5章23話 熊王VS虎王子
「ふざけるな!」
ゴッ
マキシムの控室で家臣の1人であるバスガスが床に倒れ伏す。
「ま、マキシム様。バルガス殿は決して悪気は」
周りの熊人族の男たちはマキシムに殴られたバルガスを庇っていた。
「黙れ!………随分舐められたものだな!女に気遣われて勝たせてもらうなど、これ以上の侮辱は無いわ!」
マキシムは怒り狂ったように吠える。
周りはマキシムを宥めようとするが全く効果はない。逆に宥めようとする連中にも牙をむく。
「それとも何か?貴様らはそんなに俺が頼りないとでもいうのか!獣王とは何だ?獣人を統べるものだろう!こんな勝ち方で獣王と誇れるのか!?」
マキシムの言葉は道理である。
それは獣王候補全員が理解している事だ。かつてリンクスターに支配されていた時代では、獣王はリンクスターの策謀によって好き勝手に獣王を変えていた。
それを打ち破ったのが前獣王アルトリウスだった。だが、それも終わってしまった。再び厳しい時代が来るのは目に見えていた。
マキシムが恐れたのは籤運によって負ける事だった。だからこそリンクスターと取引をしたのだ。好きでリンクスターと取引をしたわけではない。
過去に三勇士決定戦を戦った際には、エミリオは従魔枠で戦わず、二枠をオラシオやウルフィードと争った。マーサは出場せず、ロバートとマーゴットは話にさえならなかった。
かつて三勇士最終決定戦までもつれ込んだマキシムは、確かに前者の三勇士に完膚なきまでに簡単に負けてしまったが、元三勇士の二人が獣王を辞退するなら獣王候補の最右翼だった筈だ。
他の連中が自分と対等の扱いになる事自体がおかしいと思っているが、どちらも名門の出なので、対等にさせられている事実があった。獣王戦ではいつもそうだった。
ここで勝っておかないと後でいちゃもんを付けられても対等で戦わせてもらえないだろう。
熊人族は強くても獣王や三勇士の懇意にしている部族が依怙贔屓によって強い立場に立ち、自分達は権力を掴めず、長い間、苦しめられていたからだ。
マキシムからすれば獣王国は実力主義なんかではない。種族主義と行っても良いほど偏っているように見えていた。
「でも、俺達はマキシム様に獣王になってほしいんだ。何があってもだ」
「バルガスさんがやらなかったら俺達がやっていた!」
「バルガスさんの思いは熊人族全員の思いなんだ!」
「バルガスさんを許してやってください!」
全員が土下座をして同僚の卑怯を許す様にと頭を下げる。
マキシムは舌打ちをして彼らから背を向ける。
「バカ共が。こんなんでは胸を張って獣王になれぬではないか。だが、貴様らの気持ちは分かった。どちらにしても文句が出ないような勝利を見せてやる。良いな」
「「「「はっ!」」」」
熊人達は全員が平伏す。
マキシムはこのバカな部下達を守るためにその手を汚しても戦うと決めたのだ。
共に手を汚してでも勝ちたいと思う仲間の気持ちも分からないわけではない。だからこそ、汚い事をしたからこそ負けられなくなっただけだ。
***
『準決勝2試合目を始めます!圧倒的な強さを見せてきた連邦獣王国所属ベアード家当主マキシム・ベアード様。対戦するのは奇跡の勝利を続けてきた同じく連邦獣王国所属タイガー家当主ガラハド・タイガー様』
二人が入場すると観客は大きく盛り上がる。
マキシムとガラハドはどちらも多くのモノを背負ってここにきている。
互いに闘技場で睨み合う。
「無駄な因縁を作るつもりはないから先に言っておこう。あれは部下が勝手にやった事だ」
「部下のせいだって?」
「無論、愚かな部下を持った俺の責任でもある。故に再びマーサとは獣王国にて雌雄を決する事になるだろう。それだけは明言しておく」
「ふん、別に俺はどうでもいいよ。どうせ、俺が勝つのだから」
ガラハドは何にせよ勝つこと以外は考えていない。ここで勝てば運よく暫定でも獣王になれる。ならばそれ以外は些末事だった。
「吠えよるわ。腐っても獣王の子という事か」
マキシムは獰猛な笑みを浮かべて拳を握る。
対するガラハドも拳を握り戦いの構えに入る。
『では、試合、始め!』
開始の合図とともにマキシムとガラハドが前に出る。ガラハドの方が早く間合いに潜り込んで拳を叩き込もうとするが、マキシムは腰を落としてその攻撃を防御する。
重量にして倍以上もあるマキシムを相手に、ガラハドはスピードを使い積極的に近づきつつも攻撃を仕掛ける。
対するマキシムはしっかりとガードを固めて守りつつ強力な拳を振り回してガラハドを捕える。
ガラハドはとっさに両手で防御するが、それでもその攻撃は重く鋭く、大きく吹き飛ばされる。
「うおおっ!」
マキシムが拳を振り回してガラハドを攻め立てようとするがガラハドは距離を外して攻撃圏内から逃げ、そして拳を引っ込めた一瞬で踏み込みマキシムに反撃の拳を叩きこむ。
マキシムのパワーはすさまじいものがある。
本来、この男は棍棒と拳の両方を使うが、その手のものは此度の戦いでは使っていなかった。
左手で持つ棍棒で中距離での攻撃を行ない、懐にあえて踏み込ませて拳で討つという珍しい戦い方だ。
拳だけで剣を相手にするのは大変だろうが、リーチが長く帝国兵位ならば簡単に屠れたのだろう。
だがガラハドはマキシムが巨漢故に懐に入って戦おうとするが、その前にマキシムの攻撃を避けねばならない。ガラハドにとってはそれがかなり厳しい問題となっていた。
マキシムは拳闘技術がかなり高い。
基本的に獣王国においては拳闘の能力の高さは必要だからだ。
獣王は常に相手が集団でも勝てなければならない。柔術のような寝転がるような戦いは隙を生む。獣人族は森に包まれた山に生きている為、足場の悪い場所で足を取られるのはそれだけで死ぬことも多い。その為、獣王は格闘術よりも拳闘を尊ぶ。片足を取られる事さえしに直轄するが故である。その為に殴る事が推奨されてきた。
無論、武器を持つ事が悪いわけではない。カッチェスター家は鉱山を領有しており武器を作る事も盛んだからだ。
とはいえ、森林地帯でもある獣王国は武器を振り回すすペースさえないケースが多い。山の中で補給もない状況で武器を失う事もある。その為、やはり最後は拳に頼る。
ベアードとガラハドがどちらも主に拳を使うのはそれが理由だ。
ガラハドは踏み込んでベアードの懐に入ろうとするが、マキシムは強力な左を突きだす事でガラハドの動きを止める。
ガラハドはガードを固めて上体を振ってマキシムの懐を狙う。
だがガラハドが射程圏に入るとマキシムの左が飛んできてガラハドをガードごと吹き飛ばす。
ガラハドは食らってもこらえながらも前に進む。マキシムは5年前にあった従魔枠を除く三勇士選定戦で3位だった実力者。挑戦者は自分なのだから当然なのだと戒めて。
ガラハドはマキシムに向かって前へ前へと進む。
何度となく拳で殴られ、ガードを壊される。
それでも、距離感を覚えタイミングを覚え、左の拳を徐々に避け始める。
そして避けながら前へと出て、ついに懐に飛び込み、握り込む拳をマキシムに叩きつけようとする。
ゴッ
だが、マキシムの右のショートフックがガラハドを一撃で吹き飛ばして闘技場に転がす。
『強い!マキシム選手!これまで何度となく倒れても奇跡の勝利をしてきたガラハド選手でしたが、さすがに奇跡もここまでか!?』
そんな放送が流れるがガラハドはカウントが入る前に慌てて起き上がる。
距離感は掴んだが、今の一撃で足に来た。凶悪な一撃が腹に入り、簡単に足が動かなくなる。
マキシムはガードを固めながら一気にガラハドとの距離を詰める。
「おおおおおっ」
左の拳でガラハドへ一直線に殴りに来る。ガラハドはガードを固める隙間から拳をよく見てしっかりと攻撃をかわす。
マキシムのリズムは読めた。
攻撃的な為、向こうから来てくれるなら踏み込まなくて済むから逆に助かる。だがマキシムは避けたガラハドの腹を叩く。年齢にそぐわない大きい篭手で防御するガラハドだが、その威力は強大で大きく吹き飛ばされる。
「ガハッ……」
威力は圧倒的で篭手による防御なんて無視して圧迫された肋骨が砕け、ガラハドは吐血する。
まさに王者風格がマキシムにはあった。長らく熊人族の王として君臨した貫禄があるのだ。
「10年早いんだよ、小僧」
ガラハドはその言葉を聞いて己の未熟を実感する。
それはアルトリウスが倒れた直後の事。兄達も王国との戦争で亡くなり家臣たちは絶望した。家臣のクリフォードは、せめてあと10年あればガラハド様こそが獣王になれたのにと深く悲しんでいた。
あれから3年、まるで成長していないみたいじゃないか。
少なくとも父からは獣王たる心には問題ないと太鼓判を押されていた。
単純に言えば頭と体が弱すぎるって言われていただけの事だ。だからこそたくさん勉強をして、強くなるためにずっと鍛えていた。半年前の小競り合いでは東部で死にかける程、戦いを続けていた。自身よりも遥かに強い人間の集団をたった一人で戦っていた。
(いつまで10年あればと言われ続ければ気が済むのだ。今、戦いがあるというのに!父上……、俺を守ってください)
ガラハドは自身の大きい篭手を一瞥し、拳を固め、しっかりとガードを固める。
マキシムは左だけでなく右も使い一気に殴りかかってくる。ガードを固めるガラハドは篭手に守られながら防御の奥で反撃の機会を探る。一撃一撃が十分にガラハドを下がらせるに相応しい威力だった。ガラハドも闘技場を回る様に下がって場外負けにならないよう奮闘する。
「しゃらくさいわ!」
マキシムは拳を振り抜きガラハドの防御を壊す。無防備になった顔面を思い切り殴り飛ばし、ガラハドは大きく吹き飛ばされ、ガラハドは再び床に倒れ伏した。
***
「何をやっている!いつまでも寝ているでない!ガラハド!」
怒鳴りつける声は父の声だった。
ガラハドは父に胸を借り、そして容赦なくぼこぼこにされて蹲っていた。腹を叩かれ足が動かない。頭を叩かれて朦朧とする。
兄達も同じようにやられた後で脇でぐったりした様子で座ってみている。
「お前は獣王になりたいと言ったな?」
「う……うう」
返事をしたいが口が切れて痛くて喋れない。倒れながらも弱弱しくうなずく。
「ならば立たぬか!お前が倒れたら背後にいる者達をどうやって守る!獣王が倒れるとき、それは獣王国が倒れる時だろう!」
「痛いよぉ。今の僕には無理だよぉ」
幼い頃のガラハドは弱かった。子供なのだから仕方ないとも思っていたし、実際そうだったろう。
「ならば獣王など二度と口にするな!敵は待ってはくれん!今、俺が死んで敵が迫っていた時、お前は強くなるまで待ってくれとでもいうのか!今は俺がお前たちを守ってやれるがそうはいってはおられん!まだ立てるだろう!立て!」
幼い子供でも容赦のない言葉にアルトリウスは浴びせ続ける。
ガラハドは必死に土を掴み立とうと頑張る。膝が震えて倒れそうになるが両手で地面に手をついてからゆっくりと体を起こす。ガラハドは涙でびしょびしょになりながらも拳を持ち上げて構える。
「よくぞ立った!我が子よ!」
そう褒めてから思い切りぶん殴ってくる父に、褒めるのか殴るのかどっちかにして欲しい、とガラハドは理不尽に思いながら、今度はさすがに立ちようがなかった。
タイガー家の英才教育は死を覚悟したものだ。回復魔法の使い手はマーレ共和国にしかいない為、そういった人間を頼みにしている。
昔は奴隷のような扱いだったらしいが、彼らはアルトリウス配下となり厚遇を受けており、マーレ共和国もアルトリウスの代の頃からは積極的に助けていた。
「父上はとてもお優しい、常の世でも父のような獣王がおればと、共和国の者達が仰っておりました」
ガラハドの兄からの言葉にアルトリウスは複雑な表情を浮かべる。ガラハドはどうしてだろうかと首を捻る。
「クソッタレな獣王になりたくないからだ」
「父の口癖でしたからなぁ。獣王はクソッタレだと」
「そんなに口にしていたか?」
当人は首をかしげているが結構皆が知っている事だった。ガラハドもコクコクと首をうなずかせる。
「元はマーレ共和国はアルブムの奴隷が独立して作った国だ。そこには人間を含む多くの種族、小鬼族や蜥蜴人族、獣人族なども多く生きている。獣王国に従属したのは王国から守ってもらうためよ」
「はあ…」
「獣人とて同じことよ。時期は違うが初代獣王様が巫女姫様に助けられて作った国だ。つまりは皆南の国の奴隷民だった訳だな」
「そうですね」
うんうんと頷く。
「奴隷から逃げて来たのに、庇護を求めた相手に奴隷のように扱われるなどおかしな話だろう。獣王国は代替わりによって、初代獣王や巫女姫様の思想を無視して人間と同じことをしている。俺はそれが嫌だった。ただそれだけの事だ。巫女姫様はさぞ我らに失望しているだろう。それでも弱き民を守るために奔走しておられる。それを全く理解してない獣王が腐るほどに多かった」
「父上は巫女姫様を嫌っていると聞きました」
ガラハドは不思議そうに首をかしげる。
「………嫌ってはいない。だが、巫女姫様を必要としない政治をする下地を作る為に動くことで、巫女姫様を蔑ろにしているように見えるのだろう。故に、多くの民が勝手にそう言っているのだ。フローラ様は我が獣人族全員の母親にも等しい方だ。………ステラ様からすれば母に死なれて、我らに蔑ろにされ辛い思いをさせている。俺としては非常に心苦しい。フローラ様にはステラ様を巫女姫に担ぎ上げないと誓っていたが、バカ共に勝手に担ぎ上げられ、彼女に奔走させている。それは本意ではないのだ」
アルトリウスは申し訳無さそうな顔をしていた。
「そうなんですか?」
ガラハドは意外な父の一面を見て少し驚いていた。
「ハッキリ言えば俺は獣王国そのものが気に入らない。クソッタレな獣王、強者こそが正義だと言いながら子供の巫女姫に縋ろうとする弱い家臣、他種族に奴隷にされて逃げてきた癖に他種族を奴隷にする同胞。誰も彼も自分勝手だ」
父の言葉に息子たちはギュッと口を結び、憤っていた父の気持ちが伝わる。
獣王国史上最強の獣王とも称されている父を心から尊敬している。だが歴史などを習っていたからこそ、巫女姫様を蔑ろにする父に疑問を持っていた。
「息子たちよ。早く強くなれ。俺の事業は俺の代では終わらない。いつかは俺と同じ思想を継ぐつもりで戦え。何よりも父はいつまでも守ってやることは出来ぬかもしれぬ。いつかはお前たちが獣王になる。獣王になれなくてもお前たちが民を守ってやらねばならぬのだ。クソッタレな獣王からお前たちが民を守るのだ。良いな」
「「「「ハッ!」」」」
***
ガラハドは審判のカウントが響く中で、必死に立とうとしていた。
守らないと……。そうだ、その通りだ。もしかしたら父上は自分の死期も感じていたのかもしれない。勇者が現れる前の事だったが、フローラ様から聞いていたのかもしれない。あれはきっと父上の本音だったのだろう。
『ガラハド選手、立ち上がりました!』
ガラハドは立ちながらもマキシムを見る。
随分と懐かしい夢を見ていたような気がする。獣王を決めるという話だったからか、最近は父を思い出すことが多い。
大事な事をたくさん教わった。厳しさを教わった。守るという事がどういう事かを教わった。
父は巫女姫様を嫌っているように見えていたがそうではなかった。巫女姫様にとって何が最善か分かった上で嫌われていると言われるように振舞っていた。
もしかしたらどの獣人達よりも巫女姫様を尊んでいたのかもしれない。
「もはや戦えぬ体であろう。何故立ち上がる?」
「……」
何故立ち上がるか?それは俺にも分らない。何故だったかなど考えた事もない。父の教えは心が付いてこなくても体は勝手に動くからだ。
「アンタは何で獣王になりたいんだ?」
「俺は熊人族全てを背負っている。我が一族は三勇士が出ねば誰も守れぬ。彼らと縁を繋ぐ事さえままならぬ。アルトリウス様が現れる100年以上もの不遇の時を生きてきた。クソみたいな獣王やリンクスター共に良いようにされてな」
「その割には…」
「だが過去は過去の事。クソであろうと獣王になる為には全て飲み込む。気に入らなかろうと情けなかろうと、我が熊人族全ての同胞のために俺はやらねばならぬのだ!」
マキシムは苛立ちを隠さずに吠える。
ガラハドはマキシムから覚悟を感じた。
そうだ、熊人族は真面目な人間が多い。戦では最前線で戦う事も多く小さい者達を守る仕事をする男達だ。誇り高い彼らがリンクスターと組む。リンクスターと組む、彼らにとってはそれは最悪の事だろう。クソであろうと飲み込むと言い切っていた。つまりそういう事なのだろう。
獣王なんてクソッタレだ。
ガラハドは父の言葉が重くのしかかる。
「10年、いや、貴様とて5年もあれば三勇士には選定されよう。タイガー家の誇りは守られるだろう。無駄にここで戦う事はあるまい。俺も子供を無駄に痛めつける趣味はない。アルトリウス様への恩義もある。降参せよ」
マキシムは憐れむようにガラハドを見る。
ガラハドは奥歯を強くかみしめる。体はボロボロで痛みもある。目の前には次期獣王を目指し、もっとも強い者がいる。だが、子供扱いされたまま負ける訳にはいかない。
突然、ガラハドは己の両腕に付けた篭手を外し、闘技場の外に放り投げる。
その姿にマキシムは怪訝そうに眉根にしわを寄せる。
「俺が甘かった。子供だと言われても仕方ない。父の形見の篭手で身を守るような男が獣王になど相応しくはないだろう」
マキシムは眉を動かし闘技場の外に落ちた篭手を見る。言われて気付いたが確かにあれは前獣王アルトリウスが付けていたものだ。
それを戦いの場から排除したガラハドの覚悟を感じる。つまり裸一貫、一人の男として父の後盾もなく戦うというのだ。たった10かそこらの子供がだ。
「ほう?」
マキシムはガラハドは将来性の優れた実力者だと思っていた。
だが、所詮は子供だとも思っていた。未来につなげれば良いと軽んじているだろうとも。
だが、ガラハドは獣王を目指す誇り高き一人の戦士だと感じる。かつてのアルトリウスを思わせる風格が確かにあった。
「死んでも文句を言うなよ。俺は子供には手加減できても、戦士を相手に手加減は出来ん」
「負けられない理由が出来たからだ。俺はアンタを倒さねばならない」
クソを食う覚悟で獣王になった者達がどれほど獣王国に害をなしたか、父の理念と程遠い存在にならざる得なかったのかを知っている。
どんなふざけた獣王なのかと心の中で思っていた。だが、違ったのだ。そしてきっと父は知っていたのだ。
誰もが目の前のマキシムのように好んで誇りを捨てたわけではないと。同胞を守るために仕方なく協力者に頭を垂れて自らもクソッタレになって生きていたのだと。
そんな哀れな獣王という存在を作ってはならない。
「良いだろう。その覚悟受け取った!」
前に出るマキシム。同時にガラハドも前に出る。
「おおおおおおおおおおっ!」
ガラハドは足に力を入れて前に出る。女神の神託が降りたように感じたがもはや試合に集中していて耳には入ってなかった。
マキシムの左右の拳がガラハドの顔面に入り、ガラハドは大きくのけぞるが背筋に力を入れて、更に足に力を込めて、前に出る。そして、その拳を強引にマキシムの腹に叩き込む。
「ぐぅ!」
初めてマキシムの顔が歪む。だが、マキシムはそこからショートフックでガラハドを叩く。
ガラハドは顔を歪めて血を吐くが、構わずそのまま再び右のフックをマキシムの腹に叩き込む。
ガラハドは前へ前へと進む。マキシムはそれを向かい討つつもりで拳を叩き込む。
見ている方が悲鳴を上げそうなほど危険な殴り合いに突入する。何度も体をのけぞらせ吹き飛んでもガラハドは一切後ろに引かずに前に出て殴り返す。
マキシムも余裕がなくなってきていた。ここまで殴って倒れなかった相手はいなかったからだ。気合や根性だけで立っている。そして目の前の戦士は闘志は一切失っていない。
だが、負けられない想いの強さで立っているのだとしたらマキシムもまた負けられない。
想いの強さで負けるなどあってはならないからだ。ここで負けてはどうして今まであのいけ好かないリンクスターに協力を申し出て、熊人族の誇りを捨ててまで、汚濁を飲み込んだのだ。
帝国の観客も大きく盛り上がる。駆け引きも良いが殴り合いの方が見ていてわかりやすい。
激しい打撃音が鳴り響き、それを打ち消すような大歓声が響く。
最初はマキシムが優勢に進めていたが、いつの間にか互角になっていた。
マキシムは疲れて来ている。
だが、ガラハドは拳を打ち出す回転速度は一切止まらない。
マキシムが下がりガラハドが押し返す。マキシムは意識が定まらなくなってきていた。
思い出すのは勇者との決戦前夜。
寝付けぬマキシムは棍棒を振っているとアルトリウスがやってくる。
「………明日、勇者との戦いになるというのに…英気を養っておけと言ったであろう?」
「アルトリウス様。私が勇者の首を取ってきましょう」
マキシムは笑いながらアルトリウスに胸を張って言う。
「なるほどな。だが、明日は…もしかしたら負けるかもしれぬ」
「そんな弱気な!」
マキシムは非難するように声を上げる。
「フローラ様は過去に俺の死を予言していた。強力な運命に守られた者と敵対して今年辺りに殺されると。ステラ様が勇者との戦争を回避するように仰って分かったわ。俺に死を告げる存在が誰なのかをな」
「そんな昔から?ではどうして……。会議にはいませんでしたが巫女姫様を追放したとも」
「俺は巫女姫様の予言を覆し、獣王国の運命を覆したかったのだ。巫女姫様がいなくても大丈夫だと示したかったのだ」
それは獣人にとって神より優れている事を示したいともいうような事だった。恐ろしい野心にマキシムは心からアルトリウスを尊敬したように見る。
「ですが、陛下が亡くなれば国は荒れます。不遇をかこった熊人族が陛下のお陰で庇護されてきました。それは我々にとっても非常に困ったことになりますれば陛下には負けて貰う訳にはいきませんぞ」
「だろうな。だがフローラ様はこうも言っていた。貴方が思う理想の獣王らしく振舞えば後世がついてくる筈だと。今更勇者などに逃げられぬ。それに……我が子もおるしな」
「………」
マキシムは言葉を継げなくなる。マーレを狙ってきたアルブム王国軍と戦いアルトリウス様の子供たちが多く失われたとも聞いている。全滅したという話も耳にした。
「だから勇者との喧嘩、勝敗がどうなろうと俺は何も心配はしてない。巫女姫様のお墨付きだ。獣王国の未来は明るいのだとな。まあ、俺は巫女姫様の言葉を越えた先に行くつもりだぞ?クハハハハ」
アルトリウスは尊大そうに笑う。
マキシムがアルトリウスと話したのはそれが最後だった。
後は多くが語り継がれるように山をも切り裂く攻防によって殺し合い、アルトリウス様は勇者に獣王国を助けてくれと頼んで死に、勇者はアルブムに停戦と不可侵を約束し、アルブム侵攻を収めた。
マキシムは殴り合っている中で、ガラハドの拳が効いて膝に来ている。膝が落ちれば頭も落ちて、顔面を殴られることもある。一瞬意識が飛びかけたがどうにかこらえる。
目の前に立っているのはその子供だ。思えばアルトリウス様はこうして避けもせず正面から受けて俺を下したものだ。目の前の相手は誰だったか。
体は小さいが尽きぬ闘志、殴っても倒れぬ強い意志、まるでアルトリウス様のような…
そう思った瞬間、ガラハドの拳が膝が折れて頭の下がったマキシムのコメカミを捉える。
まだだ、まだ負けてはいない!打ち返さなければ!打ち返さなければ……
二人が殴り合っている為、審判が間に入れなかったが、試合が止められる。
『試合時間終了です!延長線を経て判定となります!』
その言葉にガラハドはフラフラとマキシムから距離を取って下がる。地面にしりもちをついてしまう。
再び立とうとするがフラフラ~と足が止まらず闘技場の外に落ちそうになり、何とか堪える。
ガラハドは嫌な所で止められたと苦々しく思う。戦ってる内なら大丈夫だったが、突然凶悪な激痛が体中を襲ってきたからだ。ちょと動くだけであちこちおれている骨が響く。拳もボロボロだ。
休憩時間の間立っている事も辛い。
『あ、あの、マキシム選手。休憩時間ですが…』
マキシムは拳を持ち上げファイティングポーズをとったまま固まっていた。
すると貴族の服装をした男が審判の代わりに闘技場に入ってくる。ヒューゲル男爵だ。
ヒューゲルはマキシムの前に立ち目元で手を振る。反応しない事を察して審判に向けて手を交差させる。
そこで審判は闘技場に登りガラハドの右腕を取って持ち上げる。
『マキシム選手!戦闘不能により勝者ガラハド選手!』
その言葉にガラハドはポカーンとしているが、大観衆は過去にないほど大きい声を上げて拍手をするのだった。
マキシムは立ったまま気絶していたのだった。