1章閑話 獣王国後日譚
マーサ達避難民は連邦獣王国の首都カッチェスターへとやってきていた。
そこで迎えるのは旧獣王宮殿の管理を任されている虎人族の執事クリフォード・テイラーだった。
タキシードを着た落ち着いた様子の老人で、戦闘系の多い虎人族の中でも一際落ち着いた様子の男性である。
現在はカッチェスター市の内政を執り仕切ってきた存在でもあり、獣王家に長らく仕えている。
家の権力の笠を着て他種族を侮る家も少なくないが、彼はそういった他種族を見下すような真似をしない立派な紳士でもある。
「ありがとうございます。わざわざ、移民用の仮宿を街の近くに作っていただけるとは」
マーサは恭しく頭を下げる。
「マーサ様の集落だけでもありませんし、獣王様ならば同じことをしたでしょうから」
「まさかとは思いますが、田舎で娘と暮らしていたので王都の話を聞いてはいなかったのですが、次の獣王陛下はまだ立っていないのですか?」
動きがおかしいのでマーサは思った事を聞いてくる。
「はい。ここまで延び延びになるとは思わず我々としても戸惑ってはおります」
クリフォードは耳を垂れ下げて溜息を吐く。
「我が実家であるリンクスターはその件については何もできませんし」
「それは存じております。むしろリンクスターが少々困らされております」
「祖父がまるっきりやる気をなくしてなければ本家に言う事を利かせられるとも思いますが……私も祖父も本家とは…」
「それも存じてはおります。面倒だからと娘を連れて家を出たのも。かつて権勢を誇ったリンクスターも今は昔ですから……」
マーサは目の前のクリフォードが苦労しているだろうと思い恐縮する。
元々マーサのいたリンクスター氏族は獣王選定に最も権力の強かった氏族だ。
一時期、獣王はリンクスター家の傀儡とさえ言われていた時代があったほどである。
それは、実質的に獣王より強かったからでもある。従魔を使ってしまえば、いくら獣王と言えど数の暴力の前には無力だったからだ。個の力では従魔の群れに対して勝つのは困難だった。
先代獣王アルトリウス・タイガーが立つ前までの話である。
先代獣王は圧倒的な暴力とカリスマで獣人族達をまとめ上げ、グレンという稀代の大従魔士をも実力で従えさせた。
今でこそ好々爺然とした田舎の村長をしているが、グレン・リンクスターといえば権謀術数の権化として獣王さえも顎で使ったと言われる恐るべき存在であった。
マーサが生まれる頃にはアルトリウスが獣王になったばかりの頃で、グレンは既にアルトリウスに負けて権勢を落としていた。
従魔を使役する才を持たないマーサは実力で獣王になるという野望を持って家を出ている。正確にはグレンに追い出されているのだが。
戦に明け暮れたマーサは獣人族の矜持を持っていた。獣人族の矜持とは別ベクトルにいるリンクスター一族そのものが嫌いだった。
マーサが獣王国の三勇士の候補にあがりだしたのは10代半ば。前三勇士が年老いてきたので新しい三勇士を募りだした頃、マーサは巫女姫の下にいたエミリオと出会った。
余りに強く女性扱いされた事の少ないマーサがエミリオに女性扱いされた事で意識をするようになった。エミリオは幼い頃に巫女姫に拾われて、巫女姫に直々にエリート教育を施されており、立派な紳士だったからでもある。
そして、エミリオはリンクスター一族をはるかに超える従魔士だった。自然体で近所のグリフォンらを束ね魔物達と従魔契約をしている。獣人族の誇りを体現し、陰険な一族を超える実力者にマーサはほれ込み、最終的には結婚した。
暫くは体を弱くした巫女姫の親下で過ごしていたが、ついに巫女姫の死去し、親元を立った三勇士、それがエミリオである。
これは新たな巫女姫と一緒についていったためでもあり、当人は別段臨んだわけでもない。ただ、リンクスター一族の使っていた従魔たちを奪い取り、マーサよりも強く、巫女姫の養子だったという肩書により獣王も無条件で三勇士に迎え入れたのだと言われている。
エミリオの最も問題だったのは政治的に強かった為、戦わずにその位に立ってしまった事だ。
その為、誰もが侮っていたという事実があり、当人も腰が低く弱者のように振舞っていたのが問題だった。
後、獣王が今代の巫女姫を追放することになるが、エミリオやマーサが妹にも等しい巫女姫を追放する際に最後まで領地から見送りをしたのはリンクスター一族が彼女を手に入れようと暗躍するのではないかと感じたからだ。
「今のリンクスター家は従魔士としても能力が低いので怖いものではありませんよ。グレン殿がいてのリンクスター家ですから」
「祖父はエミリオが亡くなってからは本当に腑抜けてしまっていますから」
「エミリオ殿は、従魔士としての才はグレン殿を遥かに超え、更には戦士としても獣王様に次ぐものを持っていましたから。しかも巫女姫様の義理の息子でもある。全ての権威と力を持つ存在、次代の獣王に相応しいとアルトリウス様も期待してたのですが………ね」
「……」
マーサもそこまでは考えてはいなかったが、実際、エミリオは全てを持っていた。本人が欲しがらず、謙虚で、一人の従魔士であり続けていたがそうでなければ次期獣王の座は確実だっただろう。
「せめてエミリオ様がいらっしゃれば…」
エミリオは従魔士としての顔もあるが、巫女姫の育てた孤児という立場は大きい。本人が獣王にならなくても、発言力は大きいからだ。
力をあまり見せなかったから、周りの三勇士からは軽んじられていたが、巫女姫の義息という面だけでも、多くの獣人達から遠慮される立場でもあった。
「巫女姫様を追い出した後に獣王様が亡くなったのは大きすぎますね。指導者がいなくなってしまった」
「獣王陛下は巫女姫様の庇護下にあり続ける獣王国という存在そのものに疑問を抱いておりました。フローラ様が亡くなり、10歳ちょっとの小娘の双肩に連邦獣王国の行く末を任せる事を是とはしておりませんでした」
「……それは」
「エミリオ様も皆の前では大人しくしておりましたが獣王様と会談をして巫女姫様の追放を差し止めようとしていました。ご存じで?」
「え?……いえ、受け入れてはいたものだと」
「エミリオ様は巫女姫様の義理の兄でもありますから。獣王様の言葉を聞き、見送ることにしたのでしょう」
「獣王様は何と?」
「もうそろそろ、巫女姫様を解放してやろうと。恨まれても構わない。巫女姫様は自由であるべきだ。獣人族の為に束縛し続けるのはよくない、そう獣王様はエミリオ様を説得したのです。もしも予言通り、勇者との戦いに敗れた場合、王国が巫女姫を逃すはずがない。このタイミングで切り捨て、我らだけで獣人族の未来を勝ち取る必要があるのだと」
「獣王様はそこまでお考えだったのですか?」
マーサが獣王の真意を知って驚く。
巫女姫の予言を覆し、王国を打倒する事で、獣王国として独立する。巫女姫の庇護下に収まっているような国のままであってはならないという想いがあったという事実に驚くのだった。
「幼い頃、巫女姫様が小さい家に一人でひっそりと暮らしているのを見て、いつか獣人族が独立できたら解放する、そう心に決めていたそうです」
クリフォードの言葉にマーサは俯き目を閉じる。
獣王アルトリウスが巫女姫を邪魔に思っているという話はマーサも聞いていたが、その真意までは聞いていなかった。自分達獣人族は巫女姫を神格化し、その力を引き継いだステラを次の巫女姫として、導いてもらえる存在なのだと疑っていなかったからだ。
巫女姫は信仰対象であり、同じ人間として考えたことも無かったマーサにとって、獣王は巫女姫を一個の人間として見ていた事に気付き驚きを感じる。
「とはいえ二人の絶対的指導者がおらず、次の三勇士が決まらないでは話になりません。どうなっているのですか?聞けば王国国境付近に住まうオーク部族が王国軍に拉致されたとも聞いております。指導者無くして全体を動かせません。今は王国軍全体が攻めてきているのですよ?三勇士は何を……」
マーサは現状の危機をクリフォードに訴えつつ、ふと思い出したように近くに来ていたウルフィードを鋭い視線でにらみつける。
ウルフィードはタジッと後退る。
マーサの相手を圧倒する覇気は獣王に次ぐものだと言われていた。獣人の誇りを体現したような女武人、それがこのマーサという女性なのだとウルフィードは思い出し引き攣る。
さしもの元三勇士も背筋が凍る思いを感じるのだった。
「三勇士の皆様が次期獣王を辞退している状況でして」
「何故?」
マーサは厳しく攻めるような声音で尋ねる。クリフォードの説明であるが、マーサは明らかにウルフィードに訊ねていた。ウルフィードが説明できないでいると、
「敗者が王になどなれないと。オラシオ様は次代を後継者に託しましたが、次代様は獣王候補に立候補をしておりません。叔父にも未だ勝てぬ非才の身で獣王などおこがましいと」
クリフォードは淡々と答える。
「それを言い出したら誰も獣王なんてなれませんよ」
「マーサ様はどうでしょうか?」
「私はエミリオに負けたあの日、獣王になる夢を捨てて、エミリオの子を立派に育てると人生を決めています。今更そのような立場になんてなれませんし、今はエミリオの遺児を育てる事で精一杯です。ミーシャが独り立ちして、まだ三勇士に空きがあるなら喜んで志願させてもらいます」
マーサは筋だけを通したいという。戦いのときは娘を見捨てると断じた口で、子育て優先を語るので、ウルフィードは納得いかない顔をしていた。
でも、怖いので文句は言わない。
エミリオの奴、よくこんな嫁を持っていつもニコニコしていたな、と改めてかつての同僚の図太さに恐れおののく。エミリオがいた頃はそもそもマーサは後ろに下がって夫を立てる女だった。死んだ後になってエミリオの偉大さに何度も気付かされる。
ウルフィードはエミリオが生きていた頃、もっと話し合って認め合うべきだったと後悔ばかりしていた。
「マーサ殿は相変わらずですな。とはいえ、皆が獣王様や巫女姫様という偉大な指導者を持っていた為、後を継ぐなど出来ないでいるのです。貴方にとってエミリオ様がそうであったように」
クリフォードの言葉に、マーサ自身が他の三勇士達の想いに同感してしまい文句が途切れる。
「無論、オラシオ様は私兵を連れてオーク達を奪回しに行くと準備を進めています。野に下ったモーガン様も戻ってくれるそうなので心配はしておりませんが」
「モーガン殿まで?そ、そう、ですか」
マーサはクリフォードが既に他の部族や国外のオークがオーク族の為に動いていると知り少しだけ胸のつかえを下ろす。
元三勇士のオラシオに加え、モーガンが戻るのであれば問題はないだろう。
モーガンはオーク族だが野に下り、帝国にて進化を重ね、オークロードへと進化し、帝国最高の冒険者の1人となっている。本人が望めば次期三勇士は可能だと思えるほどの力量があった。
「とはいえ、マーサ様が指摘されたよう、獣王選出は急務です。少なくとも年内までに決まればよいのですが」
「難しい話ですね」
マーサもまた厳しい話をしていた事を思い出し、大きく溜息を吐く。
***
皆が忙しくしている中、ミーシャは一人でカッチェスターの街の外で遊んでいた。
友達のグリちゃんことグリフォンに皆の食事を狩ってきてもらえるように頼んでしまったので遊び相手もおらず暇を持て余していたからだ。
たった数日くらいしか一緒に過ごしただけではあるが、仲良くなった大きなヒヨコのピヨちゃんと生き別れ、とても落ち込んでいた。一つ分かっていることはピヨちゃんが自分たちを守るためにいなくなってしまったという事。無力な自分が悲しかった。
大きな木の枝の上に座り足をプラプラさせているとどこからともなく音が聞こえてくる。
「みゃー……」
そんな小さな鳴き声が聞こえて来て、ミーシャは顔を上げてヒョコヒョコと森の中に入って行く。
「なんだろー」
ミーシャは木からピョンと飛び降りて猫耳を澄まして声の聞こえる方へと向かう。
周りを見渡しながら森の中を歩き茶色い髪と同じ色をした猫耳をピクピクさせながら声の鳴く方へと向かう。
茂みの奥から声が聞こえてくるので、ミーシャは茂みを掻き分けてその奥にいる声の方へと近づく。すると、そこにいたのは生まれて間もない瘦せ細った小さな白い虎縞の子猫だった。
「猫さん?」
「みゃぁ」
子猫はきょとんとした様子でミーシャを見上げる。そして慌てたようによたよたとおぼつかない足で逃げようとする。
「大丈夫?」
「みゃあ」
ミーシャはひょいと子猫を両手で持ち上げて顔を合わせて訪ねる。
「みゃあみゃあ」
とはいえ、ピヨちゃんのようなまともな返しが来るわけもなく、猫はジタバタと手から逃れようとしていた。
「うーん、どうしよう。猫さん、お腹減っているのかなぁ?」
ミーシャは眉をハの字に垂れ下げて、小首をかしげて猫耳をペタンする。
「よく分かんないから町の方に戻ってお母さんかお祖父ちゃんに聞こう」
うんと頷いてから、ミーシャは子猫を抱えて回れ右をする。だが、そこで再びコテンと小首をかしげる。
「ここ、どこだろ?」
「みゃあ」
いい加減放せと言わんばかりにミーシャの腕の中で子猫が小さな体を捩る。だが直に動くのを辞めてしまう。暴れるほど体力がないようだ。
「猫さん、おうち何処だか分かる?」
聞いてみるが子猫は全く反応がなく、体を小さく捩ろうとしていた。
ミーシャはクンクンと匂いを嗅いでみると町の匂いが何となくわかりそっちへと歩き始める。
「あっちかな?」
「みゃ~」
ミーシャは子猫を抱えながら小走りで街の方へと向かう。
だが、ここは魔物住み着く大森林。街が近くても街道から外れた森の中には魔物が住み着いている。
弱者の足音を聞き、魔物達が近寄ってくるのをミーシャは気づいていなかった。
ミーシャが急いで森の中を駆けている中、そこに現れたのは大きな牙を持つ巨大な豹だった。
「大きい猫さんだー」
「フシャー」
荒ぶる子猫だが、ミーシャはお構いなしに近寄ろうとする。
すると巨大な豹は後ろ足で地を掻いてからものすごい勢いでミーシャたちに襲い掛かってくる。
「ふわっ」
余りの事に驚いてまえのめりにころんでしまうミーシャであるが、それが偶然にも巨大な豹の攻撃を避けられたのだった。
だが、ミーシャは転んだ際に猫を庇って転んだために肘をすりむいてしまう。
「はわわわわ、何でおこってるのー?」
「フシャーッ」
子猫は相手を威嚇し続ける。ミーシャは子猫が威嚇しているから相手が怒ったのだろうかと考え、取り敢えず子猫を抱えて逃げる事になる。
ミーシャは茂みを掻き分けて森の中を通って逃げる。
「ガルルルル」
巨大な豹は素早く動くが体躯が大きく狭い場所をちょこちょこ動いて逃げるミーシャを上手くとらえられない。
ミーシャは子猫を抱えたまま、樹の上へとよじ登る。
高い場所まで登り、大きな豹がジャンプしても届かないような場所に辿り着く。さすがにミーシャも幼いと言えど獣人族でありそこらの魔獣には木登りで負けたりしないのだ。
「フシャーフシャーッ」
だが、ミーシャの抱えている子猫が豹を威嚇するものだから、豹も諦めずにまた何度も飛びつこうとする。豹は木に登ろうとするが上手く登れていないのが助かっている所でもある。
ミーシャは途方に暮れていると、暫くして何か揺れのようなものを感じる。同時に足元の枝がミシミシと悲鳴を上げ始める。
「ふええ!?」
するとズーンと何か響くような音が近くから聞こえてくる。その震動は大きくミーシャの登っている木の枝が今にも折れそうな音に代わり、慌てて枝の根元の方へと移動する。。
さすがのミーシャも慌てる。我慢して大人が来てくれるか、大きい猫さんが帰ってくれるのを待っていたのだが、それが厳しい状況な事に気付く。もっと上に逃げたいがこれ以上太い枝も見当たらない上に、近くの枝に手を伸ばすと、ポキリと枝が折れてしまう。
「グルルルル」
さも嬉しそうに木の下で獲物が落ちてくるのを待ちかねる姿を見せる豹のモンスター。
「ふえーん、誰か助けてー」
「ニャー」
ミーシャの手から体を乗り出してシュッシュッと肉球を振り回す子猫だが、ミーシャはどう考えても子猫が豹に勝てるとは思えなかった。というよりもここで手を離したら地面に真っ逆さまに落ちそうで怖かった。
すると人の声が聞こえてくる。そして同時に豹の魔物が遠くから逃げてくる。
「待てーっ!」
どこか子供っぽい追いかけるように声が響く。
そして再びドーンと過去最大の爆音と震動が遅い、同時にギャンという悲鳴が響く。
ミシッミシミシミシ
「わわわわ、折れちゃう、折れちゃううう!」
バキッ
足元の枝がへし折れ、ミーシャは地面へと一直線に落ちていく。
「ミャーッ」
「ふわああああああああああっ」
ミーシャは慌てて子猫を懐に抱え込んで丸くなり子猫を守ろうとする。
「ぐぎゃっ」
ミーシャは背中を打って、痛みに耐えながらゆっくりと起き上がる。獣人は人よりもちょっとだけこの手の衝撃に強いのでこの位で死んだりはしないが、痛いものは痛いのである。
「な、なーにー?」
「何はこっちのセリフだ、この馬鹿たれ!いきなり空から降ってきやがって!」
ミーシャは背中をさすりながら後ろを見ると、地面に突っ伏していた少年がガバッと起き上がって文句を言ってくる。
少年はミーシャより少し年上といった感じの子供で、黒髪と金髪の虎縞を短く刈った髪型に猫耳がちょこんと生えている。尻尾も虎柄である。つまり虎人族である。
「にゃー」
だが、互いに見合う暇もなく、ミーシャの抱えていた子猫が少年の頬をザリッとひっかく。
「ぐおっ!き、貴様!何たる無礼な!この僕を獣王アルトリ…」
「フシャーッ!」
だがミーシャの抱えた子猫は威嚇の鳴き声を上げる。少年はヒッと悲鳴を上げて一歩下がる。
「ぼ、僕は獣王アルトリウス・タイガーの仔ガラハドだぞ。由緒正しきタイガー家の当主だぞ!いきなり空から落ちてくるとはどういう了見だ!」
「そ、それより後、後。」
振り向いて文句を言おうとするガラハドの背後をミーシャは指差す。
そこにはヨタヨタと起き上がる巨大な豹モンスターがいた。どうやらドカンドカンと揺れていたのはこの少年があちこちで魔物退治をしていたからのようだ。豹のモンスターの近くに他の熊モンスターが倒れている事からもそれが読み取れる。
「ちっ、さっきの一撃で倒せなかったか。だが、俺に勝てると思うなよ!」
少年は舌打ちをして魔物の方へ相対する。
「グルルルッ」
未だにふらつきながらも再び襲おうととする魔物。少年は拳を握り魔物に向かう。
「くたばれーっ」
襲い掛かる魔物だが、鋭い爪の攻撃を搔い潜り、少年は豹のモンスターをぶん殴り吹き飛ばす。
「キャインッ」
魔物を大きく吹き飛ばし地面に転がす。だが、魔物は弱った身ながら起き上がろうとする。
「しぶといな」
少年はポキポキと拳を鳴らしながら前へと歩く。
「ダメー」
「うぎゃうっ」
魔物に向かって行こうとする少年をミーシャは背後から引っ張り倒す。
「な、何をするんだぁ」
地面に転がっている少年を置き去りにしてミーシャは苦しんでいるモンスターへと駆け寄る。
「ごめんなさい。痛かった?」
「がうううぅぅ」
体を低くして襲い掛かるような姿勢を見せるがまともに動ける状況でもなかった。ここで襲っても逃げられないことが分り切っていたからだ。
「私をご飯には出来ないけど、ごはんなら貰ってきてあげるから我慢して」
「がうう(ごはん、たべれる?)」
ふとミーシャは言葉で返されたように感じて、笑顔で頷く。
「私に付いてきて。」
「がうう(子供達も食べさせたい)」
「皆で食べよう」
ワシャワシャとミーシャは豹のモンスターを撫でて笑いかけると豹のモンスターは目を細めてミーシャの前に。
「ちょ、え、な、魔物が懐いたのか!?そ、そいつはサーベルパンサーだぞ!」
「さーべるぱんさー?わかんないけど、お友達になったから、虐めちゃだめだよ」
「誰が虐めなんてするか。俺はその悪い魔物をやっつけ…」
少年は剥きになってミーシャの肩を掴む。
ミーシャは振り返って少年を見ると、少年は驚いた様子を見せてそして赤面し顔をそっぽ向ける。
ミーシャは小首をかしげつつサーベルパンサーを撫でる。
「それじゃあ、お子さんを集めて皆の所に行こー」
「がうー」
ミーシャはサーベルパンサーと一緒に歩き出す。
「え、ちょ、ま、待てよ。おい、女」
「ほえ?」
「ほえ、じゃねえよ!そいつは俺の獲物だぞ!勝手に手懐けるんじゃねえ!」
「えー、でもー。悪い子じゃないみたいだよ?」
「思い切り襲われてただろ?お、俺が助けてやったんだぞ」
少年は自分が助けたのに、何もない事にされて憤りを感じる。勿論、助けるつもりがあってやったわけではないのだが。
「…………おおおっ」
しばしぼんやりしていたミーシャであるが、言われてみて自分が助けられていた事に気付く。
「今気づいたのかよ!?」
まったく気にしてなかった
「がうう」
「お腹がすいていて仕方なかったんだって。反省してるのに、そんな責めなくても」
「がうう」
泣きつくような姿を見せるサーベルパンサーとそれを抱きとめて慰めるミーシャ。
「って、何で俺が悪いみたいな感じになってんだよ!」
すると小さい豹が二匹ほど駆け寄ってくる。だが、そこで足を止める。豹の子供たちが怯えているようだった。
「がうう」
「なー」
「にゃー」
ミーシャは子猫を抱えながら、仔豹を連れて、サーベルパンサーと共に壁の見える方向へと向かう。
「な、何なんだ、これ」
ポカーンとする虎耳の少年。ミーシャは巨大な豹と二匹の仔豹の魔物を引き連れてペースにはさしもの少年もついていけないようだった。
***
やっとマーサは話し合いを終わり、ミーシャと合流する。
「って、ミーシャ、これはいったいどうしたの?」
マーサが集落の皆が集まるカッチェスター市の外に出るとみんなと一緒に食事をする魔物の群れがいた。
「お友達になったの!」
ミーシャはドヤ顔で胸を張って言うのだが、さすがにマーサも文句が言えなかった。
背後には巨大な子連れのサーベルパンサーがいて、抱えているのはエレメントタイガーだからだ。白い仔猫にも見えるが、亡き主人が飼っていた魔物の中にいたので間違いがない。そうそう見かける事のない最強種の一角である。幼い頃は弱く、喧嘩っ早い為に育つ事は少ないのだが、ユニコーンと並び魔法の使える魔物である。
「いやはや、ミーシャは才能があるとはエミリオからも聞いていたが、ここまでとはな」
呆れるようにぼやくのはマーサの祖父にしてミーシャの曽祖父たるグレン・リンクスターである。元三勇士にして獣王の相談役を務めていた元重鎮である。
「なんかね、お食事が食べられなかったみたいで、私を晩御飯にしようとしていたんだけど、話をしたら分かり合えたの!」
「がうぅ」
皿の中に入っている肉を食うサーベルパンサー。子供も母親の食べている大きい肉を齧っていた。
「いやいやいや、私を晩御飯にしようとする魔物とか懐かないでしょ!」
「そうだ!俺があの魔物をやっつけてやったからだからな!ちゃんと感謝しろ!」
ビシッとミーシャを指差すのは黒と金色の虎色の髪をした少年であるが、ミーシャは露骨に嫌そうな顔をしていた。
「が、ガラハド殿下!?」
慌てるのはマーサだった。三勇士候補だったエリートであるので顔が広い。目の前の少年が獣王アルトリウスの遺児である事に気付く。
「む、そこの者、俺を知っているみたいだな。さっきから軽い扱いで不敬だぞ。ちょっと説明してよ」
少年はマーサに訴える。
マーサは知っている癖に知らない振りをしている自身の祖父グレンをにらみつける。グレンはふと遠くを見て口笛を吹く。ミーシャの無茶が容認されているのはこの爺さんに一定の問題がある事は明らかだった。
思えばミーシャの無茶の元は大体この爺さんである。
「ええと、ミーシャ、そちらの子は獣王様の息子さんだからあまり粗相の無いようにね」
「してないよー」
ミーシャはきっぱりと答えるのだが、少年は開いた口が塞がらないという顔で大口を開けてミーシャを見ていた。
その様子を見てマーサはまたやらかしたのかとこっそりと頭を抱えるのだった。
そして近くでニコニコしている爺さんに、ミーシャは魔物達と一緒に爺さんの方へと走る。
「まさかとは思いますけど、お祖父様、謀りました?」
「人聞き悪いのぉ。そういう悪だくみはとっくに引退したわい」
マーサにジト目で見られるグレンだが、グレンは無関係だときっぱり否定する。
「どうだか」
「ただの、ミーシャは才能があるからの。ミーシャはきっと良い従魔士になる。元々、従魔士の家系というのは向いておらんのじゃよ。謀に」
「どういうことですか?」
「魔物に対して純粋に向き合える者が魔物との絆を作る。エミリオはリンクスターの忘れてしまった純粋さを持っていて、能力が高いが故に強い魔物でも一切畏れないから余裕があり、数多の魔物を愛せる度量があった。ミーシャは強くもないのに魔物を恐れない度量がある。従魔士としての才能だけならば恐らく天賦のものがあろう。どこまで行くのか見たくなったから放置しているだけの事。なーに、わしの使役しているグリフォンは遠くで見守っていたから問題はない」
「そうなる前に助けなさい、このくそジジイ」
マーサは祖父の懐を小突こうとするが祖父はそれを避ける。
祖父の言動は腹立たしいが、確かにミーシャには自分の愛した男の才能をそのまま受け継いでいる。マーサはリンクスターの家の出ながら従魔士としての才能が一切なかったが、ミーシャは幼い頃に自身が欲した才能を誰よりも持っていた。ミーシャの才能に我が事のように嬉しいのは他の誰でもないマーサだ。
従魔でもないのにエミリオの飼っていたグリフォンを懐かせていて、ピヨちゃんも従魔でもないのに懐かせていた。ついに魔物を、しかも親子のサーベルパンサーに加え、エレメンタルタイガーを従魔にしてしまった。
薄々感じてはいたが、ついに才能が発揮され始めた。
「従魔にしたっていう実感はあるの?」
マーサはミーシャの前に座って目を合わせて訪ねる。
「じゅーま?うん、お爺ちゃんがやってる奴だよね?そうだよ」
「何でまた……従魔に出来るって分かってたの?」
「分かんないけど……もう言う事を聞かないで勝手に友達がいなくなるのは嫌だから」
ミーシャは少しだけ悲し気な表情で母に思いを伝える。
「あ」
マーサは気づいてしまう。ピヨちゃんは言う事を聞かず、たった一羽で王国軍とやり合い、橋を断ち切り人間達を足止めして戦っていた。もしもミーシャが従魔にしていたら最後まで戦わず、戻って来ただろう。ミーシャは2度と自分の懐いている魔物が自分の為に死ぬのが嫌だったのだ。
だから従魔にするという選択を自然としたのだ。
するとエレメンタルタイガーがニャーと鳴いてミーシャの靴を引っ張るので、ミーシャはエレメンタルタイガーの子供だけでなく、サーベルパンサーの子供達も連れて、戯れながらどこかに走り去っていく。
「ちょっと遊んでくるねー」
ぶんぶんと手を振ってマイペースに生きるミーシャにマーサは呆れたように溜息を吐き、同時にサーベルパンサーの母親はやれやれと言いたげにそれに歩いて付いていく。マーサと一瞬目が合い、何となくお互い苦労するなと言わんばかりに通じ合ったのだった。
「ちょ、おい。待てよ!まだお礼も聞いてないぞ!」
慌てて追いかけるのはガラハド殿下と呼ばれた少年である。ミーシャのマイペースな所に腹立たしいのか突っかかっていくが、恐らく通じないだろう。
「あ、あの、お祖父様。従魔って何となくで出来るものなんですか」
「出来ん。言っただろう、ミーシャは才能があると。昔からミーシャはワシの鑑定スキルをもってしても従魔スキルレベルを測れなかったからの。あの子は従魔にしたいと思えば、多くが従魔になる。これまで出来なかったのは単純にあの子がしたいとは望まなかったからだ。エミリオは従魔士として魔物に愛されて生まれた子供だと言っていた。幼くして今の自分と同等の力があると。もしも自分が勇者に負けたら、爺さんが導いてほしいとな」
「エミリオに?」
「うむ。そして……ミーシャはピヨちゃんの死から従魔士になる事を選んだ。まだ本人は意味も分かってないだろうから誰かが導かねばなるまい。あの子をリンクスターとは関わらない従魔士として育てるつもりじゃよ。死んだエミリオに恨まれたくはないからの」
「エミリオに恨まれる事が有ったら、その前に私が息の根を絶つので安心してください」
「だから悪い事なんて一切考えておらんわい!」
にっこり笑顔で答えるマーサに、冷や汗をかくグレン。
今の衰えた自分では本当に害されるとグレンは冷や汗ものである。
グレンはかつて獣王家を操った策略家としてリンクスター家の一切を取り仕切っていた男でもある。リンクスター家といえば陰険で政治に強い、獣人族らしからぬ獣人族として有名な存在だ。
リンクスター家は勢力を弱めたが、未だに策謀渦巻く権力の強い家である。
マーサがリンクスター家に頼らず、田舎の集落で過ごしていたのも、リンクスターの家に近づきたくなかったからだ。
グレンもそれは同様なのだが、グレンは元々悪名だかきリンクスター家の長だったので、マーサ自身はグレンを一切信用していなかった。
「とはいえ、表立ってミーシャがあの子達と仲良くしていればリンクスターは目を付けるぞ。お前の叔父達は現役だからの。神輿にされぬようミーシャを守ってやらねばなるまい。アルトリウス様がいなくなって、混沌としている獣人族の権力から我らは離れたが、むしろリンクスター家は弱体化した獣王国の中で力を強めている」
「お祖父様が一番危険なのでは?」
「信用ないのぉ」
「稀代の謀略家と言われた人が何をいまさら」
「確かにそうじゃが。ワシは自分が一番強いのに、腕力が無いからと獣王になれないからこそ、獣王家を好きに使っていただけに過ぎぬ。謀略も何も、従魔を使えばワシが一番強かったからだ。アルトリウス様もエミリオも魔獣を総動員して戦っても足元にさえ及ばぬのだ。故にワシは彼らに従っていた。ワシとて獣人よ。強さという指標が他と異なるだけで、別に権力を欲して獣人族の影の支配者だったわけではない。そして、……今、もしかしたら最も獣人族の中で強くなるだろう存在が自分の曾孫に生まれた。とはいえ、本人が望まなければ三勇士になぞには押さんよ」
そんな祖父の言葉は信用できるものかとマーサは首を胡乱気に祖父を睨むが、追及したところで真偽は分からないだろう。
「………でも、ピヨちゃんは私を救いミーシャの覚醒を促した。神の使いだったりするのかしら?」
マーサは首を傾げて溜息を吐く。
「神の使いどころか天敵が生まれ変わっただけなのじゃがの」
グレンは誰も聞かれぬようボソッと小さく呟く。
グレンは従魔士として極めて高いレベルであり、魔物と会話をする為にレベルの高い念話スキルを持っている。魔物が何を考えて生きているのか相手が念話を持ってなくても何となくわかるのだ。
あのヒヨコが実は王国の真の勇者であり、死んだエミリオの事に罪悪感を持っていたり、ミーシャやマーサを助けようとしていたのを実はそれとなく知っていた。
勘付かれると拙いので出来るだけ離れていたのはそのせいだ。
「そろそろミーシャにも念話を教えてやらねばならぬかもしれないの」
グレンはつぶやき、未来を眺める。
かって巫女姫が言っていた。
自分がいなくなり、獣王が獣王国を前に向かせるように意思を示す事で、何があっても誰かがそこに続き、獣王国は明るくなると。
グレンは多くの魔獣と仲良くするミーシャの姿は獣王国の希望になると信じていた。