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第3話 手近な男

「紗紀子さーん、今度の合コンにはわたしも交ぜてくださいよ」

 朝の挨拶もそこそこに職場の後輩の由希ちゃんが言ったから私は驚く。

 どうしたんだ、この子。彼氏が欲しいというよりは、まずは自分が可愛くあることに重きを置いているタイプだと彼女を分析していた私は、どういう心境の変化だろうと首を傾げる。彼氏というアクセサリーが欲しくなったのだろうか。


「なんか人恋しくなっちゃって」

 あー、と私は納得する。もうすぐカレンダーが十二月に変わる。あのイベントがやって来るのだ。

 クリスマスとは本来家族や友人とすごすものであって、恋人たちのイベントのようにはやし立てる日本は間違っている。

 そういう声も聞こえてくる昨今だが、カップル向けの宣伝はまだまだ後を絶たない。独り者たちが取り残された気分になってしまうのも仕方がない。若い子なら尚更だ。


 イベント前に慌てて成立するカップルはイベント後に別れる、というのが私の個人的見解だけど、由希ちゃんが望むならやぶさかではない。

「そうだね。頭数の調整はこれからだから……」

 話していると、開けっぱなしの事務所の扉から女の人がひょこっと顔を覗かせた。

「コンパ? いいなあ、若い子は」


 社長同士が仲良しでうちのお得意様である、畠製作所の弥生さんだ。

 私より少しだけおねえさんなだけなのに、自分はもうおばさんだ、みたいな発言をする。まだまだとても可愛らしい人なのに。


「朝早くにごめんね」

 図面の束をカウンターに置いて、弥生さんは顔をしかめた。

「昨日メールで送った図面が見にくかったみたいで、原本持ってきた。林さんに頼まれたんだけど……」

 その林さんが、ちょうど出勤してきて弥生さんに会釈した。


「林さん、これ」

「ああ、すみません」

 挨拶になってるようななってないようなことをぼそぼそつぶやいた林さんは、鞄を床に放り出し、代わりに図面とヘルメットを持って工場の方に行ってしまう。


「あんなんでも営業だから笑えますよね」

 思わず私が、取りなすようなことを口走ってしまうと、弥生さんはくすりと笑った。

「頭は切れるもの、あの人。対応が早いから重宝されてるよ」

 確かに。由希ちゃんと頷き合っていると、弥生さんがいたずらっぽい表情で身を乗り出してきた。


「ここは男の社員さんばかりじゃない。選びたい放題でしょ」

 あはは、ないない。

 内心で苦笑するにとどめた私と違って、由希ちゃんは実に素直に口に出してしまう。

「ありえないです。手近ですませるとか、マジないですよ」

 こらこら。


「どうして? 職場の人と結婚する人って多いじゃない」

 結婚相手を探すならね、職場は有利だと私も思う。なんと言っても、仕事に対する姿勢を間近で見て吟味できるのだ。


 その人がちゃんと仕事ができる人なのかどうなのか、複雑怪奇な職場の人付き合いを無難にやりこなせる人なのかどうか。結婚相手とするならば、そこの見極めは大事だ。

 生きるイコール生活イコール仕事。社会人として、それはもう仕方がない。結婚するなら職場で相手を探すのは当然だ。

 だけどさ、そこまで至らずに別れるようなことになれば社内恋愛はリスクが伴う。


「社内恋愛、しゃーない恋愛って、言いますもん」

「なんですかそれ。駄洒落ですか?」

 うんちくを披露すると由希ちゃんに思いきり馬鹿にされた。

「アイドルグループの歌の歌詞にあったんだよ。知らないの?」

「知りませんよ。いつの歌ですか」

 そうか、知らないのか。そんなに年齢違わないはずなのに。


 少しショックを受けている私の横で、弥生さんは上の空の様子でぽつりとつぶやいた。

「しゃーない恋愛……」

 どことなく虚無感が漂っている。

 気になって私が表情を窺うと、弥生さんはにこっと笑顔になって言った。

「そうそう、コンパね。今度私も仲間に入れてよ。頭数足りないときにでも声かけて。どうせ暇だから、ピンチヒッターででも駆けつけるよ」





 その日は午後になって面倒なことが起こった。

「もう! リピート品以外の特急品は受けないで下さいって言いましたよね! キャパオーバー! 年内はもういっぱいいっぱいだって、言いましたよねっ」

 社長が新規の、しかも大口の急ぎの注文を、ほいほい引き受けてしまったのだ。

「外注でなんとかしてよ」

「なんとかなりません! どこもいっぱいいっぱいだって言いましたよねっ」


 それでなくとも新規品は、まずはできるかできないかの相談から始めなくてはならない。試作段階もなく飛び込みとなれば、基本的にどこの工場もやったことのない加工には尻込みする。

 しかもこれは大物だから場所が確保できてクレーンのある会社にしか依頼できない。


「うちは建築屋じゃないっていつも文句言ってるくせに、どうしてこんな大物ばかりを引き受けちゃうんですかっ」

「だってさあ。断れなくって」

 うちの社長はイエスマンだ。だからここまでのし上がったという側面もあるのだが。


 あー、もうどうしよう。パソコン画面の外注先リストをスクロールしながら私は頭を抱える。

 考えててもしょうがない。頼んで回るしかない。

 机の上の電話に手を延ばしたとき、バサッと名刺入れが降ってきた。斜向かいのデスクから林さんが放り投げたのだ。


「そこにある会社当たってみて。取引前だけど、つなぎは付けてあるから話は通る。俺は他のツテをたどってみる」

 頷いて、私はのほほんとしている社長を睨む。

「社長はゴルフのお仲間に頼み込んでみてください!」

「はいいっ」


 終業までの間に方々に電話をかけまくり、ファックスを送りまくって、やっとどうにか割り振れた。受話器の当てすぎで耳が痛いっ。

 息つく間もなく材料の発注と部材の手配をする。図面が私には難しすぎたので、林さんに言われるままに発注書を入力していく。

 送信の後も、直接電話をかけてお礼がてら納期の確認を取る。


 そうしてやっと片がついたときには、とっくに終業のチャイムが鳴り終わっていた。

 まだ入力途中だった日報やら何やらを、この後片づけなければならない。今日は残業だ。


 とりあえず休憩がしたい。思っていると林さんが事務所を出て喫煙所に向かった。

 私も事務所を出て、スマホをいじりながらベンチの隅で煙草を吸っている林さんの横に立つ。

「ありがとうございました」

 特殊なケースでもない限り発注は私の仕事だ。今回は特殊なケースだといえるけど一応手伝ってもらったお礼を言う。

「仕事だし」

 林さんはここでもそっけない。まあ、いいけど。


 事務所に戻ってコーヒーを淹れよう。私が踵を返しかけると、林さんが不意に顔を上げた。

「田島さんさ……」

 社長も社員さんたちも私や由希ちゃんを下の名前で呼ぶのに、林さんだけは名字で呼ぶ。

 何か言いたそうにしている林さんに首を傾げると、彼の視線が泳いだ。駐車場の方からおつかいに出ていた由希ちゃんが走って来た。


「遅かったね。由希ちゃんがいない間たいへんだったんだよ」

 思わず林さんそっちのけで話しかけてしまうと、由希ちゃんは私の腕をぐいっと引っ張った。

「紗紀子さん、残業しますか?」

「うん。やること残ってるし」

「ミルクティーおごってあげます。向こうの自販機のヤツ」

 自販機なら喫煙所の横にもあるのに、由希ちゃんは私を工場の建物の向こうの自販機まで引っ張っていった。


「どうしたの?」

 なんだか妙な感じに由希ちゃんの顔を覗き込むと、彼女はぎゅっと眉根を寄せて鼻にも皺を寄せていた。

「三協部品で面妖な話を聞いてしまいました……」

 由希ちゃんはさっきまで、支払いや集金にお得意さんを回ってきたのだ。

 三協部品は、かつての勢いは見る影もなくなったものの、この界隈ではドンともいえる古参の会社だ。


「林さんて内田工商にいたんですよね」

「うん」

 かなり綿密なお付き合いのあった会社から、社長が林さんを引き抜いたのだ。

 うちの社長は臆面もなくそういうことができるから、会社はどんどん大きくなる。

「内田工商の前には三協部品にいたんだそうですよ」

「へえ」


 初耳だったけど、そうであっても不思議はない。三協部品はそれだけ大きな会社だったから。

 そういえば、内田工商の社長は三協部品から独立したのじゃなかったか? それなら、そのときに林さんを連れて創業したのかな。

 知らず知らずの間に私は頬を歪めてしまう。うちの社長も社長なら、林さんも林さんだよね。


「で、弥生さんもその頃、三協部品にいたそうです」

「ほう……」

 弥生さんも若いころからこの界隈を転々としてたそうだから、そういうこともあるだろう。

「で、ここからがびっくりですよ。林さんと弥生さん、付き合ってたらしいです」

「…………」

 まあ。そういうこともあるだろう。男と女だもん。

 私は今朝の弥生さんの上の空の様子を思い出す。


「林さんが三協部品を退社するとき、弥生さんは結婚できると思ってたみたいなんですよ。えーと、このへんの話の流れ、わたしにはちょっとよくわかんなかったんですけど。結婚するから自分も辞めるって周りに話してたって。でも林さんは特にそういう気配もなく、しらーっと退社しちゃったそうで」

 ああ。胸が痛い。

「そしたら弥生さんも会社に居づらくなって辞めちゃったんだそうです。そんときにはもう、林さんとも自然消滅だったみたいで」


『恋愛の価値は終わり方で決まるんだよ』

 そう私に言ったのは、何を隠そう弥生さんだ。あれは自虐の言葉だったのか。


「やな感じですね。やな感じ」

 二度同じことを言って、由希ちゃんは可愛い鼻にまた皺を寄せる。

「林さんも、弥生さんも、そんな古い話を楽しそうにしゃべってきた三協のおばさんも。わたしはやだなって思いました」

 ほんとだね。


 私は優しい気持ちになって由希ちゃんの頭を撫でる。

「聞かなかったことにしようよ」

「そうですね」

「いいからさ。事務所であったかいコーヒー飲もう」

 それで残りの仕事を片づけないと。

「そうですね」

 こっくり頷く由希ちゃんにホントは言いたかった言葉を、私は呑み込む。

 ほらね。やっぱり、しゃーない恋愛じゃないか。

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