更に賭けて行ったが周りに囃し立てられて気付けばすっからかんになって賭博場から追い出されたという訳である。
「いかさまってのは見破って初めていかさまって言うんですよ、坊ちゃん」
と嘲笑うかのように答える店員。
「おいおい、いかさましてるって言っちゃダメだろ」
「ははははっ!ちがいねえ!」
その背後にいる男たちはゲラゲラと笑っていた。
「くそう、覚えていろ!」
生意気をこいてぼこぼこに殴られて、素寒貧で裏賭博場から追い出されたエリアス。屈辱を抱えながらも
「またのお越しを―」
と嘲るやくざ者達に歓迎されて追い出されるのだった。
「くそう、くそう、くそう!どうしてこんなことに…」
エリアスは屈辱にまみれて裏路地で尻もちをつき、物に当たる。
もはや金も着る物も何もない。少なくとも金貨100枚ほどを持って出てきたはずだったが、それさえも奪われてしまった。
どうすれば良いのかと頭を抱えて考えていると、何者かがゆっくりと歩いてやってくる。
「エリアス殿下ですね?」
現れたのは一人の男だった。
中年男性で貴族のように見えるが、エリアスの知っている顔ではない。少なくとも王族なので貴族家の人間はある程度覚えている。
「誰だ、貴様」
「私は殿下を迎えに来たものです」
「迎えだと?」
中年男性は恭しく頭を垂れて発言する。
「はい。貴方様は本来であればこの国の皇帝になる身の上です。それは誰にも憚る事のない事実。間違っているのは帝国であり、貴方こそが正しいのです」
いくらエリアスでも相手が言っている事が調子の良い事だと勘付く。
「俺を使って何を考えている?」
「いえいえ、何も。このままでは次期皇帝アルトゥル様に殺されてしまいますよ。どうでしょう、一度この国から亡命しては」
「あ、アルトゥル兄上が俺を殺すとでもいうのか?」
「その通りでございます」
「そんな事、あり得ぬ」
「そうでしょうか?これから帝国は再び立ち上がらなければなりません。邪魔なんですよ、元帝位継承権1位の末っ子という存在は」
「む」
エリアスは男の言葉に考え込む。確かにあり得ない話ではなかった。自分は帝位継承権を失っても、担ぎ上げたい貴族はいる筈だ。むしろそういう連中に取り入って再起を図るのは良いのではないかと思うが、そうした場合、兄が自分を邪魔に思う事もあるだろう。
「お前は国外からの使者なのか?」
「アルブム王国から来ています」
「アルブム?」
エリアスはアルトゥルの治めていたケンプフェルト辺境伯領の隣にある国を思い出す。
「俺を人質にでも使おうってのか?」
一瞬、身の危険を感じて訪ねる。
「そんなまさか。私共は殿下を皇族の代表としてお招きしたいのです」
「そんな事を兄上が許すとでも思ってるのか?」
アルトゥルはあまり細かい事に拘らない人であるし、毒にも薬にもならないタイプの人だ。ちょっと人相が悪いだけで、きわめて普通の人である。情の厚い人ではあるが、政治に関してはかなりうまく回す人でもある。
それが逆に怖くもある。簡単に切り捨てられそうだからだ。
「貴方は悔しいとは思わないのですか?貴方は悪くない。次の王となる貴方が、何故誰かに従わねばならなかった?好きにしていい筈でしょう。違いますか?次に皇帝になれば好きに出来るのにわざわざ我慢する必要があるのでしょうか?いや、無い筈です」
「それは……」
「我が国としても平和のためにはあなたのような聡明な人間が皇帝であればと思っています。あの国はその内終わりますよ。貴方という後継者を些末事で捨てようとしているのですから」
「些末事?」
「その通りです。些末事でしょう?国は王の為にあるんです。王が国の為にあるのではない。にも拘らず最も高貴な貴方に強いる事などあってはならないのです。そうは思いませんか?」
皇帝は最も貴き者、その地位に最も近かったにもかかわらずあれやこれやと言われる日々に辟易していた。自分が皇帝になったらああしよう、こうしようと考えていたが、それさえも潰されたのだ。屈辱以外の何物でもなかった。
「そ、そうだ。俺は皇帝になるはずだったんだ。なのに、家からは追い出され平民たちには良いように騙されて…」
「報復したくはありませんか?この国に」
エリアスは一瞬だけ思っていた事を言い当てられて言葉を失う。
できればしたい。だが、そんな力はもはやない。
竜王の暴力を目の当たりにした帝都民は竜王に逆らう真似はしない。
そして逆らってしまった自分につくような愚か者はもうどこにもいなかった。
「で、出来る筈がないだろう。帝国は最も強い国だ」
「我がアルブム王国はもはや帝国など恐れるに足りません。是非、それを証明したいと思っているのですよ。無論、殿下には安全な場所にいて貰えれば良いのです。是非、その力を見たくはありませんか?」
「お前らが帝国よりも強いと?」
「ええ。その証拠をご覧に見せて差し上げましょう」
結果として、エリアスはそれに乗ってしまうのだった。
それから1月後、帝歴507年12月28日
エリアスは王太子レオナルドの圧倒的な力によって、アルブム王国がオロール聖国を1週間に満たない期間で滅ぼしたのを目の当たりにするのであった。