7話 陰陽師の陰謀
2020年7月京都市上京区
森の奥にある大きな日本屋敷に陰陽組織のトップが話し合いを行っていた。
いずれも陰陽道の大家である老人達だった。
「昨年末にあったチェンジリング事件いついてだ。浜松市にある高校生の一部、20人程度が突然呪術師になった件だが、その中に英霊が紛れていた。同時期に起こった次元干渉事故によって現人神が落ちてきた事も同じ原因と思われる」
そう切り出したのは五大老と呼ばれる男の一人、ビジネスマン風の容貌ながら和装をした30代の男・加茂孝臣が話を切り出す。老と呼ばれるには若いが、実際に力のある陰陽師界隈では強い力を持つ男である。
「神も英霊を確保する。それは確定事項だろう?」
小柄な禿頭の老人・幸徳井智徳が当然のように語る。100歳にも達している妖怪じみた男である。
「同じ日本人ですぞ?」
大人しそうな顔をした40代ほどの男・弓削勇作が幸徳井老人を止めに入る。
神や英霊を確保するという事は、内実でいえば本人を殺害するほかないからだ。
「英霊を人と言えるのかのう?そんな事よりも、現人神と英霊は近くにいるようじゃ。同時に仕留めるのは骨じゃぞ?」
幸徳井は捕縛を前提として話す。
「幕末期は多くの英霊が生まれたらしいが、今の科学全盛の時代に英霊が現れるなどそうそうあるまい。低位であっても確保せねばなるまいて。殺して魂魄を奪い隷属させるべきじゃろう?」
白髪交じりの角刈りの老人・高島武之が過去を振り返るように口にする。幸徳井のような妖怪爺とでもいえそうな老人と同年代な筈だが、見た目は若々しくそして胸板も厚く90過ぎであっても力で若者をねじ伏せそうな壮健さが見られる。
「さて、どうやって捉えるかのう。ただの人間とて仮にも英霊の格を持つものぞ。容易ならざるものではあるまい」
「密教集団が既に狙いをつけて襲っているようだが全て返り討ちに遭ってるそうじゃな」
「奴らは纏まりがないからの」
「弱気ものが粋がって襲うからそうなる。英霊の近くには神もおるようじゃし、侮る時点で話にもなるまいて」
幸徳井と高島は互いに不穏な事を話し合う。
「それなれば経験不足はあれど、安倍晴明の再来とも謡われた土御門の倅はどうでしょう?」
話を飛ばすのは加茂だった。
「土御門の倅か。じゃが奴は甘い。神や英霊と言えど生きた人間を殺せるかのう?」
幸徳井は嘲笑うように当人を思い出すようにぼやく。
「なに、晴斗にはそろそろ非情さを学んでもらわねばなるまい。いずれは我が土御門の後継となるのだ。そこに情など必要はない。非情にさせてやればよかろう」
貫禄のある初老の男・土御門の現当主がぼそりと口にする。
「あの男、確か婚約者がいただろう?倉橋の神童が」
「そういえばいたのう。分家の霊力も失った家から突然高い霊力を持って生まれた少女が。折角、復興できると思っていたが土御門の倅の為に贄になってもらおうかの」
「全ては陰陽道の未来の為に」
「そう、我ら陰陽道の未来の為に」
男たちはクツクツと笑いながら話し合いをしていた。そこには絶対者たる余裕と傲慢さが滲んでいたがこの日本において最も強く巨大な組織であるが故の余裕と傲慢さでもあった。
***
駿介は高校最後の夏休みも間近となり夏休みの計画を立てていた。
「ピヨピヨ(夏期講習という奴に行くのではないのか?)」
「何で俺が勉強なんて。本屋で受験の参考書や赤本を読めば試験対策はできるし、そもそも大学に行ったところで学ぶ事なんて無いし。教授とかの知ってる教科書にない専門的な話を聞く以外に興味が一切ないからな」
「ピヨピヨ(ヒヨコは悲しい。これが異世界チートという奴か!)」
「お前から見ると異世界チートかも知んないけど、俺からするとリアルチートなんだよな」
駿介はメモ帳に何かを記入するのだった。実はこの男、ルークの戦闘力と腹黒公爵さんの知力を持っている。異世界であろうと現実世界であろうと、チートな奴はチートで、チートじゃない奴はチートになれないのだ。
なろうの異世界チートしている連中、どうして現実でチートできないんだろう?現実より異世界の方が厳しい世界なのに何故だ!?
なろうの異世界チートなんて嘘っぱちだ!
異世界出身のヒヨコは思ったね。
大北海大陸において、地球知識でチートキャラはいなかった。大北海大陸は産業革命前の地域だから、何かしら貢献できてもおかしくないのだが、彼らはさっぱりだった。
現代一般人の知識なんて持って来ても何にも役になんて立たんわ。
そもそも地球人如きのアイデアなんて、その地で生きるのに必死な現地人の誰かが思いつく。そして魔法があるから試す。画期的なものを導入しようと思っても基本的に技術が無いから導入できない筈だからだ。
駿介は言うのだ。文明は全ての積み重ねで、積み重ねたものが低くなることはないそうだ。
魔法文明が衰えて昔の魔法使いが今の魔法文明で無双するとか、剣術が廃れた世界でかつての天才剣士が魔法社会で無双するとか、普通にありえないそうだ。
こら、駿介!どっかの作者さんに喧嘩を売るようなことを言うでない!
その証拠として地球文明をあげた駿介だった。駿介曰く、『西欧では燃料不足に陥ったから産業革命がおこった』そうだ。それは積み重なった結果であって蒸気機関で有名なワットの存在は関係ないらしい。
ヒヨコの灰色の脳細胞は理解した事は『風が吹けば桶屋が儲かる』という事だ。
当時、製鉄業を含めて大半の燃料は木炭だった。森林伐採で値段が高騰した。他の燃料を探してブリテン島から採れる石炭を効率よく使おうとして、コークスが生まれた。石炭を使えるようになって、炭鉱を掘り進めていたら、鉱山排水に問題が発生。鉱山廃水対策として蒸気機関が発展した。その蒸気機関を利用して鉄道など様々な産業が生まれて更に製鉄業が盛んになった。産業革命の始まりである。
蒸気機関と言えばワットであるが、ワットは数多いる蒸気機関開発者の一人で、ワットがいなければ他の誰かが名を遺した筈だという。数多いる発明家のほぼ全てが積み重なる文明の上で、偶々そこで人より早く成し遂げただけ。作られるのは必然なのだそうだ。
そこに異世界人の名前なんて乗りようがない。積み重なっている文明を知らないからだ。
うむ、やっぱり分からん。だが、ヒヨコは悟った。
つまり………………『桶屋丸儲け』だ!完璧に理解した!
ヒヨコってばなんて賢いのだろうか!
ヒヨコが考え事をしていると突込みお姉さんに絡んでいた駿介が、逆に突込みお姉さんに呆れられたような視線を向けられていた。
「で、何で私のスケジュールを聞くのよ」
「高校最後の夏だぞ」
高校最後の夏、今年はコロナ禍で大会が潰れて、突込みお姉さんは不完全燃焼な夏を終えた。異世界で勇者になった突込みお姉さんならば女子剣道で無双するだろうだけに残念な終わり方だった。
今日も今日とて皆でマスクしている。
大学も名門大学からスカウトが既に来ているらしい。高校2年の時に優勝者に負けたものの二年生で最も成績を上げ、今大会の優勝候補筆頭で剣道の雑誌でも一面を飾ったほどだそうだ。だが、恐るべきは突込みお姉さんに勝った女子高生がいるらしい。
ヒヨコ調査では身長185センチ体重130キロの当時高校3年生の女子だったそうな。名を富士山千代子さんというらしい。それは本当に女子高生なのかな?昭和の名横綱では?
「夏期講習に決まってんでしょ。普通科なのに、どこの塾もいかずに、春の模試で全問正解して日本一になった変態と一緒にしないでくれる?」
「変態とは失礼な。全問正解したらどうなるのか見てみたかっただけだよ?」
「アハハハ……。駿介君の頭っておかしいよね、色々と。全国模試1位って初めて見たよ」
三つ編みお姉さんが苦笑をしていた。全国模試で全試験満点もなかなかに珍しそうだ。
「東大行けとか先生に言われなかった?小父さんや小母さんは?」
「先生は東大だの京大だの言ってたけどね。うちは進路に関しては好きにしろって言ってる」
駿介が言うと三つ編みお姉さんは不思議そうに首を傾げる。
「そうなの?」
「ガキの頃は退屈そうに生きてたからかな?変に枠の中に収まるより好きに生きればいいってさ。それに自分で親より稼いでいるし、俺がアメリカの大学に行きたいと言えば行ける学力と資金があるから喜んで応援すると思うけど?小学の頃に特別プログラムを受けてアメリカに行くって話も実際あったし」
「そう言えばそんな話もあったわね」
突込みお姉さんは思い出すようにぼやくのだった。
「今の時代、ネットがあればいくらでも学べるのに態々外国に行く理由とかないし」
「駿介、西条、倉橋さんは成績が飛び抜けてるから。通う学校間違えてるわよ。何で偏差値70に満たないうちの高校に、全国模試で3桁以内の生徒が3人も入っているか理解できなかったわよ」
「そーだね」
うんうんと頷く三つ編みお姉さん。そう、優等生君は嫡男ではなくなったらしいが成績は保持していた。というか修学旅行から帰ってきて以降、成績はむしろ上がっているらしい。
自らやりたいことのために勉強を始めたからか、義務的な勉強でなくなったからやる気も違うようだ。
「静岡県に偏差値の高い学校がないだけだろ」
「それってどういう意味?」
「うちの高校は静岡西部では公立で1~2位を争っていても偏差値は65前後だろ?偏差値ってのは確率であって、高校の示す偏差値は合格者の下限値だ。人口が少ないほど偏差値は自然と低くなるに決まってる」
「「???」」
駿介の説明についてこれないお姉さん達だった。
「つまりだな。上位1%の偏差値と上位4%の偏差値はどっちが高いと思う?」
「そりゃ、上位1%でしょ」
「人口4万人から400人の生徒を入学できる高校と人口1万人から400人の生徒を入学できる高校はどっちが偏差値高いかって言ったらどうだ?母数の多い首都圏に偏差値の高い学校が多く、母数の少ない静岡に偏差値が低い高校が多くなるのは当然だろ」
「「な、なるほど」」
よくわからんが駿介の説明にお姉さんズが納得するのだった。
だがな、駿介よ。ヒヨコはさっぱり分からんぞ!
「ところで駿介君。右肩にピヨちゃん乗せるのが当たり前のようになってるよね?」
「ピヨピヨ(敵を察知する為にヒヨコセンサは役立つからな。)」
「このヒヨコ、俺の出来ない事が出来るからな。鳥籠持っていくの面倒だし。何か、ほら、どうもオカルト関連で俺ってば神扱いらしいからさ」
「え、そうなの?」
三つ編みお姉さんは驚きの声を上げる。
向こうの世界でも普通に神扱いだけどな。神仙の頂に立ったと言えばその通りだ。
「ああ。俺はヒヨコと違って魔力隠せないし、モロばれみたいだぜ。まさかリアルでファンタジーを体験する羽目になると思わなかったぜ」
「ピヨピヨ(ついにヒヨコは異世界に来てハイファンタジー気分なのに、駿介はローファンタジーとはこれ如何に?)」
ヒヨコ達が集まっていると、A組の担任教師に何か話している陰陽お姉さんがいた。陰陽お姉さんが先生に一礼して振り返り自分の席の方へ向かうと
「倉橋さん、先生に何話してたの?」
と、通りすがろうとする陰陽お姉さんに三つ編みお姉さんが訊ねる。
「あ、いや、何か本家から呼び出し食らってさ。終業式に出れなくなったって言う話」
陰陽お姉さんが素直に答える。
「大変ね。って、両親と暮らしてるんだよね?本家って?」
「ウチ、倉橋家の中でも忘れ去られたような分家だったんだけどね。私に才能があるからって京都の本家で育てられてたのよ。面倒だけど、本家に逆らえないんだよね。」
「そりゃ大変だなぁ」
駿介は他人事である。陰陽師は怪しいという情報は与えたのだが他人事を装っていた。
「良い迷惑よ、ホントに。あ、それはそれとして、記憶を持ち帰った面々、裏社会で注目を浴びてたけど、何も知らないから特に問題はなさそうって晴斗が言ってたわ」
「ハルト?」
クラスにいたかと首を傾げていると突込みお姉さんが首を傾げる。
「ああ、あのいけ好かないイケメン?」
駿介がぼやくと、突込みお姉さんが駿介の頭を叩く。
「アンタから見る男は、大体いけ好かないイケメンでしょうが」
それは有名な話だな。
駿介も見ようによってはイケメンにも見えるのだが、どうもこのふざけたキャラがイケメンから遠ざかっていく。駿介と突込みお姉さんは黙っていれば美男美女のカップルと言われているらしい。突込み担当とボケ担当なのに。
三つ編みお姉さんも「遠目から見て、喋らせなければね」と苦笑していたくらいだ。
「一応、婚約者って事になってるけど。陰陽師業界って、呪術師として力のある子供って生まれないからね。家の都合よ。優秀な牝馬に優秀な種牡馬を種付けするのと同じね」
露骨な話に突込みお姉さんと三つ編みお姉さんは少し顔を赤らめて絶句する。
「そして流行に則って、『お前とは婚約破棄だ!俺は真実の愛を見つけた!』とか、卒業式に言われるんでしょ?」
「どこの流行なんだろう?」
駿介が何かどこかの小説サイトで見飽きた事を言い出した。三つ編みお姉さんは呆れたようにぼやくが、ヒヨコはどこの流行なのか知っている。今日の某サイトのランキング5位の中に1つ程度ならば入っているのではなかろうか?
「それはないんじゃない?それしたら、ジジイ達に取っ捕まって呪術刻印を剝がされて誰かに移植するんじゃない?力が落ちるけど、自分の都合よく動かない後継者はいらないからね」
「ドライだなぁ」
突込みお姉さんは呆れたように陰陽お姉さんを見る。
「陰陽師の世界はそんなもんよ。何せ向こうに行かなかったら無理やり私の呪術刻印を剥がして持って帰るつもりだったらしいしね。子供の身でそれをやられたらほぼ廃人になっていたらしいし」
「怖い世界ね」
「怖い世界なのよ」
肩をすくめる陰陽お姉さんだった。
「ピヨピヨ(異世界とどっちが怖いのだ?)」
「こっちの魔法業界にいた私からすれば厄介だと直に気づいて身を隠したし、魔力の感じで善悪は分かるからね。最後にめちゃヤバい奴らに洗脳されなければ、私の身はある程度守れてたし」
「ピヨヨ~(言われてみれば、死んだ三つ編みお姉さん、酷い目にあった癒しお姉さん、死にかけた突込みお姉さん。ヒヨコ陣営は皆駄目駄目だったな)」
陰陽お姉さんは自分の身の振りをこっちで鍛えられていてよく理解しているのだろう。
厄介な場所で生きてきたからだろうか?リスクマネージメントが出来ていない突込みお姉さんと三つ編みお姉さん。あれは駿介が近くにいたから多少の厄介ごとは簡単に退けられてきたからかもしれない。
「いや、そもそも闇竜神なんて想定外だろ。世の中ってのはあるべき未来に流れるように積み重なって物事が出来るんだ。闇竜神はオーパーツだよ。前にヒヨコに説明しただろ?」
「ピヨヨ?」
「物事は積みあがるように出来上がる。需要があって、理屈があって、物があれば、自然とたどり着くように出来てんだよ。天才なんていなくてもな」
「ピヨピヨ(確か…桶屋丸儲けという話だな?)」
「ヒヨコの頭ではこれが限界か……」
駿介は溜息を吐いて肩を竦める。
「ピヨヨーッ(ヒヨコヘッドが悪いとか言うでない!)」
「闇竜神はその積み重ねと関係ないオーパーツなんだよ。ま、アナスタシア達やイグッちゃんも分かってるから人類に干渉してないんだと思うぜ。あいつらもオーパーツだし」
「ピヨヨ~(エルフの女王さんはそんな事を言ってたな)」
「駿介君って偶に賢いよね」
「俺は常に賢いんだってば」
駿介はそう訴えるが、皆の目は三つ編みお姉さんの言葉を肯定していた。
「それじゃ、一足早めの夏休みに入るから、じゃーね」
陰陽お姉さんはその場を去る。
「ピヨピヨ~」
ヒヨコは翼を振って陰陽お姉さんを見送る。
「そう言えば優等生君は?」
「アンタが優等生君言うな」
駿介が優等生君を探す。既に帰ってるっぽい。
まだ夏休みまで数日あるのだから急ぐ必要もないぞ?
「いや、夏休みの予定はアイツとも合わせないといけないからさ。ヒヨコの●ーチューブ活動があるし」
「あー、あれね。かなり稼いだとか?」
「ヒヨコと西条の生活費の為だけどな」
「ピヨちゃんはともかく西条君の為に何かする駿介君に違和感があるって言うか?」
「そう言えばそうよね。自分以外の為に何かする事なんて無かったじゃない」
駿介の言葉に三つ編みお姉さんと突込みお姉さんが指摘する。
「ん?………あー……。西条とヒヨコはな、一応ローゼンブルクの役に立ってくれたからな」
「それは駿介の役に立ったと言えるの?」
「俺にとってはローゼンブルクの末裔ってのはさ、命を預け合って共に戦ってきた戦友の子孫だからな。本気を出しても畏れないでいてくれた親友の子孫だし、そいつらが世話になったんだからちょっと位手を貸すさ」
「そう言えば駿介君、お爺ちゃんだったっけ」
「その表現は酷くない!?」
三つ編みお姉さんのぼやきに駿介は涙目だった。
冷凍されていたけど、実年齢500歳超である。
「ピヨピヨ(年齢的にはヒヨコの方が皆に近いぞ?)」
「それも酷くない!?そもそも人化の法を使って魂の形に添った姿になると10歳程度の俺だったじゃん。しかも見た目だけ。賢さ0で」
「ピヨヨーッ!」
ヒヨコは魂の慟哭をした。駿介の賢さはヒヨコ程度だと信じてたのに!
この裏切り者め!
***
京都駅に辿り着いた倉橋真奈美は本家の人間と合流しようとする。
駅前に着いたのは土御門の黒いリムジンだった。真奈美としてはヤクザのお嬢様みたいなので勘弁してほしかったが、流石に10年近く土御門本家で暮らし、学校以外では陰陽寮で学んでいたので慣れたものだった。
車内は運転席と客室の間にも分厚いアクリル板で仕切られており、密談なども可能な仕組みになっている。
本家に連ねる人間が乗るようなもので、真奈美はそのせいもあって周りから嫉妬の目で見られていた。
陰陽師界隈では土御門の御曹司の婚約者であり、魔力を失われた切り離された分家生まれ故に、エリート達からすれば下賎の血筋と蔑まれていた。
だが、土御門の天才御曹司と唯一肩を並べられる神童、それが彼女の評価であり、過去数十年を見ても二人に届く実力者はいなかった。
「ところで、今日って何で呼ばれたんですか?大至急、来いって言われたんですけど」
「私はなんとも…」
流石に運転手も聞かされてはいないようだった。運転手の隣に座っていた男が口にする。
「なぁに、ちょっとした事だ。土御門の姫君」
「思ってもいない事を口にされても」
真奈美は半眼で助手席に座る老人を見る。
五大老の一人、一際小柄な身なりの坊主である。名は幸徳井智徳と言い、五大老の中でも最古参の男である。最も人間を道具のように扱う老人の一人で、真奈美が警戒している人間の一人だ。
「まさか。我らが土御門家の次期当主・晴斗の妃であれば。この霊的な力を衰えさせた日本において、過去200年を見渡しても五指に入る呪術刻印を生まれ持った存在は貴重ですから」
「晴斗の肌馬ってだけじゃない」
呆れたように口にする真奈美だった。
晴斗はそれこそ歴代トップに数える才能を持って生まれている。五大老の一人、土御門の直系にして安倍清明の生まれ変わりとも言われた程だ。
真奈美は幼稚園の頃に呪術刻印を持って生まれた事が判明し、小中学を土御門の家に預けられて育ったのはそのせいだった。
小学より晴斗と一緒に過ごした幼馴染であり、何かと気に掛けてくれた兄貴分でもある。家族以上の信愛があった。お互い才能が有っても、上の老人達からは道具扱いだったからだ。
事実として、彼は真奈美以外にも五大老の本家生まれの女たちに種付けを強要されている。自分が肌馬ならば、彼は種馬である。
真奈美が自分を肌馬といったのは、幼馴染の晴斗を種馬としか思っていない老人達への嫌味でもある。
戦後から生まれつき強大な呪術刻印持ちの女性がいなかった。
故に生まれつき呪術刻印持ちの人間同士から子供を生み出す役目が真奈美には与えられた。
真奈美が期待されているのは、晴斗との間から子供を産ませることで、陰陽師としての大成でさえなかった。
高校を実家にしたのは、自分の身柄を狙う老人達から身を守る為でもあった。五大老でも力のある幸徳井や高島らはそれこそ自分の子供を真奈美に産ませようとさえ狙いうるからだ。
土御門の当主は呪術刻印を継いだだけで術者としての才能は凡庸な男だ。故に傲慢さが少ない。ドライであるが現代社会にも適応しており、息子の思い人である真奈美を最大限配慮していた。
一番は、老人達に壊されても困るという思いだろう。
「何の巡り合わせか、姫はその御身に流れる血か、あるいは天運か、チェンジリング事件の渦中にあったと」
「それは……既に蹴りが付いていたと思っていたのですが」
「ただの呪術師の卵になっただけだと思っていた。1印程度の呪術刻印持ちでは剥がしても壊れるだけですし、移植する劣化するから意味もない」
「私はそう報告したし、皆もそう理解したし、そっちでも調べたでしょう?」
「ええ」
真奈美は一つ嘘を吐いていた。
智子や西城は3印と呼べるレベルまで魔術刻印を成長させていた。前者は不死鳥の羽で生き返った事による反動、後者はより高位な存在からの教えによるものだった。
精霊の加護で呪術刻印が体に刻まれて魔力操作を上げた面々は当時五印以上になっていたが、精霊の加護を失った際にほぼ皆無になっていた。自力で勉強していたものでも1印程度に下がっていたのはホッとしたものだ。西条や智子は自力でかなり高めていたから、木を隠すには森だと判断した。
それ自体は成功していた。
「問題は1柱の神とレベル1相当であっても英霊が生きたままにいるという事ですな」
「!?」
ヒヨコの存在は気付かれていないが、駿介と百合の存在は隠しようもなかった。余りに当たり前すぎて失念していたのもある。
「姫には人質になってもらいたく」
「は?え………」
プシューッ
車内にガスが噴出される。
どこか甘い臭いに睡眠ガスと察して、は逃げようとするが、自分の脚や腕に木の枝が伸びて巻き付いてくる。
小規模であるが青龍召喚を幸徳井老が仕掛けたと感じて真奈美は対抗しようとする。
「来い!青龍!」
術も式神も使わず魔術印を空に描く。難しいが異世界では誰もがやっていた事で練習をしていた事だ。地球では魔力を思いのままに描くのは難しいが異世界では簡単だった。
それこそ最初から高い力を要求する地球では才能ありきであるが、異世界では低い力から少しずつ上達できる環境があったからこそ出来るようになった技術だった。
真奈美の胸元から木々の枝が伸びて手足に纏わりついた枝を押し返し、自分の身を守る。更に枝葉を伸ばし車の窓ガラスを割って空気を入れ替えようとする。
だが空気が変わらない。
既に車そのものの周りが水の膜によって覆われて、睡眠ガスが拡散していない事に気付く。
「既に覆われて……!?くっ、しまっ……」
真奈美が気付いた頃には意識を手放していた。
「ヒョッヒョッヒョッ。手を打っておいて良かった。流石は姫よ。式神抜きで青龍を使うとは、末恐ろしい才能よ。チェンジリング事件の恩恵を受けていたのは姫も同じか」
「幸徳井様がやり過ぎなほど警戒していた理由を実感した次第でございます」
「やり過ぎなどあるまい。元の才能に刻印継承を足しても姫と同等程度の力よ。晴斗と姫は才能だけならば別格だからの。だが凡人による長き時を使った研鑽の前には、研鑽していない天才など赤子も同じ事」
「流石でございますな」
「土御門の倅にはそろそろ我らのやり方を覚えて貰わねばならぬからな」
幸徳井は笑っていた。
陰陽師サイドもまた動き出したのだった。