3章閑話 皇帝陛下の憂鬱
ローゼンブルク帝国の頂点に立って早8年、カールステン・A・フォン・ローゼンブルク皇帝と呼ばれるようになってから、未だに帝国を掌握するのに苦労をしていた。
8年前、前皇帝の妃の息子である私と妾妃の息子である皇子の間で帝位争いが勃発した。
私は皇太子であったが、母が早く死んでしまい、妾妃の存在が大きくなる事で、宮廷内での権力の強さが崩れた事に問題があったと言えよう。
弟が野心を持っていた事も大きい。
父にも問題があったのだ。
女癖が悪かった事もそうだが、序列や後ろ盾の事を全く考えずに子供を作り、微妙な力関係の子供を並べた時に長子である私を何も考えずに皇太子に任命したからだ。
だが、私の弟を含め多くの皇族はとにかく問題児であったのだ。
皇太子が決められているにもかかわらず、自分の方が上であり次の皇帝は自分なのだと周りに言いふらしていた。
父もそれを強くいさめられなかった。弟の母である妾姫の権力が増していたからだ。
弟は皇太子という意味を理解していない阿呆なのだが、それを持ち上げていた人間がたくさんいた事実がある。
そして色好みであり多くの臣下の娘たちに手を付け帝の血をあちこちに広げていた。
そしてその弟は自分の子供を大量に生ませ、様々な貴族と結びついて権力を広げていた。
あまりにひどくなりつつある宮廷内を鑑みて、父は愚かな息子や孫たちを叱責したのだが、彼らはそれに対してクーデターを起こしたのだ。
なんと当時の皇帝を殺してしまったのだ。
更には私の皇太子派閥の貴族の家を焼き打ちをし、その日は風が強く帝都が火に包まれてしまったのだ。
帝都の民は当然ながら愚かな息子がクーデターを起こして帝国を焼いたことに不満を持ったが、クーデターを行った集団は軍を使って民を鎮圧した。
私や側近や妻たちは、10代半ばにして第三騎士団の騎士団長を務めていたエレオノーラや冒険者をしていたヴィンフリートらの手引きにより命からがら帝都から逃げる事が出来た。
はるか北方、帝国北端ににある正妻の実家であるメルシュタイン侯爵領に船によってどうにか逃げることができた。
そこから、半年ほど帝都から離れていただけで、国庫が尽きて、国が傾いた。負担を国民に押し付け地方領主だけでなく帝都の貴族も掌を返した。あっという間に情勢はこちらの有利に傾いた。
1つは弟の脇の甘さと普段の行いの悪さがある。しかも帝位争いする他の弟や妹達を次々と殺してしまい、帝都が内戦状態となったのだ。
もう1つは第二皇子ヴィンフリートの冒険者パーティが非常に優秀だったことだ。
ヴィンフリートの冒険者パーティにいるヒューゲル騎士爵家のシュテファンという男は貴族をよく知り、市井をよく知り、他種族や魔物のこと、地方情勢など、とにかく見識が広かった。
その知識と能力は私の右腕でもあるクラウスが養子にと欲しがった程で、斥候という立ち位置から武勇伝で語られることは少ないが、政争という状況でその能力の高さは際立った。
彼の協力により半年で弟の治世は崩壊した。彼が得た帝都の情報や状況を、私が各貴族に手紙を送るだけで多くの支援者が一気に増えたのだ。
つまりは自滅させたのである。
帝都の中に、互いにけん制しあうような噂を市井に流し、暗殺に警戒しているにもかかわらず、宮廷に入り込み、弟に気づかない程度の微量な毒を盛り体調を崩させ疑心暗鬼にさせた。
徹底して貴族たちを煽る情報を市井から放り込んだ。
そこから弟達は勝手に互いが互いを憎しみ合い内乱が相次ぎ、政治が止まってしまった。
メルシュタインから騎士団を率いて帝都に戻り、帝都の前で一戦しただけで、多くの貴族達は降伏。弟はあっさりと捕まり、その派閥は縁故を頼って帝都から逃げることになった。
そして1年でその後始末をし、平時に戻ることができたわけだが。
とはいえ、一度は反旗を翻した多くの貴族がおり、排除した人間も多い。
未だに人手不足で8年経っても混乱の傷痕が存在しているのは事実だ。
さらに帝国は悪魔王による人類領侵攻に対して大きい協力が出来なかった為に威信を落とすことになる。
辛うじて我が娘ラファエラが帝国宮廷魔導士ラファエルとして勇者パーティに与することで貶めずに済んだのだが……
現状、後継者に問題を抱えている。
末のエリアスは妃の唯一の男児であるため後継者候補筆頭としている。
他の子供たちと競い合う必要もないのだが、どうしても劣等感が強く、兄姉達と同様に有能であろうとする。
それだけならば良いのだが、権力を悪用して名声を高めようとする為に、逆に評判を落としているのだ。周りの者はそんな話を気にするなと耳をふさがせる。
正妃であるエリーザベトにも言っているが、あまり聞き入れてもらえないと困っていた。
このままでは8年前の再来だ。
無論、8年前と異なり他の5人の娘、息子たちは帝位に就くつもりはないのが幸いだ。
ただ、アルトゥルやエレオノーラといった20半ばに過ぎた兄姉達はエリアスで収まらないようなら出馬すると口にはしている。つまりはあの2人のいずれかが名乗り上げるときは兄弟たちから見てエリアスに帝位継承の資格なしの烙印を押すということになる。
アルトゥルは妾妃の子供である事が惜しい程、皇帝に向いている性格と能力をしていた。問題児ばかりの弟妹達にも優しく慕われている。内面に関しては自分と妾姫ディアナの良い所を掛け合わせたような子供だった。もしも正妃の子供だったならば、今の時点で帝位をアルトゥルに譲ったほどだ。だが、アルトゥルもエリアスがなるべきと分かっているから早い内に実家であるケンプフェルト辺境伯代行として帝都から離れており、公爵位を与えて大臣の一人としている。だが、それもまだ仮の段階である。エリアスに安心させる為にそういう形をとっている。
エレオノーラは正妃の娘である為、エリアスに次ぐ立場にある。長女のように早い内に政略結婚で外に出しておけば良かったが、そうはならなかった。武に優れ帝国騎士団で活躍し、10代前半で武闘大会で二連覇を成し遂げてしまう剣の天才だったからだ。自分と正妃エリザーベトのどちらの血を引いても、こうはならないと言いたい程の突然変異であった。ただ、エレオノーラは男爵との結婚を考えており、未だ独身で降嫁しようと動いていた。
ヴィンフリートは冒険者として遊び歩き、女遊びが過ぎる為、後継者問題はさらに困る事もあるので論外だ。これは両親と言うよりは祖父や叔父に似てしまったと言えるだろう。ただ、それ以外の部分はまともで皇帝になれる資質は十分にあった。
ラファエラは持っている力に対して経験が足りていないのだ。幼い頃は同腹の兄ヴィンフリートや家庭教師だった英雄ミロンにべったりだった為、自分の意志と言うのが弱い。勇者と出会い少しは成長したが、勇者自身が酷い結末を遂げてしまった為、少々暴走している節がある。
まあ、息子と娘たちの問題もあるが、エリアス自身がまだ婚姻をしていないのでもう少し先の話になるだろう。
そんなまとまりのない国の為、資料も非常に多く、一つずつ資料を確認し承認をしていく。
問題があれば指摘して突き返す。そんな仕事をしている中で、宰相が新たな資料を持ってくる。
そんな時、宰相から突然の話を振られて目を丸くすることになる。
「高等法廷にて私に対して侮辱をしたものがいると?法務大臣からは聞いておらぬが?」
「……どうも北部直轄領のアイゼンフォイヤ城塞の件で揉めているようで。幼竜を盗んだ商人を追いドラゴンが破壊したという件です」
「かなりの大ごとだが竜王がここまで攻めてきていないとなるとある程度の内々で済ましてくれたという事であろう?その不法売買を行おうとした被告か?」
「それが…ヒューゲル男爵の命によって商人は動いていたと」
「は?」
思わず間抜けな声が漏れてしまう。
シュテファンが?それこそあり得ぬ話だろう。
元々、この案件はクラウスとヒューゲルによって通した案件だ。
他人にリスクを負わされるのが嫌だから貴族位を嫌うし、騎士団や軍に所属する事も鬱陶しく思うような男だ。
それ故に冒険者に身をやつした男がドラゴンの売買?世界で最もリスクの高い働きをするはずもない。そもそも誰よりも竜王の恐ろしさを体験した男である。
「それで?」
「『茶番を法廷という場所で演じるなど皇帝陛下の威信も地に落ちたものだ。無能皇帝と後世に語られることになるでしょうね』と自身を罪人に仕立て上げようとする法廷にて笑い飛ばしていたそうです」
「……あのヒューゲルが私を罵るのはよくあった事だが、法廷の場でか。公でわざわざ口にする男でもあるまい。ともすればこれは私に対する警告、あるいは………」
「法廷が権力によって捻じ曲げられており、法廷さえまともに管理できないのかという男爵からの説教に加え、それを陛下の耳に入れさせるのが目的かと」
クラウスはヒューゲルの思惑を淡々と説明する。
「そのような状況でまだ法務大臣から報告が上がらぬとなると、これは……法務大臣が私に知られずに内々にすべて済ませて終わらせたいという事か。なるほど。して男爵はどこに?」
ヒューゲルのやる事はいつも耳に痛いが、法廷が機能していない証拠がこっそりと突き返されるというのは恐ろしい話だ。
法務は法治国家である我が国の基礎となる部分、最優先事項だ。
この時点で法務大臣の首を切る事を決めてから、私はヒューゲルと連絡を取ろうと考える。ことによっては法務大臣の首を物理的に切る可能性があるからだ。
「証拠や証言が取れないため、再度の取り調べを受けるようです。収容所に送られたそうですが」
「分かった。直接聞きに行こう。明日、収容所へ向かうので入るための書類を作っておけ」
「かしこまりました。にしても陛下も態々説教されに行くとは…」
「問題を先延ばせばもっと酷い目に合うからな」
「正しい判断だと思います、陛下」
クラウスはにこりと笑い去っていく。
「それにしても愚かな。北東部国境を守護する太守が、ドラゴンとの契約をしたのがヒューゲルとも知らずに、己の非をヒューゲルに押し付けたとでもいうのか?」
内々で済ませる筈もない事を済まそうとしている。大きい問題が起きれば私の耳に入るのは当然だが、それが入ってきていないというのは明らかに問題だ。マイヤーは仕事をしていないとして解任する言い訳は既に整っている状況だ。法務大臣もだ。
奴ら、どうしてそれを通せると思っていたのか?
「いや、そういえばマイヤー侯爵は25年前の政変のごたごたを利用してヴァイスフェルト侯爵から太守の座を金で買った男。……元々、魔物や獣人奴隷の違法売買を北東部領で発覚し、それを調査させるためにヒューゲルを太守代行に任命して押し込んだのだ。ヴィンフリートもその辺を調査して多くの商人を捕縛していた。ともすれば、これは一連の流れの本流か?」
とは口にしたものの、収容所に行きヒューゲルにまた説教をされるのかと思うと些か足も鈍る。
それでも、ヒューゲルを敵に回す事を思えば仕方ない事だった。当人は普通の貴族、珍しくない顔立ち、美しくもなく醜くもなく、大衆に紛れやすい顔とも言えよう。偉い立場に立つような華々しい振る舞いをする男ではないが、実務においてこれほど優秀な男はいなかった。
自身の右腕である宰相クラウスと同等の賢者という称号を持つ一種の怪物だ。
賢者の称号を得るにはいくつかの方法があるらしいが、そのいくつかを実際にやっているので賢者の称号を回数で数えれば3~4つもっていてもおかしくない功績がある。
凡庸な皇帝である私は、そんな傑物に説教されることになるのだろうと思い、盛大に溜息を吐くのだった。
***
そして翌日にはお忍びで民間用の収容所へと向かう。
貴族用ではない場所を使うあたりが既に怪しさを臭わせる。皇帝として勅書をもって収容所へとやってくる。いきなりのことで彼らもさぞ驚いた事だろう。
「少々中に用事がある。開けられよ」
私は護衛として連れてきていた近衛騎士隊長は勅書を前にして収容所の門番を退かせて進むべき場所へと向かう。
どこに収容されているのかはわかっているのでどんどん遠くの方へと向かう。
調査してヒューゲルが収容されている場所が凶悪犯の多く収容されている牢獄であるのは分かっているのでそこに向けて歩き続ける。
しかしその厳重に鍵がかけられている区画に差し掛かると、収容所の所長であるレーマン伯爵が慌てて背後からやってくる。
「伯爵よ。これより地下へ行きたいのだが、この鍵を開けてはくれぬか?」
「し、しかし、これより先は裁判待ちをしている凶悪犯を収容してある区画、非常に危険です。陛下をそのような場所に入れさせるなど…」
「この身なら心配はいらぬ。この国屈指の武を持つものがおるからな。何かあっても貴殿のせいにはせぬ。問題なかろう?」
「ですが、こんな不衛生なうえに危険な場所に陛下をお通しするわけには………」
「なるほど。よく分かった」
ふむと私は頷く。所長は入れさせたくないという雰囲気を出していることに気付き、渋い顔になる。
「私のことは私が責任を取ろう。これは勅命であるぞ。それとも何か危急の事態でも発生しているのか?」
「いえ。ですが私はこの所を預かる身なので…」
「仕事熱心よの。さて、宰相よ」
私は口で説得するのは無理と考えて視線を自分の背後へと向ける。
後ろに控えさせていた宰相が前に出る。
「は、何でしょうか、陛下」
奥の方に立っていた宰相がそそくさと前に出てくる。
「収容所の所長は今すぐ解任するにはどうすれば良い?」
「困難ですが彼の言葉からはこの所は陛下のものであるにも関わらず、まるで陛下から奪い陛下のものではなく自分のものであるともとれる発言をしているので、軽度の反逆罪の疑いがあると言えましょう。今すぐ反逆罪の可能性ありとし、至急衛兵に連絡しこの者を排除致しましょう。臨時で私がここの所長を務めるという形であれば問題なくこの先へ進めると思います」
宰相は懐から紙を取り出すと、壁に炭で本当に収容所の所長に反逆罪の恐れがあるという旨の文書を書き始める。私はと言えば、皇帝の承認印を押すために、印璽を懐から取り出し、連れていた家臣の一人が赤いインクの入ったインクを取り出す」
「え、ちょ、ほ、本気ですか?」
「王がわざわざ大至急ここにきているのだ。冗談で遊びに来たとでも思ったか?貴様が何で解任されることになったかは、貴様に命令を下した者に聞いてみるが良い。貴様は皇帝陛下よりも命令した者が大事なのだろう?」
宰相は侮蔑するように伯爵をにらみ、帝の印が入った解任の正式書類を所長に見せて黙らせる。
「そ、そんな……こ、これは法務大臣が誰が来ても通すなと言われたからであって、私は決して陛下に反逆の意志など…」
慌てて弁解をする所長であるが宰相はじろりと睨み
「それは法廷でするのだな。無論、法務大臣を相手に法廷で勝てるのかは分からぬが」
「いや、しかし、法廷で議論するのは反逆罪か否かという事。陛下より法務大臣の命令を大事だったというあたり何も弁明になっておりませんので、ここで切り捨てても問題ないのでは?」
「宰相は恐ろしいのう」
「これも国の為ともありますれば」
私は宰相とちょっとした雑談をして所長を追い詰めて跪かせると、その部下に鍵を持ってこさせて凶悪犯のいるという収容所の奥へと向かう。
***
衛生的とは言い難い暗くじめじめした牢獄が並ぶ。
中は静かで人はほとんど入っていない。そもそもそのような凶悪犯が入る予定がなかったのはだれもが知っていた。
そこにいるのは一人だけ、シュテファン・フォン・ヒューゲル男爵が奥の牢獄に収容されていた。
「おっと、思ったより早かったですね、陛下」
「お前が牢獄に入ったと宰相から耳にしてな」
「クラウス殿から?ずいぶんと貴族様方に良いようにされているようで」
ヒューゲルはふと私の斜め後ろに立っている宰相を見て肩をすくめる。
「法務大臣はマイヤー侯爵家とも縁がありますれば仕方ないかと」
クラウスは若干悔しげな顔をして呻く。
「ふははは、バカを言うなよ、クラウス殿。法とは貴族が勝手にゆがめていいものではない。帝であってもだ。先代の意志を後世に残した法を政によって変えるならばともかく、その場その場で勝手に捻じ曲げるなら、法など必要はない。帝国は無法国家だったのか?法治国家であるとするなら法務大臣をさっさと処分しろ」
ヒューゲルは大笑いしてクラウスの言葉を切って捨てる。
「それができるなら苦労はしていない。人がいないのだ。8年前の政争の処分も終わっていない今、やるべきことが多くある。簡単に人を切り捨てられんのだ。わからない訳ではなかろう」
「ま、俺はケツを持つつもりはないから別にどうでもいい事だけどな」
ヒューゲルは肩を竦めてカカと笑う。
クラウスはげんなりとした顔で憎々し気にヒューゲルを睨む。
元々、帝国政府に抱え込みたかったのに、偉くなり責任を持つ仕事を嫌って政争の場から逃げた男だ。
元々野心が無いにしても、政争で勝てる力があるのに帝国の為に使わないのだから文句の一つも言いたくなるのは仕方ない。
「てっきり貴殿は拷問でも受けているのかと心配したのだがな」
「ああ、昨日、収容所に入るなり拷問道具を持った自称尋問官ならやってきていたが…。彼の娘が学生で、よく図書館にこもって一人になっていることとか、彼の幼い息子が庭で遊ぶようになった事とかをちょっと世間話をしてね。そんな外に出て遊ぶようになると心配もするだろうと同情してやったら何故か顔を真っ青にして謝ってきたのだ。果たして私は彼に何か悪い事をしたのだろうか?」
「尋問官も不幸よな。貴殿を敵に回す羽目になったのだから」
ヒューゲルは不思議そうな顔をして首を傾げるが、漏れる笑いは失笑といった感じである。
クラウスは心から相手の心配をするのだった。
そもそも何故尋問官の素性をすでに知っているのか?
おそらくこの男、ここまでの展開はある程度読み切っていたので、馬車で長距離移動をする以上、先に人を遣わせて情報を得て素性を調べ上げていたのだろう。
恐らく敵対的関係者の弱みはすべて握っている可能性がある。
「侮辱罪だそうだな?」
私は苦々しくヒューゲルを見る。
「侮辱などしたつもりはないのだがな。真実を口にしたらそうなってしまった」
「耳が痛い事よ。で、どうなっている?」
「阿呆のマイヤーはダメだな。無能すぎる。もう少し賢くやってほしいものだが。あいつドラゴンを誘拐させて帝都へ運ばせようとしてやがった。陛下、竜王陛下はかなりご立腹だ。仕方あるまい。最も竜の領地に近い者が、竜の密売をどの程度危険なことか理解してなかったのだ。これを理由に太守の地位を外さないと話にならない」
「竜王陛下に会ったのか?」
「会ったどころか、さらった幼竜が竜王の娘だ。怒り狂って砦を壊してうちの領地の近くまで来ていた。膨大な数の死人が出ていたが、報告が無かっただろう?うちの領地に流れてきていた獣人の少女が、事前に気付いていなければ俺も死んでたし町は焼け野原、それどころかそのまま帝国も滅ぼしてたぞ」
ヒューゲルから帝国崩壊がかなりきわどい状況だったという話をされ背筋が凍らせる。
「何せ今回攫ったのは最悪な事に竜王陛下自身の娘だ。言い訳もくそも無かった。上手く抑えて貰ったが、信頼関係はガタガタだ」
竜王との間に取り決めたのは人間による幼竜の売買禁止する盟約の事だった。
竜族を敵に回し、帝都に逃げ込むなら、帝都も焼き払う。そのくらいに重い盟約だった。
貴族たちには大々的に北方領の違法魔物売買は禁じ、ドラゴンの密売は極刑、事の次第では家族郎党皆殺しにするような刑罰を発表している。ドラゴンを人間と同様の権利を有するように発表している。
北部竜王領には貴重な鉱石も多く取れる為、ドラゴンへの不干渉の代わり移動に融通を持たせてほしいという約束をしているのだ。
一番やってはならないことをやっていた事実に私も血の気が引く気分だ。しかも竜王陛下の子供をさらうなど国を滅ぼすような大罪である。
「貴殿がマイヤー侯爵を訴え、逆にマイヤー侯爵とその商人が貴殿に騙されていたのだという話だったが?」
「そもそも俺はあいつらをそういう容疑で訴えていない。恐らく俺の持たせた訴えの書類の中を見ずに、マイヤー侯爵の手のもので法務関係を抑え込んだのだろう」
「では、どのような容疑で訴えたのか?」
宰相は首をひねり、鋭い視線をシュテファンに向ける。
「竜王陛下のご子息を運ぶ際に牢屋などに入れて運ぶのは守るためといえど自由を侵害する行為である。隣国の姫を牢屋に入れるなどありえないことだ、という旨で訴えている」
「回りくどい事だな」
「竜王陛下にそういう話で落とさねば帝国が滅ぶのだ。ならばそういう話で落とすしかない。大した罪ではなかったのだが、奴らはどうもそのことを知らぬ。帝都に送れば陛下の耳に入るだろうから後の処分は任せるつもりだったのだがな」
「……」
竜王陛下がある程度目をつぶってくれたという事だろう。
あるいは娘のプライドを守る為だったのかもしれない。人間に竜王の娘がまんまと捕縛されたなどプライドに障る事だろう。
ヒューゲルの立場からすれば侯爵の不祥事など重すぎる。最終的に私にすべてを丸投げするのは仕方ない事だろう。
「竜王の娘は竜王陛下に返したのだろう?残りの問題を解決するだけだな」
「いや、竜王の姫君は珍しいものを見たり聞いたりしたくて人間領を目指していたから、今は私が客人として保護している。今回一緒に帝都に上り、今はアインホルン家の牧場で過ごしている」
「帝都に来ているのか?」
「ああ。そしてどうもこそこそと娘が心配のようで竜王陛下も、恐らくは人化の法を使って帝都に来ているようだ。もしも、また竜王の姫君に何かあったら、この帝都、黒炭となって消えるぞ?」
今度は宰相の顔が真っ青になる。恐らく私も同じような顔をしているのだろう。
とんでもない危険物が帝都に入っていた。
「ま、待て。報告は上がってないぞ?」
「陛下に手紙を送ったが、まあ、俺の今の状況からして侯爵が握りつぶしている可能性は大きいな。お陰様で一歩間違うと滅びるような大事なことを握りつぶされている状況が出来たというわけだ。無能な皇帝は大変だな」
「……状況は分かった」
本当に無能と罵られてもおかしくない状況だ。
一瞬で帝国を滅ぼせる賓客が入り込んでいる事さえ報告を受けていないのだ。
だがこれは私だけの問題ではない。
何も理解していない権力だけ持っている私以上の無能が政治に関わっているというのも大いにある。この8年で学園の発展を促し、有能な人材を確保するだけの組織を作ってきたが、それでもまだ人手不足は変わらない。
旧貴族の連中が大いに騒動を起こすのだ。真っ当な貴族だって多くいるのだがそれを上回るほどの無能な貴族が跋扈している。
「まあ、万一のこともあるまい。よほど愚かなことをしない限り滅ぼすことはせぬ。姫君も人間の活動に興味津々だから『父ちゃん勝手に壊すな』と怒ってくれるしね。そう、よほど愚か者ばかりでなければ。一応、強力な護衛もついているし」
「護衛?」
「まあ、全く護衛に見えないところがポイントなのだが」
ヒューゲルの言葉は意味が分からなかったが、こういう時は何か隠し種があると言う事だろう。取り敢えず安全は確保されたと考えていいだろう。
「うまく帝都から離すことはできなかったのか?」
「ん?むしろ誰も制御できぬから、私の手元に置いておいた方がましだろうという配慮ですよ。獣人の巫女姫様の娘と竜王の娘がいて、ちょっとした勇者気分ですね」
ハハハハハと牢屋の中にいながらもにこやかに笑うシュテファンに我々は思い切り疲れたように顔を見合わせる。
「み、巫女姫様がいらっしゃってるのですか!?」
クラウスは目を丸くして牢屋にしがみついてヒューゲルに訊ねる。
仕方あるまい。クラウスにとっては神にも等しい存在だ。
なるほど、巫女姫の娘に竜王の娘。勇者気分というのもうなずけるだろう。
「当人は一般人として平穏に暮らしている。あまりかかわってやるなよ、宰相閣下」
「ぬ、ぬう。わ、分かっている」
苦しそうにクラウスは頷くのだった。権力を使って無理矢理会おうとしない辺りがこの宰相の美徳である。まさかそうはすまい。
そこで一度話を区切ってヒューゲルは私の方へと視線を向ける。
「一つ陛下に聞いておきたい」
「何だ?」
「エリーザベト様、いやメルシュタイン卿はどうしても自分の血筋を皇帝に据えたいという野心でもあるのか?」
「………どうしても、という事ではない。出来ればだ。それは皆同じ思いだ。何が言いたいんだ?」
「俺の中でも情報が精査しきれていないんで確証はない。帝都に戻って早々にこのような扱いですからね。が、最悪の展開を考慮すると、エリアス皇子は関わっている可能性がある」
「「!」」
我々は絶句する。
思えば8年前のクーデターでもだれよりも早く弟のクーデターを察知し、私を外へ逃がす手を貸してくれたのがこのヒューゲル男爵だった。ヒューゲル男爵もメルシュタイン卿を信用している。
だが、何故エリアスがかかわる必要がある?まったく関係ない話だと思うが。
「いや、だから別に可能性があるだけでまったく確証はないし、俺の受け持ってる範囲だけを見れば全く無関係だったんだ。帝都に来て少々つながりのある匂いがあった。それ以降は法廷入りしてそのまま収容所だから調べられていない」
「……あれもまだ学園に通っている身だ。最近は自分の事で忙しそうにしているようだから私もあまり関わってはいないが……」
ただ、魔物レースで魔物を育てる事に執心しており、魔物商とのつながりがあり絶対に違うとは言い切れない部分がある。
シュテファンが感じた違和感はここだろう。
魔物レースと同様に作られた魔物研究所に顔を出し魔物レースに自身の魔物を出して研究結果を出している。
もしもエリアスが魔物商にドラゴンが欲しいなどと冗談でも口にすれば、こちらを慮って本当に持ってくる馬鹿がいてもおかしくない。
そして皇族がそのことに関わっていることを下々は隠して動く。
マイヤー侯爵の隠しごとを辿って行った結果、エリアスに辿り着く等という事は十分にあり得る事だった。
「あの阿呆の悪い噂は遠い辺境にもチョコチョコ届いていた。今回の事とは別として、そろそろ本気でアルトゥル殿下を皇太子に据える覚悟をした方がいい。それと……もう一つ。法廷が滅茶苦茶だ。国選弁護人、裁判長がこぞって一つの方向へ動かそうとしていた。そも弁護人が弁護する相手と話もせずに、罪を認めるような口ぶりだったな。相手にしていた検察がきょとんとしていたぞ。何でこんな茶番が起こったのか、法律から見直すべきだろう。それと竜王が壊したアイゼンフォイヤ砦は俺の金で直してやる。あの盟約は俺が結んだからな。そこは譲歩するが……宰相、戦乱ならばともかく平時において法務を国の最も重要な役割を持つ。わかっていましょう?」
「うむ。どんな強い権力者に強請られても動かぬようにせねばなるまい。罰則を厳しくした方が良いだろうな。例えば立場を利用した証言の偽証などは強請った方も証言した方も厳しく取り締まる。爵位を返上させるくらいの厳しい取り締まりをすれば…」
「それ、今すぐやったらどうなるかな?嘘に嘘をかぶせてくるしかなくなるが…次の法廷まで多少は時間が空こう。その間に変えられぬかな?」
「貴殿は恐ろしい事を考えるな」
クラウスは苦笑しながらヒューゲルを見る。
「例えば、裁判にて証言する際には『ヒューゲル男爵家の名に懸けて虚偽を申しませぬ』と最初に宣言させるように変えるだけでも大きく変わるのでは?法律を変えるのはもう少ししっかりと検証も必要だろう。すぐに変更するのは無理だろう?だが、最初にこれを入れるだけでも十分だろう?そこで虚偽が判明したらじゃあ、爵位もいらないよねって言えばいい」
「その意見をもとに臣下達と考えよう。そこに家名と王家に誓わせればもっと重くなろう。次の法廷までにはその形を整える。決まったら再びここに来よう」
ニヤニヤと笑うクラウスとヒューゲル。
この二人は本当に恐ろしいのだ。こんなのを本気で敵に回そうとする他の貴族の勇ましさたるや勇者と呼べよう。
皇帝など親の血でなるような家職だが、宰相は多くの大臣の中から優れたものが立つ実力社会の頂点、ただの権力者ではなく権力者の中で最も有能なものという事だ。
それとまともにやりあえる冒険者上がりの男爵だ。
クラウスがその才を欲しがるわけだ。家格さえあれば牢獄に入るのではなく、牢獄に入れさせる側になっていただろうに。
牢屋の中でクツクツと悪だくみをするクラウスとシュテファンの姿に若干引く私であった。
一応、私の息子が悪さをした可能性があり、少々困っているのだが、関係ないと言わんばかりに、2人の悪だくみを間近に見て恐怖しか感じられなかった。