6話 恋人の資格
「まさか、走ってきたのか? 」
少し息を弾ませていた紫苑は、頭と肩にベチャベチャの雪を乗せていた。
「タクシーも捕まらなくて。 夜道はやっぱりちょっと怖いから 」
とりあえずバスタオルを持ってきて紫苑に渡し、まず先に体を温めるよう風呂を促す。
「あれ? 楓は? 」
靴がない事に気付いたのか、紫苑は頭に積もった雪を払いながら聞いてきた。
母親の元に出向いていったと伝えると、紫苑はびっくりして玄関のドアノブに手を掛けた。
「先に言ってよ! せっかくの家族水入らずの邪魔は出来ないよ。 帰るね! 」
「待て待て待て! 帰るって、カギもないのにどこに帰るんだよ? 」
『うっ』と言葉に詰まった紫苑は、泣きそうな顔になりながら一生懸命考えていた。
「あ…… 藍の家とか…… 」
「きっと今頃京都だぞ? 」
「え、駅前にマンガ喫茶あるし! 」
「それこそ身の危険が心配だし、街行きのバスはもう運行終了してるぞ 」
こんな表情もするんだな…… 口をへの字にして悔しがる紫苑が珍しい。
「っくしゅん! 」
「ほら、まずは風呂入って来いよ。 雪まみれだと風邪ひくぞ? 」
紫苑は可愛く鼻をすすって力なく頷き、『お邪魔します』と呟いて風呂場に向かっていった。
「菜のはちゃん、年末にゴメンね 」
紫苑は途中リビングに顔を出して菜のはに声を掛ける。
「うわぁ、紫苑さんベチャベチャじゃないですか! 私も行くから先にお風呂入ってて下さい! 」
菜のはも紫苑のベチャベチャ具合にびっくりしたようで、すぐに階段を駆け上がっていった。
二人が風呂に入っている間にカーテンの隙間から外を眺めると、 関東圏では珍しく雪が積もり始め、塀の上や電線はうっすらと白くなり始めていた。
「どうりで冷えると思った 」
暖房モードにしていたエアコンの設定温度を上げ、物置からポータブルストーブを引っ張り出してくる。
灯油もポリタンク二個あるし、ストーブもしっかり整備されていて難なく使うことが出来た。
さすが自衛隊員…… こういう時は親父の準備の良さに感謝だ。
「お兄ちゃーん! ちょっとー! 」
風呂場から菜のはが俺を呼ぶ。
いやいや、紫苑がまだ入ってるのに風呂場に顔を出すと大変なことになるんじゃないか?
「なんだ? 」
脱衣所を覗かないようにドアの影から声を掛けると、浴室のドアが勢い良く閉まる音がした。
菜のはは構わずバスタオル姿でドアから顔を出す。
「紫苑さん、私の服じゃ小さいの。 お兄ちゃんの持ってきて 」
そういうことか…… わかったと菜のはに言い、俺は自分の部屋に着替えを取りに行く。
「パンツもねー! 」
階段下から叫ぶ声に、危うく一段踏み外しそうになった。
紫苑の着替えを用意した後、俺は年越し蕎麦の為のお湯を大鍋で沸かす。
風呂から上がった二人のタイミングに合わせてざるそばを作ってやる。
「美味しい! このめんつゆも橙馬君が作ったの? 」
少し甘めの手製のめんつゆは紫苑にも評判が良く、3人であっという間に完食したのだった。
「菜のは、眠いならベッドで寝れよ 」
DVDを見ながらソファで船を漕ぎ出した菜のはは、『もうちょっとー』と目を擦りながらテレビ画面を見つめる。
大晦日だからと言って除夜の鐘がなるまで頑張る必要もないと思うんだが。
菜のはは去年も元旦に変わるまで起きていられず、親父がベッドまで運んで行ったんだっけ。
「ほら菜のは、おぶってやるから部屋行くぞ 」
「んー…… お姫様抱っこがいい…… 」
仕方なくお姫様抱っこして担いでやると、菜のはは俺の首にすがり付いて寝ぼけ顔でニヤけていた。
階段そんなに広くないのに…… と心の中で愚痴りながらなんとか菜のはを部屋に運び、寝付くのを待って部屋を出る。
「フフ…… 菜のはちゃんみたいな妹なら、私も欲しかったなぁ…… 」
紫苑がリビングに戻った俺を笑顔で迎えてくれる。
「手はかかるけど自慢の妹だよ 」
「手がかかるんじゃなくて、橙馬君が手をかけたいんじゃないの? 」
そう言われると何も言えず、俺は黙って紫苑の横にドカッと腰を落とした。
「紫苑は1人っ子だもんな。 やっぱり兄弟姉妹って憧れるものか? 」
「そうでもないよ? 菜のはちゃんだからかな…… 色んな話を聞くけど、こんなに仲のいい兄妹は貝塚家だけだもの 」
「うーん…… ウチの場合は母親がいないからな。 ちょっと特殊なんだろ 」
「特殊か…… 凄いね橙馬君は。 なんだか君の強さの秘密が分かったような気がする 」
少し頬を赤くして紫苑は俯いた。
ブカブカの薄手のパーカーの襟口から見える鎖骨がな色っぽい…… それに二人きりでなんだか雰囲気もいい。
「紫苑…… 俺、やっぱりお前が好きだ 」
面食らったように紫苑はパチパチと瞬きをし、『ありがとう』と首を傾げて微笑む。
「でも、菜のはちゃんに彼氏が出来るまで彼女は作らないんじゃなかったの? 」
「そうなんだけど…… お前を前にすると、どうしても言わずにいられなかった 」
紫苑は耳まで真っ赤にして視線を泳がせている。
やっぱダメかな…… 雰囲気も悪くして、言わなきゃ良かったと後悔したその時、紫苑の頭がスッと肩に乗った。
「わ…… 私もね、燈馬君が好きだよ? でも私には資格ないから…… 」
資格? 好きな気持ちに資格もなにもあるのか? それを聞くのもどうかと思って、俺は紫苑の次の言葉を待った。
「燈馬君にはさ、藍がとてもお似合いだと私は思ってて…… 最初は二人を本気で応援しようと思ったの。 でもある日にね、燈馬君は私を追いかけてわざわざ星院東まで頑張って入ったんだからって藍から聞いて…… 素直に応援出来なくなっちゃった 」
藍のヤツ、余計なことを……
「商店街で男達に襲われた時も、心の中で君に助けてって思ってたら本当に守ってくれたし。 いいなって思う反面、私じゃダメなんだって思うの 」
「なんでそんなに自分を卑下するんだ? 俺はそのまんまのお前が好きなんだぞ? 」
俺の肩に頭を乗せたまま、紫苑は俺を見上げてくる。
すぐにでもキスできそうな距離に紫苑の顔がある…… でもその瞳は少し濡れていた。
「じゃあ、私と結婚してくれる? 」
え? 思いもよらない言葉に思わず固まってしまった。
「私、もう汚れてるけど…… それでもいい? 」
無理矢理笑顔を作る紫苑の表情は諦めと怯えに曇って、小刻みに震えていた。




