6章14話 聖女が魔女になった日
聖女レイアはアルブム王国軍を率いて、南の拠点から西部ラングレー地方へと向かっていた。
「では、村を包囲し、儀式の準備を始めなさい」
「はっ」
レイアの指示に従い王国騎士団は直に動き出す。
全員がネビュロスによる洗脳で心の底からレイアに心酔しており、もはや洗脳を解けば廃人になるレベルまで骨抜きにされていた。
それはレイアの近くに侍る勇者アーベルも同様だった。現在の彼はアルブム王国の総騎士団長として振舞っている。常にレイアの側にいて剣を振るっていた。
白旗をもってやって来たのは村長と思しき老人だった。
「我が領は王家に忠誠を誓っております。決して反乱など起こしてはおりません。どうか……」
「王命です。貴方達はただ従い命を差し出せば良いのです」
「!?………そんなっ!」
「我らに殺されるよりは街の中で祈っていれば勝手に死ねるのでお勧めですよ。痛みもなく永遠に夢の世界へ行けますから」
レイアは嘲笑うかのように老人を見下ろす。
「この魔女が!」
老人が叫ぶと勇者アーベルが前に出て老人を切り伏せる。
「聖女様に無礼な」
血にまみれた老人の亡骸を見下ろし、唾を吐き捨てる。
「魔女…ねぇ」
レイアは自嘲するように笑ってから村を見る。
目の前に見えるのは普通の農村だ。
レイアは貴族令嬢と言えどこの数百人程度の人間しか住んでいない村を5つほど束ねる子爵位にあたる貴族の令嬢だった。
***
幼い頃、レイアは村の人達のために神聖魔法を使っていた。
「いつもありがとうございます」
「いえ、領民の皆様のために働くのは私たち貴族のお仕事でもありますから」
「レイア様は我が領の聖女様ですじゃ」
「何をまた」
苦笑するレイアは領民達の崇敬を受け流しながら、真面目な領主の娘として過ごしていた。
だが、運命は大きく変わる。
素朴な田舎領地を持つ貴族令嬢が神聖魔法の使い手として王都に呼ばれることになったのだ。勇者の補佐候補としてである。断る事も出来ずレイアは王都に出る事となった。
とはいえ、勇者と一度顔合わせをして以来会う事は無かった。
その勇者と言うのも貧弱な貴族のボンボンでしかなく、どう見ても戦える人間には見えなかった。司祭様から聞いた話では、勇者は高位貴族の令息と言う話だった。
勇者と言うからには秘めた能力があるのだろうとレイアは首をひねりながらもその言葉を信じていた。
そう、鬼人王襲撃までは。
鬼人領の王である鬼人王セシルがまさか単独の襲撃が発生した。
アルブム王国は騎士団を城壁に出兵させるが、あっという間に騎士団は壊滅した。
王都前の城壁は簡単に破壊されて通過され、さらに王城への城壁前にて騎士団と戦いが起こったのだ。
もはやアルブム王国を守るための武力が失われたと言わんばかりの状態だった。
城門を守る様に立ち塞がった騎士団は全員が地に伏せていた。勇者と呼ばれていた貴族の若い男は小便を垂らして逃げ出す始末。
レイアは後方で他の神官たちと共に回復要員としてそこにいたが、回復要員になる暇など一切なかった。
鬼人王セシルの暴力は圧倒的だった。刃を振るうだけで兵士たちが吹き飛び、切り刻まれる。
勇者と期待された少年さえ逃げ出していない状況だ。
最後まで民の為に回復要員として駆け回っていたレイアは逃げ遅れてしまっていたのだった。
「聖女様、お逃げください」
神官たちがレイアに声をかける。
するとその神官たちの首が一瞬で叩き落される。
その背後に立っていたのはオーガのようなゴブリンだった。
「ひっ」
レイアは恐怖に身をすくませる。もう駄目だと思った。
「聖女?そういう風には見えないが……。まあ、邪魔だし殺しておくか。勇者が見当たらないが後で回復されても困るしな」
2メートル近い巨体鋼のような肉体を持ち大きい角を額に持ったゴブリンは刀を振りかざしレイアへ振り下ろそうとする。
ギイイイイイイイイイイイイイイイン!
だがその刃やレイアには落ちてこなかった。その間に一本の刃が遮ったからだ。
ただの鋼の剣であるが、それを使って上手く受け止めていた。
「ぬ……。人間風情が俺の刃を受け止めるだと?何者だ?」
「僕の名前はルーク。ただの人間さ」
ルークと名乗る少年は鋭い瞳で鬼人王を見上げる。
「………?」
鬼人王は眉を持ち上げてルークを半眼で睨む。だがルークは鬼人王の攻撃に対して反抗を示す。
「うおおおおおおおおっ」
「つあああああああああああっ」
鬼人王の刀をかちあげてルークは鋼の剣を一閃する。
鬼人王は飛び退くが、胸に一文字の傷をつけられ驚いた顔をする。
「なるほど。…お前が真の勇者か!」
流れる血を手で触れてから、ニヤリと口元に笑みを浮かべて刀を構える。
「……真の勇者?……………何故、アンタほどの男が…」
ルークもまた神眼で鬼人王のステータスと称号を見て不思議に思う。
「分かるまい!我らの苦悩を!我らの戦いを!」
鬼人王セシルが目にも止まらない動きで少年に襲い掛かるが、少年はそれを受け止めて跳ね返す。
「そこの君!早く逃げて!ここは僕が守る!」
「で、でも……」
「大丈夫!避難を!うおおおおおおおおおおおおおっ」
少年は鬼人王に切りかかり鬼人王は圧倒される。
城門前で騎士団を壊滅させた化物を、ただ一人の少年が安物の剣一本で圧倒していた。
レイアは理解する。何故かは分からないが王国は勇者を偽っていたのだ。
自分と同じ年頃の少年であるが、騎士団を壊滅させた化物を相手に安物の剣で戦い、押している。
「くははははっ!やはり本物は違うな!そういう事か!伝説の英雄が記した本物の真の勇者!私ではなく貴様だったのか!」
鬼人王も負けじと少年に襲い掛かる。
少年と互角の戦いを繰り広げていた。一撃だけで大地が吹き飛び衝撃波が城壁を破壊する。暴力の化身同士の戦い。
鬼人王は少年に城壁の前まで押し戻されていた。
「強い。強いなぁ」
「何でこんな酷い事を」
「それは悪魔王に言ってくれ。こっちも住民を人質に取られてるんでなぁ。だが、……」
鬼人王は少年を見てニヤリと笑う。
「何がおかしい」
「もっと強くなれ。勇者よ。その程度ではまだ悪魔王には敵わないだろう。私は悪魔王の手元で貴様が来るのを待っていよう。さらばだ!」
鬼人王は少年を前にして背を向けて逃げるのだった。
少年は満身創痍で追う事も出来ず、その場でへたり込む。
こうして、王都では城下町の人々の見ている前で勇者ルークの名は大々的に公になった。
少女だったレイアは民のために戦い、自分を救ってくれた勇者に一目ぼれをしたのだった。
そして大々的に勇者は王国民に見送られて旅立つことになる。
勇者は獣王国の三勇士を倒し、そして獣王を打倒する。
そしてそれ以上の侵攻が厳しくなった為、獣王国からアルブム王国に戻り、そこから帝国へと向かう事になる。
帝国に向かう際に第一王子のレオナルドが外交役として合流する。
第一王子の待遇はこれまでと全く違っていた。獣王国との戦争が終わってから旅は過酷なものから豪華な馬車に揺られて楽に移動する事になる。
「本当に凄いですわ。さすが王太子殿下です。ですが、こんな場所に来て大丈夫なのでしょうか?。魔王を倒す旅なんて危険なのでは?」
「君のような美しい女性を王国から送り出しておいて、次の国の王となる者が城に籠るなんて出来ないさ」
「そ、その様な事は」
レイアは美しい王太子殿下に詰め寄られて動揺する。
馬車も常に王太子殿下と同じ馬車に乗り恋人となった勇者とも移動中は中々会えなかった。宿も別であれば何もかもが今までの旅と異なり王太子殿下にエスコートされるのは、今まで知っていた世界とは別ものだった。その厚待遇に慣れてしまうとそれ以外の待遇が酷く厳しく感じるようになった。
戦うのは勇者であり聖女である自分の仕事はほとんどなくなり、王太子殿下と一緒に勇者を監視するという仕事のようになっていた。
帝国では田舎娘であった自分がまるで姫のような扱いを受け、美しく豪奢なドレスを身にまとい夜会では注目の的となった。
王太子殿下と一緒ならばいつも綺麗でいられる。
汚れ仕事もなく周りからは羨望のまなざしで見られ、美しい王太子殿下にエスコートされ何もかもが異なる世界の住人として生きていける。これが王妃になる人間なのかと、未来の王太子妃を羨ましいと感じるようになっていた。
帝国内の旅はケンプフェルト領から入り、西へと進む。帝都ローゼンシュタットの手前、旧迷宮都市ヘレントルに辿り着く頃、王太子殿下に話を持ち掛けられる。
「レイア。君は王太子妃になるつもりはないかい?」
「え?」
「君のような救国の英雄にして、美しく聡明な人こそ、我が王太子妃と言う立場が相応しい」
「で、ですが、私は…」
勇者様と付き合っていて婚儀を約束した仲であるとも言おうとしたが王太子レオナルドはレイアとの距離を詰めて首を横に振る。
「我が国はね。ルーク殿に困らされている」
「え?勇者様が何を?」
「彼は平民だ。困ったことにね。彼の台頭は好ましくないんだよ。我々王侯貴族は獣王国との戦争で獣王国に大きいペナルティを課したかった。だがルークはそれを是としなかった。我らとて彼の暴力は抗えないだろう。彼が我が国の事をよく知り、我が国のために戦ってくれればいいのだが、彼はそんな事を考えてはいない。このままではこの度も険しくなるだろう」
「そ、それは…」
これまで王子と共にした旅の快適さを考えると、その位の違いがあるのだという認識はしていた。それはまるでこれまで民の為に働いていたことがバカだと思う程異なる世界だった。
「だが、彼はそれを壊してしまった。本来であれば力だけを振るってくれればよかったんだ。公に発表する勇者なんて誰でも良い。彼はただ魔王を倒して我が国に戦果をもたらせてくれればね。だが彼はやりすぎたよ。獣王国への侵攻を王国にさせないように釘をさしてきた。このままでは我が国は困ったことになる。勇者による第1戦功をあげたというのに、一切の恩恵を受けられない」
「………」
「君に勇者以上の英雄として聖女として表に立ってもらいたいんだ。聖女が旅を終え、皇子の妻として迎えられる。素晴らしいと思わないかい」
「わ、私は勇者様を裏切るなんて出来ません」
レイアは首を横に振るが、レオナルドはレイアを抱きしめベッドへと押し倒す。
「良いのかい?今までの生活に戻る事になるよ。彼は平民に戻るし、君も村の貴族令嬢となる。このようなドレスも二度と着る事はないだろうね。君はこんなに美しいのに、着飾る事さえ許されなくなる人生だ」
「!?」
「ルークのような甲斐性なしに何が出来ると思っているんだい?何もできないよ。僕と一緒に国を支配しようじゃないか。何、ルークとて皇子の妻となるなら喜んで君を送り出すだろう。嫌なら拒み給え」
レオナルドはレイアに唇を重ねる。
レイアは拒めなかった。凡庸な村娘だった自分が妃となり国を取り仕切る一人となる。そんな未来を思い描いてしまった以上、それより大きい未来が見えなかった。勇者と共に生きると約束した事がまるで遠い出来事のように感じる。
彼女は体をレオナルドに捧げ、恋人を売る事で王太子妃の地位を得る事にした。それが王家の目論見であると知りながら初恋を切り売りしたのだった。
この日、聖女は魔女へと変貌を遂げたのだった。
***
聖職者たちが村を囲み儀式によって村は大きい魔法陣に囲まれる。
「さあ、捧げなさい。偉大なるネビュロス様の為に、その命を!」
神聖魔法であるというのに、他の神に民の命を奪って別の神に捧げるという事実を知りながらも、彼女は淡々と仕事をこなしていた。
もはやこの世界は全て自分の為にあるような状況だった。
国王も、枢機卿も王太子も勇者も誰もいない。あらゆる贅沢をする事が出来る理想の世界が作られていた。
ネビュロスを使えば誰も自分には逆らえない。
儀式が始まると魔法陣が光り輝き村を覆い包む。光の中に大量の魂のような白い光が浮き上がる。そして、それは浮かんでから一気に大地へと沈んでいく。
龍脈を伝ってそのままネビュロスの元へと吸い取られていくのだった。
「さあ、次に行きましょう」
「はっ」
レイアは周りに指示を出すと、さっさと豪奢な馬車に乗り込む。
見目麗しい貴族や勇者に囲まれて悠々自適の生活を続ける。
移動中だというのに紅茶を準備させて、優雅に紅茶を飲もうとしてふと、紅茶の水面に映る自分の姿を見る。
それは美しさの欠片も無い豚のような存在が映し出されていた。
だがそんな豚のような女に傅く男たちを見下ろし、自分は何も間違えていないのだと首を横に振る。この生活を終わらせるわけにはいかない。彼女にとってそれは夢のような日々だったからだ。
「さて、次はどこに行けばいいのかしら?」
「はっ、ナベリス様の予定では偽勇者の故郷である小さな農村だとか」
「偽勇者の故郷?」
レイアはふと首を傾げそして思い出す。
かつて初恋の男が言っていた言葉を。
僕が戦わないと村の皆もお父さんもお母さんも魔王に殺されてしまうかもしれないんだって。だから僕が頑張るんだ。
そんな事を言っていた。
純朴な少年だった。
優しい少年だった。
家族のために戦っていた。自分もその家族になるのだと思っていた。
「王国の為、私の為にしっかりと滅ぼしましょう」
当に悪魔に魂を売っていたレイアは心の底でチクリと痛むが、そんな心の軋みさえも感じない様子で真の勇者の故郷を滅ぼす事を宣言する。
既に勇者ルークとは決別をしたのだから、彼の本当に守りたかったものをしっかり踏み潰してこそであると。