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第5話 認めない男(前編)

「おはようございます」

 お得意様から貰った温泉饅頭を口に入れたところに、ちょうど由希ちゃんが出勤してきたから、私はもごもごしながら目線だけで挨拶を返す。

「朝からそんなもの食べて。まさか朝ごはん代わりですか?」


 お茶を飲んでから私は答える。

「作るのめんどくさくてさ、ここにお饅頭あったの思い出して」

「せめてサプリメントも飲んだ方がいいですよ」

「はーい」

 湯呑を片づけ今度はコーヒーメーカーをセットしながら私は返事する。


「しばらく合コン続きになりそうだからさ、今度は由希ちゃんにも入ってもらうからね」

 こないだの合コンはメンバーが決まってたので由希ちゃんにはご遠慮願ってしまったのだ。次の機会には誘ってあげたい。それなのに、

「あー。それもういいです。気分じゃなくなっちゃいました」

 うん、こういう子だよね。知ってる。


 コーヒーを飲みながらメールだけ先にチェックする。

 営業の林さんも出勤してきた。

「今日のトーヨー精機の分の現品票用意できてる?」

 質問された由希ちゃんが、無言で荷札の束を差し出す。

「付けるの手伝いますか?」

「いや」

 一応声を掛けた私に短く返しただけで、林さんはヘルメットを持って行ってしまう。


 林さんがそっけないのはいつものことで気にならないけど、由希ちゃんの態度の変化は、明らかに弥生さんとの話を聞いてからだ。

 もともと和気あいあいって感じの二人じゃないから弊害はないけれど。


「あー! 誰、お饅頭食べたのっ。朝ごはんにしようと思ってたのに!」

 まったく社長は平和だよ。





 その日の夜、自宅のアパートに帰るとウチの扉の前に人影があって、私は少し身構えた。独り暮らしの女の身として当然の防犯意識である。

 女性のようだけど友だちなら来る前に電話のひとつもよこすはずだ。

 薄暗い通路の端で、あれこれ考えていたら先に彼女が叫んだ。

「紗紀っ」

 呼ばれてわかった。同級生の晃代だ。


「何さ、いきなり来て」

「うん。ごめんね」

「来ちゃったもんはしょうがない。上がりなよ。言っとくけど汚いからね」

 鍵を開けて晃代を招き入れる。が、すぐに考え直した。


「ご飯は?」

「まだ……」

「じゃあ、ファミレス行こうか。何か話があって来たんでしょ?」

「……」

 晃代はなぜか言葉に詰まって俯く。

 そのとき初めて、私は晃代が小振りのボストンバッグを持っているのに気づいた。



 うちらの仲間内で誰よりも早く結婚したのが、晃代だった。もう三年前になる。披露宴で、うちらには似合わないアイドルグループの曲を歌って踊ったことも良い思い出だ。


 働くのが嫌だと豪語していた晃代は、派遣先の企業でエリート候補生をゲットし絵に描いたような寿退社でゴールインしたのである。

 結婚適齢期なんてコトバは廃れて久しいけれど、若さでキラキラした晃代の花嫁姿は、それはそれは美しかった。


 仲間の中からひとり結婚すればゾロゾロ続くというけれど、そこで後続者が出なかったのが、私たちの私たちたる所以だ。

 仕事のノウハウが身に付いてやりがいが出てきて、少ないながらも自分の稼いだお金で自由に遊べる。結婚という束縛より独身貴族の自由の方が魅力だったのだ。


 結婚ラッシュの波は仲間内で三度は訪れるというが、悲しいかな二度目の波は一向に興りそうもない。

 やっぱり私たちはハズシテしまっているのだ。ひとり真っ当に安定軌道に乗ったはずの晃代の方が、取り残されたようになってしまっているのだから。


「子どももまだだし自由が利かないわけじゃないんだよ。ダンナもたまには遊んできなよって言ってくれるし」

「なら声かけてよ。うちらなんかいつだって暇なんだから」

「そうだよぉ。アキちゃんが言ってくれたらいつでも集まるよ」

 晃代のただならない様子に不安になった私は、詩織にもファミレスに来てもらった。


「そう言ってもらえて嬉しいけど、でもあたしなんか、みんなと話が合わないでしょう?」

「そんなことないさ。高校時代の話だってするし、テレビの話だってするし、食べ物の話だってするし」

「あたしなんか、すっかり世間から取り残されちゃってる感じでさ」


 おいおい。どうしちゃったんですか、この人。何が言いたいんですか。

 ……まあ、大体何があったかは想像つく。これは前振り段階だって。

 コーヒーをお替りしながら辛抱強く話を聞いてあげる。すると晃代は、ようやくそれを吐き出した。


「あたしがこんなだからダンナにまで浮気されて……」

 やっぱりね。ふうっと肩で息をついて私は身を乗り出す。しくしく泣き始めた晃代の背中を撫でながら言ってあげる。

「それって間違いないわけ? 相手はどこの誰さ? なんなら私がダンナも相手も蹴り飛ばしてあげるからさ、話してごらんよ」

 とにかく元気づけて気持ちを吐き出させてあげないと。


「私たちはアキちゃんの味方だよ」

 詩織も神妙な顔をして向かいから晃代の頭を撫でる。

「あ、ありがとぉ……」

 ぐすぐすと泣きじゃくる晃代の背中をぽんぽん叩いて私は促す。さあさあ、全部吐きやがれ。


「あ、あいつ、あたしに黙ってコソコソと……」

 うんうん。

「会社の人と風俗行ってたんだよっ」

 うん?

「許せない」

 わーん、とテーブルに突っ伏してしまった晃代に戸惑い、私は詩織と目を合わせる。詩織も困ったような顔をしている。

 そうだよねえ。だってさ、風俗って浮気なの?





「社長は風俗に行くじゃないですか」

 翌日、午前休憩のときに社長に話を振ってみた。

 ぶっとコーヒーを吹き出しそうになって社長はむせる。

「なんだよお。ヒドイ濡れ衣だなあ」

「行くじゃないですか」

「なにこれ、逆セクハラ?」

「行きますよね」

「そりゃあ付き合いで仕方なく……」


 あんたが率先して引っ張って行くんだろ。社長さん方が風俗大好きなのはバレバレだ。

「奥さんは怒ったりしないんですか?」

「怒るわけないでしょ」

 社長の奥さんの場合は、慣れもあるんだろうな。

「まあ、病原菌扱いだけどね」

 そりゃそうだ。


「風俗行ったら浮気になるんですかね?」

「……昔、どっかの誰かがそんなことで揉めた話を聞いたなあ」

 そらっとぼけて社長が言うから、私はにたりと笑う。

「年長者のご意見を聞きたいんです」

「ちょっときわどくなるけど、セクハラで訴えないでよ」

 頷きながら私は後ろを振りかえって由希ちゃんの様子を見る。

 興味ないだろうと思ったのに、由希ちゃんも社長の方を見て頷いていた。


「何をもって浮気とするかは人によって千差万別であるし、男女によっても大きくかけ離れすぎているからして」

 おっしゃる通り。

「ここでは法的な話をしよう。夫婦間で慰謝料が発生するような浮気行為ってのはズバリ、不貞行為があったかないかだ。では不貞行為とは何か?」

「肉体関係?」

「それもそのものズバリ、下半身が関わったかどうかだ」

 ほーう。


「映画の18禁ボーダーと一緒ってことですね」

 後ろから由希ちゃんが言う。

「そ。大事なのは下。ということで、このガイドラインに沿って各風俗を検証するとだ。あ、風俗にもいろいろあるってわかってる?」

 うーん。なんとなく。多分、私の後ろで由希ちゃんも首を傾げてる。


「まあ、いいよ。聞いてればわかる。で、まずはズバリ。ソープは黒だ!」

 ほほう。

「ソープは行った時点でアウト。言い逃れなし」

 ほうほう。

「ヘルスと性感マッサージもほぼアウト」

 どう違うかわからないけど、そうなのか。

「ピンクサロンもアウト」

 だから、どう違うのだろう?

「ストリップなら言い逃れできるけど、最近とんと見かけないからなあ」

 ずずっとコーヒーをすすって社長は肩を落とす。

「以上だ」


 え? 終わり? 私は思わず由希ちゃんを振り返る。

 由希ちゃんは、むーっと眉を寄せて難しい顔をしている。

「とにかく風俗行ったら浮気ってことじゃないですか」

 そーゆーことだよねえ。


「だからボクが今説明したのは法的にってこと。奥さんに訴えられたりしちゃったらアウトってハナシ。だけどさ、君らの知り合いに風俗行って奥さんに慰謝料払いました、なんて人いる?」

 あったとしても、人にペラペラ話すことじゃないだろうけど。

「世の中の偉大な奥様方は、亭主の愚行を許してくれてるってこと」


「とにかく風俗は浮気ってことですね」

 だーかーらーと、社長は顔をしかめる。わかってますよ。

「男性側は、風俗が浮気とは思ってないんでしょう」

「当たり前だよ。お金で解決。後腐れナシ。それをぎゃあぎゃあ騒がれたんじゃこっちが離婚したくなるよ」

 男の本音ダダ洩れっすよ。


「だから亭主を責めたところで、そもそも謝罪なんかしないから」

 核心を突かれて私はちょっと社長を見直す。

「どうせ紗紀子ちゃんの友だちの話とかだろ。奥さんも若いんだろうけど、こういう問題は奥さんが大人になるしかないから。ダンナに説教したところでダメだから。年長者の意見ヨ、これ」

 はい、ありがとうございます。

 頭を下げたところで休憩時間の終わりのチャイムが鳴った。





 晃代のダンナは五歳も年上だ。年上の男はメンドクサイ。

 でもそうも言ってられないので私は詩織とふたりで晃代の自宅を訪ね、ダンナさんに会った。変則勤務で今週は帰宅が早いことは晃代から聞いていた。


「晃代は私のとこに泊ってます」

「ああ、うん」

 メーカーのカタログの表紙に載っていそうな対面キッチンのカウンターの内側で、ダンナさんはおぼつかない手つきで食器棚を探っている。お茶でも淹れてくれようとしてるのを察し、私と詩織はそれは遠慮してソファに座らせてもらう。


「えーと、いちおう聞きますけど。晃代のこと心配ですか?」

 まどるっこしいこと抜きに、私はダンナさんに訊く。

「戻って来てほしいですか?」

「そりゃあ、もちろん」

「なら謝った方がいいですよ」

「何を?」

 ああ。社長の言った通りだ。わかっちゃいたけどさ。


「折れる気はないですか?」

「俺は悪いことした覚えはないし。好きで行ったわけでもない。これも付き合いだよ」

 社長と言ってることが同じだ。繕う気もないのかうんざりした表情のダンナさんの腹の内は、わからないでもない。

 これも仕事のうちなんだよ、女にはわからないだろ、ダンナが稼いだ金で食べさせてもらってる専業主婦は黙ってろ、と思ってるんだろうな。

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