バラの花束をください
連載物を書いている最中って別の話を思い浮かびがち。ちゃんとホラーしてます。
うちの店は『草の雨』であって草葉の陰ではない。
はた迷惑な黒電話が鳴るたびに弓弦は思う。
この世の者ではない相手に文句を言っても聞きやしないが、愚痴くらい言ってもいいだろう。
「受話器外しちまえばいいだろ」
「それはもうやった」
真っ先にやったとも。ズゥン……と暗い影を背負った弓弦は、今日も花屋の店番だ。
「そうやってお前がきちんと対応するからあちらさんも甘えてくるんだろ」
「黄崎さんがそれ言う?」
おまわりさんという職業柄、しょちゅうナニかしらひっかけて弓弦に甘えてくるのは黄崎だ。
本人は霊感などないと主張しているが、ナニかがいるとわかる、何か言っているのがわかるだけでも充分だろう。
今日も耳元で囁かれると泣きついてきたのだ。どうやら徘徊おじいちゃんの生霊が泣き妻を探していたところに黄崎が通りかかったらしい。おばあちゃん(遺影)は家にいますよ、と言ったら大人しく帰っていった。
弓弦のやさしさに甘えている自覚があったのか、黄崎が気まずそうに目を反らした。
「まあ……営業時間内にしか鳴らないし、ちゃんとお代を払ってくれればいいんだけどさ」
「弓弦はいい子だな」
ぽんぽん、と頭を撫でられて弓弦はむっとした。男子高校生に「いい子」は褒め言葉ではない。言い返そうとした時、黒電話が鳴った。
ジリリリン。ジリリリン。
「……ちなみに取らずにいたらどうなるんだ?」
「延々鳴り続けて、根負けして出たら恨み言言われる」
「そうか……」
彼らに諦めるという選択はないようだ。五回目のコールが鳴る前に、弓弦は電話を取った。
「はい。『草の雨』です」
『……バラの花を九十九本……。明日、取りに伺います……』
若い女の声が注文だけ言ってきた。
「九十九本?」
弓弦は咄嗟にバラを確認した。花屋の人気定番商品なので毎回仕入れはしているが、同色で九十九本となると明らかに足りない。
生花市場が開催されるのは月水金の週三日。ブライダル関係やホテルなどは休日に客数が多くなるので金曜日のセリがメインになる。地域密着型の花屋もそれは一緒だった。
「色の指定はありますか? 明日までに九十九本となると同色では難しいですね」
『えっ』
そんなことを考えたこともなかったらしい。ちょっと戸惑っている。こういう人間くさいところも弓弦が見捨てられない所以である。
『あの、できれば赤がいいんですが……』
「赤ですか……」
バラで一番人気は赤である。一本だけでも映える上に愛を伝える花言葉で男女共に買う人が多い。赤いバラ九十九本は大変情熱的だが前日に注文するものではなかった。花屋にも都合があるのだ。
「では、赤をメインにして赤っぽいピンクを入れてはどうでしょうか? 赤とピンクの絞りになっているバラで、センチメンタルというのがあるんです。大輪系で香りも良い、人気のバラですよ」
なんだかんだ言いつつ弓弦はしっかり営業していた。
電話の相手は少し迷っていたが、
『じゃあ、それでお願いします』
赤系ならなんでもいいと思ったのか、なげやりに言った。
「はい、ではそれでお作りしますね。贈り物ですか?」
『…………』
「お客様?」
『ツバキアツシから、イガラシミスズへの、プロポーズよ』
「それはおめでとうございます!」
『ええ……ありがとう』
花屋で良かったと思う瞬間ベストスリーにランクインするのがプロポーズだ。弓弦は心からの祝いを口にした。相手の女性は照れたように笑っていた。
黒電話に怖がらず、むしろ嬉しそうな弓弦に、黄崎は珍しいと声をかけた。
「なんだ、お化け電話じゃなかったのか?」
「うん! プロポーズに使う花だって。バラの花を九十九本なんてロマンチックだよね~」
弓弦は純粋に浮かれているが、黄崎はもう少し現実的だった。
「そりゃけっこう高くつくなぁ。九十九本貰ったって入れモンに困らねえか」
「もー、黄崎さん水を差さないの!」
「花屋だけに?」
弓弦は笑うどころか軽蔑の眼差しで黄崎を一瞥し、バラの確認をはじめた。
「電話の相手はまだ若そうな女の人だったから、大人になった息子のプロポーズの手伝いがしたいとかかな。そういうのって良いよねぇ」
しかし財布の出所は息子である。それを言ったらさらに冷たい目で見られることがわかっている黄崎は同意してみせた。
「人情というか、母の愛だな」
「できればもっと早く注文してほしかったけど……」
明日いきなり真紅のバラ九十九本となったら町中の花屋に声をかけての合作になってしまうだろう。通常やらない無理を利かせるのだから特別料金が発生する。バラだけでも高くつくのに、結婚前の財布に大ダメージだ。
「バラっつっても色々あるんだな」
「定番だけど、花言葉に色や本数なんかで意味が変わってくるしね。勝手にあれこれ作られるから覚えるの大変だよ」
「花屋の陰謀じゃなかったのか」
「それは否定しない。花言葉ができたのもそんなに昔じゃないし、植物研究家とか、新種開発してる人が決めてるんじゃないのかな。ほら、これがセンチメンタル」
弓弦が冷蔵の効いたフラワーショーケースからセンチメンタルを一本取り出した。
淡いピンクの花弁には赤がまさに絞り染めされたように入っている。黄崎が眉を寄せたのは香りが強かったからではない。まるで、血が飛び散っているように見えたのだ。
「黄崎さん?」
「これ、注文したヤツの名前聞いたか?」
「それは聞いてない。黒電話は名乗らない人が多いし。でも聞いててもお客様の個人情報だから教えられないよ」
弓弦の言うことはもっともだった。黄崎は舌打ちすると黒いスーツの上着から警察手帳を取り出した。
「情報開示を求める」
からかいのない黄崎に弓弦の顔色が変わった。
「……なんか、やばいの?」
「わからん。この店の常連としての、刑事の勘だ」
そうとしか言いようがなかった。
こんな小さな町でも事件や事故はある。被害者の無念はそこに留まったり、無関係な人に取りついたりもする。『草の雨』に来るモノたちはその一部だ。
弓弦に頼りがちな黄崎でも、人を裁くのは人でなければならないという信念を持っている。死者ではない。生きている、未来ある人のために裁判という制度があるのだ。
「弓弦、大丈夫だ、悪いようにはしない」
「それまんま悪役のセリフじゃん……」
刑事の顔をした黄崎に下手なツッコミを入れ、電話を取りながら書いたメモを見せた。
「ツバキアツシからイガラシミスズへ、か……」
イガラシミスズ、と口の中で呟いた黄崎は、不安そうに立ち尽くしている弓弦から持っていたセンチメンタルを引き抜いた。棘はきちんと処理されて傷つく心配はない。
「弓弦、とりあえずおばさんに連絡して花束作ってもらえ」
「あ、うん。黄崎さん」
「心配すんな。やばそうだったら手を引くからよ」
おまわりさんがそれでいいのか、と思った弓弦はそれが黄崎の冗談であることに気づいて笑った。さっと手を出す。
「ん?」
「センチメンタル、七百九十円です」
「たっか! 一本でそんなにすんのかよ!?」
「品種にもよるけど、バラって高いんですよ」
黄崎はそっと弓弦にバラを返すと、首をかしげながら帰っていった。
◇
翌日、母はうきうきでバラの花束を用意していた。やはり花屋の女としてはこういう楽しい注文は嬉しいらしい。
「バラの花束でプロポーズなんてロマンチックね! 女の憧れのシチュエーションだわ」
歌でも歌いだしそうな母に弓弦はほっとした。黄崎の勘が不安だったが、母の言う通りプロポーズなら女は喜ぶだろう。
ダッシュで帰ってきて損した。例の客はまだ来ておらず、水を張ったバケツに活けられた花束がカウンターの奥で待っている。
「母さん、黄崎さん来た?」
「来てないわよ。何かあったの?」
「ううん、別に」
家に帰っておやつを食べ、着替えて店に出る。母はプロポーズする人の顔が見たいと野次馬根性丸出しで店に残っていた。
「すみません、こちらに花を注文してあると思うんですけど……」
「はーい」
はたしてやって来た。注文を取ったのは弓弦なので弓弦が接客だ。母が声を出さずに「きゃー」と喜んでいる。
「ツバキアツシ様からイガラシミスズ様へのバラ、九十九本ですね」
「……はい」
ツバキアツシだろう男は三十代前半か、母が持った花束を見てなぜかぎくりを顔をこわばらせた。かたわらに二十代ほどの女性が寄り添っている。けっこう美人だ。二人ともコートを着ているがおしゃれをしているのは見て取れた。
これからデートなのに高い代金を支払わされて、ツバキアツシの顔が引き攣っている。気の毒に、と思いつつおつりとレシートを渡した。
「すごい、九十九本のバラってはじめて見た」
彼女が目を輝かせた。
隣の女性がイガラシミスズだと思っていた弓弦は「ん?」となった。バラの花束を捧げてプロポーズはロマンチックだが、買うところから彼女がいては色々とだいなしではないだろうか。ホテルやレストランなどで時間を見計らうなり、もっとかっこつけそうな気がする。
なんか変だなと思うもののお客様の事情を詮索するのはマナー違反だ。人には色々あるものだ。
「ありがとうございました」
会計を済ませた男は何か聞きたそうにしていた。心なしか顔色が悪い。少し迷った末に聞いてきた。
「あの……このバラを注文した人って、名前は……?」
「それは個人情報ですので教えられないんです。でも、お若い女の人の声でした」
それはあんたが知ってるだろ、と思いつつ弓弦は答える。
「そう、ですか……。実は私も、電話でこちらに注文したバラを買えと言われまして……」
男の顔色がさらに悪くなった。腕の中のバラの赤さに白い顔色が浮かび上がる。
アツシさん、と呼んで彼女が男の手を握った。
「初恋の人への花なんです、それ」
少し淋しそうな顔で彼女が言った。男が続ける。
「……もう二十年も前のことです。私は毎朝自宅のあるマンション前で挨拶する女の人が好きでした。初恋、でした」
小学生の男の子が大人のお姉さんに恋をする。微笑ましい初恋だ。
――君が大人になって、それでもお姉さんのこと好きだったら結婚してあげる。
おこづかいで買ったバラを差し出して告白した男の子に、お姉さんはそう言った。ていのいいごめんなさいだ。お姉さんは大人で、男の子は子供だった。子供の将来を思ってやさしく言ったのだろう。お姉さんは微笑んでいた。
「え、じゃあそのお姉さんに……?」
それはそれでロマンチックだが、すごい歳の差だ。しかし男は首を振り、バラを抱えた手で目元を押さえた。
「亡くなったんです、そのお姉さん」
代わりに彼女が言った。男と繋いでいた手を離し、手袋を取る。
左手の薬指に、指輪がはまっていた。
「マンション前で……首を切られて。事故でした。マンションから落下した植木鉢の破片が首に刺さってしまったんです」
初恋の人が自宅のあるマンションの前で死んでいた、第一発見者の彼は懸命に血を止めようとしたという。目を覆った手が震えている。
その後もショックで錯乱する息子を思い、両親は引っ越しをした。今は他県で暮らしている。
「命日には花を供えに行っていたんですが、私と結婚するのを区切りにしよう、ということになったんです」
「そうですか……。あの、それじゃ、あの電話の主は……」
「彼女、だと思います。九十九本のバラか……。はは、彼女、意外とロマンチストだったんだな」
ツバキアツシは震える声で言った。気分を変えようと母がカードを差し出す。
「お姉さんもきっとお祝いしてくれますよ。カードにメッセージを添えて、花と一緒に供えてみては?」
「ありがとうございます……」
彼はペンとカードを受け取るとカウンターに置き、しばらく考えて書いた。
『ずっと、あなたが好きでした』
おいおい、婚約者の前だぞ。ひやりとした弓弦が彼女を窺うと、複雑そうに微笑んでいた。初恋の人はすでに過去のもので変えようがない。しかしこれからは彼女と未来を歩いていくのだ。そんな優越感があった。
花束を持った男と手を繋いだ女を見送って、母がしんみりと呟いた。
「なんだかすごいわねぇ。初恋の相手なんて、普通忘れちゃわない?」
「自宅前で死なれたら無理だろ……」
どんだけ図太かったら忘れるんだ。
「だからって毎年花を供えるなんて、よっぽど好きだったのね。その彼女も女冥利に尽きるわね」
感嘆した母が「今夜はお父さんの好物を作ろうかしら」と言いながら家に帰る。
しばらくして、黄崎が息せき切って走ってきた。
「弓弦! バラの花束の主はもう来たか!?」
「うん。さっき婚約者の人と一緒に来たよ」
「ああ、クソッ」
署から店まで走ったのか、黄崎は膝に手を置いて悪態を吐いた。
「何かあったの?」
「……女のほう、五十嵐水鈴って人はもう故人だ。しかも事件性が高く、犯人が捕まってねえ。未解決事件の被害者だ」
「えっ?」
弓弦は目を丸くした。聞いた話と違う。
「さっきのツバキさんは事故って言ってたけど……」
「なんだと?」
低い声で睨みつけられ、弓弦は後ろに下がった。
「マンションから落下した植木鉢の破片が首に刺さったって」
「そう言ったのか? 鍔木が? 鍔木が言ったんだな?」
「う、うん」
真剣な顔で弓弦の肩を摑んだ黄崎は、しかし迷うようなそぶりをみせた。
「いや……、当時鍔木は十歳だったはずだ。まさか……」
「黄崎さん?」
「弓弦、鍔木って男、どんな服装だった?」
弓弦から鍔木の人相と服装を聞きだした黄崎はどこかに連絡を入れ出した。五十嵐水鈴に花を供えに行ったのならその付近にいる可能性が高い。緊急手配しろ。
電話を終えると弓弦に向き直った。
「弓弦、悪いが一緒に来てくれ。鍔木の顔を知ってんのはお前と、おばさんか?」
「うん。黄崎さん、まさか」
パトカーの音が近づくと何事かと母が出てきた。黄崎を見て、あら、という顔をする。
「おばさん、すみませんが弓弦を借ります。ここにも一人置いていきますんで、今夜は家から出ないようにしてください」
「え、え? 黄崎さん?」
わらわらと出てきたご近所さんにも殺人犯がうろついているかもしれないから外に出るな、と言い、黄崎はパトカーに弓弦を押し込んだ。
「黄崎さん、殺人って!?」
事件性が高いとは言っていたが、殺人とは言わなかったはずだ。蒼ざめる弓弦の隣に乗り込んだ黄崎は大きく息を吐いた。
「五十嵐水鈴の死因は失血死だ。周囲には植木鉢の破片が飛び散っていた」
どうにも気になって過去の調書を探した黄崎は、事故にしては傷口がおかしいことに気が付いた。
あちこちに破片が刺さり擦り傷もできていたが、決定打になったのは首の傷だ。鋭利な、厚みのあるものが突き刺さった痕があった。状況から見て植木鉢の破片だろう。
「なかったんだ。その破片が」
「……え?」
「首に刺さっていたはずの破片はなかった。現場検証でも発見できなかった。もし破片が刺さったままだったら、急いで救急車を呼べば助かったかもしれない」
破片で血が止まった状態なら、手術で一命をとりとめた可能性が高いのだ。
「まさか、鍔木さんが? でもどうして? 鍔木さんはお姉さんが初恋だったって……。毎年花を供えて……」
「弓弦……」
大人のお姉さんに思い切って告白したのにあしらわれた男の子が、失恋を恨んでちょっとびびらせてやろうと企んだとしたら。驚かせたところを颯爽と助けて見返してやろうと思っていたとしたら。
そして思った以上の怪我を負ったお姉さんを手当てしようと、咄嗟に刺さっていた破片を引き抜いてしまったとしたら。
第一発見者の少年は血まみれで泣き喚いていたという。
「二十年前だ……。防犯カメラは今ほど普及してなかった。目撃者は何かが割れる音と悲鳴を聞いて見に行ったら、男の子が血まみれで女の人を抱えていた、と言っている」
破片を引き抜いたことで血が噴き出てきたら、それが駄目だったのだと馬鹿でもわかるだろう。鍔木は咄嗟にそれを隠した。殺人の意味は小学生でもわかる。
「で、でも、それって全部黄崎さんの想像でしょ? 事実とは……」
「当時も事件として扱われたんだ。……事故だった、と自分に言い聞かせてたんだろうよ。あれは事故だった、自分は悪くない。なぜなら逮捕されていないから。だから事故だと言えたんだ」
「……そんな……」
弓弦をパトカーに、家に刑事を置いていったのは、万が一その発言の意味に気づいた鍔木が口封じに来ないとも限らないからだ。捕まらなければいい、と彼は覚えてしまっている。
「殺人事件の時効は撤廃された」
黄崎の言葉がパトカーに重く沈んだ。
◇
鍔木亜津詩は思い出のマンション前にいた。
マンションはすでに改築され、一階はコンビニ、地下が駐車場になり、そして各部屋のベランダには壁ができてプランターや植木鉢が置けないようになっている。
彼女が倒れていた歩道は塗り替えられ、もはや跡形もなかった。
毎年花を供えに来る彼を、入れ替わった住人は迷惑そうに見る。新たな住人はここで死亡事故が起きたことを知らなかった。
どうしてあの日あの高さから植木鉢が落ちてきたのか知っている者は、鍔木しかいない。
彼女の両親は娘の突然の死に悲嘆に暮れ、マンション管理に不備があったと裁判で争い、落下防止策をと訴えていたがそれも過去の話だ。
彼女を覚えている者がいなくなったことに、鍔木は罪悪感よりも安堵が大きかった。
毎朝笑顔で挨拶してくれた大人のお姉さん。背中まであるワンレングスの長い髪に甘い香水、OLらしいスーツのスカートから伸びた肉感的な足。細いハイヒール。母親とはまったく違う、女の人。
初恋であり、はじめて性を覚えた女性だった。
大人っぽいのに笑顔が可愛くて、甘えればなんでも許してくれるのではと思った。思い込んだ。
相手にされるわけがないと大人になった今ならわかる。だが、あの時の子供には断られたことは屈辱だった。傲慢な怒りのまま植木鉢をランドセルに入れ、五階まで登った。階段の踊り場から彼女が来るのを待った。ちょっと脅かして、言うことを聞けとやるつもりだった。学校で、クラスメイトにやっていたように。
パァンと鉢が割れる音と悲鳴に笑いながら階段を駆け下りた。空になったランドセルが軽く、カタカタ鳴っていたのが耳に残っている。
お姉さんは傷だらけで倒れていた。
投げ出された手足に突き刺さった破片。お姉さんは何が起きたのかわからないという顔をしていた。
予想より大変なことになったと焦ったが、彼は虚勢を張った。俺に逆らうからこんな目に遭うんだぞ。得意げにそう言って、首の破片を引き抜いた。手当てのつもりだった。助けようとしたのだ。
あんなことになるなんて思っていなかった。
「バラの花束って香りがきついわね。ねえ、九十九本の意味って知ってる?」
鍔木と共に黙とうを捧げていた婚約者が、慰めるように明るく言った。
「意味? 花言葉じゃなくて?」
「本数にもあるんだって。九十九本は『ずっと好きだった』と」
スマートフォンを弄りながら婚約者が画面を読み上げる。鍔木は水を入れたガラス製の花瓶にバラの花束を入れ、邪魔にならないよう歩道の端に置いた。
彼女の首から噴き出した生暖かい血が顔に体にかかった。悲鳴を聞きつけた人が集まって、急に怖くなった鍔木は引き抜いた破片をランドセルに放り込んだのだ。
「『永遠の愛』よ、鍔木くん」
「え」
婚約者のではない声が教えてくれる。
車道を大型車が通り過ぎたのかゴォッと風の音がした。弾き飛ばされた石が飛んでくる。
パァン!
ガラスの花瓶が割れて破片が飛び散った。鍔木は咄嗟に目を閉じる。
どさり、と誰かが倒れる音に恐る恐る目を開いた。
「あ……あぁ……っ」
婚約者の首に破片が突き刺さっていた。
何が起きたのかわからない、という顔をした婚約者に縋りつき、鍔木は必死に呼びかける。視界の端にハイヒールが見えた。
「どうして、どうして――……!」
「約束通り、結婚してあげる」
抱きかかえた婚約者の頭が力なく回転し、首に刺さっていた破片が抜けた。噴き出した血が鍔木の顔に体に降り注ぐ。
誰かの悲鳴。救急車、と叫ぶ声。パトカーのサイレンが近づいていた。