7話 ケガレテイル
紫苑は俯き、時には震えて泣きながら『汚れている』理由を説明してくれた。
「中学校に通い始めた頃から、父親の私を見る目が変わり始めたの。 いやらしい目つきに、必要以上のボディタッチ…… 下着がなくなることもよくあった 」
紫苑が話す『汚れてる』の内容は、俺が想像していたものよりも酷いものだった。
「嫌だ、とは言わなかったのか? 」
「言えなかった、って言った方が正しいかな。 学校で虐められる私にとって、家は唯一の逃げ場だったから。 それに私が我慢すればお母さんは悲しまないで済むもの 」
「我慢って…… 」
「お母さん、精神障害を抱えていてね…… 父親がいないと生きていけない。 私が我慢しないと大変な事になっちゃいそうで。 それにある時言われたの…… 『三和中に通い続けたいなら』って。 だから父親を受け入れ…… 」
「もういい! もう言うな! 」
聞くに堪えない内容に、俺は紫苑の言葉を遮って頭から抱え込んだ。
「ね、汚ならしいでしょ? 」
震える声で紫苑は呟く。
「父親は私が小学生の頃から我慢してたみたい。 手を出された時にはとてもショックで、何回死のうと思ったか分からないくらい。 でも死ぬのも怖くてそれも出来なかった…… 」
「誰か知ってるのか? この事 」
紫苑は無言で首を小さく振った。
「言えないよこんな事。 お母さんだって知らない 」
だよな…… じゃなければ紫苑の今の生活が成り立っていない。
学校の虐めに耐え、父親からの強要に耐え、母親を庇って生きてきた時間はどれだけ辛かっただろう…… 俺には想像もつかないし、掛けてやれる言葉が見つからなかった。
だから俺は、息を殺して紫苑を強く抱きしめる。
「うぅ…… えくっ! ううう! 」
頭から毛布を被り、嗚咽を漏らす紫苑思い切り泣けるようにしっかりと抱きしめてやった。
「うわああぁ…… 」
ゴーンと除夜の鐘が鳴り始めた。
煩悩とは言わず、紫苑の苦しみを祓ってほしい…… そう願いながら、紫苑が泣き止むまで毛布越しにその細い体を抱きしめた。
「ゴメンね、新年からこんな重たい話 」
真っ赤に腫らした目で紫苑は俺に苦笑いをした。
「いいんだ。 父親からのはまだ続いてるのか? 」
紫苑は少し躊躇ってからゆっくりと頷いた。
「中学生の頃程じゃないよ。 部屋のドアに鍵を付けたし、あまり顔も合わせないから 」
それでも過度なボディタッチがあったり、風呂を覗かれたり、下着がなくなる事は今でもあると言う。
許せねぇ…… 親とはいえ、十分犯罪だろこれは。
「でも、なんで俺に話してくれたんだ? 」
「なんでかな…… 橙馬君が悪いかも 」
悪い…… と謝ると、紫苑は『冗談だよ』とペロッと舌を出した。
「抱きしめられても橙馬君は落ち着けるから。 実は男性恐怖症…… なんだよね 」
「え? 青葉の手を引っ張ったことあるよな? 」
「あの時は必死だったんだよ? 高垣君、余計なところで邪魔してくるんだもの 」
笑い話ではないけど、紫苑に少し笑顔が戻った。
『能天気なヤツだからな』と話を合わせると、紫苑は力なくもクスクスと笑う。
「その…… 結婚したいって言ったのは、家を出たいって意味なのか? 」
「違うよ! 橙馬君が好きだって言ってくれるから…… でも、それを理由に家を出たいって思ったのはホントかな 」
潤んだ目で見られると、俺も耳まで熱くなってくる。
「こんな私でも、まだ好きだって言える? 」
「好きだ。 どんな状況になろうとそれは変わらない! だから俺を使えばいい! 」
紫苑の目尻から一筋の涙が頬を伝った。
それを指先と手の甲で優しく拭ってやる。
「父親に犯された女だよ? 普通の女子高生じゃないんだよ? 」
「普通じゃないのはお前のせいじゃない。 結婚してお前を守れるなら今すぐ結婚する! いや、して下さい! 」
「こんな話したら離れて行っちゃうんじゃないかって、凄く怖かった…… バカ、だよね橙馬君は。 こんな私でも好きって言うんだから 」
紫苑は俺のトレーナーを掴み、胸に顔を埋めて寄り添ってくる。
「中学からの恋心をナメんな。 追い付く為にどれだけ勉強したと思ってるんだ? 」
クスクスと顔を埋めたまま笑う紫苑は、『そうだったね』とか細い声で呟いた。
「私の何がそこまでいいの? 」
「理由なんかない。 一目惚れだったんだから 」
「…… 塩昆布だよ? 」
「俺は塩昆布もシヲ子も大好きだ 」
しばらく顔を埋めたまま無言になった紫苑は、『ありがとう』と俺の背中に手を回し、震える手で俺を抱きしめた。
「…… ホントはキスとか出来ればいいんだろうけど、ゴメンね…… 私には無理なんだ。 今はこれが精一杯 」
理由は聞かない。 きっと父親の事がトラウマになってるんだと推測する。
「ゆっくりでいいんだ。 キスしなくたってこの気持ちに変わりはないよ 」
ホントはメチャクチャキスしたい…… でも紫苑の気持ちを考えれば、俺から迫るのはタブーだ。
紫苑の心が癒えるまで…… いや、心を癒すまで俺から手を出さないと決めた。
除夜の鐘のいつの間にか鳴り終わっていたようだ。
そっと紫苑の頭に手を置き、余計な下心を払って撫でると、紫苑は目を細めて嬉しそうに微笑んでいた。
「橙馬君の優しさが伝わってきちゃった。 これは菜のはちゃんがいい子に育つ筈だね 」
「うぇ? 俺が育てた訳じゃないけどな。 菜のははいい子だぞ? 」
「うん、知ってる。 当面の私の目標は菜のはちゃんと仲良くなることかな 」
「…… 気付いてたのか。 いやその、悪い意味じゃなくて 」
スッと顔を上げた紫苑は眉を垂れて困った表情をしていた。
「わかるよ、菜のはちゃんが私を敬遠してることくらい 」
「なんで紫苑が苦手なのかは俺にも分からないんだけど 」
藍にはベタベタで、楓は初対面でも世話を焼く位だったのに、その違いが俺にはわからない。
「…… 多分、私の裏が見えてたんじゃないかな。 菜のはちゃんは人の気持ちに敏感そうだから 」
「裏? ってなんだよ? 」
「自分の事しか考えてない…… とか。 あんまり言ったら橙馬君に嫌われちゃいそう 」
そう言って紫苑は再び俺の胸に顔を埋めてきた。
紫苑の言うことが余計にわからない…… 俺が見る限り、紫苑が自分本位で何かをした事はないと思う。
紫苑が言う『自分の事しか』というのが家庭の事情の事なのだとしたら、誰だって逃げ出したいだろう。
俺は紫苑を守りたい…… そう思いを込めて、彼女の頭をそっと抱きしめた。




