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キュウリを買いに

ナニカが来る店。



 青木弓弦の家は、花屋である。

 戦時中はさすがに花どころではなく、祖父が出征していってからは大変だったらしいが、祖母が守り抜いた地域密着型の店だ。


『Flower Shop 草の雨』


 開店は朝の十時。閉店が夜の十時。母が継いだ花屋で弓弦は夕方から閉店まで店番のバイトをしていた。店は家と庭を挟んで繋がっているので夜でも安心だった。


「かーさん、ただいまー」


 よって、弓弦は高校から店に直行する。

 この日は近所の花好きおばちゃんもおらず、母の姿もなかった。代わりにラッピングなどをする作業台の上に「配達に行ってきます」とメモが置いてある。


「ったく、不用心だな」


 地域密着型の良いところは、店に誰もいなくても誰かしらの目があることだ。お客が来ればご近所さんが一声かけてくれる。

 弓弦は汚さないようにひとまず学生服を脱いでスツールに置いた鞄の上に乗せた。その拍子に、棚の下段にある古い黒電話が目に入る。

 この黒電話が弓弦は苦手だった。電話線が外されてどこにも繋がっていないそれは、祖母の形見でもある。

 そんなものがなぜ置いてあるかというと、時々鳴るのだ。

 それも、弓弦しか店にいない時に限って、鳴る。


 ――ジリリリン。ジリリリン。


 そう、まさにこんな風に。

 見ないふりをしようとしていた弓弦は涙目になりながら、そっと受話器を取った。


「はい……」

『……今から行くからね』


 幼い女の子の声が言った。ぞわっと弓弦の背が泡立ち、冷や汗が流れる。

 この電話を鳴らすのは、この世の者ではないモノたちなのだ。


「……ほ、本日の営業は終了しました……」

『あっ、待って待って! 今の嘘! あのー、すみませんそちらにキュウリは置いてありますか?』

「苗なら……」


 ホラーに耐性のない弓弦は黒電話だけでももう怖い。向こうもわかっていて驚かしてくる愉快犯が多いので、明るく言い直されても半泣きだった。


『苗でも良いです! 良かったー、じゃあこれから使いの者が行きますので!』

「あっ、ちょっ」


 待って、という前に電話が切れた。

 弓弦はそっと受話器を戻し、頭を抱える。どうしてこう向こう側の奴らは人の話を聞こうとしないのだ。


「使いの者ってナニ!? てゆーか人!? 誰が来るの!?」

「おーい、来たぞー」

「来たああぁぁっ!?」


 ひぎゃー!! 泣いてレジカウンターに隠れた弓弦に、来客者は呆れたように覗き込んできた。


「弓弦、俺だよ」

「き、黄崎さん……?」


 でかい図体に刈り上げ頭、黒のスーツを着た男はヤクザではなくこの町のおまわりさんである。事件や事故のたびに『草の雨』に花を買いに来る、見かけによらずやさしい男だ。


「おう、どうした?」


 黄崎はちらっと弓弦の背後の棚にある黒電話を見て、人好きのする顔に苦笑を浮かべた。


「……また、電話か?」

「お願い黄崎さん、俺と一緒にいて~」


 泣きながら弓弦に縋りつかれた黄崎は、弓弦の事情を知る一人でもあった。しがみついて離れない弓弦に「しょうがねえなあ」とぶっきらぼうに笑った。



 青木弓弦はいわゆる『視える人』だ。

 生まれつきだったわけではない。五歳の時、祖母の形見分けで黒電話を継いで以来の体質だ。

 どうやら祖母もこの黒電話には悩まされていたらしく、弓弦に渡してほっとしたようにあの世に逝った。どうせなら連れて行ってほしかったというのが弓弦の本音だ。

 視える前なら憧れた霊能力も、視える今ではひたすら恨めしいだけである。


「キュウリってんならカッパじゃねえの?」

「カッパってキュウリなら苗でもいいわけ!?」


 怖いこわいとしがみつく弓弦に黄崎は適当なことを言ってのけた。


「だってお盆にゃまだ早いだろ。……あ、それで苗か?」


 精霊馬にはキュウリとナスが定番だ。


「それはそれで怖い!」


 カッパだろうと幽霊だろうと、弓弦には怖いのだ。

 めんどくせえな、と思う黄崎は視えない人間だ。ただし時々声が聞こえたり肩が重くなったりするので多少の霊感はあったりする。『草の雨』に来るのは弓弦をからかうためではなく、彼らの「通訳」を頼むことがあるからだ。黄崎は耳元でぼそぼそ恨み言を呟かれても「自分で何とかしやがれ」と思うタイプであった。

 目撃者がいない事件や事故など、弓弦の通訳が役に立つのだ。


「怖がると余計奴らが喜ぶんだろ? ほらもう泣き止め。キュウリの苗用意しとけ」


 涙と鼻水まみれの顔を拭いてやり、仕事しろと促す。「うん」とうなずいた弓弦は野菜の苗から、それでも一番活きのいいキュウリの苗を選んでいた。背中に哀愁が漂っている。


 暦の上では春でもまだ陽が落ちるのは早い。日が沈む直前の燃えるような空を背に、ソレは現れた。


「すみません、先程キュウリの苗を頼んだものですが……」

「あっ、はい!」


 どんな客かと戦々恐々としていた弓弦は目を瞠った。

 長い黒髪を下ろし、ところどころに朱が滲んだ白い着物の美女。弓弦は一瞬見惚れ、しかし彼女が全身ずぶ濡れであるのに気づいて血の気が引いた。


「こ、こ、こちらに、用意してあります」


 錆びついたロボットのような動きで弓弦は苗を差し出した。黄崎は突如挙動不審になった弓弦に客が来たことを悟り、そっと店の花になりきった。


「ありがとうございます」

「百八十円です」


 ほっそりとした、まさに白魚のような手から代金を受け取る。どの硬貨もぐっちょり濡れて、少し生臭い。十円玉に至っては錆びていた。

 良かった、ちゃんとしたお金だ。弓弦はほっとした。黒電話の客によっては代金が葉っぱだったり、旧日本円であったりするので言い訳に困るのだ。そして代金は弓弦のバイト代から天引きされる。


「ごめんなさいね、あの子ったら怖がらせてしまったみたいで……。断られたらどうしようってうろたえてたわ。許してくださいね」

「あ、いえっ。俺もつい切ろうとしちゃって悪かったです」


 綺麗なお姉さんに丁寧に謝罪され、弓弦も慌てて頭を下げた。にこ、と美女が微笑む。


「このお店があって助かりましたわ。これで主様にお礼ができます」


 もう一度「ありがとう」と繰り返して、美女は夕日に消えていった。

 ぽーっと見送る弓弦に、視えていなかった黄崎は相手はそうとう美人だったな、とアタリをつけた。さっきまでの泣きべそが嘘のようだ。


「おーい、弓弦、帰ってこーい」


 帰ってきたのは弓弦ではなく、配達に行っていた母だった。


「ただいまー。あら黄崎さんいらっしゃい」

「お邪魔してます」

「あ。お帰り母さん」


 母は弓弦がもったままの濡れた硬貨を見て、だいたいのことを察したらしい。この母も視えないが、店を継いだだけあって「そういう客」が来ることは知っている。そして会ってみたいと願う、けっこう豪胆な母なのだ。


「お客さん来てたのね」

「うん。綺麗な女の人。貞先生が好きそうな着物着てたよ」


 貞先生は華道をやっているおばあちゃん先生だ。この店とは祖母の頃からの付き合いである。


「いいなぁ、会ってみたかった! 黄崎さんは何がご入用?」

「ミニブーケくれるから。女の子が好きそうな可愛いやつ」

「おまかせでいい?」

「はい」


 母が戻ってきたので弓弦は裏口から庭を通っていったん家に帰った。着替えておやつを食べたら店番だ。

 弓弦と交代で母が家に帰り、家事をする。会社員の父が帰ってくるのは残業時間によるが九時くらいだった。


 夜でもけっこう花屋にやってくる客はいる。奥さんと喧嘩した旦那さんが仲直りに買っていったり、仕事帰りの人など、花は身近な存在だ。

 そこに花があるだけで心がほっとする。花を買う客はみんな笑顔で帰っていく。そんな店が弓弦は好きだった。



 ◇



 このところ黒電話は鳴らないし、弓弦は平和に花屋の店番をやっている。春先によく売れるのはパンジーやビオラ、ハナカンザシも人気があった。キュウリに限らず夏野菜の苗もぼつぼつ出始めている。


「おーい、弓弦いるか?」

「黄崎さん、いらっしゃい」


 スツールに座ってぼーっとしていると、黄崎がふらりと入ってきた。なんだか微妙な顔をして弓弦を見ている。


「……また何かあったの?」


 今日のところは変なモノなどは憑いていない。黄崎は無精ひげの伸び始めた顎を撫でると、首を捻った。


「いや、なんか妙な通報があってな……?」

「うん」

「トイレの水を流したらなぜか藻が大量に流れて詰まったり、風呂がいつの間にか池の水になってたりするんだそうだ」

「誰かによっぽど恨まれててやり返されてるとか?」


 風呂に寒天はネタで聞いたことがある。

 そんなことで通報されるなんて気の毒に、と弓弦は黄崎に同情した。通報されたら駆けつけるのが警察官のお仕事である。


「身に覚えといえば、数日前に金魚を川に捨てたくらいだそうだ」

「え、なにそれ最低」

「だよな」


 金魚は品種改良されすぎて野生では生きていけないと聞いたことがある。嫌悪に顔を歪める弓弦に黄崎も同意した。通報者の男は川に放してやったんだからと言っていたが、そういう問題ではない。


「それ以来靴がぐっちょぐちょに濡れていたり、雨も降ってねえのにずぶ濡れになったり、床に濡れた足跡が残ってたり」

「…………」

「……なあ、あん時の客って何だったのかねえ?」

「めちゃくちゃ祟りじゃん!? 知りたいけど知りたくないよ!!」


 主様がお怒りだ。せっかく忘れようとしていたのに蒸し返されて弓弦は泣き叫んだ。




日常会話にホラーを挟んでいたら、もうそういう小説書きなさいよと言われました。

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