10話 1人にはしない
俺は紫苑の様子を窺いながら、当たり障りのない言葉を選んで蒼仁先輩と吹石先輩に相談した。
『父親に襲われた』とは言わず『父親のセクハラ』に留めて、出来るだけ穏便に済ませたいと付け加える。
「そうだね…… 児童虐待の通報の中に、そういう内容のものは意外と多いんだよ。 父親からだけに留まらず、伯父や叔父から…… 又は母親や叔母など、近親者から被害を受けたというね 」
「そういう時の対処法って、何かあるんですか? 」
「基本的には自動相談所に通報して、近親者に警告するのが一般的だね。 それでも被害が収まらないようであれば、警察が関与して被害者を保護する 」
紫苑を見ると、口を堅く閉じて俯いたまま。
そっと紫苑の背中に手を回してやると、俺の顔を見つめて一つ頷いて、蒼仁先輩を真っ直ぐ見つめた。
「母親が精神障害者なんです。 家庭は壊したくないんです…… 」
フム、と蒼仁先輩が顎を撫でて考え込むと、助手席の吹石先輩が少し厳しい口調で指摘してきた。
「あなたが説得するしかないんじゃないかしら? 触られるのは嫌だと意思表示をして、それで壊れるような家庭なら壊れてしまった方がいいと私は思うわ 」
「そう…… でしょうか 」
「そうよ。 あなたの行動が父親を惑わせたのかもしれない 」
その言い方にカチンときたのか、菜のはが文句を言おうとするのを俺は先に止めた。
「そうですね…… 私が嫌だとちゃんと言えていれば、父親も手を引いたのかもしれません 」
俺もそれを考えなかった訳じゃない…… でも紫苑にはこうもハッキリとは言えなかった。
聞いていた蒼仁先輩は、紫苑に『顔を上げて』と優しく促す。
「もうすべきことは分かったんじゃないかい? 」
「…… はい、わかってはいたんです…… 」
「大丈夫、今の君には燈馬が側にいるんだ。 その燈馬の側には多くの仲間がいるのだし、その中には僕もいる 」
蒼仁先輩がそう言うと、『私もね』と吹石先輩も紫苑に笑顔を向けた。
「紫苑さん、私もいるよ? 」
菜のはも便乗するように後部席から顔を出し、シートを挟んで紫苑の手を握った。
「燈馬君…… 」
「うん、ちゃんと側にいる。 一人にはしない 」
紫苑は溢れた涙を自分で拭き、皆に向かって深く頭を下げた。
「そうそう、不安であれば刑事を紹介しよう。 蘇芳に相談すれば嫌とは言わない筈だよ 」
「そうか、警察と聞いて親戚に刑事がいるって言ってたのは遠藤だったっけ 」
「遠藤君? 」
紫苑に遠藤が蒼仁先輩の親戚だと教えると、なるほどと妙に納得していた。
― あけおめ。 珍しいな、お前が元旦から連絡してくるなんて ―
蒼仁先輩に家まで送ってもらった後、俺は万が一の事を考えて遠藤に親戚の刑事を紹介してもらうことにした。
― お前と佐伯の力になれるのなら喜んで協力しよう。 連絡を取るから少し時間をくれ ―
遠藤は早速親戚の刑事に連絡を取ってくれるという。
「私知らなかった…… 親からのセクハラに悩んでる人って結構いたんだね 」
「だな。 でも通報もその半分くらいしかないって言うし、紫苑と同じ悩みを抱えてる人っていっぱいいるんだなって思った 」
「気持ち悪いよね、私もパパに触られると思ったら寒気がするもん 」
コーヒーを淹れて持ってきた菜のはは、そのまま紫苑の隣に座って体をぴったりとくっつけている。
「うん…… 菜のはちゃんはお兄ちゃんならいいの? 近親者だけど 」
「ムッ…… それ、私の気持ちをバカにしてます? 」
菜のはは口を尖らせて立ち上がり、突然向かいに座っていた俺の膝の上に乗ってきた。
「お、おい菜のは!? 」
菜のはは紫苑の目の前で俺の首に抱き付いて来たり、俺の頭を両手で掴まえて胸に埋め、ドヤ顔をする。
「お兄ちゃんは別なんです! この違いが分からないんならお兄ちゃんはあげられません! 」
紫苑は顔を真っ赤にして唖然としていた。
「ち、違いってなんだよ菜のは。 俺も分からんぞ 」
「他とは違うの! エロさがないっていうか、いやらしさを感じないっていうか…… 気の持ちよう? 気分? でもそんな感じ! 」
膝からピョンと飛び降りた菜のはは、今度は紫苑の膝に遠慮なく座って頭を胸に引き寄せた。
「ちょっ! 菜のはちゃん!? 」
「聞こえますか? ドキドキしてるの。 これだけ私はお兄ちゃんが好きなんです。 お兄ちゃんと触れ合うのが嬉しいんです…… わかるでしょ? 」
菜のはが何をしたいのか俺にはさっぱり分からなかった。
だけど紫苑にはそれが分かったようで、菜のはに抱かれたまま菜のはの背中をポンポンと優しく叩き始めた。
「ゴメンね、変な事聞いて。 ありがとう…… 凄い勇気もらったよ 」
「あげてません、貸してあげるだけです 」
少し冷たい言い草の菜のはだったけど、紫苑を抱きしめるその表情はとても穏やかなものだった。
紫苑はこの日も自宅には戻らず、ウチにいさせて欲しいと俺と菜のはに頭を下げた。
俺も菜のはも紫苑がいる事には異論はなく、紫苑がここで何かに踏ん切りをつけたい様子が見て取れた。
「着替えくらいは取りに戻ってもいいんじゃないのか? 」
そう言ってみたが、紫苑は首を横に振って洗濯機から取り出したばかりの昨日の薄手のパーカーを抱え込む。
「両親が北海道から戻ってくるのが明後日なの。 だから、少しでもここにいたくて…… 燈馬君と菜のはちゃんの存在を感じていたいんだ 」
ニッコリと笑う紫苑の笑顔が、以前とはなんとなく違って見えた。
今思い返せば、紫苑の笑顔には少し影があったように感じる。
家ではゆっくり休むことが出来ず、学校では当たり障りなく友達と付き合い、悩みは誰にも打ち明けられなかった。
中学時代、楓のようにグレることがなかったのは、その不安やストレスを勉強に向けたからかもしれない。
「ん? どうしたの? 」
キョトンとする紫苑は、俺の表情に疑問を感じたらしい。
「いや、可愛い笑顔をするようになったなと思ってさ 」
紫苑はピクッと体を震わせ俯いた。
「いや、今までが可愛くないとかそういうのじゃなくてな…… 」
違うんだと慌てて弁解すると、紫苑はフワッと柔らかく微笑んで頬を赤くする。
「…… 燈馬君に言われるなら嬉しい 」
「え? 俺なら? 」
言い回しがおかしい事に気付いて紫苑に聞いてみると、父親が体を触ってくる時、決まって可愛いと連発してくるのだと説明してくれた。
「ゴメンね、でも『可愛い』って言われるのは抵抗があるの。 その…… 嬉しくない訳じゃないんだよ? 素直に喜べないっていうか…… 」
紫苑が悪いんじゃない…… でも言葉一つにも父親が刺さってくる事に、正直とてもイライラする。
「そんな顔しないで。 ゴメン…… そういうつもりじゃなかったの…… 」
今にも泣き出しそうに俯く紫苑の頭をそっと撫でてみた。
男性恐怖症と聞いて少し躊躇ったけど、何か触れ合いが欲しかった。
「お前は可愛い。 その言葉に喜べるようになるよう俺も頑張るから 」
「橙馬君…… 」
「ほ、ほら! 風呂入ってこいよ、まだ菜のはが入ってるけど 」
「…… うん、ありがとう…… 」
紫苑はパーカーを胸に抱いたまま俺の胸におでこを寄せ、パタパタと風呂場へ走っていった。
その背中を見送り、俺はコーヒーを一気に飲み干す。
絶対許せねぇ
この時俺の心の中は、紫苑の父親に対する憎しみしかなかった。




