1章8話 ヒヨコ列車
それは宿屋にとまった早朝の事。
まだ日が昇ってもいないのに、ヒヨコはお姉さんたちの悲鳴によって目を覚ます。
「うわあああああああっ!」
「ほえ……ななななななっなに!?これ?」
驚きの声を上げるのは残念お姉さんと三つ編みお姉さんの二人だった。
ルークになっているヒヨコは目を覚ます。ヒヨコは鳥だと早起きなのだが、人間バージョンだと何故か眠くてぐっすり寝てしまう。
ステちゃんが寝坊助さんだったのは人間のシルエットに近いからだろうか?
「うーん、な~に~」
寝ぼけまなこを擦りながらヒヨコは周りを見ると。宿の3人部屋の広いスペースに10人ほどの男たちが昏倒していた。
「ひ、人!人が……」
「な、何が?」
かなり驚いた様子だが、これは困ったことではないのだ。
「…………すまん。多分ヒヨコだ。どうもヒヨコは寝惚けて侵入者をやっつけてしまう習性があるようなのだ。よく分からんが多分ヒヨコだろう」
「どういう習性なの!?」
「さあ。だが、偶にヒヨコが寝ていると、こういう事があるのだ」
2人は頭の上にクエッションマークが飛び交う。
ヒヨコはピョンと起き上がり倒れている人達を見る。
ホッ、取り敢えず息があるので死んではいないようだ。
殺人事件でも起こしてしまったかと思ったぞ?
そこでヒヨコはサラリと全員のステータスを神眼で眺める。そこでボスと思しき大柄な男をグイッと引っ張って上体を起こさせる。
「おーい、お兄さん」
「ん……ぐっ…………はっ……て、てめえ……夜はよくもやってくれたな。俺達にこんな事をしてただで済むと思うなよ」
はて、ヒヨコはどんな事をしたのだろう?知らないのだがどうすれば良いのだ?
「いや、他人の宿にこんな大人数で押しかけるのはどうなの?」
「お、俺達は光十字教のプラージ支部大司教ウトマン様の命により貴様らを捕縛しに来たのだ」
襲撃者が第一声で黒幕を吐くのはどうだろう?
それとも堂々と乗り込んだがヒヨコが名乗らせるまでもなく撃退してしまったのだろうか?それだと非常に申し訳ないな。
「そうかすまんすまん。寝惚けてうっかり倒してしまった」
「でも、夜に忍び入る方がおかしいんじゃないの?」
ヒヨコは謝ってしまうが、確かに残念お姉さんに言われてみるとおかしいのはこちらではなく向こうである。
「くっ」
「ウトマンって………誰だろ?」
ヒヨコはコテンと首を傾げると
「あの競売で競り合った……太目な人だと思うけど」
「ああ、なるほど」
ピヨピヨ、なるほど納得。つまり昨日の勇者よろしく、買えなかったから直接奪いに来たのか。
本当にこの大陸は治安が悪いだけでなく、上流貴族はロクでもないものが多くて適わん。特に光十字教関係者だ。光の精霊のボスとかいうソ、ソ、ソ……ソリティアだったか?
会った事は無いけど自由にやらせ過ぎだと思う。光十字教がまさか青竜女王さんに喧嘩を売るなんて。
青竜女王さんは竜が良いから強気に出れないのだ。
ヒヨコに劣らぬ恐るべき称号の持ち主である。世界滅亡を阻止した救世主だから当然とも言えよう。
「で、そのウトマンの命令で攫いに来たと」
「そ、そうだ。いえ、そうです」
偉そうな物言いだったのでちょっと睨んでみたらすぐに言葉遣いを直した。中々、物分かりが良いじゃないか。
「そんな事をサラッと口にして良いの?」
「貴様ら風情が何をしようと変わる事なんて無いからな」
なるほど、奴隷なのにこんなに口が軽いのはウトマンとやらはよほど権力があるようだ。
「俺達が命じられたのは貴様らを連れて来いと言うものだ」
「そろそろ連れて来るための期限が切れそうだけど。残念ながらヒヨコは君たちの命なんかに忖度してやらんぞ?」
彼らはハイネックの服で首を隠しているが、あからさまに奴隷の首輪をつけた暗部だ。期限が切れれば死ぬことになる可能性が高い。
「………」
男たちは顔を歪ませて俯く。
「どういう事?」
残念お姉さんがヒヨコに訊ねて来る。
「どういう事ってこういう事」
ヒヨコはボスのハイネックの服の首元を掴み、下にちょっと降ろす。すると奴隷の首輪が露出する。
それを付けていただけあって、残念お姉さんも三つ編みお姉さんも顔色を悪くさせる。
「つまり私たちを連れて帰らないと彼らは死ぬと?」
恐らく、彼女たちを連れ帰ろうとしてもご主人様であるヒヨコの首輪があるので離れると二人が死ぬと考え、まずヒヨコを殺して奴隷の首輪の効果を失わせてから彼女たちを攫おうとしたのだろう。
だが、ヒヨコが寝ぼけてやっつけてしまいましたという訳だ。
だから彼女たちは全く無傷だったという事か。
「ピヨちゃん……」
ジィとヒヨコの方を見るのは三つ編みお姉さん。はて、彼女は何を求めているのだろう。
「なるほど。人攫いはここで放置して殺しておけと。分かったぞ、そうしよう」
「そうじゃないよ!助けてあげられないのって事!」
言葉に詰まる三つ編みお姉さんの代わりにヒヨコをたたいて突っ込んでくるのは残念お姉さんだった。
そっちかよ。
三つ編みお姉さんは何を考えているのだろうか?自分を攫おうとした連中なのだが。
「いや、ゲスい男に引き渡そうとした連中を庇うのか?」
「奴隷の首輪の効果は見ているから知ってるよ。逆らえば殺されるんだから仕方ないじゃない」
残念お姉さんが三つ編みお姉さんの言葉を代弁する。本当に代弁なのかと思って三つ編みお姉さんを見ると、三つ編みお姉さんもコクコクと首を縦に振っていた。
ヒヨコ的には『それでも無い』のだが、……奴隷だから仕方なかったという事に関してはある程度理解できる。
でも、ハッキリ言えばこの大陸、奴隷が奴隷じゃなくなったからって、自由に生きられる保証なんて、これっぽちもないのだ。むしろ解放された方が面倒なことになるともいえる。
おそらく彼女たちは分かっていないのだろう。だが、殺すのは忍びないというのもわかる。
「別に構わないけど……。はあ、仕方ないなぁ。ヒヨコに感謝するように。逃げるなりなんなり後は自分で勝手にやって」
ヒヨコは大きく溜息を吐くと、奴隷たちを見渡して魔力を溜める。
「<呪魔法解除>」
ヒヨコの魔法は宿の部屋全体を包み込み、あらゆる呪力が打ち消されていく。すると倒れている侵入者たちの首輪が壊れて消えていく。
「全員を起こして、さっさと逃げていくが良い」
ヒヨコは人攫いのボスらしき人に声を掛けると、ボスらしき人は慌てて子分たちを叩き起こして逃げていくのだった。
宿の下の方でちょっとした騒ぎが聞こえてくるが知ったこっちゃないのだ。まあ、たくましく生きていくが良い。
「取り敢えず、あの人たちは大丈夫なのかなぁ」
「まあ、命令無視で殺される事もないし、さっさと身を隠すんじゃないかな?その足で冒険者にでもなって小金稼ぎとかするんじゃない?奴隷ならご主人様が食わせてくれるから良いけど、彼らにそんな稼ぎを期待できるかは微妙だ」
「そうなの?」
三つ編み少女は首を傾げる。
「ヒヨコもこの大陸に来る前に腹黒公爵さんに教わったが、この大陸は奴隷制度なるものがあり、奴隷は奴隷でないと生きていけない人間が大半なのだそうだ。奴隷から解放されても結局奴隷になる人が多いとか。働き扶持が無い、働く知識も技術もないから、結局犯罪をして、犯罪奴隷になるとか。自分から積極的に奴隷になる事も多いとか。だから腹黒公爵さんには『奴隷と言う存在に気分は悪かろうが、奴隷を解放しても世話をするつもりがないなら意味がないから気を付けるように』と念押しされていたのだ」
「そ、そうなんだ。奴隷制度ってそういうものなの?」
残念お姉さんは複雑な表情をする。泣きそうな顔で俯く三つ編みお姉さん。
どうにも彼女たちは平和な土地から来たようだ。しかも奴隷制度を言葉としては知っていてもリアルに知らないという事はかなり治安の良い土地なのだろう。
「そう言えば500年前の勇者も奴隷制度を廃止して、残された王侯貴族は大変だったそうだ。彼の考えは先進過ぎてつい100年前くらいにようやく現実がついて来たみたいな話をきいたな。民主主義化に関しては、近年の魔導機関の発展で商業分野の力が強くなり、貴族の力が削がれつつあるから、近い将来成し遂げられるかもしれないとは言っていたぞ」
「めっちゃ近代じゃん、ちょっと、私達を降ろす場所間違えているでしょ!どういうことなの、ヒヨコ!」
残念お姉さんはヒヨコの胸倉をつかんでグイグイ引っ張る。そこをヒヨコに言われても困るのだが。
「ピヨちゃんの住んでた土地は平和なんだね」
「そうかなぁ。10年前、降臨した神と殺し合ったばかりなんだけど」
「神って、実際には何か自称神とかそういうのでしょう?神っぽい何かとか」
一体何を想像しているのだろうか?彼女たちは神を知らないのだろうか?
「500年前に魔神がこの世界に渡ってきて以来、割と世界の境界が酷い事になっているらしいんだ。魔物がこの世界に現れたのもそこら辺からだ。昔は陸の王様がライオンや虎と呼ばれていたが、今となっては魔物化したライオンや虎しか生きてはいない。帝国には古代に生きていたライオンや虎を保護して『ウエノ動物園』や『グンマサファリパーク』なるものを当時の勇者が作って保護したらしいぞ」
「絶対に私達と同じ時代に生きている日本人だよね!?おかしいでしょ!500年前なのに、何で私達と同じ時代の人間がいるの!?」
残念お姉さんは頭を抱えて呻く。
「そう言われてもヒヨコは知らぬ。実際、野生には生息していないからな。グリフォンやマンティコアから見れば奴らも獲物以外の何物でもないから辛い所だろう。だが、慣用句としてライオンを百獣の王とか呼んだりするのだから、魔神が現れる前と後では随分変わったことが分かるだろう?」
ヒヨコは世界の概要を説明する。まあ、全部エルフの女王さんや腹黒公爵さんの受け売りなんだけども。
「なるほど。世界を変えるような存在、確かに神って事ね?」
「この世界のシステムも女神が作ったものだ」
「システムって言われても全然実感が無いんだけど」
首を傾げる残念お姉さんと三つ編みお姉さんの二人であった。
「言葉が喋れるだろ?何故か言語が理解できてしまうのは、女神の作ったシステムの一環らしいぞ。ヒヨコはここで生まれてここで育ったから当たり前のように喋って話せるがな。むしろこういう形で実際にシステムの効果を見れたのは驚きだな」
「そ、そうか。こっちの人達は逆にこれが当たり前なのか。この世界は神様がいる世界って事なのね」
残念お姉さんは腕を組んでうんうん唸る。
むしろ逆に聞きたいのだが、神様がいなくてどうやって世界は回っているのだろうか?
とはいえ、話では、いつかは神様が去るとも聞いている。となれば、彼女たちは神様が去った後の世界と言う事か?
随分、文明の進んだ世界からやって来たのだなぁ、とヒヨコは感じるのだった。
「まあ、今回は気分も悪いから仕方ないけど、この大陸の風習に自分たちの考えを押し付けるのは辞めて欲しい。ヒヨコも遠い帝国も自重しているのだ。ええと、腹黒公爵さんから言わせれば、世の中の文明や風土はそれに合わせて形作られるから、下手に干渉すると歪んで不自然な形になってしまうのだと。この低い文明の大陸に帝国の技術や武器を支配者層に渡せば、完全な独裁国家が出来て、下々は地獄を見るだろうと」
「……地球で起こっている事を見てきた事のように言う人がいるんだ………」
「アフリカの事だよね?戦争が終わらないのに食糧難……」
三つ編みお姉さんは顔色を悪くさせ、残念お姉さんが引きつってぼやく。
「正確には帝国においての勇者がそれだったそうだ。良い面もあったが、悪い面も大いにあった、と聞いている」
山賊の親分や腹黒公爵さんがあのボンボンを送り出す際に様々なことを注意していた。ヒヨコも監督者として同じ説明を受けている。
ところで、ふと気づいたが帝国は山賊の親分と腹黒公爵さんに牛耳られているというと、なんだかひどい国に聞こえるのは気のせいだろうか?
「分かったわ。そういう事は出来るだけ言わないようにする」
「まあ、ヒヨコも忍びないのだがな。そういう理不尽な世界を知る様に送られてきた幼子のお守りをヒヨコは託されているのだ。いずれはこの大陸との懸け橋になってほしいらしいと父親は言っていたが、当人は全くその気がない行動をとっていてヒヨコもほとほと困っている。そして、来月までにはお守りをする為にニクス竜王国に戻らねばならないので、ここでの要件をヒヨコはさっさと終わらせたいのだ」
「要件って?」
「ヒヨコのかつての子分達、ピヨピヨ団の連中を大人しくさせねばならん。あの子達は幼鳥時代に人間に殺されかけて、天涯孤独の身だったのでヒヨコが養ってやったのだ。しかし、やはり人間が許せないらしく、ヒヨコが人間の肩を持つのが許せないとぐれてしまったのだ」
「あのファンシーな感じの大きい雀と烏?」
残念お姉さんはポムと手を打つ。
「うん。その通り。魔力反応からして南西部に居を移したし、お姉さん達も南西のサッポロ方面に行くのだろう?丁度良いから、移動しよう」
「移動って……どうやって?」
2人の疑問に対してのヒヨコの答えは簡単だった。
***
それから数日後であった。ヒヨコは2人乗りの馬車を購入したのだった。
「人力車っぽいんだけど」
屋根付き二人乗り+御者席と言った風体の馬車に、三つ編みお姉さんは引きつった顔で馬車を見ていた。
ヒヨコ的には割とスタンダードな馬車なのだが……。
「そこをヒヨコが引くのだ」
「ピヨちゃんに直接乗ったらどうなんだろう?」
「それでも良いが、ヒヨコは足が速いので、振り落とされたら死ぬかもしれぬ。前に坊ちゃんを乗せてちょっと強く走ったら殺す気か、と怒られたからな。揺れないように走ったのだが……」
「……あ、安全走行でお願いします」
三つ編みお姉さんは引きつった顔で頷く。どうやら納得したようだ。
「揺れて酔わないかの方が心配だなぁ」
残念お姉さんは違う点を心配していた。
ルーク姿のヒヨコは馬車を引いて町を出ると、周りの目が亡くなったら、ローブを被ってから服を脱ぎ、ヒヨコの姿へと変身する。
ピヨヨ~ン
ヒヨコは腰にベルトをつけて馬車に括りつける。
『さあ、ではレッツスタート。乗ってけ乗ってけフルシュドルフ名物、ヒヨコ列車!ピヨピヨピヨピヨピヨ~!』
「だから何でこのヒヨコは一々日本の二次元ネタを使ってくるの~!?」
残念お姉さんの叫びは意味が分からないが、ヒヨコのやってることに突っ込みはやめてもらいたい。何が悪いというのか?
そんな異世界人の突っ込みを無視して、ヒヨコは時速119キロの速度で走り出す。
スピード違反じゃないよ?