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第7話 結婚したい男

「また年下? ほんと好きだね年下」

 くそ。なんも言えねえ。

「しかもがつがつしすぎ。飢えた狼か」

 おっしゃる通りです。はい。


「もう私の話はお終い。あんたたちはどうなのさ」

 やけくそ気味に私が話を替えると、日帰り温泉施設の露天風呂の中で絵美と詩織は顔を見合わせた。

 見えない攻防の後、絵美が先に話し出す。


「純也くんがクルマ出してくれてさ。ドライブ行ってきた」

「ほーお。そりゃまた若者らしい」

 そういやジュンヤだって年下じゃんか。

「お金あんまり無いねって言ってほんとにドライブだけ。朝霧まで行ってまかいの牧場の外の売店でソフトクリーム食べて帰ってきたよ」

 学生かっ。


「チュウぐらいしたんでしょうねえ?」

「あ、えと……」

 途端に絵美ははにかみ出した。

「実は昨日も会ってさ。夜景見に行ってさ」

「まー、ロマンティック」

「でさ……」

 はいはい。……乙女かッ!


「付き合おうって言われた?」

 念のため確認すると絵美は真面目に頷く。それは良かった。

 にっこり笑って次は詩織の話を聞こうと促したのに、詩織はぼんやり岩風呂の先の灯篭を眺めている。

「おーい。詩織ちゃん?」

 隙ありっと柔らかいほっぺたをつまんでやると「いひゃいよ」と詩織はやっと振り返った。


「キョウスケさんとどうなのさ?」

「ん~~結婚にはまだ早いっていうかさぁ」

「は!?」

「あのヒト結婚したい感がヒシヒシでさ……」

 ははーん。

「キョウスケさんていくつさ?」

 絵美が尋ねる。

「三十二」

 私と絵美はそろって首を傾げる。

「どうなの? オトコの三十二って?」

「男は三十すぎてからって言うよね」

「女は三十すぎたら墓場行きみたいな扱いなのに、なんで男は船出みたいに言われるのさ?」

「ねーえ」

 大きく頷いてしまってから我に返る。いかん、話がズレる。


「世間的には男の三十二って焦るほどじゃないよね?」

「個人の願望もあるからね」

 確かに。我が弟なんか二十歳で結婚しやがったし。

「結婚を前提に、とか言われたの?」

「ううん。はっきりとそういうふうには……」

 どうにもはっきりしない詩織に順を追って話させることにして、私と絵美は聞く構えを見せる。


「えっとね。箱根のラリック美術館に行ったの。あ、恭輔さんがクルマで迎えに来てくれて」

「うんうん」

「それでオリエント急行でお茶をして……」

「え、あれって予約がいるんだよね? 当日先着順だよね?」

「うん。だから朝イチで先に行って予約入れてから私のお迎えに来てくれたみたいで」


 マジですか? あまりのことにあんぐり口を開いて、私と絵美は顔を見合わせる。初デートでそれはちょっと。

「重いね」

「だよね」

「詩織、ロックオンされちゃってるよ」

「うん……」

 詩織は疲れた風なため息をつく。


 思い返してみれば詩織という女はいつもそうなのだ。

 ほややんとしたマシュマロみたいな空気感に母性を感じる男もいれば、庇護欲をそそられる男もいる。

 お嫁さんになってほしいと男に感じさせる女なんである。


「お茶しながらね、お母さんの話とかするんだよ。私と雰囲気が似てる、今度ウチに遊びにおいで、とかって」

「はっきり言った方がいいんじゃない? まだ結婚は考えていないのでって」

「うん……」


 詩織は煮え切るまで時間がかかる。友だちの私たちはそれをよく知っている。

 曖昧な態度でのらりくらりしていたと思ったら、ある日突然てのひらを返したように態度が変わる。それで男と修羅場になり首を絞められたことがあるほどだ。男を切るのが下手なのだ。


 ――恋愛の価値は終わり方で決まるんだよ。

 本当に弥生さんの言う通りだ。

 恋愛を終わらせることは始めるときの数十倍のパワーを必要とする。大して思い入れのなかったはずの相手にさえ、身を切られるような寂しさを味わったりする。

 あれってどうしてなんだろう? 離れるとなると気持ちがまた盛り上がったりする。恋敵がいると知った途端、どうでもいいと思っていた相手に執着してしまうのと同じ原理な気がする。反動というやつだろうか。


 嵐のような衝動が治まってしまえば、あれは熱病だったのだと思うしかない。若い頃誰もが罹る病だ。治ってしまえば免疫ができて繰り返すことは稀だ。

 この体験をしないまま、大人になってから拗らせてしまうと本当にヤバい。

 そういうヤバい相手に狙われやすいのが詩織みたいな女なんだろうな。キョウスケさんがヤバい人かどうかはわからないけれど。


「深入りしない前にきちんとしておいた方がいいよ。結婚する気があるなら止めないけど」

「それはないなあ」

 そこだけははっきりと詩織は否定する。

「だよねえ」


 私たちは今微妙な年齢なのだ。

 アラサーと呼ばれる域には達したけど、焦りを感じるほどではない。

 周りが嫁に行き出せば背中を押されもするだろうけど生憎その気配もない。晩婚化が進む現代、二十代のうちは親からだってさほどうるさく言われはしない。

 ただなんとなーく流れに乗って合コンしたり異性と付き合ったりもするけれど、結婚なんてまだまだ先の話だと思ってる。家庭を持つということに現実感が湧かない。


 かといって追いかける夢や目標があるわけでも無い。

 生活のために仕事して、嫌なことがあれば友だちに愚痴って遊んで楽しくて。

 嫌なことも楽しいことも、薄く薄く薄く延ばして、パイ生地のように日々を重ねていく。焼き上がったスカスカの空間を埋めるものは何もない。

 泡と同じだ。中身はないし、いつか弾けてしまって何も残らないかもしれない。


 それでも私たちはずぶずぶの混沌とした泥沼の中を泳いでいく。いつか蓮の茎に辿り着き、あのきれいな葉っぱの上でまどろむことができたらなあ、なんて思いながら。


「悪い人ではないんだよねー、恭輔さん。話も合うし、一緒にいてイヤじゃないし」

「好きになれそう?」

「うーん……」

 まったく煮え切らない女だよ。人のことならガンガン決めつけるくせに自分のこととなるとこうなんだから。


「男女の悲劇はどうして起こるのかわかってる? お互いの認識の違いから殺人にまで発展したりしちゃうのだよ」

「そうだそうだ!」

「今の時点の正直な気持ちは伝えておいた方がいいよ。気を持たせて面白がるトシでもないでしょ?」

「はい」

 詩織は苦笑いしてしっかり頷く。

「まあ。ガンバレ」

 私は話を締めくくり、お湯の中で伸びをする。ああ、気持ちが良い。





 翌朝、いつも通り定時より早めに出勤すると駐車場で営業の林さんとかち合った。林さんがこんなに早く来るのは珍しい。

 そうか、今日からこの人は九州に出張なのだった。航空チケットや宿の手配をしたのは私だから、もう一度最後に確認しておいた方がいいかな。


 考えながら林さんの後ろを事務所に向かって歩いていたら、林さんが立ち止まって私を振り返った。

「田島さんさ……」

 まだ空気は冷たくて、吐き出す息が白い。

「俺のこと嫌いだよね」

 そうですね、嫌いですね。なーんて、言えるわけがない。社会人として。


 ビジネスマンとしては林さんは有能だろう。合理的にものを考え、合理的に事を進める。だけどナサケがない。

 社長に引き抜かれて内田工商から移ってきたとき、林さんは自分の顧客にも受注先をうちの会社に乗り換えさせた。もともとは内田工商の社長さんが、三協部品という大きな会社から独立したときに分けてもらった客先だ。


 林さんは新卒で三協部品に入社してこの業界のノウハウを覚え、内田工商の社長さんに連れられて営業を覚えた。

 そんなお世話になった人に対して恩を仇で返すようなマネしてどうなの、と私は思ってしまう。

 おかげでそれまで仲良しだった内田工商との取引はぱったり無くなった。うちの社長だって内田さんには御世話になってただろうに、あのオヤジも情がないのだ。


 なにより林さんはポーカーフェイスで腹の中を見せないけれど、それなりの野心を持っているはずだ。

 それなのに自分は矢面に立たずに宿主を替えるように会社を移動して成り上がる。林さんのキャリアと年齢なら創業を考えたっていいだろうに。

 そういう男気のなさが私は気に入らない。

 細かいことを言い出せばきりがないくらい、私とこの人はそりが合わない。

 だけど一従業員の私がくどくど言えることでもない。自分のダンナなわけでもないし。


「そんなことないですよ」

 だからこの場は笑ってごまかす。

「今日から出張ですね。気をつけてくださいね」

 争いを避け、和を以て貴しとなす。それが社会人というものだ。私だってそれくらい弁えている。良いか悪いかわからないけど。

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